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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。
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2026/09/29

メレスアンク三世のマスタバの壁画


クフ王のピラミッド複合体東部に王妃たちのピラミッドや親族のマスタバが並んでいる。
その中の一つにクフ王の孫娘でカフラー王の妻メレスアンク三世のマスタバがある。

ギザ ピラミッド複合体とスフィンクス Google Earth より
Bクフ王のピラミッド ❶入口 ❷太陽の船Ⅰ ❸葬祭殿 ❹太陽の船Ⅱ ❺クフ王の母后ヘテプヘレス一世のピラミッド ❻メリタテス一世王妃のピラミッド ❼ヘヌトゥセンク王妃のピラミッド ❽クフ王の孫娘でカフラー王の妻メレス・アンク三世のマスタバ


Ministry of Tourism and AntiquitiesのTomb of Queen Meresankh III
は、規模が大きく装飾も精緻なこの墓は、彼女の身分にふさわしいだけでなく、幸いなことに東側墓地の中で最も保存状態の良い壁面の浮彫が残されている。
浅浮彫には、パン焼き、ビール醸造、鳥の捕獲、牧畜、むしろ作り、金属の精錬、そして彫像(おそらくメレスアンク自身の姿を模したもの)の制作など、多岐にわたる場面が描かれている。これらは、あらゆる種類の供物をメレスアンクに捧げる人々の精緻な描写と共に、死後の世界において彼女の魂に食料や品々を絶え間なく供給するという魔術的な役割を果たすものだった。興味深いことに、彼女のもとへ運ばれている品々の中には、天蓋とそこに設置されるベッド、肘掛け椅子、そして運搬用の椅子などが含まれている。これらと非常によく似た実物がクフ王の母ヘテプヘレス一世の墓から発見されているという。
同サイトでは色彩豊かな浅浮彫だが、見学した時は色は褪せていた。

説明プレートの平面図 上が西
❶横長のホール ❷供物室と埋葬竪坑 ❸石彫の10体の彫像の部屋(葬祭殿)

❶横長のホール 
まず入口右側に墓主のメレスアンク三世が大きく表されている。その両側には団扇のようなものとハエ叩きのようなものを持っている。

Tomb of Queen Meresankh IIIは、何千人ものエジプトの職人たちが名を残さずに消えていった中で、メレスアンクの墓には、南壁と東壁に古代エジプトの芸術家2人の名前が記されている。左側では画家のラハイが女性の立像に彩色を施しており、右側では彫刻家のインカエフが女性の座像を制作している。
浅浮彫には、パン焼き、ビール醸造、鳥の捕獲、牧畜、むしろ作り、金属の精錬、そして彫像(おそらくメレスアンク自身の姿を模したもの)の制作など、多岐にわたる場面が描かれている。これらは、あらゆる種類の供物をメレスアンクに捧げる人々の精緻な描写と共に、死後の世界において彼女の魂に食料や品々を絶え間なく供給するという魔術的な役割を果たすものだった。興味深いことに、彼女のもとへ運ばれている品々の中には、天蓋とそこに設置されるベッド、肘掛け椅子、そして運搬用の椅子などが含まれているという。
南壁の浅浮彫は状態が良くないが、上記のような場面が描かれているのだろう。

上左より2段
剥落が激しく、立っている人物と坐っている人物しか見分けられない。

その続き

つづき
供物を運んでいるのだろうか。

3段目左より
人々が牛を連れている。次は2人で牛を屠っている。

その先3人


4段目途中から
これが天蓋とそこに設置されるベッドかな

4段目と5段目の途中に、2段にわたって角形のものがある。それをどうにかしようと頑張っているような。

下左に続く場面は六角形の籠が二つと台に置かれた?


また、東壁の大きな男性像の背後には、

左側には舟に乗るメレスアンク三世たち、下の段には鳥を連れる人物

メレス・アンクが2人で小さな舟に乗って両手でロープを引いている。水辺の鳥を捕らえているのだろうか。残念なことに雨漏りで曝されたのか、その部分がよく残っていない。

拡大しても何を獲ったか分からない。

その下には大きな鳥を連れて行く人物。

その下はナイル川で投網で魚を獲っている場面。


南壁左端
一段目は小麦の収穫だろうか、男女交互に籠を頭に載せている。
二段目は鳥を獲る人たち

6人が引く網で鳥を捕まえている。


その網は六角形

その下は複数で作業をする人たち
上は網の手入れ?

