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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。
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2026/10/13

ピラミッドその後


クフ王のピラミッド 第四王朝2代目(前26世紀前半)

クフ王のピラミッドの内部構造図 『図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇』より
❶現在の入口 ❷正規下降通路と盗掘者の掘った通路の交点 ❸上昇通路 ❹水平通路との交点 ❺大回廊 ❻控えの間とされる低く長い通路 ❼玄室
クフ王のピラミッドの内部構造図 図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇より


スネフェル王の三つのピラミッドには持送り構造の部屋があったが、その子クフ王のピラミッドには持送り構造は部屋ではなく傾斜のある大回廊に用いられた。
クフ王の父スネフェル王が造った赤いピラミッドでこのような持送り天井の所は部屋だったし、その前に建造された屈折ピラミッドでは持送り天井というものが不完全だった。それがクフ王のピラミッドでは大回廊と呼ばれている長い斜路に用いられ、天井の幅広くも広くなった。

玄室は花崗岩の石でできていて平天井。玄室は幅5.2mなので、それ以上の長さの石板なら平天井になるだろう。


ピラミッドの内部構造はその後どうなっていったのだろう。

ギザ カフラー王のピラミッド 第四王朝4代目(前26世紀中葉) 頂部に化粧石が残る。

カフラー王のピラミッド内部 『図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇』より
カフラー王のピラミッド内部には、知る限りでは屈折ピラミッドに始まった玄室やクフ王のピラミッドにあった通路の持送り構造はない。
『神秘のミステリー! 文明の謎に迫る 古代エジプトの教科書』(以下『エジプトの教科書』)は、カフラーのピラミッドの内部構造は、2本の通路が途中で合流して玄室へ向かう、いたってシンプルなものである。クフの王の間が地上43mにあったのに対し、カフラーの玄室は地下と地上の境界につくられている。これは、カフラーの治世が太陽信仰(天上世界)と冥界神オシリスへの信仰(地下世界)が融合した時代であったことに関わっていると考えられるという。
カフラー王のピラミッド内部 図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇より

玄室は日本の家屋にも見られるような切妻構造となっているが、これは持送り構造が進展した技術だろう。
ギザ カフラー王のピラミッド玄室 神秘のミステリー! 文明の謎に迫る 古代エジプトの教科書より

石棺
『エジプトの教科書』は、赤色花崗岩でつくられたカフラーの石棺は、本来、分厚い敷石が敷かれた床にはめ込まれる形で安置されていた。石棺の中に王のミイラはなく、雄牛の骨が入っていた。これは後の時代、王のミイラの代用、またはオシリス神の象徴として捧げられたものであると考えられているという。
後の時代に王のミイラを取り出して牡牛の骨を入れた?
第18王朝のアメンホテプ三世の時代に個別の部屋で始まったサッカラのセラペウムで始まったという、メンフィスでミイラ化され、サッカラの地下墓に花崗岩または玄武岩製の巨大な石棺に納められて埋葬された聖なる牡牛の話(セラペウムの説明パネルより)に繋がるのかな?


ギザ メンカウラー王のピラミッド 第四王朝6代目(前26世紀末)
『エジプトの教科書』は、メンカウラーは父カフラーや祖父クフに続き、ギザにピラミッドを造営した。
ピラミッドの縮小は王権の弱体化が最大の理由とされるが、堅牢な石灰岩の台地がすでに南西の端にしか残っていなかったことも関係しているとされる。
ピラミッド北面にある縦方向の窪みは、イスラム支配だった12世紀にピラミッドを解体して資材を再利用しようとした支配者や、19世紀のダイナマイト爆破によってできたもので、野蛮な破壊行為ではあるものの、皮肉なことに内部構造を知るための大きな手がかりともなっているという。
外装とは化粧石のことだけれど、化粧石が剥がれてしまっても赤く見える。
ギザ メンカウラー王のピラミッド 図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇より

また玄室が地下に戻っている。
同書は、入口は地上4mにあり、通路の先は水平な装飾部屋につながっている。さらに通路を進むと三つの落とし戸の先に前室、その奥に玄室がある。花崗岩でつくられた玄室の天井は緩やかに湾曲しており、花崗岩を削って装飾を施したものとされているという。
ギザ メンカウラー王のピラミッド内部 図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇より

