ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2014/04/04
イラクリオン考古博物館7 クレタの陶器にはびっくり
ミノア時代の壺といえば、クノッソス宮殿のあちこちに置かれていた貯蔵用の大型のものが浮かぶ。
しかし、ミノア時代の陶器(正確には土器)には、大きさだけでなく形や文様にも驚くようなものがある。
草文嘴壺 後期ミノス初期(前1550-1520年頃) ファイストス出土 高さ29㎝
『世界美術大全集3エーゲ海とギリシア・アルカイック』は、後期ミノスの初め頃、自然主義的な植物文様が陶器装飾として盛んに用いられるようになる。深緑色の葦の葉が、器の下方から繊細かつ伸びやかに表面を覆う。底部近くの葦が生え出す部分は、波うつ帯状文様となっており、鉤ホック形の舌状文様が下向きに添えられている。この舌状文様はエーゲ美術圏では川または水辺の湿地帯を示す、いわば記号として使われているので、この壺でも水辺に生える葦の様子を意図していることが理解できる。この葦の草文の特徴として、葉の部分を二筆で描く点と、また器表面の明と暗の配分を微妙に綾織る点の二つが挙げられる。一見して識別できる特徴で、青銅器時代の「葦の画家」と呼ばれるという。
もしも形が日本風なら、こんな葦文のある壺は日本で作られたものと思いそうだ。
蛸文双耳壺 前1500-1450年頃 パライカストロ出土 高さ28㎝
同書は、後期ミノスの初めに東部クレタを中心に流行した海洋動物文様で飾られた陶器。蛸文様の最も初期の作例の一つ。器形は「鐙壺」と呼ばれるもので、頂部に馬具の鐙に似た形の把手をもつ。これ以後ミュケナイ時代にかけて非常に好まれた器形。
壺の丸い腹部いっぱいに大蛸が8本の触手を広げている。吸盤のついた触手はダイナミックな動きの感覚に満ちており、いましも画面右上に向かって蛸がぐいと動き出しそうな印象を受ける。蛸を配置するのに対角線の構図をもちいたことが成功の原因だろうという。
蛸の顔の部分に小さな高台のような突起があるのが気になる。
嘴形注口付き水差し 前1400年頃 クノッソス近郊 高さ49.5㎝
同書は、海洋装飾文様を施した、浮彫り状の突起付きの陶器。大型陶器で、装飾の点でも器形の点でも他に類例がなく、儀式用の灌奠容器と推測される。装飾は、画面右方に文様化されたオウム貝が縦に並べられている。突起で画面が分割され、左方には合成植物文が描かれる。この植物は百合の花弁とその間に充填された扇形のパピルス文様からなり、パピルス文様は周囲の空間も埋める。百合の花弁が通常とは天地が逆転しているので、一見すると植物文様とは気づかない。花弁の強く反って渦巻形になった部分が軟体動物の眼のようにも見えるという。
何のための突起なのだろう。
梨形片手付きリュトン 新宮殿時代(前1700-1450年頃) マリン・スタイル 高さ20.2㎝
リュトンということは、底に穴があいているのかな。
驚くことはない。例の水晶製リュトン(前1500-1450年頃)もこの形の範疇だった。
オウムガイが大きく表され、すぼまった底部は魚の口に見える。
バスケット形双耳壺 新宮殿時代 東クレタ、グルニア出土
4段にわたり双斧文で装飾されている。
そして造形的に驚くのは、カマレス陶器と呼ばれている黒っぽい土器だ。古宮殿時代(前1900-1700年頃)という、上の陶器類よりも古い時代ということになる。
『唐草文様』は、不思議なことに、カマレス陶器の図柄には、唐草的な匂いの濃いものが目立つ。
実に、それらは、さまざまな植物図柄や波濤の文様、市松文様風のものや、絡み渦の数々を擁して、質量が豊かなのである。なかんずく、植物文様の種類の多さと質の高さは、この時代としては特筆すべきであろう。
器体、図柄ともに、現代においてもなお斬新さを保っているものが少なくない。当時としては器体もたいへんに薄手であり、そのために「卵殻陶器」と呼ばれることもあるという。
左の大壺は口縁部が外反して二重になっているようで、その下には鋸歯文、胴部には大きな魚も描かれている。
その右の壺に大きく表されているのは合成植物文だろう。
左は梨形リュトン 第1宮殿時代末期(前1700年頃) 高さ21.8㎝ ファイストス出土
説明板は、白い口縁部は花の形になり、液体を捧げる儀式に用いられた器という。
これもリュトン。
「HERAKLEION ARCHAEOLOGICAL MUSEUM」では浮彫のある白いユリを模した口縁部という。
古い時代にはこのような明らかに6弁よりも多い花もユリと呼んでいたようだ。
「唐草文様」は、第1宮殿時代の終り頃には、驚くほど洗練された図柄が制作されるようになった。
