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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。
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2025/08/05

ミマールスィナン セリミエジャーミイ以降に建てたモスク


エディルネのセリミエジャーミイが1575年に完成した後もミマールスィナンはモスクを造っているが、イスタンブールに限っても幾つか建てている。
見学した時は年代順ではなかったので、エディルネのセリミエ・ジャーミイの後で建てられたモスクが、セリミエ・ジャーミイのようにミフラーブの壁龕がモスクの建物から突き出ているものが多いことに気が付いた。


建設年:1570-84 建設者:モラチェレビ 
『Architect Sinan His Life, Works and Patrons』(以下『Architect Sinan』)は、フンドゥクルにあるモラチェレビのモスクには建設の碑銘がなく、1570年に着工され1584年に完成したと推定されているという。
エディルネという遠く離れた街に巨大なセリミエジャーミイを建てている最中に建設が始まったとはいえ、こんなに小さなモスクが完成するまでに14年もかかるとは。

平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より 
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④ミフラーブ前の半ドーム ⑤半ドーム ⑥付け柱
セリミエジャーミイと同様、ミフラーブの突出部があり、半ドームが架かっている。
フンドゥクル モラチェレビジャーミイ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より 

②礼拝室 『Architect Sinan』の図版より
フンドゥクル モラチェレビジャーミイ礼拝室 Architect Sinan His Life, Works and Patrons より 

②礼拝室の主ドームの直径は11.8m、それを支える柱が6本のモスク。
現在のドームは色彩に乏しいものだった。

それをミフラーブの壁龕両側の角に⑥付け柱、右側にはミンバル(説教壇)、左側には説教台が設置されているところと、

ドーム両脇の⑥付け柱
壁面や支柱は切石積みになっている。『Architect Sinan』は、キュフェキ石は、主に貝殻(小さなカキの殻を含むことが多い)からなるカキ石灰岩の一種。その最大の特徴は、採掘された後、すぐに加工に適しており、加工が容易なこと。空気に触れると二酸化炭素を吸収し、硬度、耐久性、強度を高める。この特徴から、ビザンチン時代のアヤソフィアや上門壁からオスマン帝国時代のスレイマニエ複合施設まで、イスタンブール全域の建造物の建設において基礎材料として使用されてきたという。
キュフェキ石の特質を際立たせるために、下部の白く塗っていたものを剥がして石の素材を出したのだろうか。

そして、入口側の2本の八角形の支柱と、合計6本の支柱で支えている。

こんな小さなドームでも、支柱には重量塔が設けられていた。


エユップ ザルマフムドパシャジャーミイ Zal Mahmut Paşa Camii
建設年:1577 建設者:ザルマフムードパシャ

平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④付け柱 ⑤独立した支柱
セリミエ・ジャーミイ完成後に建造されたモスクだが、四方のペンデンティブで架構された単ドーム型の礼拝室という古い型式の建物。三方にマッフィルが設けられている分、建物としては大きい。あえてこのようなプランを選ぶとは、ミマールスィナンの選択とは思えない。
エユップ ザルマフムドパシャジャーミイ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

ミフラーブ壁側の壁面と一体化した角柱が2本、入口側にはマッフィルの角に円柱が2本の計4本にペンデンティブが下がってドームを支えている。

礼拝室のレベルとしては三方が柱廊に囲まれているので狭く見える。


建設年:1580 建設者:シェムスィアフメッドパシャ
『Architect Sinan His Life, Works and Patrons』は、正方形の平面を持つこのモスクには、直径8.20mのドームがある。外部には、四つの半円形のドームと四つの窓に囲まれた高いドームが、八角形の基壇の上にあるという。

平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④スキンチ ⑤シェムスィアフメッドパシャ廟
ユスキュダル シェムスィアフメッドパシャジャーミィ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

確かに正方形からスキンチを用いて八角形にし、その上にドームを架構するという、古くからの工法をミマールスィナンは用いている。

外側の四隅に設けられた小さな半ドームは、②礼拝室の主ドームを支える④スキンチの凹面。


トプハネ クルチアリパシャジャーミイ Kılıç Ali Paşa Camii
制作年:1578-80 建設者:海軍大将クルチアリパシャ

平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』 より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④ミフラーブの壁龕にある小半ドーム ⑤主ドーム前後の半ドーム ⑥支柱 
セリミエジャーミイと同様、ミフラーブの突出部があり、半ドームが架かっている。
クルチアリパシャジャーミイ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

礼拝室は奥行きも少なく、両側の側廊も見えて全体に小ぶり。

二つの半ドームと左右の窓の多いティンパヌンと四つのペンデンティブに支えられた大ドームというと、アヤソフィアの大ドームの架構だが、規模は比較にならないほど小さい。


ユスキュダル アティック・ヴァリデ・ジャーミイ Atik Valide Camii
建設年:1571-86 建設者:アティクヴァリデスルタン
説明パネルは、この複合施設は、その大きさの点でイスタンブール最大のものと考えられている。その建設は、セリム二世の妻であり、ムラト三世の母でもあるヴェネツィアのヌルバヌ・ヴァリデ・スルタンの後援の下、1577年に始まり、スルタンの崩御と同じ年の1583年に完成したという。

