コプト織については、1998年に開催された「コプト織 皆川泰三コレクション」を見に行って非常に興味深く記憶に残ったが、その後まとまって見ることがなかったので、今回の旅行はコプト織を鑑賞できるめったにない機会となった。
コプト博物館の説明パネルは、織物はコプト美術の最も特徴的な産物で、コプト織という用語は、実際にはエジプトで発見されたローマ時代、ビザンチン時代、イスラム時代に遡る膨大な数の織物(数万点)を指すために用いられるという。
『古代エジプトの染織美 コプト織 皆川泰三コレクション展図録』(以下『コプト織展図録』)は、コプト時代の日常着はほとんどが男女差なく貫頭衣である。王朝時代の王侯貴族の衣服は贅沢に布を使った巻衣が主流だったが、ギリシア、ローマの支配が及んでからエジプトでも貫頭衣が主な形式となったようであるという。
チュニック(貫頭衣)
『コプト織展図録』に展開図があって前後のデザインが同じであることが判明した。貫頭衣の文様配置の図は博物館の説明パネルより。
説明パネルは、無地の背景に、赤いキルトを着て左肩に緑の服を着た浅黒い肌の笛吹き男とのコントラストが描かれた着衣。垂直パネルは戦士と踊り子で装飾され、中央には騎士と踊り子のカップルが描かれているという。
円の中が騎士と言われれば、そう見えてくる。
貫頭衣にしては幅が広すぎるのでは。
多色コプト織の帯
貫頭衣一面に玉座の聖母子像が表されている。
この展示室はほとんどがコプト織で占められている。
参考文献
笛吹き男
斜めに写したので頭部が小さく見える。
斜めに写したので頭部が小さく見える。
両側は戦士と踊り子、中央の枠の円の中は騎士、四角形の中は男女の踊り子。それを隔てる文様帯は花を横から見た図と上から見た図(ロゼット、レンコンの輪切りのようだが)が交互に並ぶ。右は花が上向きになっていて、左は下向きになっているので、下から上へ、上から下へと循環しているのだろう。
円の中が騎士と言われれば、そう見えてくる。
同書は、騎馬人物の図像もコプト織りにしばしば表されるが、 彼らは短い上着、マントをなびかせ、ズボンをはいている。 これは「ペルシア式服装」と呼ばれるという。
騎士の上着とマントらしいものは分かるが、ズボンは分からない、というかどれが馬の肢でどれが騎士の脚かが見分けられない。
この図では黒いズボンを履いているのか、脚そのものかが分からない。
中央の枠は円の中の騎士、矩形の枠にはスカートの部分が幅の広いワンピースを着ている踊り子、半パンを履いている男性。
外枠にはマントを靡かせて丸い盾を持つ男性の間に女性というのが1単位で、交互に描かれている。
同書は、初期の綴織には、裸体の人物像が多く見られるが、そこには人間の体が最も美しいという意識の強かったギリシアの影響を見ることができる。
元来ズボンは北方の騎馬民族の服装であった。やがて、その服装は紀元前後頃にはイランのアルサケス朝パルチアで採用された。このような服装がエジプトに波及したのはササン朝ペルシアがエジプトを短期間占拠した7世紀初頭前後とされるという。
エジプトがササン朝ペルシアに占領されていたのは619-629年という10年間のこと。
多色コプト様式のチュニックまたはカーテンの断片 6-7世紀 麻と羊毛
胸のあたりに左右対称に四角い区画があって、頭光をつけた聖人の胸像がデザインされている。
拡大すると、枠の外には波文が巡り、聖人の胸像の周囲を有翼の幼児(クピド)遊ぶ姿が巡っている。
男性は衣装を身に着けていないようなので、早い時期のもの。
文様帯に登場する人物で、低い円柱の横に立っている男性は裸のようなので初期のもの。。
説明パネルは、アブラハムの犠牲、ヨナと鯨など、人物や動物の像が描写飾されているという。
拡大して見てみたが、神に言われてアブラハムが息子イサアクを殺そうとした時、天使がそれを止める場面も、海に落とされてクジラに呑み込まれたヨナの場面も分からない。上段右端の船にヨナが乗っていたのだろうと推測できる程度。
花輪を持つ天使だろうか。
貫頭衣一面に玉座の聖母子像が表されている。
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「古代エジプトの染織美 コプト織 皆川泰三コレクション展図録」 執筆:宮下佐江子・坂本和子 1998年 古代オリエント博物館
参考にしたもの
現地説明パネル






















