説明パネルは、ヒッタイト帝国時代初期の穀物貯蔵用大型ピットから出土したこの土器は、ヒッタイト帝国時代に特徴的なオレンジ色の胎土を持ち、轆轤で製作された後、口縁部が四つ葉型に成形されている。器表面にはクリーム色の化粧土が施され、光沢を持つほどに磨研調整がされている。
この時代に普及していた化粧土の施されていない大量生産による単純な器形の土器に比べ、この土器は特に念入りに作られており、それ故、日常品ではなく、儀礼等の特殊な用途に用いられたのではないかと考えられるという。
チョルム考古学博物館には白っぽいものと黒っぽいものが展示されていた。
白い方は脚部が窄まり、黒っぽい方はずんぐりしているが、どちらにも濾過板はなさそう。
アンカラのアナトリア文明博物館でも同じような双手坏を所蔵していることを『トルコ文明展図録』で知ったが、展示されていたことに気付かなかったのかも知れない。
双手坏 ヒッタイト古王国時代、前18世紀 高16.5㎝ 口径15㎝ アジェムホユック、住居址II層出土
『トルコ文明展図録』は、装飾のない四弁状口縁。すぼんだ頸部、胴部にはわずかに稜がある。底部は高い輪状。口縁部から胴部へ把手が二つついている。
花弁状口縁部の一つの内側には、濾過板がついている。胎土は鈍黄色で同色の化粧土がかけられる。磨研が施される。ろくろ成形という。
双手坏 ヒッタイト古王国時代、前2千年紀第1四半期(2000-1750) 高19.3㎝ 口径11.9 ㎝ アリシャル出土、瓶棺
同展図録は、幅広の四弁状口縁。胴部には稜があり、底部に向かってしだいに細くなっている。口縁直下から稜のところへ把手が縦方向についている。容器の内側、把手の間の花弁状になった口縁の一つは、濾過板で閉ざされている。鈍黄色の胎土に薄い赤みがかった鈍黄色の化粧土がかけられる。磨研が施される。ろくろ成形という。
「瓶棺」という言葉はこの用器が骨壺だったのか、それとも大きな甕棺に副葬されていたのか、よく分からない。
ところで、アラジャホユック博物館の外に並んだ貯蔵用大甕の中に、
一つだけ白い甕が異彩を放っていたので気になっていたのだが、カマンカレホユック博物館の白い双手坏を見て、この白い甕も特別なものを貯蔵するためのものだろう。
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参考文献
「トルコ文明展図録」 中近東文化センター編集 1985年 平凡社
参考にしたもの
各博物館の説明パネル