『エジプトの教科書』は、花崗岩でつくられたメンカウラーの玄室は、これまでの東西方向と違い、南北に向いている。もともと石棺が置かれていたが、発見時に英国へ輸送する途中に海に沈んだという。
驚いたことに玄室の天井が平たいが穹窿(ヴォールト)構造になっている。石を曲面に彫って切妻構造のように頂部であわせることによって、やや尖頭ぽい浅いアーチが並んでいて、ヴォールト天井というよりも、変形切妻構造なのだろう。
メンカウラー王のピラミッド玄室 神秘のミステリー! 文明の謎に迫る 古代エジプトの教科書より


ウナス王のピラミッド 第五王朝最後の王(前24世紀中葉)
ウナス王のピラミッドは、サッカラの階段ピラミッド複合体の南西にある。
『世界美術大全集2エジプト美術』は、下降通路の突き当たりに入り口の間、そして3つの落とし格子戸を含む水平通路を通ると前室、そしてその左手に3つの小室、右手奥には棺の置かれた玄室を設けるというものであるという。

玄室は切妻構造で、カフラー王のピラミッド玄室の切妻構造よりも鋭角で、切妻の天井とそれを支える側壁にギャップがある。
サッカラ ウナス王のピラミッド玄室 図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇より

同書は、ウニス王のピラミッドにおいて初めて、玄室など内部の墓室壁面一面に「ピラミッド・テキスト」と呼ばれる宗教上の呪文が記されたヒエログリフや、当時の宮殿のファサードを模した偽扉、そして天井には星を象った模様などが刻まれるようになったという。
ウナス王のピラミッド玄室 世界美術大全集2 エジプト美術


センウセレト二世のピラミッド 第12王朝3代目(前19世紀初)
『エジプトの教科書』は、第12王朝の王センウセレト二世は、日干し煉瓦を用いて初の巨大ピラミッドを造営した。造営地に選ばれたのは、ハワラ運河がナイル河谷からファイユーム盆地へ流入するアル・ラフーンの黄色石灰岩の丘で、この時代にファイユーム地方の干拓、灌漑事業が本格化していたことやヌビアとの交易が盛んだったことが関係しているという。
ラフーン センウセレト二世のピラミッド 神秘のミステリー! 古代エジプトの教科書より

内部構造と玄室 『エジプトの教科書』より
日干しレンガで造られたが、玄室の周囲は石材で造られ、2枚の石材でつくった幅広のアーチを並べてヴォールト天井になっている。
ヴォールト天井はポンペイのスタビア浴場控え室(古代ローマ、前2世紀)あたりが最古のものだと思っていた。
ギザ センウセレト二世のピラミッド 内部構造と玄室 神秘のミステリー! 文明の謎に迫る 古代エジプトの教科書より

その後古代エジプトのファラオの墓でこのような石板を曲面に切り出したヴォールト天井の玄室は受け継がれていったのだろうか。



関連記事
古代ローマ 窓ガラスの作り方にスタビア浴場控え室のヴォールト天井があります。

参考文献
「世界美術大全集2 エジプト美術」 1994年 小学館
「神秘のミステリー! 文明の謎に迫る 古代エジプトの教科書」 河江肖剰監修 2023年 ナツメ社
「図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇」 仁田三夫 1998年 河出書房新社

2025/08/19

セリミエジャーミイ Selimiye Camii とミマールスィナン Mimar Sinan


エディルネのセリミエジャーミイについて『トルコ・イスラム建築』は、ミマール・スィナンが自ら「熟達者の作」と自慢しているように、オスマン建築の最高傑作である。
直径31m余、高さ42m余の主ドームと、それを囲んで聳えている高さ71mの4本のミナレットが遠くからも良く見えるというが、残念ながら修復は続いており、夜間のライトアップもなく、昼間はミナレット2本が足場で覆われているのが見えるのだった。そして内部も見学はできたが、修復作業は続いていて、養生の幕で覆われて、1/3も見ることはできなかった。

ミマールスィナンの像とセリミエジャーミイ、そして現地ガイドのギュンドアン氏。
ギュンドアン氏は、今回の修復はあと何年かかるかわかりません。10年後かも、と言っていた。今から体を鍛えて10年後に備えよう。