平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブと半ドーム ④半ドーム ⑤花崗岩の短い円柱 ⑥ミマールスィナンの弟子ダヴードアーによって追加された左右の側廊(上階はマッフィル)
どの書物にもモスクについては詳しく記されていないが、支柱が6本、④半ドーム五つでドームを支えている。セリミエジャーミイと同様、ミフラーブの突出部があり、半ドームが架かっている。
ユスキュダル アティクヴァリデジャーミイ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

大ドームは入口側の2ヶ所、ミフラーブ側の2ヶ所、そして2本の円柱という6本の支柱で支えられているが、半ドームは五つ。

ここでもミフラーブは壁龕のように奥に引っ込んでいる。外から見れば出っ張っている。

花崗岩の円柱は低くて細い。それを補うために元の壁側にアーチで繋げているようだ。


ファーティフ地区 メスィフメフメットパシャジャーミイ Mesih Mehmed Paşa Camii
制作年:1586 建設者:メスィフメフメットパシャ

平面図 『Architect Sinan His Life, Works and Patrons』より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④ミフラーブの壁龕上部の半ドーム ⑤半ドーム
同書は、支柱構造は八角形。シナンの晩年に建てられたもので、シナンの通常の設計とは一線を画しているため、多くの人が建築家ダウドア-の作品だと考えている。
身廊の両側には2層の回廊が増築され、下層部分は身廊から独立し、独立したセクションを形成している。一方、上層部分はアーチを通して開放されている。その結果、エディルネ・セリミエ・モスクにも見られるように、内部空間は上に向かって広がり、非常に独特な照明効果を生み出している。装飾タイルと大理石のミンベル(説教壇)は興味深い。中庭、奉行の天蓋付き墓、そして背の高い花崗岩の柱が並ぶ、ソンジェマアトイェリの二重のポルティコは、特別な場所にいるような感覚を与えてくれるという。
メスィフメフメットパシャジャーミイ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

④ミフラーブの壁龕が出っ張っている。④⑤の半ドームは共に低いので、②礼拝室のドームやドームを巡る八つの重量塔が高く見える。
セリミエジャーミイと同様、ミフラーブの突出部があり、半ドームが架かっている。
メスィフメフメットパシャジャーミイ THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

②礼拝室の主ドーム
内部から見上げた図版では8本の支柱と八つのペンデンティブでドームを支えている点で、エディルネのセリミエジャーミイのドームとあまり変わりがない。
メスィフメフメットパシャジャーミイ THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

支柱は角形で礼拝室内では目立たない。
メスィフメフメットパシャジャーミイ THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より


ファティフ地区 ニシャンジュメフメトパシャジャーミイ Nişancı Mehmd Paşa Camii
制作年:1584-87 建設者:ニシャンジュメフメトパシャ

平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』 より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④他の半ドームよりも大きな半ドーム ⑤半ドーム ⑥付け柱
このモスクもセリミエジャーミイと同様、ミフラーブの突出部があり、半ドームが架かっている。
『『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』は、シナンの八角形プランの発展において重要な一歩を踏み出したことが明らかになる。たとえ彼が高齢で新しい設計を思いつくことはできなかったとしても、この偉大な巨匠は以前に構想した構想を着実に実行に移していたに違いない。ここでは中央ドームはもはや単純な正方形の構造にはめ込まれておらず、カドゥルガ・ソコルやモッラ・チェレビの場合と同様に、モスクは単一のメインドームとそれに統合されたセミドームで覆われた、真に一体化した空間となっている。しかしながら、この基本的なデザインの統一性は、入口とその周辺を覆う二つの回廊型ヴォールトによって損なわれているという。
ミマールスィナンは正方形平面にドームを架けるところから初めて、六角形平面にドーム、八角形平面にドームと工夫をしていって、アヤソフィアのドームを超えるとされているエディルネのセリミエジャーミイを造り上げた。ミマールスィナンの凄いところは、それで引退せずに、更にその先を目指していることだ。
ニシャンジュパシャジャーミイ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

キブラ壁へとジグザグに狭まる外観は独特。
カラギュムリュクはファティフ地区の中の小地区名
ニシャンジュパシャジャーミイ外観 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

②礼拝室の主ドーム
同書は、モスクは南北軸に沿ってジグザグに徐々に狭まり、キブラを強調する効果を生み出しているという。
とはいえ、上を見上げても支柱が8本のドームとしか思えない。
ニシャンジュパシャジャーミイ THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