三段目には牛を1頭ずつ連れて行く。その牛がそれぞれ特徴がある。

その1頭は角が外に開いている。


❷との仕切り


❸10体の彫像の部屋前の2本の角柱と壁画 『図説古代エジプト1』より

上部にはヒエログリフが彩り豊かに描かれている。


❷供物室南壁
赤っぽい箇所に人々の間に格子状のものが見える。

この時代に王名表があったのだろうか、長方形の区画にヒエログリフで記されている。最古の王名表はパレルモストーンと呼ばれる第5王朝に、第1王朝から第5王朝までの王名の一覧が玄武岩に刻まれたものとされているので、もしこれが第4王朝期に書かれた王名表だったら、もっと話題になっているだろう。

道具を持った人が何かを牽いていて、その後ろに小さな人(子供?)が連れられて、その後ろには2人の人物が着いている。

沢山の人物が登場するが、みんな坐っている。



北壁の浅浮彫

1・2段目
連れてこられた捕虜または奴隷が坐らされている。その下では右手を挙げて踊っているらしい。

3・4段目
大きな容器を運び入れる2人、その容器から小さな器に料理を山のように盛り付ける人、それを一つずつ運ぶ人たち。4段目の人たちが何を しているかは分からない。  

風化しているとはいえ、一つ一つの場面を撮影していたら、どんなものが描かれていたかがもつと分かっただろう。時間に限りがあるのが残念。




関連記事

参考サイト
Ministry of Tourism and AntiquitiesのTomb of Queen Meresankh III

2026/05/05

フリギアのアクロテリオン(頂部装飾)


ミダス記念碑と呼ばれているものは女神マタルを祀るための神殿とされている。
見上げると整然と彫られた幾何学文様の緻密さと、地震で上部が裂けても尚2千数百年間立ち続けているいる頑丈さに敬服する。


ペディメントは亀裂が入って鎹で留めてある。残念なことに、頂部の装飾(ギリシア風に言えばアクロテリオン)が分からない。

大きな耳のようなものは何の部分だったのだろう。目だろうか?


幸い同じ地区の裏側にある未完成の記念碑 Bitmemiş Anıt に似たものが残っていた。

アクロテリオンは巨大な目のようなものに口のところが六弁花、その下は円柱のようだが、ペディメントの下部で消失するという不思議な装飾。ミダス記念碑のアクロテリオンもこんなだったのだろうか。



こんな目を何かで見たことがあるような気がした。それはテル・ブラク出土の目の偶像だった。
『世界の博物館18 シリア国立博物館』は、北シリアのハラフ期の遺跡からしばしば発見される目を強調した土偶である。人間は人体の各部のなかでも目を特別に見てきており、眼光によって悪霊を払うことが可能であると考えたこともあるという。
ハラフ期は前6千年紀前半なので古すぎた。
北シリア出土目の土偶 世界の博物館18 シリア国立博物館より


迷路にはまり込んでいたところ、漆喰のことでガラス作家の田上惠美子氏よりメールを戴いた。添付の福井県三国町の旧森田銀行本店の漆喰装飾の写真の1枚にあったイオニア式柱頭を見て解決した。
しかし、イオニア式柱頭については以前にまとめた記事では、前8世紀に現在のシリアとトルコの国境付近の遺跡アルスランタシュ(アスランタシュ)で出土したものがプロト・アイオリス式の渦巻形柱頭に発展してゆく(『世界の博物館18 シリア国立博物館』より)という。
その記事はこちら
それなら、イオニア式柱頭からこのようなアクロテリオン(頂部装飾)ができたのではなく、このようなものがイオニア式柱頭へとなっていったことになるのかな。

ミダス記念碑の下部中央の壁龕
水の流れによる浸食のため下にいくほど風化しているが、上中央には四角い穴がはっきりと残っていて、その真下にはそれより小さな穴が見える。ここに女神マタルが安置されていた。
この二つの穴についてTürkiye Kültür Portalı の MALTAS FRIG ANITI は、壁龕の基部中央にある窪みは、おそらくキュベレの持ち運び可能な像が置かれていたほぞ穴であろうという。
マルタシュの遺跡 Maltaş ören yeri(前8-6世紀)はアスランタシュとユランタシュの遺跡があるギョイニュシュ渓谷 Göynüş vadisi の南方にある。
ここに安置されていた女神マタルも上下で固定された可動式のものだったのだろう。マルタシュの方は背後に井戸があるからだが、ミダス記念碑の方は何もなさそう。ひょっとすると一年に一度の祭儀の時に乗り物に乗せて集落を練り歩いたのかも。


ミダス記念碑では失われた女神マタルだが、別の遺跡から出土したマタルがゴルディオン博物館やアナトリア文明博物館に展示されていた。

母なる女神キュベレ、安山岩 ゴルディオン博物館蔵
『GORDION MUSEUM』は、フリギア人の主神は母なる女神であり、碑文では単に「マタル」(母)とされ、時には「キュベレ」という呼称が加えられることもある。古フリギア城塞時代のゴルディオンでマタルが崇拝されていたという証拠はほとんどないが、新城塞の建設と関連して、マタルを表したと思われる石像がいくつか発見されているという。
背後の写真パネルは後に見学したミダス記念碑の、祠上の浮彫を模したものだが、そこに安置されていたマタル像にしては小さい。頭上が失われているのは残念。