全体像
『イスタンブール 旅する21世紀ブック望遠郷』(以下『望遠郷』)は、建物を補強する控え壁の代わりに翼壁と回廊が多くつけられ、礼拝者たちやコーランの朗唱のための多様な空間が生まれた。
比類なく豪華なファサードの手の込んだつくりと、これらの空間が共鳴し、響き合っている。4基のミナレがモスクを囲み、建物を際立たせているという。
エディルネ セリミエジャーミイ全体像 イスタンブール 旅する21世紀ブック 望遠郷より


モスク平面図 『Architect Sinan His life, Works and Patrons』より
①主ドーム ②主ドームのムカルナス ③大アーチ ④半ドーム ⑤ミフラーブの半ドーム(祈りの壁龕) ⑥支柱 ⑦斑岩のアーチ ⑧斑岩のアーチ間のヴォールト ⑨公衆扉のヴォールト ⑩スルタンのマッフィル ⑪図書館 ⑫女性用マッフィル ⑬ミフラーブ ⑭ミンバル(説教壇) ⑮ムアッジンのマッフィル ㉒ミナレット
エディルネ セミリエジャーミイ平面図 『Architect Sinan His life, Works and Patrons』より


そして正門から入っても中庭への入口が養生壁で覆われていて、比類なく豪華なファサードの手の込んだつくりなどはっきりと見えず、

礼拝室前のシャドルヴァン(清めの泉亭)に至っては全く見ることができなかった。鳩がとまっている半球のものは噴水?
セリミエジャーミイ中庭のシャドルヴァン THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より


『トルコ・イスラム建築』は、この建物の最も優れているところは、礼拝室の空間の一体化が完璧に近く実現されていることである。主ドームは8本のピアの上に据えられている。ピアは切石積みで、断面が12角形で、縦に12本の溝を付けて装飾としている。ピアの上に架けた8個のアーチから、ムカルナスによるペンデンティブ風の措置を介して、ドームの裾に移行しているという。
①礼拝室の大ドームとそれを支える⑥8本の支柱は、縦溝のある円柱のようだが、実際は壁の付け柱だったりして大ドームの荷重によく対応できている。
下図版はそのうちの6本。
大きなムカルナスによるペンデンティブ風のものは、白地に赤の輪郭線がくっきりと描かれていて、その上のドームには細い窓が無数に開かれている。これもドームを軽くするミマールスィナンの工夫だろう。この図版ではドームは明るい配色で軽く見えるが、ミマールスィナンが建てた時はどうだったのだろう。修復後はこのドームがどんな色の壁画で飾られるのだろう。
セリミエジャーミイ礼拝室キブラ壁側 トルコ・イスラム建築紀行より


ミフラーブの壁龕付近。ミンバル(説教壇)は⑬ミフラーブの半ドーム(祈りの壁龕)ではなく⑥円柱風の付け柱の前、礼拝室に設置されている。⑦斑岩のアーチの上の段に③大アーチがあって、それが八つで①主ドームを支えている。
左の③大アーチの向こうに見えるのは⑩スルタンのマッフィル
エディルネ セリミエジャーミイのミンバル Architect Sinan His Life, Works and Patrons より


⑮ムアッジン用マッフィル
礼拝室中央に大きなムアッジン用マッフィルがあるのは他にないので、是非とも見たかったのだが、養生の幕の中だった。礼拝室の真ん中にあるのは、礼拝室内が広すぎて、偏った場所だとムアッジンの声が届かないことを考慮してのことだったのかも。
右上には⑩スルタンのマッフィル
セリミエジャーミイ礼拝室左側 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

⑮ムアッジン用マッフィルの下側には花のような形の装置があるが、これはシャドルヴァンだろうか、まさか水飲み場ではないだろう。自分の目で確かめたかった。
セリミエジャーミイ ムアッジン用マッフィル THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より


⑩スルタンのマッフィル
『望遠郷』は、スルタンは、最も美しいタイルで飾られた特別のマッフィルで礼拝したという。
その姿が他の礼拝者たちに見えないような仕切りがあるが、完成前に亡くなったセリム二世は、実際に足を運んだのだろうか。
エディルネ セリミエジャーミイ スルタン用マッフィル トルコ・イスラム建築紀行より