ここに施された装飾文様は、もう完全に唐草の領域である。その美しさ、空白の処理の手際のよさ、図柄同士のリズム感のあるつながり具合・・・。
このリュトンは、口径部の花弁に絡み渦連続文が刻み込まれ、胴部には波濤文様とパルメット風の唐草が描かれて、そのバランスがほぼ絶妙の域に達している。
このほとんど完全に「唐草」と呼べる文様-クレータ島のファイストス宮殿の工房で誕生した紀元前第2千年紀前半のカマレス陶器の意匠を、ここで「第1の唐草群」あるいは「幻の唐草群」と名づけておこうという。
確かに口縁部には連続渦巻文の浮彫があるし、器体には大きくパルメット唐草のような文様が描かれている。
しかし、著者が後に述べるように、この「第1の唐草群」は、いわゆる唐草文へと続くものではなかった。
右は嘴形注口付き双耳壺 前1882-1750年頃 高さ11㎝ ファイストス出土
注口を背後に回しているのは、赤と白の合成植物文を見せるためだろう。2つの多弁花文は目に見え、中央の赤いものは口に見える。器の形と文様とでフグに見えるのは私だけだろうか。
遠くから見ると黒くて重そうだが、器の口縁部はかなりの薄造りであることが鉢でわかる。
カマレス様式クラテル 古宮殿時代(前2000-1700年頃) ファイストス出土
同書は、中には、百合のような草花の花弁が器体を彩っているものさえ存在する。可憐に首を傾げたその造花の柔らかい質感という。
やはり古い文献ではユリとされているこの白い花だが、器体と花を別々に焼成した後にくっつけたのではないようだ。
花の厚みは折り返した口縁部のそれと同じくらいだろう。
石畳文はすでに前3000年頃のエジプトの壺一面に描かれている。
赤いトゲトゲのあるのは植物文のようでもあり、タツノオトシゴを繋げた文様にも見える。
そしてこの鉢!
渦巻文のある果物台 前2000年頃 ファイストス宮殿で制作
『唐草文様』は、一組の羊歯状の絡み渦の各々一方の先端が単一渦巻の弧の部分で接し合うという、一種の変形連続文を形成しているが、これはどう見ても、蛸唐草の祖先のような図柄であるという。
蛸唐草は、伊万里焼で、唐草文の葉が段々簡略化されて生まれたものと、若い頃に聞いたことがある。
調べてみると、うまか陶のやきものにみる文様6蛸唐草文様という頁に、宋時代に古い例がみられるというが、もちろんこの器の文様と蛸唐草とはなんの関係もない。
反り返った縁から垂れる舌状あるいは花弁状のものは、器に少し大きめのレース付き布を掛けたようにも見える。
ファイストスの円盤 表 古宮殿時代(前21-18世紀) ファイストス出土
『ビジュアル考古学エーゲ文明』は、象形文字がきざまれたフェストスの円盤。いまだに解読されていない記号でおおわれた石の円盤は、渦巻き状に粘土に刻印された歴史上最初の記号であるという。
同裏
同書は、クノッソスのミノス王の宮殿で、アーサー・エヴァンズは発掘した地層から紀元前2000から1400年ごろと推定される3種類の文字の遺物を発見した。彼はその一つをエジプトのヒエログリフに似ていたために象形文字とよび、記号が水平に並ぶほかの二つを線文字AおよびBとよんだ。象形文字と線文字Aはミノア世界の特徴であり、線文字Bはギリシア・ミケーネ世界に属するという。
図版で見ると、彫っているのか浮彫にしてあるのかわかりにくいが、確かに記号を刻んである。
気づかなかったが、陶製の宝石箱に首飾りが添えられたコーナーもあった。
宝石箱 後宮殿時代初期(前1350-1300年頃)陶製 パキアモス出土
首飾り 同時期 金・ファイアンス・準貴石 パキアモス出土
アルハネス出土の首飾り(後宮殿時代、前1400-1350年頃)に青の練りガラス(パート・ド・ヴェール)を繋いだものがあったが、この首飾りはファイアンスだった。
ガラスの風化したもの、ではなさそう。
イラクリオン考古博物館6 ミノア時代のファイアンスはすごい←
→イラクリオン考古博物館8 双斧って何?
関連項目
イラクリオン考古博物館1 壁画の縁の文様
イラクリオン考古博物館2 女性像
イラクリオン考古博物館3 粒金細工
イラクリオン考古博物館4 水晶製のリュトン
イラクリオン考古博物館5 ミノア時代の建物の手がかり
※参考サイト
うまか陶のやきものにみる文様6蛸唐草文様
※参考文献
「世界美術大全集3 エーゲ海とギリシア・アルカイック」 1997年 小学館
「唐草文様 世界を駆けめぐる意匠」 立田洋司 1997年 講談社
「HERAKLEION ARCHAEOLOGICAL MUSEUM」 ANDONIS VASILAKIS ΕΚΔΟΣΕΙΣ ADAM EDITIONS
「ビジュアル考古学 エーゲ文明 ギリシアのあけぼの」 編集主幹吉村作治 1998年 ニュートンプレス