『奇偉荘厳 山田寺展図録』によると、治安3年(1023)、藤原道長が山田寺を訪れて後、あまり年月を経ずして11世紀前半には、東斜面の土砂崩れによって、東面回廊から南面回廊の東半、宝蔵が倒壊してしまった。発掘調査で出土した東面回廊は、その時の様子を生々しく伝えている。ただ、不幸中の幸いというべきか、金堂の被害は食い止められたようであるという。
写真に撮らなかったが、山田寺の東側には崩れるような山は見当たらなかった。御破裂山が破裂したのだろうか?御破裂山から土石流が押し寄せたのではないかという説もある。


1982年の発掘調査では、東面回廊が倒壊したままの状態で出土した。北から13・14・15間目が最も残りがよく、出土材に材を補足して回廊の再現が可能になった。これにより、法隆寺をさかのぼる寺院建築の様相が明らかとなった。








※参考文献
「奇偉荘厳 山田寺展図録」(2007年 飛鳥資料館)