下のスパンドレルのタイル

エディルネ セリミエジャーミイ スルタン用マッフィル下のタイル装飾 トルコ・イスラム建築紀行より

スパンドレルのタイル

スルタン用マッフィル内部
ここはマッフィルの前室だろうか、スルタンは右手のアーチの向こう、仕切りのある場所で礼拝するはず。
スレイマニエジャーミイのスルタンのマッフィルは、タイル装飾も仕切りもない。シェフザーデジャーミイのスルタンのマッフィルには仕切りはあるがタイル装飾はない。
エディルネ セリミエジャーミイスルタンのマッフィル THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNANより

イズニクタイルをふんだんに使ったマッフィルだが、ミフラーブ左のタイルパネルはかなり傷んでいる。
エディルネ セリミエジャーミイスルタンのマッフィル THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNANより

出入口上のタイル装飾
極彩色のイズニクタイルで覆われている。例外的にあっさりした白地に水色でギザギザが描かれた文様帯があるが、同じ文様帯が最下部を巡っている。
エディルネ セリミエジャーミイ スルタン用マッフィルのタイル装飾 トルコ・イスラム建築紀行より


修復中の礼拝室にはほとんど入れなかったが、養生の幕には写真パネルがいろいろとあった。 
以下はその写真パネルを撮影したもの。

ミフラーブの壁龕から撮影した④半ドームと①主ドーム、そして主ドームの下には入口上の
二段の窓のあるティンパヌン(カーテン壁)と二つの④半ドーム。
その下側もカーテン壁が三つ並ぶが、入口上だけは三連の窓になっている。

⑫女性用マッフィルを支える尖頭アーチの間のスパンドレルにもタイル装飾


ところで、『望遠郷』にはあまり見たことのない図面が掲載されている。

セリミエジャーミイの構造
『望遠郷』は、ドームとミナレの平面図、断面図、投影面をひとつにまとめたもの。ドームは統一を象徴し、ミナレは言葉の力を象徴している。
平面図を書き、そこに各部分の断面図を投影する方法は、スィナンの時代によくとられていた。この図面の作者 P. カルネルッティは、モスクのドームと、下の空間に対するドームの位置を表すのに、この手法を用いているという。
これは平面図に断面図を投影するのはミマールスィナン独特のものだったのだろうか。
エディルネ セリミエジャーミイ平面・断面図 イスタンブール 旅する21世紀ブック 望遠郷2 イスタンブールより


断面図
同書は、この図では、アーチ部分と、八つの支柱をもつドームを青く塗ってある。スィナンによって大小のアーチ列が生み出すリズムともいえるものが初めて取り入れられた。ドームにかかる圧力は八つの控え壁に吸収されている。正面には、対になった窓がいくつも取りつけられた構成となっている。四つのミナレが、モスクの角にそびえているという。
エディルネ セリミエジャーミイ断面図 イスタンブール 旅する21世紀ブック 望遠郷2 イスタンブールより


ミナレット断面図
同書は、中庭側から見たミナレの断面図。ミナレは礼拝の呼び掛けを行う塔である。セリミエ・ジャミイのミナレには螺旋階段が三つあり、それを上るとそれぞれ別の階のバルコニー(シェレフェ)に出る。オスマン建築において、この例はほかにないという。
造っている間にもいろんなアイデアが浮かんできて、楽しみながらそれを採り入れていったのですね、スィナンさん。
エディルネ セリミエジャーミイのミナレット 旅する21世紀ブック望遠郷2 イスタンブールより


参考文献
「THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN」 REHA GÜNAY 1998年 YEM Publication 
「Architect Sinan His Life, Works and Patrons」 Prof. Dr. Selçuk Mülayim著 2022年 AKŞIT KÜLTÜR TURIZM SANAT AJANS TIC. LTD. ŞTI.
「トルコ・イスラム建築」 飯島英夫 2010年 富士房インターナショナル
「トルコ・イスラム建築紀行」 飯島英夫 2013年 彩流社
「イスタンブール 旅する21世紀ブック望遠郷」 編集ガリマール社・同朋舎出版 1994年 同朋舎出版

