お知らせ

忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。
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2026/08/11

刺繍による仏画


中国では仏画に刺繍を用いるということが行われていた。

刺繡楊柳観音像 元時代、元貞元年(1295)頃 愚極智慧賛 淡黄平絹地、刺繡 縦59.8横37.7㎝ 京都国立博物館蔵
『宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録』は、補陀落山をあらわす海中の巌上に、くつろいだ姿で坐す楊柳観音。観音菩薩が住むという補陀落山の様相が、金色まばゆく刺繍されているという。
京都国立博物館蔵 刺繡楊柳観音像 宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録より

金の平箔糸の繍技が卓越している。右半身を覆う衣の全体には変り輪違い文様を詰め、その縁に亀甲文様、右肩から左腕をめぐり腹にかかる衣には、全体に菱繋ぎ文様を詰め、縁は渦文様、左肩から胸へ垂れる衣と袴には平箔糸が斜めに配され、それぞれ、黄糸による駒繡風の綴じが0.5-1㎜の間隔でほどこされている。金の平箔糸は幅約0.5㎜で、断面が二層になる分厚い紙を支持体としており、竹紙の一種と考えられる。また通例の駒繍では金糸の端を基布の裏にて処理するが、本作では各区画の際で端正に切り揃えてあるという。
とても細かい文様で、単眼鏡を忘れていたこともあり、暗い展示室ではそれぞれを確認することができなかった。
亀甲文様についてはこちら
京都国立博物館蔵 刺繍楊柳観音像部分 宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録より 


拡大してもよく分からないので検索していると、京都国立博物館の学芸員をされていた切畑健氏の元貞元年賛刺繡楊柳観音像(京都国立博物館蔵)についてというページを見つけた。

まず同ページは、肉身部は無撚りのきわめて細い糸を用いて、繊細な刺し繍いとする。色は黄で金色を意図すると考えられる。
特に注目されるのはその着衣の刺繍で、特殊な金糸を用いて、間隙なく駒繍糸の綴じあげによって纏いつめているという。
同ページの挿図1で胸元に下がる瓔珞と刺し繍い肉身部が確認でき、挿図3で右肩に掛かる大衣の縁部にくるくると伸びる大まかな蔓草文様(唐草文様)もよく見える。挿図4により藍色の三条に分かれた垂髪の間に菱繋ぎ文が見えてきた。
京都国立博物館蔵 刺繍楊柳観音像部分 宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録より 

もう少し下まで見ると、中心から6枚の花弁が開いたような変わり輪違い文が見えてきたのも、同ページの挿図2のおかげ。
京都国立博物館蔵 刺繍楊柳観音像部分 宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録より

同ページは、袴は左肩と同じく斜のつめ繍(ただし立てた左足は竪の平行繍)、表着の縁部には小亀甲を纏いつめるという。
斜のつめ繍や竪の平行繍は探しやすいが、同ページの指図5のおかげで、左手首上の葉っぱのような縁部に小さな亀甲文を見つけた。
京都国立博物館蔵 刺繍楊柳観音像部分 宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録より

左の方を見ると、挿図4の菱繋ぎ文や挿図3の唐草文もある。
京都国立博物館蔵 刺繍楊柳観音像部分 宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録より 


前回の元時代にも登場する善財童子では多様な年頃に善財童子が登場したが、この善財童子は童子形と言っても良いだろう。
同ページは、善財童子の頭光によればもとは同じく金糸の綴じあげであらわされたものが、すっかり剝落した状態と知られる。
波は平金糸1本の綴じ上げと、萌葱糸の割り刺繍を交互に配して表わすという。
青海波文様のように交互に波頭が配される波文がいい感じ。
京都国立博物館蔵 刺繡楊柳観音像 宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録より