同書は、それほど大きくないドームは、バットレスとして機能するジグザグの壁によって支えられている。それまで多くのモスクでバットレス壁のように重厚なままだった南面、すなわちキブラ壁にも、スィナンはついに、本来の格調を与えることに成功した。
これらの特徴はすべて、このモスクがスィナンの発展においていかに重要な段階を象徴しているかを示しているという。
外観は直線的なジグザグなのに、ドームの支柱は円柱風の付け柱。
ニシャンジュパシャジャーミイ THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より


ところで、このファティフ地区には地区名になったファティフジャーミイ以外に上の二つのモスク、そしてミマールスィナン自身が奉献した小さなマスジドもある。 

征服王メフメト二世が建てたが地震で倒壊し、18世紀に再建された広大な敷地にキュッリエ(複合施設)が並ぶ壮大なもの
②ミマールスィナンマスジド(Mimar Sinan Masjid トルコでは小規模な礼拝施設をマスジドと呼ぶ) 
Google Map では 別の場所として出てくるが、Akşemsettin & Şehit İbrahim Küçük Parkı という公園内にある。
Google Map の写真の中に説明パネルがあった。
1573年にミマール・スィナンが自身の慈善事業として建設した。1918年のチバリ・ファティフ火災で焼失した。1976年、モスクは財団総局によって再建され、一般の礼拝のために再開された。長方形の構造で、寄棟屋根。
モスクは、開放型のイーワーン様式のユニットと完全に閉鎖型のイーワーン様式のユニットが一つずつ隣接して配置されている。冬季用と夏用である。夏季用のユニットはL字型で、ミフラーブのある礼拝エリアを部分的に囲んでいる。現在、このユニットは少し拡張され、ナルテックスとして使用されている。このエリアのファサードは2本の柱で三つに仕切られており、壁の開放側はガラスケースで覆われている。
この建造物の最大の特徴は、高さ10mのミナレットで、ミナレットは中庭への入口の横に位置し、八角形の本体と石灰岩製の小さなドームを備えているという。

③メスィフメフメトパシャジャーミイ 
Google Map では Mesih Ali Pasa Cami になっている。

④ニシャンジュメフメトパシャジャーミイ 

ⓐフェヴズィパシャ通り Fevzi Paşa Cd. ⓑアドナンメンデレス大通り Adnan Menderes Blv. 

ファティフ(またはファティ)地区の地図 Google Earth より


①は見学したことがあるが、②③④はいつの日にか行ってみたい。



関連記事


参考文献
「THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN」 REHA GÜNAY 1998年 YEM Publication 
「トルコ・イスラム建築」 飯島英夫 2010年 富士房インターナショナル
「トルコ・イスラム建築紀行」 飯島英夫 2013年 彩流社
「Architect Sinan His Life, Works and Patrons」 Prof. Dr. Selçuk Mülayim著 2022年 AKŞIT KÜLTÜR TURIZM SANAT AJANS TIC. LTD. ŞTI.

2025/07/29

オスマン帝国のモスク ミマールスィナン登場


ミマールスィナン(建築家スィナン)は多数のモスク、メドレセ、橋などを造り、現在では大学の名に使われるくらい卓越した建築家だった。
様々な書物に共通しているのは、カイセリ近くの集落でギリシア系キリスト教徒の家庭で生まれ育ったこと、デヴシルメ  devşirme で徴用されイスタンブールにやってきたこと、イエニチェリ軍団に入って各地の戦役についたこと、そのときに船を建造したり橋を架けたりしたことである。
『トルコ・イスラム建築』は、これらの従軍中に、各地の名建築直接接する機会を得て、時には詳しい調査も行って、建築に関する知を幅広く豊かにしたと推測される。
 1538年にスィナンは、当時第2宰相で翌年には大宰相になるルトフィ・パシャの提言で、前任のアジェ・アリの死去によって空席となっいた宮廷建築主任に任命された。以後、1588年に死亡するまで、50年間宮廷建築主任を務めた。
当時は、スルタンの代理者として絶大権力をもっていた大宰相でも、失したりスルタンの不興を買えば、更迭されたり処刑された時代である。
建築活動としては、口述の記録からは建設と修理に関わった477件建築物の名が挙げられている。建築すべての設計・施工にスィナンが深く関わったとするのは無理である。大建築の設計は1人でできるものではない。スィナンの時代の宮廷建築家は20-30人程度はいただろうから、スィナンが宮廷建築主任を務めていた期間に、組織全体として関わった建築物の数、言い換えれば「この時代に建てられた建築」、または、少なくとも「スィナンの配下にある建築家集団の誰かが関わった建築」の数と考えるべきであろう。
だが、スルタンや帝室からの依頼物件、大宰相などの高官からの依頼物件のうち重要なものについては、 スィナン自身が深く携わり、陣頭指揮して建築したに違いない。それらの建築を見ると、次々と斬新な企画を試み、発展させ、石造り建築の一つの頂点を究めているのがわかる。 オスマン朝古典期建築を完成したのであるという。

