ローマ時代の円形劇場 『イラスト資料 世界の建築』より
『イラスト資料 世界の建築』は、演奏場は半円形の大きさに縮小し唱歌隊の使用を廃して貴賓席となり、現代劇場の特別席に相当した。踊るためには使用されなかった。その結果、舞堂はますます重要となり、観覧者の注意はここに集中したという。
❶テアトロン(観客席) ❷ディアゾマ(通路) ❸オルケストラ(演奏場) ❹スケネ(ギリシア時代は支度部屋、ローマ時代は舞堂)
エフェソス(トルコ)円形劇場 1995年に見学(フィルム時代)
この時は円形劇場の中に入れなかったので詳しい写真はない。
両端に家型のトンネルが見える。ここから観客たちが観覧席へと向かったのだろう。
ボスラ(シリア)の円形劇場 1997年に見学(フィルム時代)
玄武岩の切石で造られた劇場は、もっと黒い印象があったが、意外と白ぽい。
パルミラ(シリア)の円形劇場 1997年見学(フィルム時代)
上の三つの円形劇場と比べると❶テアトロンは格段に小さい。そのせいか、❹スケネが大きく感じる。
ポンペイ(イタリア)の円形劇場 2010年に見学(デジカメ時代)
『完全復元 ポンペイ 2000年前の古代都市』は、この土地が劇場の建設地に選ばれたのは、溶岩の尾根に立つ古い神殿へとつづく斜面だったからである。とくに古代ギリシアでは、劇場のもつ宗教的意味あいが色濃く、まさに格好の場所だった。階段状の観客席 (カウエア) の2/3は自然の岩山を利用してつくられているが、残りの席はオプス・インケルトゥム (乱層積み)の構造物でたくみに支えられていた。
残された碑文によれば、現存する劇場はホルコニウス十字路の4脚アーチを建設したのと同じホルコニウス一家の出資で修復されたもので、実際の施工には解放奴隷のマルクス・アルトリウス・プリムスがあたったという。
平面図 同書より
Aオルケストラ B下段席 C中段席 D環状入場路 E舞台 F舞台袖通路 Gボックス席
オスティア・アンティカ 円形劇場 2017年見学(もちろんデジカメ)
劇場は半円形で舞台の建物は失われている。
『望遠郷 ローマ』は、劇場は、浴場と並んで古代ローマ都市を特徴づける施設である。この劇場はアグリッパによって建てられ、2世紀末にコンモドゥス帝が一部修復させた。この修復後は、 約4000人を収容できたという。現在の外観、とくに階段席と列柱廊は1927年の大修理によるものであるという。
リヨン、フルヴィエールの丘 円形劇場
❻スケネは残っていない。
同書は、劇場の上には、総督の住居であると考えられている豪華な宮殿が建てられており、おそらく前16-13年にリヨンに滞在していたアウグストゥスの住居であると考えられている。
古い仮説によれば、この原始的な建物には当初、屋根付きギャラリーに囲まれた2段分の階段しかなく、その収容人数は5000人の観客を超えなかった。ハドリアヌス帝の治世下、120年頃にに拡張され、3列目の観覧席が追加され、収容人数は1万席に増加した。
1980年に行われた建物の再読により、別の仮説が提唱され、最初の劇場には当初から3段の観覧席があったが、もともと木造だった上部のギャラリーは後から石段に置き換えられたという。
ローマ劇場の復元模型
ところで、ギリシアの円形劇場は斜面を利用してオルケストラ(観客席)を建造したが、ローマ時代の円形劇場はどんな構造になっているのか。
それはフランスのカオールで、現在は地下駐車場の工事中に発見されたローマ時代の円形劇場の遺構にあった説明パネルの図面で理解できた。
説明パネルは、円形闘技場は、舞台を巡る観客席の段は外側のアーケードの層に呼応している。最も大きなものは、3-4層のアーケードがあり、57mもの高さがあった。ディヴォナの円形闘技場は、後1世紀中葉に建造され、高さ5.5m長さ55mが保存されており、半円アーチの大きな壁面を見ることができる。扶壁で支えられ、後部に広い出入口と呼ばれる通行用の開口部があるという。
参考サイト
参考文献
「イラスト資料 世界の建築」古宇田實・斎藤茂三郎 1996年 マール社
「Guide de la colline de Fourvière et du Vieux-Lyon」Editions aux Arts 2000年



