なお、この一幅は用いられている俵装の裂地もきわめて優秀で、早くより大切にされて来たことがうかがわれるのであると切畑健氏も述べておられる。




関連記事

参考サイト

参考文献
「宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録」 2025年 京都国立博物館


2020/10/16

織部の文様 幾何学文


志村ふくみ氏に「織部段」(1987年)という作品があって、若い頃からデフォルメされた織部のやきものが面白く、見ていて楽しかったことを、志村氏の作品を見て思い出した。
はて、どんな文様があったかいなと『織部の文様』という本を久しぶりに手にとってみた。
 編者の河原正彦氏は京博の元学芸員で、刊行されなくなって久しい至文堂の『日本の美術』でも多くの号を編集されていたが、2017年に逝去された。

同書は、豪華絢爛といわれる桃山時代の歴史的風土のなかで、育まれた織部焼は、他に類をみないデザインを織りこんでいた。その息吹を感じとり、美濃地方に点在する古窯址から発掘された陶片をもとに出版されたのが、加藤卓男編の豪華本『織部の文様』(1985年 光村推古書院発行)である。しかし、現在古書としても手に入れることは難しく、それは惜しくも絶版となっている。
本書は、それに百余点の資料を新しく加え、さらに織部焼の食器としての位置づけを説いた最新の論文によって、織部の真相にせまり、再編集して入手しやすい普及版として刊行するものである。
美的とは言えないにしても、自由奔放、豊饒、土の香りのする溢れくる命ともいうべき「かたち」と「文様」から、織部焼の魅力を汲み取っていただけることを期待してやまないという。
従って、同書の図版はほとんどが部分的に残った陶片になる。

河原氏は同書の「料理と食器と誂えと」で、従来、桃山時代を代表する「やきもの」(陶器)といえば、茶碗や水指、花入や香炉、香合など、いわゆる狭い意味での「茶陶」が圧倒的に多く、その代表的な器種とされてきた。
狭義の「茶陶」に加えて、この時代に新しく登場し、時代を代表する新しい造形性と機能性をみごとに発揮したのは、料理のための器、「飲食器類」ではなかったかと考えている。
つまりそれは、茶の湯の深まりと茶碗や水指、そのほかの茶道具の選択や創造性だけが、桃山陶芸の牽引力となったのではなく、この時期にこそ、この時代らしい豊かな暮らしぶりが生み出した飲食器類、なかでも「小皿」や「小鉢」、「向付」や「皿」、「平鉢」、「「深鉢」、「蓋物」などに、新たな創造性の存在を見いだす必要性があるのではないかと考えている。
その意味で、ここではもう一度桃山時代の「やきもの」、なかでも美濃地方に展開された志野や織部の実像にせまり、さらには、美濃地方の陶芸を特色づける「織部」と呼ばれる一群のデザイン、得意な意匠性について、今日ややもすれば忘れがちである過去に発掘・採集され、貴重な資料として伝えられている「陶片」を中心に、考察を深めていきたいと考えている。
いうまでもなく今回、この図録に収録されている美濃の「志野織部」、「総織部」、「青織部」、「鳴海織部」、「弥七田織部」などの陶片は、こうした昭和5・6年(1930・31)から第二次世界大戦に及ぶ時期に、乱掘され、または採集され、いろいろな経路をたどって、いまの施設や個人の場所で保管され、所蔵されてきたものである。
しかし、こうした一片の「陶片」から、その完全な姿形を思い描き、文様や釉薬、なかでも鮮烈な織部の緑釉の美しさや変化の様子を楽しみ、絵画的なヒゲや意外性の強い斬新な文様構成などから、この時代の息吹を感じ、さらには実際に「陶片」に触れ、握って視覚的なものと同時に、触知的な感性を呼び覚ます経験は、「ものを楽しむ」日本人としての新しい鑑賞の領域を圧し広げていったと確信している。とくに食器を手にもち、唇に触れる日本人の食事習慣が独特の「触知的な感性」を形成し、ある意味では日本人の「美的規範」を形成してきているものと確信しているという。

