お知らせ

忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2026/03/31

ゴルディオンに最古の舗床モザイク


ゴルディオン博物館では細かい粒の舗床モザイクが屋外展示されていた。
ⓐMM墓 ⓑコルテIII号墓 ⓒP墓 ⓓ博物館入口 ⓔフリギア時代の舗床モザイク ⓕ展示室 ⓖガラティア時代の墓 ⓗローマ時代の舗床モザイク ⓘミュージアムショップ 


PENN MUSEUM の Expedition Magazineゴルディオンの初期モザイクは、エーゲ海地域でモザイクが初めて作られたのは前5世紀と考えられている。ギリシア最古の小石モザイクは、コリントス、オリュントス、オリンピアで発見され、前5世紀後半-4世紀初頭にかけてのものとされている。これらのモザイクは、様々な色(多くの場合、黒と白)の天然小石を漆喰またはセメントの上に文様状に敷き詰め、固定する。
建物の内室と列柱のあるポーチにあったことが判明した。
この建物は、ゴルディオンの古代集落に属する大きな建造物の南端の二つの部屋を覆うように建てられていた。この集落は、前5世紀半ば直後に発生した地震によって破壊されたと考えられている。敷地は規模は小さかったものの、列柱のあるファサードで装飾され、成形テラコッタの壁面タイルに華やかな彩色が施され、床は小石のモザイクで舗装されていた。
大きな内室の奥にある、モザイクで覆われていない長方形の空間は、かつて何か別のもの、おそらく祭壇、あるいは祭儀用の彫像、あるいは玉座か審判の座が置かれていた場所であったと考えられるという。
見学したときはモノクロームに見えた。


ところで同ページは、モザイクの床を発見したとしても、喜びの声を上げる発掘者はほとんどいない。良心の呵責を感じずに、モザイクを撤去することはできない。特に地層が深い遺跡では、通常、モザイクは撤去されるのが通例だ。モザイクをそのまま残しておけば、より深い掘削が妨げられるだけでなく、保存措置(通常は再び厚い土で覆う)を講じる必要がある。その結果、発掘者は自制の甲斐なく、結局何も残らないことになる。モザイクを掘り出すには多額の費用がかかる可能性があり、訓練を受けた専門家が近くにいることは稀だという。

その後訪れたゴルディオンの都市遺跡の説明パネルに発掘時の写真があった。かなり広い部屋で、中央の丸い箇所に炉があったのだろう。
ミケーネではメガロンという3間続きの宮殿主体部の一番奥の部屋に炉があった。
メガロン2は石造りだが、同様の木造の骨組みが使用されていた。建物の床は、主に幾何学模様の小石モザイクで覆われており、この種の床としては世界最古のものの一つという。

舗床モザイクの図解
ゴルディオン博物館の外に展示されている舗床モザイクはこの一部。
同ページは、幾何学文様のレパートリ、卍や狭間溝、石畳文や菱形、中空の正方形、三角形、砂時計などは、ゴルディオンのブロンズ彫刻、象嵌細工を施した木製家具、そして同時代の彩色陶器にも見受けられる。炉床の上の大きなロゼットは、ブロンズ彫刻に見られる同様のロゼットと同様に、コンパスを用いて円状に配置されていた可能性があるという。
青銅製品は見逃した。


左奥のモザイク 右下に「炉床の上の大きなロゼット」

右奥のモザイク


舗床モザイクはペブル(河石)から、需要の高まりから丸石が不足するようになってテッセラ(切石)へと変わっていった。

ペブルモザイクの例(豹に乗るディオニュソス神 前4世紀末 ペラ、ディオニュソスの館出土)
せいぜい1㎝程度の小さな石を並べて表していると現地で感じたが、

ゴルディオンのメガロン2で発見された舗床モザイクは、ペラのものよりもずっと小さく、丸石ではないが、大きさが揃っているのだった。

右手前


右端中奥


幾何学文様が多いが、そうとも思えないものもあった。石畳文の下のモザイクは何かの動物を表しているようにも見える。
この写真の最下部でテッセラの形が分かる。まるで人の歯のような形。

こんな小石がまとまって採取できる場所が近くにあったのだろう。





関連記事

参考サイト
ゴルディオンで発掘調査を続けているペンシルベニア大学のPENN MUSEUM の Expedition Magazineゴルディオンの初期モザイク

参考にしたもの