『古代エジプトの染織美 コプト織 皆川泰三コレクション展図録』(以下『コプト織展図録』)は、トルコのチャタル・フユックという遺跡からは前6500年頃の亜麻の織物が発見されている。
エジプトでは前4000年頃の遺跡から亜麻を用いた麻織物が出土している。エジプトで毛織物が普及したのはローマの版図に組み入れられてからのことである。一説によれば、キリスト教徒が毛織物の技術を持ち込んだとも言われている。経糸は従来の麻を用い、文様を織り出す緯糸は羊毛を用いる事も行われた。そのような方式が広まったのは3-4世紀のことと言われる。
シリアのパルミラの建築装飾と織物の文様が似ていることでもわかるように、互いの文様表現や主題が共通のものであることが多い。
織物に表される主題は、ギリシア・ローマ神話の神々、キリスト教的なシンボルの採用、ササン朝ペルシアの影響がみられる狩猟文、聖樹文と変幻自在であるという。
人物文
『コプト織展図録』は、初期の綴織には、裸体の人物像が多く見られるが、そこには人間の体が最も美しいという意識の強かったギリシアの影響を見ることができる。ギリシア神話の英雄や神々の姿を表現していることもあるキリスト教美術とは思えない裸体表現やギリシア神話のモチーフの採用はギリシア・ローマ文化の残像が見て取れるという。
人物文胸飾り綴織 5-6世紀 27X35
同書は、盾を持ち、つばのある帽子とスカーフのような長い布をまとった男性は踊っているようでもあるという。
主文様よりも帯文様の方が印象的。これは何という文様だろうか? 装飾的な正方形?
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| 古代エジプトの染織美 コプト織 人物文胸飾綴織 皆川泰三コレクション展図録より |
女性胸像花文綴織 5-6世紀 17.5X48
多色の緯糸を使い、複雑な文様を織り出したおそらく壁掛けの一部。左右の壺からのびたギザギザの葉はアカンサスで、コリント様式の柱頭にも使われた地中海一帯で見られる植物である。眼の大きな女性は装身具や服の文様表現が細かく、高い技術がうかがえるという。
体は正面向きなのに大きな目だけ左の方を向いている。額や鼻筋などが白っぽい糸で綴られているのは、ローマ時代からの立体感ほを出す隈取りの名残なのだろう。
口の下の黒い円はこの時代の顎の表現であることが、壁画によって知ることができた。
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| 古代エジプトの染織美 コプト織 女性胸像花文綴織 皆川泰三コレクション展図録より |
天使鳥文 8-9世紀 9X28
花環を持った天使像はギリシア神話の勝利の女神ニケのようである。このような図像は死に対する勝利のシンボルとして、パルミラの墓のモチーフやイランのターク・イ・ブスタンの入口にも見ることができるという。
時代が下がるとバランスの悪い天使になってしまった。
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| 古代エジプトの染織美 コプト織 天使鳥文綴織 皆川泰三コレクション展図録より |
騎馬人物文綴織 6-7世紀 19X20
騎馬人物の図像もコプト織りにしばしば表されるが、 彼らは短い上着、マントをなびかせ、ズボンをはいている。 これは「ペルシア式服装」と呼ばれる。元来ズボンは北方の騎馬民族の服装であった。やがて、その服装は前後頃にはイランのアルサケス朝パルチアで採用された。このような服装がエジプトに波及したのはササン朝ペルシアがエジプトを短期間占拠した7世紀初頭前後(619-629)とされ、そう古いことではない。
ペルシア的服装と呼ばれるズボンの騎士はロマネスク美術にも及んでいるという。
北方騎馬民族の服装であるズボンが、アルサケス朝パルティアに、そしてササン朝ペルシアへと伝播し、10年ほどエジプトに占拠した期間にエジプトに伝えられたとは。
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| 古代エジプトの染織美 コプト織 騎馬人物文綴織 皆川泰三コレクション展図録より |