「織部」の作風と文様
同書は、織部焼の器種やその造形、さらにそれにほどこされた文様、意匠には独特のものがある。
飲食器に施されている文様について見ていくと、一種類だけの文様素材を使うのではなく、複数のものを組み合わせて使う「複合的文様」構成をなしていて、基本的には日本の文様構成を特色づけるものの一つであるということができる。
そして従来から指摘され、言及されてきたとおり、織部焼の意匠とそれよりわずかに先行する染織品である「辻が花染」との関連性や共通性については、時代の好みであるとともに都市部で流行した最先端の意匠の導入であったことが具体的に指摘されている。
そして織部の緑釉の使い方が、器形を二分するように、片身替わりや段、対角の両隅に緑釉を施し、中央を書き絵の文様帯にするなど、緑釉の使用の効果は抜群であり、桃山時代を特徴づける構図取りであるということができる。そして文様の素材は、各種の縞文様、格子、段、島取りなどをはじめ、石畳、鱗、亀甲、松皮菱、扇面、矢襖、桐、菊、松、竹、蓮、葡萄、桜、梅、椿、桔梗、竜胆、萩、沢瀉、薄などのほか、各種の草花、波濤、千鳥、鷺、渡鳥、もろもろの道具にも及び、文様素材は枚挙に暇ないほど多様であるという。
その中で今回は幾何学文。

縞文様 
『大織部展図録』は、幾何学文様のなかでも、織部の意匠を特色づけるものは、何といっても各種の縞文様であろう。縞文様は、染織品の織技から生まれる幾何学的な文様で、大きく分けると縦縞、横縞、縦横縞(格子縞)になり、縞柄の名称もその時代によってさまざまな異なった名前がつけらけているという。

また『織部の文様』は、織部焼や志野織部の意匠では、太めの縦縞や細縞、よろけ縞、それぞれ太縞と細縞、太縞の間によろけ縞を入れるなど、両者を組み合わせた縦縞や横縞などがあるが、単に縞だけの文様ではなく、山道や鋸歯文とうまく組み合わせて変化をつけ、あるいは矢襖など具象的な文様と組み合わせて、一つの完結した文様部分を作っているという。

縦縞文
太縞と細縞が2本ずつ、その太さも間隔も一定せずに自由に描いている。
口縁部には斜格子文。点文が枠にはまらないののも織部焼らしい。
青織部縦縞文筒向付

口縁部には織部釉がたっぷりかかっているが、青色の発色が良くない。温度が上がりすぎたのかな?
太い縦縞、ではなく、2本の細縞の間を薄い織部釉で塗りつぶしている。
青織部縦縞文筒向付

よろけ縞文

青織部よろけ縞文筒向付
よろけ縞だけが縦に並ぶが、文章を草書風に適当に崩して書いたようにも見える😊
青織部よろけ縞文筒向付

青織部縦縞文筒向付
細い縦縞とよろけ縞が交互に並ぶ
青織部縦縞文向付

志野織部横縞に波文鉢
おそらく丸い平鉢の見込に描かれたもので、よろけ縞がおおきく描かれているので、波文と呼ばれている。というよりは、波のイメージを縦にも表したことから「よろけ縞」という名が付けられたのだろう。
志野織部横縞に波文鉢

矢襖文

志野織部横縞に矢襖文筒向付
口縁部には胸壁らしきもの。その胸壁は二重線で描かれている。
その下に矢襖。適当に間隔をあけて、矢が描かれる。横縞も適当な間隔。
釉薬はなめらかに溶け、緋色も出ている。文様が戦に関わるモティーフなので、黒っぽい鉄絵が力強く合っている。
志野織部横縞に矢襖文筒向付