2025/08/05

ミマールスィナン セリミエジャーミイ以降に建てたモスク


エディルネのセリミエジャーミイが1575年に完成した後もミマールスィナンはモスクを造っているが、イスタンブールに限っても幾つか建てている。
見学した時は年代順ではなかったので、エディルネのセリミエ・ジャーミイの後で建てられたモスクが、セリミエ・ジャーミイのようにミフラーブの壁龕がモスクの建物から突き出ているものが多いことに気が付いた。


建設年:1570-84 建設者:モラチェレビ 
『Architect Sinan His Life, Works and Patrons』(以下『Architect Sinan』)は、フンドゥクルにあるモラチェレビのモスクには建設の碑銘がなく、1570年に着工され1584年に完成したと推定されているという。
エディルネという遠く離れた街に巨大なセリミエジャーミイを建てている最中に建設が始まったとはいえ、こんなに小さなモスクが完成するまでに14年もかかるとは。

平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より 
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④ミフラーブ前の半ドーム ⑤半ドーム ⑥付け柱
セリミエジャーミイと同様、ミフラーブの突出部があり、半ドームが架かっている。
フンドゥクル モラチェレビジャーミイ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より 

②礼拝室 『Architect Sinan』の図版より
フンドゥクル モラチェレビジャーミイ礼拝室 Architect Sinan His Life, Works and Patrons より 

②礼拝室の主ドームの直径は11.8m、それを支える柱が6本のモスク。
現在のドームは色彩に乏しいものだった。

それをミフラーブの壁龕両側の角に⑥付け柱、右側にはミンバル(説教壇)、左側には説教台が設置されているところと、

ドーム両脇の⑥付け柱
壁面や支柱は切石積みになっている。『Architect Sinan』は、キュフェキ石は、主に貝殻(小さなカキの殻を含むことが多い)からなるカキ石灰岩の一種。その最大の特徴は、採掘された後、すぐに加工に適しており、加工が容易なこと。空気に触れると二酸化炭素を吸収し、硬度、耐久性、強度を高める。この特徴から、ビザンチン時代のアヤソフィアや上門壁からオスマン帝国時代のスレイマニエ複合施設まで、イスタンブール全域の建造物の建設において基礎材料として使用されてきたという。
キュフェキ石の特質を際立たせるために、下部の白く塗っていたものを剥がして石の素材を出したのだろうか。

そして、入口側の2本の八角形の支柱と、合計6本の支柱で支えている。

こんな小さなドームでも、支柱には重量塔が設けられていた。


エユップ ザルマフムドパシャジャーミイ Zal Mahmut Paşa Camii
建設年:1577 建設者:ザルマフムードパシャ

平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④付け柱 ⑤独立した支柱
セリミエ・ジャーミイ完成後に建造されたモスクだが、四方のペンデンティブで架構された単ドーム型の礼拝室という古い型式の建物。三方にマッフィルが設けられている分、建物としては大きい。あえてこのようなプランを選ぶとは、ミマールスィナンの選択とは思えない。
エユップ ザルマフムドパシャジャーミイ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

ミフラーブ壁側の壁面と一体化した角柱が2本、入口側にはマッフィルの角に円柱が2本の計4本にペンデンティブが下がってドームを支えている。

礼拝室のレベルとしては三方が柱廊に囲まれているので狭く見える。


建設年:1580 建設者:シェムスィアフメッドパシャ
『Architect Sinan His Life, Works and Patrons』は、正方形の平面を持つこのモスクには、直径8.20mのドームがある。外部には、四つの半円形のドームと四つの窓に囲まれた高いドームが、八角形の基壇の上にあるという。

平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④スキンチ ⑤シェムスィアフメッドパシャ廟
ユスキュダル シェムスィアフメッドパシャジャーミィ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

確かに正方形からスキンチを用いて八角形にし、その上にドームを架構するという、古くからの工法をミマールスィナンは用いている。

外側の四隅に設けられた小さな半ドームは、②礼拝室の主ドームを支える④スキンチの凹面。


トプハネ クルチアリパシャジャーミイ Kılıç Ali Paşa Camii
制作年:1578-80 建設者:海軍大将クルチアリパシャ

平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』 より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④ミフラーブの壁龕にある小半ドーム ⑤主ドーム前後の半ドーム ⑥支柱 
セリミエジャーミイと同様、ミフラーブの突出部があり、半ドームが架かっている。
クルチアリパシャジャーミイ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