今回旅して見学したモスクに限るが、ミマールスィナンの建てたモスクがどのように推移していったかを年代順に辿ってみた。
『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』は、最も重要な支持構造は、広いスパンを持つモスクで発達した。支持構造は内部空間と切り離すことのできない要素。空間を設計するということは、その構造と覆い方を構想することを意味する。スィナンのモスクでは、支持構造は特に明確かつ合理的で、外殻と内部空間は互いに反映されている。
支持要素は、外壁上で無意味な形状になることも、単なる装飾に使われることもない。スィナンは、もちろん彼以前に建てられた建物の要素を利用したが、それらの要素から新たな構成とバリエーションを生み出すことに成功したという。

同書の図版には五つタイプのドーム架構が紹介されている。
①内外にトロンプが露出した伝統的な構造。ドームには通常ドラムはない
②トロンプが露出していない伝統的な構造
③ペンデンティブ付きの正方形のベース
④トロンプ付きの六角形のベース
⑤トロンプ付きの八角形のベース
ミマールスィナンの建てたドームの支持構造 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より


1538年に宮廷建築主任(ハッサ・ミマールラル・オジャーウ)に就任したミマールスィナンがまず最初に建てたモスクが、ハセキヒュッレムのためのキュッリエ(複合施設)だった。

建設年:1538-51 建設者:ヒュッレム
しかし、この程度のキュッリエにしては建設期間が長すぎる。その理由として、ひょっとすると、ヒュッレムとスレイマン大帝の息子シェフザーデ(皇子)・メフメトが病死(『オスマン帝国外伝』ではシェフザーデ・ムスタファの母に殺されたことになっていた)してしまい、先にシェフザーデジャーミイとキュッリエ(メドレセやイマレットなどの複合施設)を建てさせたのでは。

平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③縦溝のあるスキンチ
これまで見てきた多くのモスクのようにキブラ壁が外に出っ張らず、正方形平面内に収まっている。また、ベヤズィットジャーミイ(1500-06)のようにミフラーブやミンバルが半ドームの下に置かれてもいない。
それにしても礼拝室が小さい。小さすぎて1612年に同じ大きさのドームが増設され、ミフラーブはその境目にある。
ハセキヒュレムスルタンジャーミイ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

②主ドーム
スキンチアーチと四辺から立ち上げた尖頭アーチで円形を導くのに八つのペンデンティブを用いている。これはミマールスィナンの工夫の一つだろうか。
建物が入り組んでいてドーム架構を見ることができなかったが、ドラムの外観は円形になっていたのでタイプ❷。

③傘状スキンチ
傘状スキンチと勝手に呼んでいるが、『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』では being fluted(溝が刻まれた)としているので、これからは縦溝のあるスキンチとする。
これはブルサのイェシルジャーミイのザーヴィエですでに使われている。隅の下部に小さなムカルナスの名残が。
そして八つの頂点の間には浅いペンデンティブで、滑らかにドームの円形に移行している。
このような架構法が中央アジアやペルシアのモスク建築にもあったかどうか失念してしまった。


建設年:1542-48 建設者:ミフリマースルタン
母のヒュッレムスルタンのモスクと複合施設が完成していないのに、娘がモスクと複合施設を献納して、先に完成している。礼拝室に入ると、美しく華やかなステンドグラスに囲まれて心地よい空間に浸ることができる。

平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブとその半ドーム ④半ドーム ⑤小ドーム
2年後に建設が始まった兄弟メフメトのシェフザーデジャーミイと比べると、三方にしか半ドームがないのと、シェフザーデジャーミイは扶壁は外側に張り出しているが、このモスクは内側に出ている。
ユシキュダル ミフリマースルタンジャーミイ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

②礼拝室の主ドーム
平面的に写ってしまったが、ドームは四つのペンデンティブで支えられていて、入口側以外の三方に④半ドームがあり、大ドームを補強している。4本の円柱にかかる四つのペンデンティブで架構されているのでタイプ❸

③ミフラーブ前の半ドーム
平面図にはないが、半ドームを支える小さなエクセドラドームが両側に見える。

四つ葉形の複合柱や付け柱の下方には。補強のためと思われる低いアーチが二つ、付け柱に直角に交わってその下に低い付け柱がある。荷重を支える工夫が各所に見られる。


建設年:1544-48 建設者:スレイマン一世
『トルコ・イスラム建築』は、ミマールスィナンが本格的に手がけた最初の巨大プロジェクトである。スィナンは晩年になって「徒弟時代の作品」と出来栄えが完全ではないとしているが、傑作の一つである。新たな独創的な試みが各所に見られる。それらにより、構造的に堅牢な建築とし、広く一体となった礼拝室の内部空間を創出し、建物全体の外観を極めて美しいものにした。オスマン建築古典期の幕開けを演じ、古典期の建築様式を創造し、後の建築に最も大きな影響を及ぼした建築といえるという。
母ヒュッレムのモスクと比べると格段の違いがある。