志野織部横縞に矢襖文筒向付
矢襖文といっても四方に2本ずつ?胸壁は一重
志野織部横縞に矢襖文筒向付

横縞文

志野織部横縞文筒向付
胸壁は太線の両側に細線を配している
その下に葉ほぼ等間隔で横縞文が描かれる
志野織部横縞文筒向付

弥七田織部横縞文筒向付
太さの異なる太い横縞の間に細い横縞を1本入れたり、2本にしたり
弥七田織部横縞文筒向付

弥七田織部横縞文筒向付
2本の細い線の間に鉄釉をさしている
弥七田織部横縞文筒向付

斜線文

志野織部縞文鉢
太線と細線を斜めに描く。鉄釉が赤く発色せず、黒くなってしまった
志野織部縞文鉢

襷文

志野織部襷文筒向付
X文・斜格子などと表現してしまいそうだが、襷文という良い表現があった
志野織部襷文筒向付

網目文

青織部網目文向付
斜格子文と点文
青織部網目文向付

青織部網目に亀甲文向付
亀甲文が単独で表される
青織部網目に亀甲文向付

青織部網目に縞文向付
網目文とその交点に点文が配される。網目文は直線が一般的だが、曲線というか、よろけ縞が交差しているというか・・・🤔
青織部網目に縞文向付

格子文

青織部格子文香合
格子文様だが、縦には太縞と細縞が交互に描かれる。
青織部格子文香合

青織部格子文筒向付
縦横ともに太い縞と細い縞が交互になって、細縞の交差部に点文が4つ
織部格子文筒向付

志野織部格子文向付
砂の上に指で描いた五目並べのよう😁
志野織部格子文点文向付

青織部格子文向付
銅を青く酸化焼成するところが、還元焼成になってしまって赤く焼き上がった
青織部格子文向付

青織部幾何学文向付
2本の細線と点文の組み合わせでこんな文様もできるのかと思ったが、サントリー美術館蔵織部四方蓋物内側の太鼓橋の図柄(下図版)を真似て描いているうちに、本来の図からかけ離れた文様になっていったのでは🤔
青織部幾何学文向付

織部四方蓋物 内側 桃山時代 17世紀 高さ9.27幅20.0奥行18.0㎝ サントリー美術館蔵
『大織部展図録』は、内側には蓋表と同じ反転した鹿の子文と太鼓橋が鉄絵であっさりと描かれているという。
サントリー美術館蔵織部四方蓋物内側

織部鉢 桃山時代 17世紀 高さ6.3幅22.0奥行19.8㎝
『大織部展図録』は、斜めに銅緑釉を掛け、片身替わりとし、白地には枡を点と線で繋ぎ規則正しく並べ、外側面にはV字の文様が連続する。鉄絵は細く繊細だが、銅緑釉はたっぷりと掛かるという。
点文と線だけで、無数の文様をつくることができる👏
織部鉢 桃山時代 17世紀

格子の中にXを一つ一つ置いている。光悦垣は斜格子だが、縦横の格子に斜格子を組み合わせた竹垣でも表しているのかな?というよりも、筆の運ぶままに、思いついたものを描いたのだろう。
志野織部格子にX文向付

市松文様
おそらく焼き上がりがよくなかったので、ものはらに捨てられたのだろう
青織部市松に梅鉢文重扇面向付

青織部亀甲形向付 桃山時代 口径13.8-14.0足付高4.1㎝ 個人蔵
『古田織部展図録』は、3つの六角形を組み合わせた形である。織部の向付のうちでも古態を示している。
見込みは3つの六角形の輪郭を描き、その内に梅花文・網目文など織部が他の道具でも好んだ文様を描く。筆遣いはやや粗く線が太く、躍動感があるという。 
織部釉のところに布目のようなものが見られる。それは、織部釉がはみ出さない工夫?
古くからある亀甲繋文がこんな造形になるとは😄
個人蔵青織部亀甲形向付