礼拝室は奥行きも少なく、両側の側廊も見えて全体に小ぶり。

二つの半ドームと左右の窓の多いティンパヌンと四つのペンデンティブに支えられた大ドームというと、アヤソフィアの大ドームの架構だが、規模は比較にならないほど小さい。


ユスキュダル アティック・ヴァリデ・ジャーミイ Atik Valide Camii
建設年:1571-86 建設者:アティクヴァリデスルタン
説明パネルは、この複合施設は、その大きさの点でイスタンブール最大のものと考えられている。その建設は、セリム二世の妻であり、ムラト三世の母でもあるヴェネツィアのヌルバヌ・ヴァリデ・スルタンの後援の下、1577年に始まり、スルタンの崩御と同じ年の1583年に完成したという。

平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブと半ドーム ④半ドーム ⑤花崗岩の短い円柱 ⑥ミマールスィナンの弟子ダヴードアーによって追加された左右の側廊(上階はマッフィル)
どの書物にもモスクについては詳しく記されていないが、支柱が6本、④半ドーム五つでドームを支えている。セリミエジャーミイと同様、ミフラーブの突出部があり、半ドームが架かっている。
ユスキュダル アティクヴァリデジャーミイ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

大ドームは入口側の2ヶ所、ミフラーブ側の2ヶ所、そして2本の円柱という6本の支柱で支えられているが、半ドームは五つ。

ここでもミフラーブは壁龕のように奥に引っ込んでいる。外から見れば出っ張っている。

花崗岩の円柱は低くて細い。それを補うために元の壁側にアーチで繋げているようだ。


ファーティフ地区 メスィフメフメットパシャジャーミイ Mesih Mehmed Paşa Camii
制作年:1586 建設者:メスィフメフメットパシャ

平面図 『Architect Sinan His Life, Works and Patrons』より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④ミフラーブの壁龕上部の半ドーム ⑤半ドーム
同書は、支柱構造は八角形。シナンの晩年に建てられたもので、シナンの通常の設計とは一線を画しているため、多くの人が建築家ダウドア-の作品だと考えている。
身廊の両側には2層の回廊が増築され、下層部分は身廊から独立し、独立したセクションを形成している。一方、上層部分はアーチを通して開放されている。その結果、エディルネ・セリミエ・モスクにも見られるように、内部空間は上に向かって広がり、非常に独特な照明効果を生み出している。装飾タイルと大理石のミンベル(説教壇)は興味深い。中庭、奉行の天蓋付き墓、そして背の高い花崗岩の柱が並ぶ、ソンジェマアトイェリの二重のポルティコは、特別な場所にいるような感覚を与えてくれるという。
メスィフメフメットパシャジャーミイ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

④ミフラーブの壁龕が出っ張っている。④⑤の半ドームは共に低いので、②礼拝室のドームやドームを巡る八つの重量塔が高く見える。
セリミエジャーミイと同様、ミフラーブの突出部があり、半ドームが架かっている。
メスィフメフメットパシャジャーミイ THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

②礼拝室の主ドーム
内部から見上げた図版では8本の支柱と八つのペンデンティブでドームを支えている点で、エディルネのセリミエジャーミイのドームとあまり変わりがない。
メスィフメフメットパシャジャーミイ THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

支柱は角形で礼拝室内では目立たない。
メスィフメフメットパシャジャーミイ THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より


ファティフ地区 ニシャンジュメフメトパシャジャーミイ Nişancı Mehmd Paşa Camii
制作年:1584-87 建設者:ニシャンジュメフメトパシャ

