ギャラリーA
説明パネルは、ヤズルカヤ(文字が刻まれた岩)は、ヒッタイトの岩窟聖域として知られている中で最大のもの。この聖域の主要部分は、屋根のない中庭のような部屋Aと、もっと小さな部屋Bで構成されている。両部屋は、ヒッタイトの神殿と同様に大きな建築群によって外部から隔てられていた。
大きな違いは、部屋AとBは屋根で覆われていなかったこと。ヤズルカヤの部屋Aは3月の新年祭で重要な役割を果たしていたと考えられており、部屋Bは前13世紀の王たちの祖先崇拝において機能していたと考えられている。
大きな入口の門の建物Ⅰから入り、柱廊のある中央の中庭2を通って神殿へ入ったという。
ヤズルカヤの浮彫についてはこちら
ギャラリーA
説明パネルは、毎年春に新年の到来を祝う場所として使われていたと考えられている。聖域の側面には、フルリのパンテオンの神々の高浮彫が施されている。神々はおそらく行列のように二列に並んでおり、右側には女性、左側には男性(2柱を除く)が並んでいる。それぞれの神の名前は、突き出た手の上にルウィ語のヒエログリフで記されている。この二列は、嵐の神テシュプと太陽の女神ヘパトが出会う、後壁のメインシーンに向かっているという。
その中で、⑨(No.34からNo.39までの神々)に有翼日輪と有翼の神が出現している。
No.34 有翼日輪をのせた太陽神
『Gods Carved in Stone The Hittite Rock Sanctuary of Yazılıkaya』(以下『The Hittite Rock Sanctuary』)は、長いローブと外套をまとい、頭には丸い帽子をかぶった男性像。ヒエログリフの碑文によるとこの像は天界の太陽神。
右手には力の象徴である長い杖(ヒッタイトではカルムシュと呼ばれ、古代ローマのリトゥスに類似すると考えられる)を持っている。同じ杖はトゥドハリヤ大王の描写にも見られるが、この浮彫のみ、下部の巻き枠の中に四角形が描かれている。
伸ばした左腕の下、外套の襞の間から三日月形の剣の柄が突き出ている。
頭上には、広げた一対の翼の間に星のような太陽円盤が浮かんでいる。太陽円盤を含めた人物の高さは0.85mという。
![]() |
| 右:ハトゥシャ ギャラリーAの太陽神のイラスト Gods Carved in Stone The Hittite Rock Sanctuary of Yazılıkaya より |
また、『The Hittite Rock Sanctuary』は、シュピルリウマ二世によって建てられた「第2室」として知られる建物の後壁には、同様の浮彫が飾られているという。
シュピルリウマ二世は在位前1215-1200年で、ヒッタイト帝国最後の王。
太陽神は頭の上に有翼日輪をのせているが、その上にのっている丸いものは何だろう。
全体に平たい浅浮彫で、例えば有翼日輪の翼にも細かな描写がないことから、未完に終わったようだ。その前にヒッタイト帝国が滅亡してしまったからかも。
ところで有翼日輪は、エジプト新王国時代第18王朝末期の王ツタンカーメン(前14世紀後半)の副葬品に表されていることをかなり以前に記事にしている。
厨子型カノプス櫃 前14世紀後半 アラバスター 高85.5幅54.0㎝ カイロ、エジプト考古博物館蔵
![]() |
| エジプト考古博物館蔵ツタンカーメン王墓出土厨子型カノプス櫃 図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝編より |
黄金の椅子 木・金箔 高104.0幅53.0奥行64.5㎝ エジプト考古博物館蔵
『図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝編』(以下『図説古代エジプト1』)は、ツタンカーメンと妻アンクエスエンアメンの上方から太陽の光が人間の手となって降り注いでいる。これは、父アクエンアテンが太陽神アテンを信仰した名残で、アテンは先端が手の形をした複数の光線をもつ太陽円盤として表されたという。
『図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝編』(以下『図説古代エジプト1』)は、ツタンカーメンと妻アンクエスエンアメンの上方から太陽の光が人間の手となって降り注いでいる。これは、父アクエンアテンが太陽神アテンを信仰した名残で、アテンは先端が手の形をした複数の光線をもつ太陽円盤として表されたという。
ここでは有翼日輪ではなく、先端が手の形をした複数の光線をもつ太陽円盤で、その左右に続く文様帯は翼ではない。
儀式用の盾 新王国時代 第18王朝 ツタンカーメン治世(前1355-46年頃)木、金 高89.5幅52.0奥行1.0㎝ ルクソール 王家の谷 ツタンカーメン王墓出土
『ツタンカーメン展図録』は、この盾のデザインは、王にはこのような責務を実行するための神的な権力が備わっていることを示している。王は、ここでは、自らを防御するために弱々しく起き上がろうとするヌビア人の敵二人を踏みつける有翼スフィンクスとして表されている。王の翼は、ライオンである王の身体を包み込んでいるという。
同展図録は、スフィンクスは太陽神を表しており、銘文で王は「ヌウト女神(天の女神)の息子の如き力の主、メンチュウ神(戦争の神)の如く猛き者」と称されている。