モスク平面図
①礼拝室正面入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④半ドーム ⑤エクセドラドーム ⑥四隅のドーム ⑦主ドームを支える4本の支柱(上部が重量塔になっている) 
同書は、主ドームの四方に半ドームを配置、支柱が4本の集中プランという。
イスタンブール シェフザーデジャーミィ平面図 トルコ・イスラム建築より

正面にシャドルヴァン(清めの泉亭)、向こう正面に①礼拝室入口、両脇にソンジェマアトイェリ(礼拝の時刻に遅れてきた人が礼拝する場所)の柱廊の小ドーム、④半ドーム、⑥小ドーム、⑦主ドームを支える支柱上部にある重量塔、そして②礼拝堂の大ドームという積み重なりが見える。

②礼拝室の主ドーム(直径19m高さ37m)
⑦4本の支柱にかかる四つの⑫ペンデンティブがつくりだした円からドームを架構しているのでタイプ❸

キブラ壁側の⑦半ドーム、その下両側には⑩エクセドラドーム。しかもこの空間は壁で仕切られていない。
この半ドームは、スキンチアーチと平面のアーチの間をペンデンティブにしていて、ヒュッレムスルタンジャーミイのドーム架構を応用したものとも言える。

しかも、キブラ壁を外から見上げると、平面図から分かるように、窓のない壁面に付けられたの6本の扶壁で強度を確保している。


建設年:1551 建設者:ハドゥムイブラヒムパシャ
ハドゥムイブラヒムパシャジャーミイ平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SINAN』より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④スキンチ

ハデゥムイブラヒムパシャジャーミイ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNANより

簡素なモスクである。 スルタンアフメト駅付近のフィルズアージャーミイ  Firuzağa Camii
(建設年:1491)の系統のよう。
正方形平面の建物衲衣には正方形のドラムがのっている。スキンチの出っ張りは見えないのでタイプ❷。
ハデゥムイブラヒムパシャジャーミイ全貌 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

④縦溝のあるスキンチと浅いペンデンティブ
二つのペンデンティブの下部に付け柱の角柱が2本。
『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』は、シナンが各側壁に2つの控え壁を追加することで内部空間を広げることに成功した、単一ドーム型モスクの第1段階の例。
壁からドームまでのスムーズな移行は、外から見えないトロンプによって確保されている。シナンが建設したこのモスクは、宰相の称号にふさわしいスタイルで、八角形から架構されたドームという平面で架構される以降のモスクの先駆けでもあったという。
八つのペンデンティブの間の角四つをスキンチ(トロンプは仏語)にしていて、イランなどで見てきた正方形・八角形・十六角形と上のドームの円形に近づける移行部がなく、なめらかである。

②主ドーム
同書は、シナンが後に実現することになる、八角形をベースにしたドームプランを予見するものという。それはエディルネのセリミエジャーミイのことである。
浅い八つのペンデンティブで円形を導いているが、ドームの重みを受けているのはその間の四つの縦溝のあるスキンチとその間の尖頭アーチである。


建設年:1555 建設者:リュステムパシャの弟スィナンパシャ
先に建設したハドゥムイブラヒムパシャジャーミイは縦溝のあるスキンチアーチで八角形になっているが、本モスクでは六角形から円形への移行部を目指している。

スィナンパシャジャーミイ平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④小ドーム ⑤側廊の小ドーム ⑥支柱
スィナンパシャジャーミイ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

6本の支柱で支えられたドームだが、⑥独立した支柱は2本だけ。
支柱にかかる六つのペンデンティブというのは五つのタイプにはないので❹+としておこう。

『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』は、スィナンはウチシェレフェリ・モスクの六角形の平面を再評価し、そのモデルを改良することに成功した。しかし、中央部分と側面部分の間に現れる三角形の天井部分が空間の統一性を損なっているという。
六角形からドームを架構することを最初に試みて、エディルネのユチュシェレフェリジャーミイを参考にした。このアーチで囲まれた三角形の部分がどんな意味があるのかを確かめたかったのではないだろうか。


スレイマニエジャーミイ  Süleymaniye Camii
建設年:1550-57 建設者:スレイマン一世(大帝)
『トルコ・イスラム建築』は、キュッリエの中心であるモスクの定礎式は 1550年6月13日に、落成式は 1557年10月15日に挙行されている。ステファノスは、1548年の後半には地盤整備工事が開始されたと推定しているという。

モスク各部名称 
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④半ドーム ⑤エクセドラドーム ⑥隅の小ドーム ⑦ドームを支える4本の複合柱(上部に重量塔)
側廊には⑥隅の小ドームの他に大きさの異なる小ドームが三つある。
スレイマニエジャーミイ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

