ハトゥシャの大神殿付近の見学で下写真のような貯蔵用大甕(アナトリア文明博物館のパネルより)を見ることができなかった。
当時発掘中のところには四角く仕切られていて、大甕を一つずつ収納していたのだろう。横の帯あるいは縄目文で何段かに分割して、そこに縄目文が蛇行していたりする。
そのような倉庫がたくさんあったらしい。
今となってはどの説明パネルを写したのか忘れてしまったが、一面に装飾のある大甕も出土しているらしい。きっと特別なものが保存されていたのだろう。
左手前の甕の文様は、日本人の私には草文に見える。
奥の甕には大きな絵が描かれていたり、凸帯で横筋があったりする。
現地ではこのようなものしか見られなくて残念だったが、十数年前にイスタンブール考古学博物館のオリエント館を見学した時に、この大甕が一つ展示されていたことを自分の記事で思い出した😅 でも、遺跡の中で見たかった。
貯蔵用大甕 ヒッタイト帝国時代 前13世紀 ボアズキョイ、ハトゥシャ遺跡
説明パネルは、大きな甕は2000Lの容量があり、穀物、野菜、油そしてワインが貯蔵されていたという。
説明パネルは、大きな甕は2000Lの容量があり、穀物、野菜、油そしてワインが貯蔵されていたという。
貯蔵用という人目につかないものなのに、頸部には縦や横の線が見えるがどんな文様が不明のだが装飾が施され、肩部には大きな鋸歯文が凸線でつくられている。
人間と比べるとその大きさがわかる。頸部や肩部は無文だが、胴部に凸線の輪っかが見られる。(説明パネルより)
チョルム考古学博物館の中庭の西側に並んでいたが、近づく時間がなかった。
大きなものには成形時に施された横筋が何本も見える。
また、アラジャホユック博物館への通路の左側には屋根をつけて大きな甕を展示していた。
説明パネルは、ピトス(Pithos)は、考古学用語において大型のテラコッタ製貯蔵容器を指すギリシア語。油、ワイン、酢などの液体、あるいは穀物、果物、野菜などの固形食料を貯蔵するためにしばしば使用された。
ピトスは通常、縁まで地面に埋められていた。その大きさは一般的に人間の身長ほどか、あるいはそれよりもはるかに大きいという。
横筋がたくさんあるのは強度を高めるためだろうか。
クレタ島のクノッソス宮殿にも同じように貯蔵用の大きな甕があったが、こちらは自立している。
中には大型ピトスの倉庫とされているところには柵で立入禁止にしてある。
『クノッソス』は、ここに置かれているピトス(貯蔵用土器)は第1宮殿時代に属し、これまでに見つかっているピトスのうちで最も大きいという。
『クノッソス』は、ここに置かれているピトス(貯蔵用土器)は第1宮殿時代に属し、これまでに見つかっているピトスのうちで最も大きいという。
驚くほど沢山の把手が縦横に並んでいる。
右の大甕は、頸部には三角形の仕切りがあり、その中央に把手が縦に付いていて、両側には小さな丸い凸文がある。中身が何か分かるようにつけてあるのだろうか、豆とか小麦とか。胴部にも文様があるようだが、柵越しでは分からない。何故網目の間から撮影しなかったのだろう。
そしてサントリーニ島の南端にある同じミノア時代のアクロティリ遺跡にも貯蔵室に沢山の大甕があった。
説明パネルは、「ピトス貯蔵室」は、1967年の発掘調査で最初に発見された建物にスピリドン・マリナトス教授がつけた名前。教授は、この建物が大きな貯蔵壺(ピトス)で満杯であることに着目した。
部屋の大きな窓の前に置かれた多数の織機の重しは、上階から落ちていた。この事実と、ピトスに大量の食料が貯蔵されていたこととを合わせて、マリナトスはこの建物が生産活動に従事する人々に食料を供給するための倉庫であったと解釈したという。
クノッソス宮殿の貯蔵甕と同じようにアクロティリ遺跡の甕も自立できる。
向きを変えて高所から
ヒッタイトやクノッソス宮殿のように枠に大甕を入れるということはしていないようだ。
左二つの甕の胴部には大きな円が描かれているが、それは左右の円と線で繋がっていて、やがて蔓草文になっていくのかと思わせるが、滅亡してしまったので、伝わらなかった。その円文の中には細い線でびっしりと渦巻きか同心円文が描かれている。
このように大きな土器は各地で貯蔵用につくられ、それぞれの特徴があるのだった。
このように大きな土器は各地で貯蔵用につくられ、それぞれの特徴があるのだった。
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参考文献
「クノッソス ミノア文明」 ソソ・ロギアードウ・プラトノス I.MATHIOULAKIS























