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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2024/07/26

ムスリムの墓廟にある棺


久しぶりにムスリムの墓廟を巡ってきた。

これまでに、ムスリムの墓廟は幾つか見学してきた。そして、ムスリムの墓廟は地上に礼拝するための棺、地下の同じ場所に遺体を納めた棺を置くものと思っていた。

 
『トルコ・イスラム建築』は、サーマーン廟にもカーブス墓塔にも地下室はないが、アナドルのキュンベットの大半には地下室がある。地下室を納棺室、1階を礼拝室として使用するが、埋葬者が多数になると1階も納棺室として使用された。地下室がない場合は、1階が納棺室と礼拝室を兼ねているという。

ブハラのサーマーン廟(923-43)は内部に墓があるが、新しく設置されたものだという。
地下に埋葬されてはいないのだろうか。


エルズルム ウチュ・キュンベット
『トルコ・イスラム建築』は、トゥンジェリは、サルトゥク朝のイッゼディン・サルトゥクのために、1190年頃建てられたと推論している。
北の側面にある入口を入ると0.8ほど高い1階の床面と、1.8mほど地下の地下室に下りる階段がある。1階の天井は球形のドーム、地下室の天井はヴォールト構造であるという。
地下室は遺体を埋葬しているからだろう。


前回にスルタンアフメット廟を見学した時に、「中に入ると緑色の布とターバンのような白い飾りを載せた柩が大小隙間のないほど置かれている。イスラームでは遺体は土葬ということになっているので、実際は地下に、この位置のまま埋葬されている」と記している。
『イスタンブール歴史散歩』は、ブルー・モスクは、7年がかりで1616年に完成した。このモスクの建立に熱心だったスルタンはしきりと工事を急がせたというが、完成の翌年、27歳の若さで他界した。
廟内には緑の布で蔽われた巨大なアフメットⅠ世の柩を中心に、皇妃のキュセム・スルタンや、3人の息子、オスマンⅡ世、ムラトⅣ世、バヤジット皇子らの柩が30数基ずらりと並んで、墓とは思えない賑やかさであるという。
奥がキブラ(マッカの方向)になっていてミフラーブがアーチの奥に造られている。モスクで祈るためだけでなく、頭もマッカの方向を向ける。


イスタンブール滞在の旅の後にオスマントルコ三都の旅に参加した。その時の現地ガイドギュンドアン氏は、ムスリムの墓と埋葬について「イスラームでは、人は土から生まれて土に還るので、建物の中の棺には何も入っていません」と言っていた。
やはり私が思っていたことは正しかったのだ。


ところで、『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SINAN』にはスレイマン大帝(1566年没)を埋葬した時の細密画が記載されていた。

スレイマンの葬儀 『スルタンスレイマンの生涯』より(1580) 細密画家ナッカシュ・オスマン作
二つの墓廟の左側で、天幕を張って地面を掘っている。その下ではスレイマンの棺が担がれてきた。
オスマン画スレイマンの葬儀の細密画 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SINAN より

スレイマニエジャーミイでは墓廟も見学してきたが、ヒュッレム(1558年没)の墓廟とスレイマン(1566年没)の墓廟の二つしかなかった。この場面では、スレイマンが埋葬される穴と、その後建造される墓廟とを異時同図で描いているのだろう。

そしてまた、この絵であらたな発見! 廟の入口にはモスクランプが吊られているではないか。
オスマン画スレイマンの葬儀の細密画 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SINAN より


ソコルルメフメトパシャ 1568-69年 細密画部分 ナッカシュ・オスマン画
スレイマン一世の死を悼む大宰相が描かれている。ソコルルメフメトパシャは、スレイマン、セリム二世、ムラト三世の三代の皇帝の大宰相を務めた。最終的には暗殺された。
『ISLAMIC ART』は、オーストリア・ハンガリー帝国皇帝と同等とみなされていた大宰相ソコルルメフメトパシャの死は、停滞期(1579-1699)の始まりとなったというほどの人物だった。
トプカプ宮殿図書館蔵 ナッカシュ・オマン画 細密画部分 望遠郷より



このランプは金属製のようだが、チニリキョスク(イスタンブール考古学博物館の一つ)に展示されていたモスクランプは陶器製だった。

モスクランプ 1485-1505 高27.2㎝口径19.4㎝胴径18.3㎝ イズニク
これを見て思ったのは、こんなもので照明になったのだろうかということだった。実際にモスクでは小さなガラスの器しかみたことがなかったし。
トルコの陶芸 チニリキョスクより』は、オスマントルコ初期の陶磁器ランプの形は、14、15世紀シリア、エジプトのマムルーク朝のガラスランプを手本としている。モスクや廟などで使われたものだが、このような宗教的な建物はほとんど石やレンガの耐火建築なので、たくさんのモスクランプが今日まで残されたのだった。
長い鎖で天井から吊り下げられたモスクランプは、照明器具としての実用性よりも、象徴としての意味が大きい。
コーランの24章34節・・・アラーこそ天と地の光。その光はミヒラプのランプのごとく・・・にそのヒントがあるという。 
陶器のモスクランプは特別なものだったのだ。


ついでにソコルルメフメトパシャジャーミイのものを

モスクランプ 1570頃 高47.5 口径28 胴径31 底径17㎝ イズニク
同館図録は、洋梨形の胴部と、上に広がった頸部は別々に作ってからつないだもの。白地に多彩色の絵を付けてから透明釉をかけてある。
トルコブルーの地のメダリオンの中央に小さな八弁の花を置き、その周りに黒のルーミが見える。この浮き出しのメダリオンは三つ葉のモチーフに囲まれ、同じものが頸の接合部の細いトルコブルーの帯の下にも使われている。
ランプは大宰相ソコルルメフメットパシャのために、高名な建築家シナンが建てたモスク(1571-72)の落成式の贈物として作られたものであるという。
モスクランプは贈答用などにも造られた。


また『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SINAN』は、この細密画の左隅にあるメジャー棒を持っている人物はスィナンであると考えられているという。
オスマン画スレイマンの葬儀の細密画 ミマールスィナン像 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SINAN より

ギュンドアン氏の言葉も記憶に残したいが、このような細密画が残っていると、当時のさまざまなことがわかる。




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スルタンアフメット廟1 8つのペンデンティブ

参考文献
「トルコ・イスラム建築」 飯島英夫 2010年 富士書房インターナショナル
「THE ARCHITECT AND HIS WORKS SINAN」 REHA GÜNAY 1998年 YEM Publication 
「トルコの陶芸 チニリキョスクより」 1991年 イスタンブール考古学博物館
ISLAMIC ART THE MUSEUM OF TURKISH AND ISLAMIC ARTS」 ANATOLIAN CULTURAL ENTREPRENEURSHIP 2019
「イスタンブール 旅する21世紀ブック望遠郷」 編集ガリマール社・同朋舎出版 1994年 同朋舎出版