正面入口から中庭に入ると、ピラミッド状に積み上げられたドーム群がそびえている。
手前にソンジェマアトイェリのドームが並び、中央の①礼拝室正面入口のドームが少し高い。⑥左右端に隅のドーム、⑦複合柱の上部の重量塔のドーム。その間に一番大きく高い②礼拝室の主ドーム、その手前に④半ドーム、その斜め下に⑤エクセドラドーム。

⑧主ドーム(直径27m高さ54m)とその先に⑦ミフラーブのある半ドーム
4本のピアにかかる四つのペンデンティブで架構された大ドーム。ドームの前後に半ドームがあるが、左右にはない。『トルコ・イスラム建築』ではこのタンパン状の箇所をティンパヌンと呼んでいる。

半ドームの両端にも小半ドーム。ドームを支える二つの巨大な柱(ピア)
右のピアの下部にはムアッジン(アザーンを唱える人)用マッフィル

『トルコ・イスラム建築』は、二階ギャラリーは壁際に幅狭く設置しただけで、大小5個のドームによって天井が高くとられているという。
女性信者たちは階上のギャラリーで礼拝したが、その起源はキリスト教会の二階席(ギャラリー)だという。
それにしても、ミマールスィナンは何故小ドームの大きさを揃えなかったのだろう。

外観は小ドームや半ドームに主ドーム、その上重量塔が四方の段々に二つずつと、ピラミッド状のみごとな積み重なり。


トプカプ カラアフメトパシャジャーミイ Kara Ahmet Paşa Camii
建設年:1555-59 建設者:カラアフメトパシャ
『トルコ・イスラム建築』は、1559年に完成したカラアフメトパシャジャーミイの礼拝室は支柱が6本の集中プランである。直径 12.4mの主ドームを6本の花崗岩の円柱の上に架けたた6個の尖頭アーチの上に据えているという。

平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム(直径12.4m) ③ミフラーブ ④半ドーム ⑤独立した支柱 ⑥付け柱の支柱
同書は、6本の円柱はいずれも壁から離され、少し前に出ている。6個のアーチはそれぞれ、ミフラーブ前のものはキブラ壁で、入口側のものは浅いヴォールトを介して入口側の壁で、両脇の四つのアーチは半ドームで、後ろから支えられている。この四つのトロンプを用いて長方形平面の空間にしている。両脇の二つの円柱は、短いアーチを介して真横にあるバットレスに支えられている。このようにして、ウチュシェレヘリ・ジャーミで主ドームの両脇に使用された2個ずつの小ドームは取り払われ、横長の約26m×17mの礼拝室が創出されている。
このモスクの礼拝室の構成は、ウチュシュレヘリ・ジャーミと比較して革的に進歩しており、後のエディルネ・セリミエ・ジャーミシへ繋がる創造性溢れたものであるという。
トプカプ カラアフメトパシャジャーミイ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より 
 
同書は、アーチがら主ドームへの移行は薄いペンデンティブを用いている。6本の円柱はいずれも壁から離され、少し前に出ているという。
ペンデンティブが小さいことを「薄い」と表現するのか。「浅い」でもいいかな。
6本の円柱にかかる六つのペンデンティブがドームを支えているので、スィナンパシャジャーミイと同じくタイプ❹+とする。

④西の半ドームと二つの縦溝のあるスキンチ
『Architect Sinan』は、ドームアーチを支える6本の赤い花崗岩の柱は、近隣のアヤ・ラマノス教会からモスク建設のために運ばれたと考えられている。柱頭は支柱石のブロックで支えられているが、その大きさがドームの高さを制限しているという。
古来より古い建物の柱や石材をリユースしてきた。時間と労力の削減になったのだから。


リュステムパシャジャーミイ Rüstem Paşa Camii 
建設年:1561-63 建設者:リュステムパシャ、死後は妻のミフリマースルタン

平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④半ドームまたはスキンチ ⑤側廊 ⑥独立した支柱
リュステムパシャジャーミイ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

②礼拝室の主ドーム 『トルコ・イスラム建築』より
傘状スキンチではなくなり、半ドーム型のスキンチ四つと、その間の壁面のアーチ四つで八角形をつくらずに、浅いペンデンティブが隙間を埋める。
『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』は、八角形平面の場合はドームへの移行は、小さなペンデンティブによって実現され、ドームとその周囲のスキンチが正方形の表面を覆っている。ペンデンティブの典型的な変種であるムカルナスヴォールティングという。タイプ❺でよいのかな。
リュステムパシャジャーミイ主ドームとペンデンティブ トルコ・イスラム建築より

そして中央のキブラ壁
8本の支柱のうち2本はキブラ壁に埋め込まれる形で、ミフラーブの両側に1本ずつある。ミンバル(説教壇)

左側廊と上階のマッフィル
同書は、ドームを支える2本のピアとマフフィルを支える3本の円柱があるという。
三本目の小円柱は西側の特別なマッフィルを支える柱ともなっている。ピアは八角形で、柱頭以外タイルで覆われている。