様々な人物文綴織 5-12世紀
時代を限定せずに、人物文の断片を集めたものである。初期の裸体の戦士や踊る女性像はヘレニズム的な身体バランスのとれた動きのある造形であるが、次第にデフォルメされて、「ゴーグルのような目」と称される異様に強調された風貌になり、終末期には、あたかもロボットのような体つき(左上)になっていくのがわかるという。
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| 古代エジプトの染織美 コプト織 様々な人物文綴織 皆川泰三コレクション展図録より |
動物文
『コプト織展図録』は、西アジア美術は動物表現の多様さが一つの特徴ともいえるものだが、コプト織りもその伝統を受け継いで、様々な動物が描かれているという。
鳥文
同書は、鳥類の描写も種々様々あり、身近な水鳥系、猛禽の鷲、エジプト人に馴染み深い鳩系、インド的な孔雀などが見られる。古代社会では鳥はあの世と現世を結ぶ使者として尊ばれていたこともあったが、コプト美術の鳥がどのような意味をもっていたのか不明な点も多いという。
水鳥花文綴織 6-7世紀 39X53
アカンサスのようなぎざぎざのある葉に囲まれた水鳥の文様を持つ壁掛けの一部であろう。コプト織りにはこのような水鳥のデザインが多く用いられるが、ナイル河に見られる身近な鳥を登用したのかもしれないという。
私がナイル川で見た鳥はサギ類だった。これはカモかな。アカンサスの葉4枚で水鳥を囲んでいるが、半分の葉が色褪せてしまっている。アカンサスでつくられた輪っかが接するところには四弁花があしらわれて可愛い。子供の服だったのかも。
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| 古代エジプトの染織美 コプト織 水鳥花文綴織 皆川泰三コレクション展図録より |
動物文綴織 9世紀 8.5X10.5
ライオンを囲む蔦の文様はかなりデザイン化され、その中には嘴をあけた鳥が織り出されているという。
それぞれの文様が退化していっている。主文のライオンを囲む連珠円文はソグド人が中国に請来した文様だが、それが西方にも伝わっていたのだろうか。中国の織物もエジプトでも出土しているので、それを真似たものかも。
鹿花文円形綴織 8世紀 23X26
この時期特有の多色使いのギローシュが周囲をめぐり、中央の円文は鹿が織りだされている。その外側は様式化された植物文が華やかに取り巻いている。上下左右には一見蛸のような文様があるが、これは壺に盛られた花のデフォルメとみるべきであろうという。
ギローシュは組紐文。壺に飾られた花に見えるのは下側のものくらい。それぞれを外側が壺というふうに見るのが正解。
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| 古代エジプトの染織美 コプト織 鹿花文円形綴織 皆川泰三コレクション展図録より |
植物文
『コプト織展図録』は、シリアの1-3世紀に栄えた隊商都市パルミラからは中国漢代の絹織物が出土し、最西端の絹織物の出土地として織物研究には欠かせない資料である。そこでよく言われるのは中国の織物には動物文が多く、パルミラ産のものには植物文様が多いということである。また、コプト織りにも多くの植物文があり、これらは単に装飾的効果というだけで採用されたのではない。
ローマ時代のモザイク文様にも柘榴やいちじく、棗椰子、オリーブなどの樹木が描かれ、これは楽園思想の現れとされる。楽園思想はキリスト教、イスラム教では天国、仏教では極楽浄土として信徒の憧憬の地であるが、これらを具体的に表現しようとすると、植物の生い茂る様が最もふさわしいと考えたのだろうという。
カルトネージュ 前6世紀頃 皆川泰三コレクション
『コプト織展図録』は、亜麻布で覆った遺体をさらに亜麻布を何枚も重ねて覆い故人の肖像画や死後の祝福の絵が施された 「いちじくの樹の姿のヌウト女神」と言われるものである。左端の樹の中から体をだしている女神はいちじくの化身で、ヌウトとは天空の女神でもある。このような図像は墓の壁画にもよく使われる題材で、墓の主人に命の食物を与えているのであるという。