茶碗の幾何学文様

黒織部茶碗 桃山時代 17世紀 高さ7.7口径11.4-13.9㎝ 
『大織部展図録』は、高台脇に古田織部の花押を鉄絵で記す。
典型的な沓茶碗で、黒釉の掛け残しをつくり、丸や四角、点の幾何学文様を描いている。謎の多い古田織部と織部焼とを直接結ぶ貴重な作品であるという。
口縁部の形も高さもちがう「へうげの極み」のような豪快な茶碗に負けない文様が描かれている。
黒織部茶碗

黒織部茶碗 桃山時代 17世紀 高さ6.5-7.8口径10.2-13.8㎝ 銘わらや 五島美術館蔵
『大織部展図録』は、正面を避けて鉄釉を左右に掛け分け、掛け残した正面には縦筋に丸や三角などの幾何学文を筆で描き、長石釉を掛けている。轆轤成形したのち、大きく力を加えて楕円に歪めているという。
上の茶碗と比べると、同じく「へうげ」ていてもオートクチュールを纏った貴婦人のよう。
五島美術館蔵黒織部茶碗

黒織部茶碗 桃山時代 17世紀 高さ7.3-8.5口径10.5-15.0㎝ 梅澤記念館蔵
同展図録は、見込みには掻き落としで文様が施されている。文様は葦と鶴とも百合文とも解されるが、筆で描かれるのではなく、掻き落とし文のみの黒織部茶碗は希少である。正面にも見込みと同様の文様と、∧の彫文が施され、他に類例のない作であるという。
口縁部はこの3碗の中では最も力強い。「∧」の文様がなかったら、幾何学文様に分類できない😓
見込には、走っている人物が線刻され、その人物を取り巻いているような動物は、ドローンで上空から見下ろした尾の長い馬とか😁 ←たわけもの🦔
梅澤記念館蔵黒織部茶碗

黒織部茶碗 桃山時代 高さ8.2口径11.4-13.9㎝ 相国寺蔵
『古田織部展図録』は、白窓には銹絵で異なる幾何学文様をそれぞれに描くが、各窓の右側の鉄釉の部分に、窓と同系統の文様を掻き落としで描いているので、あたかもネガとポジを並べたように見える。白と黒の背景はよく似ているが文様は異なる二種の絵による片身替わりとなっているという。 
陶工が楽しみながら制作しただろうなと思わせる作品である。
相国寺蔵黒織部茶碗

『大織部展図録』は、近年では、考古学的には様々な知見が増加し、また、茶の湯に関する文献の研究も進展を見せ、再編集なことが明らかになりつつある。とくに、文禄・慶長の役に関連して、その多くが強制的に渡来させられた朝鮮王朝の陶工たちが開窯した西日本諸窯のやきものは、日本陶磁史に新たな流れをつけくわえた。この流れは既存の窯業にも影響を与え、日本陶磁史は中世からいっきに近世的な様相を見せることとなった。なかでも、穴窯から登り窯への転換は、熱効率の向上による品質の転換や生産高の増加をもたらし、陶磁器の流通にも、大きな影響を与えることとなった。このことは、日本陶磁史に新たな広がりを生むこととなり、それがまさに、織部の時代と重なるのであるという。

桃山時代から江戸時代初頭には、利休の真形(しんなり)から織部のへうげ(ひょうげ)へ、そして遠州の綺麗さびへと茶陶の好みもどんどんと変わっていく、興味深い時代である。

                  →織部の文様 吊し柿と花の蕾

参考文献
「織部の文様」 河原正彦編・兼本延男写真
「古田織部四〇〇年忌 大織部展 ORIBE」 大織部展実行委員会 2014年 紫紅社
「没後四〇〇年 古田織部展図録」 古田織部展実行委員会 2015年 宮帯出版社


 