同館図録は、マタルは通常、杯を口に当てている姿で描かれている。ある例では、もう一方の手に猛禽類(タカ?ハヤブサ?)を持つという。
小さくて猛禽類には見えないけれど、小鳥を左手で握っているように見える。


キュベレ像 前7世紀 浮彫 安山岩 アンカラ 、バフチェリエヴラーより発見 アナトリア文明博物館蔵
簡素な造形だが屋根のアクロテリオン(頂部飾り)が大きく表されているが、イオニア式柱頭を思い起こすことはない。牛の角と言う方が相応しいかも。

ゴルディオン博物館蔵女神マタル像はこの帽子や着衣に共通点がある。両脇のメアンダー文(ギリシア雷文)のように繋がらない不揃いで素朴な文様も好ましい。


女神マタルと祭祀記念碑 出土地不明 アナトリア文明博物館蔵
説明パネルは、フリギア人は多くの神々を崇拝していたが、人間の姿で描かれた神はただ一人。それは「母」を意味する名を持つ女神「マタル」で、碑文にはマタルはいくつかの属性とともに記されている。キュベレの語源は、おそらくフリギア語で「山」を意味する「キュベレイア」に由来する。フリギアにおけるキュベレーに捧げられた祭祀記念碑は、前9-6世紀にかけてのものという。

ここにミダス記念碑によく似たアクロテリオンがあった。

頂部とペディメントの装飾の左右に六弁花が表されたり、箱状の装飾があるのはヤズルカヤ近辺の未完成の記念碑に共通するが、ペディメントの丸いものとその中央から出ている円柱のようなものはない。そして目玉のように見えるものを囲うものが円になりきらず、草食獣の角のように先が切れている。
ミダス記念碑の近くではこのようなアクロテリオンが共通するもののようだけれど、出土地不明なのが残念。




関連記事

参考サイト
Turkish Archaeological NewsのYazılıkaya - Midas Monument

参考文献
「世界美術大全集3 エーゲ海とギリシア・アルカイック」 1997年 小学館
「世界の博物館18 シリア国立博物館」 増田精一・杉村棟 1979年 講談社
「GORDION MUSEUM」 Republic of Turkey Ministry of Culture



2026/04/28

ミダス記念碑の浅浮彫


ミダス記念碑(ヤズルカヤ) Yazılıkaya/Midas Anıtı  前8-6世紀前半
説明パネルは、長方形平面で切妻屋根を持つフリギア時代の住居(メガロン)の正面を岩に彫り込んだもの。フリギア時代の岩窟記念碑の中でも最も壮麗なもの。記念碑の名称は、左上部分の平らな岩盤に刻まれた古フリギア語の碑文にある「ミダイ」という言葉に由来している。しかし、地元の人々は碑文があることから「ヤズルカヤ」(刻まれた岩)と呼んでいる。ここは母なる女神マタルに捧げられた野外神殿という。
メガロンは長方形の建造物で、奥行きの深い広間と、それよりずっと浅い前室またはポーチが前面にある。

昔はこれがファサードで、中央下の開口部から中に入るとアナトリア文明博物館に復元展示されていたミダス王の木槨墓があると勘違いしていた時期があった。


ペディメントが彫り込まれている上の岩の凸部にフリギアの碑文が斜めに刻まれている。

Turkish Archaeological NewsのYazılıkaya - Midas Monumentは、正面の上部には、岩に刻まれた古代フリュギア語の碑文がある。おそらく神官であったアテスという人物が、この記念碑をミダス王に捧げたと記されている。フリュギアにはミダス王の名を冠した王が複数いたため、研究者たちはこの記念碑によって称えられた王を明確に特定できていないという。

左から右へと読むものと思って2段に拡大してみたが、右から左へ書かれているのかも知れない。

右端には縦に碑文が刻まれている。上から読むのか下から読むのか・・・
縁の文様帯は斜めの正方形四つの間に正方形という組み合わせが2列に並んでいる。


中央の一辺16mの正方形の平らな面に浅浮彫の幾何学文様が整然と並んでいる。

部分的だが、一番低く彫られた箇所を黄色く塗ると、クロスと四角い点、それらを囲む帯が浮かび上がる。
上から1段目は四角い点、2段目はクロスと四角い点、3段目は四角い点、4段目はクロス、5段目は四角い点、6段目はクロスと四角い点、7段目はクロスと四角い点、8段目は四角い点、9段目は・・・壁龕があるせいか、文様が途切れている。
一段高い帯は迷路にも見えて、ついつい視点の先を追ってしまう。

壁龕右側
ここにはクロスはない。地の文様に注目すると、正方形の2辺が外へ伸びている。これは何を表しているのだろう。凸帯を残すと出来た文様というだけなのだろうか。

左側は風化していて柔らかそうな岩肌がうかがえる。やっぱり凝灰岩だ。




関連記事

参考サイト
Turkish Archaeological NewsのYazılıkaya - Midas Monument

参考にしたもの
現地説明パネル