平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』 より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④他の半ドームよりも大きな半ドーム ⑤半ドーム ⑥付け柱
このモスクもセリミエジャーミイと同様、ミフラーブの突出部があり、半ドームが架かっている。
『『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』は、シナンの八角形プランの発展において重要な一歩を踏み出したことが明らかになる。たとえ彼が高齢で新しい設計を思いつくことはできなかったとしても、この偉大な巨匠は以前に構想した構想を着実に実行に移していたに違いない。ここでは中央ドームはもはや単純な正方形の構造にはめ込まれておらず、カドゥルガ・ソコルやモッラ・チェレビの場合と同様に、モスクは単一のメインドームとそれに統合されたセミドームで覆われた、真に一体化した空間となっている。しかしながら、この基本的なデザインの統一性は、入口とその周辺を覆う二つの回廊型ヴォールトによって損なわれているという。
ミマールスィナンは正方形平面にドームを架けるところから初めて、六角形平面にドーム、八角形平面にドームと工夫をしていって、アヤソフィアのドームを超えるとされているエディルネのセリミエジャーミイを造り上げた。ミマールスィナンの凄いところは、それで引退せずに、更にその先を目指していることだ。
ニシャンジュパシャジャーミイ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

キブラ壁へとジグザグに狭まる外観は独特。
カラギュムリュクはファティフ地区の中の小地区名
ニシャンジュパシャジャーミイ外観 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

②礼拝室の主ドーム
同書は、モスクは南北軸に沿ってジグザグに徐々に狭まり、キブラを強調する効果を生み出しているという。
とはいえ、上を見上げても支柱が8本のドームとしか思えない。
ニシャンジュパシャジャーミイ THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

同書は、それほど大きくないドームは、バットレスとして機能するジグザグの壁によって支えられている。それまで多くのモスクでバットレス壁のように重厚なままだった南面、すなわちキブラ壁にも、スィナンはついに、本来の格調を与えることに成功した。
これらの特徴はすべて、このモスクがスィナンの発展においていかに重要な段階を象徴しているかを示しているという。
外観は直線的なジグザグなのに、ドームの支柱は円柱風の付け柱。
ニシャンジュパシャジャーミイ THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より


ところで、このファティフ地区には地区名になったファティフジャーミイ以外に上の二つのモスク、そしてミマールスィナン自身が奉献した小さなマスジドもある。 

征服王メフメト二世が建てたが地震で倒壊し、18世紀に再建された広大な敷地にキュッリエ(複合施設)が並ぶ壮大なもの
②ミマールスィナンマスジド(Mimar Sinan Masjid トルコでは小規模な礼拝施設をマスジドと呼ぶ) 
Google Map では 別の場所として出てくるが、Akşemsettin & Şehit İbrahim Küçük Parkı という公園内にある。
Google Map の写真の中に説明パネルがあった。
1573年にミマール・スィナンが自身の慈善事業として建設した。1918年のチバリ・ファティフ火災で焼失した。1976年、モスクは財団総局によって再建され、一般の礼拝のために再開された。長方形の構造で、寄棟屋根。
モスクは、開放型のイーワーン様式のユニットと完全に閉鎖型のイーワーン様式のユニットが一つずつ隣接して配置されている。冬季用と夏用である。夏季用のユニットはL字型で、ミフラーブのある礼拝エリアを部分的に囲んでいる。現在、このユニットは少し拡張され、ナルテックスとして使用されている。このエリアのファサードは2本の柱で三つに仕切られており、壁の開放側はガラスケースで覆われている。
この建造物の最大の特徴は、高さ10mのミナレットで、ミナレットは中庭への入口の横に位置し、八角形の本体と石灰岩製の小さなドームを備えているという。

③メスィフメフメトパシャジャーミイ 
Google Map では Mesih Ali Pasa Cami になっている。

④ニシャンジュメフメトパシャジャーミイ 

ⓐフェヴズィパシャ通り Fevzi Paşa Cd. ⓑアドナンメンデレス大通り Adnan Menderes Blv. 

ファティフ(またはファティ)地区の地図 Google Earth より


①は見学したことがあるが、②③④はいつの日にか行ってみたい。



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参考文献
「THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN」 REHA GÜNAY 1998年 YEM Publication 
「トルコ・イスラム建築」 飯島英夫 2010年 富士房インターナショナル
「トルコ・イスラム建築紀行」 飯島英夫 2013年 彩流社
「Architect Sinan His Life, Works and Patrons」 Prof. Dr. Selçuk Mülayim著 2022年 AKŞIT KÜLTÜR TURIZM SANAT AJANS TIC. LTD. ŞTI.