2017/12/15

オルジェイトゥ廟の漆喰装飾3 華麗なるドーミカル・ヴォールト


三層目は華麗な漆喰装飾の回廊だった。
『ペルシアの伝統技術』は、漆喰の継ぎ材が用いられるようになったが、豊かな装飾が好まれたため、これらの漆喰の継ぎ材にも浮き彫りが施されるようになった。その後、煉瓦と煉瓦の間に浮き彫りを施した埋め木が嵌め込まれるようになった。最終的には豊かな浮き彫りが全面に施された漆喰の壁が用いられるようになった。この技法はソルターニエのウルジャーイトゥー廟のドームやヴォールトの建築においてその頂点に達したという。
二層目のムカルナスドームにも全面が漆喰装飾の壁になっているものがあった。
それについてはこちら
今回は、三層目の8つの回廊に3つずつあるドーミカル・ヴォールトを見ていく。○数字は回廊の場所を示す。

①-1
遠くから見ると、花のような大小の文様が中央の「花」を中心に展開する。
幾何学文様を構成する組紐は、その中に嵌め込まれた花文の埋め木よりも高く、立体的に作られている。
この面は壁と同じようにレンガの間に埋め木を嵌め込んだものだと思っていたが、一面物の漆喰装飾なのだった。
二層目の壁面では、文様がよくわかるようにズームした写真しか撮っていなかったが、全体を見ると、X字形埋め木4つで作られた菱形を、12個の丸文の埋め木が囲んでいるのだった。

①-2
幅広の六角形の中に六角形更に6点星が入る。
六角形よりも6点星の面が一段高くなっている。
16枚の花弁のある花を中心に、赤い組紐によって幾何学的な文様が織り出されていく。幾何学形の中にも植物文様の埋め木が嵌め込まれている。
漆喰地を組紐の分を残して埋め木の形に彫るときに、細かく分割する線を描いたのだろう。
鈴のような花文と、五弁花文が二色の組紐がつくる幾何学文の中に嵌め込まれている。

①-3
レンガに埋め木を嵌め込まれた壁面と、ドーミカル・ヴォールトの埋め木風漆喰装飾との違いは、実は分かり易いのだ。
ピントが合いきらなかったが、12点星の中心はカリグラフィーが、7点星には葉文、もっと小さな区画には星形を描いた埋め木が嵌め込まれている。漆喰壁を彫り込む場合は、こんな風に上下に交差する組紐も難なくできるだろう。
こんな文様帯も埋め木。

②-1・3、③-1・3
中心に8点星を置き、黄色を帯びた箇所が遠目に「井」字形に見える。
埋め木は、カリグラフィーの他は植物文様だが、それぞれ変化に富んだ文様となっている。
『イスラム芸術の幾何学』は、アラベスク・モチーフと呼んでいて、アラベスク(ペルシャ語ではイスリーミーという)のデザインは、幾何学パターンを補完する。アラベスクの目的は植物界をあるがままに描写することではなく、植物のリズムや生長のエッセンスを視覚的に抽出し、原型(アーキタイプ)としての”楽園の庭”を想起させることにあるという。
なるほど、多様な花々の咲く楽園を表していたのだ。

②-2
ドーミカル・ヴォールトは六角形。中にもう一つ六角形が入り、その内側に6つの六角形が凹凸で作られ、6つで中央に6点星を作っている。
大きな六角形は二重の文様帯から少し高くなっているがは、その中の6個の小さな六角形はそれよりも出ていて、中央の6点星はもっと出ている。
遠目では、大小の花文だけの静かな装飾に見えるが、
やっぱり組紐に囲まれた植物文様の埋め木だった。
2つの六角形の間には赤の組紐で六角形、白の組紐で6点星が作り出され、しかも、組紐どうしが上下に立体交差を繰り返している。
6点星の中には三角形を2つ組み合わせた中に6弁の花を配した12弁の花の埋め木が埋め込まれている。