建設年:1565-70 建設者:ミフリマースルタン
『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』は、この正方形平面のモスクは、単一ドーム型の最も発展した段階にある。ここでは、高さ35m、幅20mの巨大な単一ドームが建物全体を覆っている。ドームは四つの支柱によって支えられ、四つのアーチと四つのペンデンティブからなる、一種の支持塔のような構造を形成しているという。

ミフリマースルタンジャーミイ平面図
平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④側廊の半ドーム ⑤ドームを支える付け柱 ⑥カーテン壁のティンパヌンを支える支柱
エディルネカプ ミフリマースルタンジャーミイ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

②礼拝室の主ドームを四隅の付け柱だけで支えているのでタイプ❸。
『トルコ・イスラム建築』は、このモスクの礼拝室は、ドーム架構法を最も単純化した集中プランの空間を創出していて、スィナンの独創性が最も発揮さ れている建物の一つである。
主ドームは直径約20m、床からの高さ約37mである。そのドームの重量は、四方の大アーチが作るペンデンティブを介して四隅のピアが支えている。
四方の大アーチの下のティンパヌンはカーテン壁で、いずれも5段の並びで窓が開けられているという。
ミフリマースルタンジャーミイ ドームと四方の明るいティンパヌン トルコ・イスラム建築紀行より

⑥ティンパヌンを支える支柱
ステンドグラスの嵌め込まれたカーテン壁は軽々としているが、『トルコ・イスラム建築』は、この4本のピアでドームを支える型式は、その後多くのモスクで適用された。このミフリマースルタンジャーミイは、最初の試みであったので構造上の強度が不十分だったためか、地震による被害を繰り返し蒙っているという。

『イスタンブール 旅する21世紀ブック望遠郷』(以下『望遠郷』)に興味深い断面図・投影図があった。
❶礼拝室入口 ❷礼拝室 ❸ミフラーブ ❹櫓 ❺ドーム
同書は、上の図はドームと四角い天蓋の断面図で、大きな球状のペンデンティブが見えている。下の図はドームの投影図。赤い部分は支持構造で、花崗岩でできた4本の円柱とつけ柱である。
モスクはどっしりとした立方体で、その四隅に大きなアーチを支える櫓があるという。
この❹櫓について『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』は、四つの支持塔と呼んでいて、四つの支持塔は多角形で、内部からはほとんど目立たないように外側に突き出ているという。

エディルネカプ ミフリマースルタンジャーミイドーム断面図・投影図 イスタンブール 旅する21世紀ブック望遠郷より

『望遠郷』のこの断面図・投影図を見過ごしていたので、見学時は❹櫓(支持塔)には気付かなかったが、幸い外側から写していた。しかも、内側が螺旋階段になっているとは。メンテナンスのためだろうか。
中が螺旋階段では役割が違うようだが、シェフザーデジャーミイのドーム四周にある重量塔から思いついたのではないだろうか。

礼拝室の大ドームを架構するペンデンティブとそれをつくる大アーチ、その下の支柱。これだけ窓が多くいと地震には弱かったという。外側の四隅の❹櫓(支持塔)が、内部が螺旋階段になっておらず、太い支柱と重量塔だっら持ち堪えられただろうか。


建設年:1571 建設者:ソコルルメフメトパシャ
『トルコ・イスラム建築』は、支柱が6本の集中プランの建物という。

平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④半ドーム ⑤付け柱の支柱
トプカプのカラアフメトパシャジャーミイの平面図とよく似ているが、違いは6本の支柱がカラアフメトパシャジャーミイではすべて独立していたが、ソコルルメフメトパシャジャーミイでは独立柱はなく、全部付け柱になっていることだ。
カドゥルガ ソコルルメフメトパシャジャーミイ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

②礼拝室の主ドームは直径12.4m、高さ約23m
『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』は、リュステムパシャジャーミイと同じくペンデンティブの典型的な変種であるムカルナスヴォールティングということで、タイプ❹+。

『トルコ・イスラム建築』は、ここでは、すべての支柱は壁と一体となっていて円柱ではない。キブラ壁と入口側の支柱を含む壁は厚く強固に造られ、両脇の支柱は力のかかる横方向に長くして強くし、支えのバットレスはない。約19m×16mの礼拝室内に壁から離れた支柱がないので、空間の一体化はほぼ完璧になっているという。

④側壁の半ドームは弧の中央がそれぞれ建物の四隅に位置していて、そこにムカルナスが数段積み重なった装飾のペンデンティブが降りている。このペンデンティブによって②主ドームの荷重を分散させているのではないだろうか。