樹木文綴織 5世紀 64X47.5
木の種類は特定できないが、下図のように壁掛けとして数本織られたうちの一つであろうという。
先に花が咲く枝と葉しかない枝がある。枝の先に咲く花にはグラデーションが、葉は片側が濃く、反対側が薄いなど、細かな織り方が見られる。
立樹文の壁掛け 高さ222㎝ エルミタージュ美術館蔵
花の配置や葉の縁取りなどは異なるが上図の樹木とよく似ている。木々の間には蔓に巻かれて本物の葉を生やしたコリント式柱頭がのる、見過ごさなければ妙なものが配置されている。
紺地唐草文浮織 9世紀 63X23
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| エルミタージュ美術館蔵立樹文の壁掛け 古代エジプトの染織美 コプト織 樹木文綴織 皆川泰三コレクション展図録より |
紺地唐草文浮織 9世紀 63X23
植物文が様式化されている。全面に文様を織りだした中国的な要素が感じられる。衣服であったとすれば見事なものだっただろうという。
菱花文綴織 10世紀 55X22(の部分)
はっきりとした文様と色使いで現代的な感じさえする作品という。
上下(あるいは左右)に波文を配し、一つの文様はほぼ同じ大きさの区画に収まっている。真ん中の菱花の中の模様が気になる。
組紐円文浮糸織 10-11世紀 31X28
初期の幾何学紋様に比べて後期になると文様の構成はより複雑で密度の高いものになっていくという。
ムスリムがもたらした幾何学文様や組紐文が熟れてきたのだろう。あるいはムスリムの技術者がいたのかも。
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| 古代エジプトの染織美 コプト織 組紐円文浮糸織 皆川泰三コレクション展図録より |
組紐文円形綴織 11-12世紀 10X12
濃い紫の染料は貝紫とよばれている高級品の他にも赤と黄色の染料を混ぜてつくりだされていたことがパルミラの織物などでも知られている。紫が好まれたのはその希少性のためだろうという。
組紐文綴織 12世紀 27X15
複雑な組紐文の組み合わせである。上下の十字架はマルタ十字と呼ばれるものであるという。
組紐文で八角形をつくり、その中に花文、マルタ十字などが表されている。
綴織はどこで始まったのだろう。
『世界遺産 大シルクロード展図録』は、西方から中央アジアに伝わった綴織(中国では「緙絲(こくし)」と表記)は平織に比べて少し間隔を空けた経糸に、文様におうじた色の緯糸を手作業で折り返して詰めていくので、緯糸が密になり、一見すると絵画のようにもみえます。色の境目には「ハツリ」と呼ばれる縦の隙間がみられる場合が多いです。錦のように大掛かりな織機を必要としませんという。
西方でつくられたものの参考例
半人半馬および武人像壁掛 前2-後2世紀 毛、綴織 縦116.0㎝、横48.0㎝ 1984年新疆ウイグル自治区ホ-タン・ロプ県サンプラ古墓1号墓出土 新疆ウイグル自治区博物館蔵
は、この毛織物の断片は被葬者のズボンの一部でしたが、もとは大きな壁掛であったと考えられています。左端に織耳が残っていることから、壁掛の左端にあたることが分かります。帯状の繧繝模様によって上下二段に分かれています。西方の高い綴織技法で制作された壁掛が、ホ-タンにもたらされ、被葬者のズポンに仕立てられたと考えられますという。
西方から請来されたもので、色のグラデーションや、顔に綴られた隈取りなど、当時最高の壁掛けとして東方にもたらされたようだ。
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参考文献
「古代エジプトの染織美 コプト織 皆川泰三コレクション展図録」 宮下佐江子・坂本和子 1998年 古代オリエント博物館
「世界遺産 大シルクロード展図録」 学術監修・責任編集石松日奈子 2023年 東京富士美術館
「シルクロード 黄金の道展図録」 2002年 NHK


