王の上には、扇にとまったハヤブサが表されている。おそらくこれは、テーベで特に重要な位置を占めていたメンチュウ神を示している。この場面の上には、太陽円盤が翼を広げ、場面の下には異国を象徴する丘が描かれているという。
同時代の上2点よりも翼は自然な描写だ。
![]() |
| エジプト考古学博物館蔵ルクソール 王家の谷ツタンカーメン王墓出土儀式用盾 ツタンカーメン展図録より |
寝台に置かれたミイラ形小像 新王国時代 第18王朝 アメンヘテプ三世期(前1410-1372年頃) 石灰岩、木 幅16㎝長さ30㎝ ルクソール王家の谷 イウヤとチュウヤ墓出土
同展図録は、高浮彫で刻まれた腕の下には、人頭の鳥の像がある。これは人のバア、すなわち墓を離れ生者の領域で活動することができる魂の像かもしれない。あるいは、この鳥はイシス女神を表現しているとも考えられるという。
私の妄想かも知れないが、この人頭の鳥から有翼日輪へと変遷していったのではないだろうか。もしそうだとすれば、ツタンカーメンの祖父アメンヘテプ三世期に有翼日輪の元ができたことになる。
有翼の神
No.35 月の神
『The Hittite Rock Sanctuary』は、角のある尖った帽子をかぶり、短いスカートと長く開いた外套を羽織った髭を生やした男性像。尖った帽子には三日月形のものが取り付けられている。人物の肩からは二つの翼が鋭く伸びている。人物の高さは0.81m。
人物の前面にある三日月形の象形文字と帽子の三日月形のシンボルは、どちらも彼を月の神としている。太陽神の隣に立っているという事実も、この同定を裏付けているという。
![]() |
| ハトゥシャ 上の町第2室の月の神 Gods Carved in Stone The Hittite Rock Sanctuary of Yazılıkaya より |
サウスカの侍女No.36クリッタとNo.37ニナッタ、少し離れてNo.38サウスカ(シャウシュカ=イシュタル)
サウスカについて『The Hittite Rock Sanctuary』は、角のある尖った帽子をかぶり、短いスカートと開いた長い外套を羽織った男性像。後ろ脚は足首丈のアウタースカートで覆われているように見える。スカートの上部にはギャザーが寄せられ、斜めの襞と短い裾が後ろ側に付いている。肩からは2枚の翼が鋭く伸びている。像高は0.86mという。
サウスカも有翼の神だ。
![]() |
| ヤズルカヤ シャウシュカと侍女ニナータ・クリッタ Gods Carved in Stone The Hittite Rock Sanctuary of Yazılıkaya より |
ヤズルカヤではサウスカの前を歩むのはNo.39 エア神だが、印章指輪では神かどうかも明らかではない人物として表され、サウスカと向かい合っている。
有翼の神は背後に大きな翼がある。有翼精霊を拙ブログで調べても、ヒッタイト新王国時代より古いものはなかった。それについてはこちら
ところが、MIHO MUSEUM に有翼神霊坐像(前3千年紀後期-2千年紀初 南または東イランで出土)があった。
そのページはこちら
調べ直していると、古い円筒印章にも有翼の神が表されていた。
円筒印章と印影 大神たち アッカド王朝時代(前2330-2150年頃) 出土地不明 緑色岩 3.9×2.6(2.4)㎝ 大英博物館蔵
『世界美術大全集東洋編16 西アジア』は、アッカドのパンテオンで上位を占める神々が集う、珍しい画面をもつ印章である。印影上で左から、弓矢を持ち箙を背負う戦いの神、背中から多種の武器をのぞかせる戦いの女神、その足元の山中から半身を現す太陽神、両肩から魚の泳ぐ水流をほとばしらせる水神、二つの顔をもつ水神の随神が描かれている。「アッダ、書記」という銘の下にライオン、水神のそばに驚が見えるという。
背中から多種の武器をのぞかせる戦いの女神に翼がある。
円筒印章と印影 エタナ王伝説の一場面 アッカド王朝時代 出土地不明 蛇紋岩 4.1×2.7 ㎝ ベルリン国立博物館西アジア美術館蔵
同書は、エタナは初期王朝時代のキシュの王で、「シュメール王名表」という文献に、「エタナ、羊飼い、天に昇りし人、すべての国々を統合せし人。王となりて1560年間統治せり」と記されている人物である。
王権がいまだ地上になかったとき、羊飼いのエタナがイシュタル女神に見いだされてキシュの王となったが、世継ぎに恵まれなかった。シャマシュ神に日参した彼は、あるとき神の計らいで1羽の鷲を助け、鷲はその返礼にエタナを背中に乗せ、「子宝の草」の生えている天上へ飛び立ったという。
この場面ではイシュタル女神は翼がなく、鷲に乗っている。これのような図柄からイシュタル女神には翼が描かれルようになったのでは。
メソポタミアでは有翼の神はイシュタル女神だが、ヒッタイトでは男神になっているが、メソポタミアの有翼の神イシュタルの姿がヒッタイトに伝播したとみて良いのでは。
関連記事
有翼日輪については アケメネス朝の美術は古代西アジア美術の集大成
有翼精霊については オリンピア考古博物館2 後期ヒッタイトの青銅板
参考文献
「古代都市Ⅰ ヒッタイトの都ハットゥシャ」 2013年 URANUS
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」 田辺勝美・松島英子 2000年 小学館
参考にしたもの
現地説明パネル



