カスムパシャ地区 ピヤーレパシャジャーミイ Kasımpaşa Büyük Piyale Paşa Camii (見学外)
制作年:1573-74 建設者:ピヤーレパシャ(セリム二世の娘ゲヴィヘリ・ミュルーク・スルタンの夫)
『トルコ・イスラム建築』は、直径8.9mのドーム6個を3個ずつ2列に並べ、その両側にヴォールト天井の二階ギャラリーの女性用マフフィルを置いて、約37m×19mの横長の礼拝室を形成した多ドーム式モスクである。多ドーム式モスクは、ブルサ・ウルジャーミ以降も建築数は少なく主流ではない。スィナンがこの時期に、この古い型式を選んだ理由を理解しにくい。私見だが、与えられた土地が谷間の沖積地で地盤が軟弱だったためかもしれないという。

平面図 『トルコ・イスラム建築』より
①礼拝室入口 ②ミフラーブ ③円柱 ④複合柱 ⑤独立した支柱
ピヤーレパシャジャーミイ平面図 トルコ・イスラム建築より

外観
同書は、金角湾北岸のカスムパシャに流れ込む谷間を新たな市街地として開発し、その核としてピヤーレパシャが建設したキュッリエのモスクであるという。
カスムパシャ ピヤーレパシャジャーミイ  THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より 

同書は、礼拝室内部には、ブルサ・ウルジャーミやエディルネ・エスキジャーミで使用されたピアを使用せず、代わりに花崗岩の円柱が2本あるだけで、極力視界を妨げないように工夫しているなど、随所に新たな工夫があるという。
ブルサのウルジャーミイやエディルネのエスキジャーミイのようなドーム一つ一つで塞がれたような空間というよりもドーム部が高いので、ミマールスィナンが目指した一体感をそれほど損なっていないように、この図版を見た限りでは感じる。
 ピヤーレパシャジャーミイ礼拝室 トルコ・イスラム建築より


建設年:1565-75 建設者:セリム二世(在位66-74)
『トルコ・イスラム建築』は、ミマール・スィナンが自ら「熟達者の作」と自慢しているように、オスマン建築の最高傑作である。
直径31m余、高さ42m余の主ドームと、それを囲んで聳えている高さ71mの4本のミナレットが遠くからも良く見えるという。

セリミエジャーミィ平面図
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④ミフラーブの突出部を覆う半ドーム ⑤八角形をつくる四つの半ドーム ⑥ドームを支える4本の円柱 ⑦ドームを支える4本の付け柱
『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』は、ミフラーブの突出部は、アーチを支える柱を補強する役割を果たし、外側の段階的なバットレスも同様に補強されている。スィナンは、側面ファサード(セリミエのミフラーブのファサードも同様)に設計したギャラリーとアーケードによって、バットレスを巧みに覆い隠している。セリミエでは、階段もバットレスの間に配置されているという。
ブルサやエディルネ、そしてイスタンブールの古いモスクのマフムドパシャジャーミイ に見られるようなタブハネ(旅行者を無料で短期間宿泊させる部屋。修道僧のためのザーヴィエから変化した)より礼拝室が突出しているものとは全く異なるものをミマールスィナンは創出した。
タイプ❺のスキンチのある八角形
セリミエジャーミイ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

②巨大なドーム 修復中の養生に架けられたパネルより
『トルコ・イスラム建築』は、直径31m余、高さ42m余の主ドーム。ピアの上に架けた8個のアーチから、ムカルナスによるペンデンティブ風の措置を介して、ドームの裾に移行しているという。
アヤソフィアのドームは東西と南北の直径が1mくらい違っているというが、一応直径は31mということになっていて、ミマールスィナンはそれを越えるドームを造ることができたとされている。

入口側からミフラーブ方向 修復中の養生に架けられたパネルより
『トルコ・イスラム建築』は、この建物の最も優れているところは、礼拝室の空間の一体化が完璧に近く実現されていることである。主ドームは8本のピアの上に据えられている。ピアは切石積みで、断面が12角形で、縦に12本の溝を付けて装飾としているという。
このパネルのおかげで、両脇の4本の支柱は独立したものではなく、脇の壁面とアーチで繋いで補強されている。

④半ドームとミフラーブの壁龕
この部分を外に出すことによって、②礼拝室がより広く感じられただろう。

金曜日の集団礼拝
上が入口側、下がミフラーブ側。礼拝者たちは、礼拝室だけでなく、礼拝室いっぱいに坐ってメッカ(またはカーバ神殿の黒い石)に向かってひれ伏している。ミフラーブの突き出した空間にもいる。『トルコ・イスラム建築』で「一体感」というのはこのことだったのか。


ミマールスィナンは自らこのモスクを「熟達者の作」と呼んだが、これでモスクの建設を止めたわけではない。




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スレイマニエジャーミイ

参考文献
「THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN」 REHA GÜNAY 1998年 YEM Publication 
「トルコ・イスラム建築」 飯島英夫 2010年 富士房インターナショナル
「トルコ・イスラム建築紀行」 飯島英夫 2013年 彩流社
「イスタンブール 旅する21世紀ブック望遠郷」 編集ガリマール社・同胞舎出版 1994年 同胞舎出版