③-2
白っぽいインスクリプション帯による浅い8点星の中に、イスラームの幾何学文様が展開するが、その中に植物文が表されているので、華麗な印象を受ける。
他の天井は斜行積の三角形面が大きいが、ここではそれが小さくなり、代わりに両側に太い文様帯を構成する。
両端文様帯は、②-2の六角形と六角形の間に配された文様と基本的には同じだが、六角形を作る組紐は白、6点星を作る組紐は赤と、反転している。そして6点星の中には植物文様の埋め木が嵌め込まれている。
ドーミカル・ヴォールトの頂点にはカリグラフィーと組み合わされた8点星の埋め木。その周りには多様な植物文様(イスリーミー)の埋め木。

④-1
剥落部分から焼成レンガ地がのぞいていて、この漆喰面が非常に薄いものだと気付く。
中心の8点星を囲む組紐が六角形・八角形・5点星などを作っており、やはり植物文様(イスリーミー)の埋め木が嵌め込まれている。

④-2
12枚の花弁を開いた花のような文様が幾何学的に配されている。
中央にはソロモンの印章にインスクリプションを組み合わせた円文、その周りに12個の花文が配される。それを12弁の花文を中心にした6つの円花文が囲み、その外側にも・・・と広がっていく。面白いことに、大きな円花文の間に2種類の埋め木が嵌め込まれていて、それが六角形をなしている。小さいので目立たないが、亀甲繋文になっている。
ソロモンの印章について『イスラム芸術の幾何学』は、円の円周上の1点を中心とし、円の中心を通る第2の円を描く。できた交点を中心にして順々に次の円を描くと、中央の円のまわりに6個の円が描かれる。クルアーン(コーラン)に記された天地創造の6日間の理想表現である。この美しくもシンプルな構造は無限に拡げていくことができ、平面を充填する正六角形のタイリングを作り出すという。
正六角形の各辺の中点をひとつおきに結ぶと、正三角形2個からなる六芒星ができる。これはイスラム世界では「ソロモンの印章」と呼ばれ、ソロモン王がこの印章付き指輪を使ってジン(精霊)を使役したとされるという。
蛇足だが、亀甲繋文は正六角形のタイリングと同じ文様にもなるが、その起源は古く、インダス文明(前3千年紀)にすでに文様として使われていて、イランには紅玉髄のビーズ装身具が将来されている。

④-3
白っぽい組紐に緑色が入って涼しげ。
組紐の各所に見える白い線は何だろう?組紐を作る小片の継ぎ目とも思えない。
組紐によって、中央の8点星のまわりに8つのロセッタ、その外側には多様な形の幾何学文が作られていき、その中に多様なイスリーミーの埋め木が嵌め込まれている。
『イスラム芸術の幾何学』は、水平方向に置かれた正方形と斜め向きの正方形を組み合わせると、8個の先端を持つ星形ができる。正三角形2つを組み合わせた六芒星と同じく、これも「ソロモンの印章」と呼ばれる(伝説はひとつではなく、いくつかあるのだ)。この形は、非常に多彩なパターン・ファミリーの出発点となる。
イスラムの幾何学パターンでは、はっきりとした幾何学的ロゼット、つまり中央の星のまわりに花弁形を放射状に配して花形の結晶のようにした図案がよく見られる。このようなロゼット・パターンは、星形モチーフのネットワークとして捉えることも可能であるという。
そして、8点星の周囲に配された8つのロゼットについて同書は、8回対称ロゼットで、8回対称とは、360度回転させる間にもとの形と8回重なる回転対称図形という。
以前深見奈緒子氏に教わったこの甲虫のような六角形を指すロセッタは、英語ではロゼットなのだった。

⑤-1・3
見ようによっては十字形に見えるものと8点星が規則正しく並んでいる。
この組紐は、小さな小さな幾何学形を作り出している。しかも、ほとんどが変形である。
『イスラム芸術の幾何学』は、ペルシャでは幾何学パターンはギリーと呼ばれるが、「ギリー」の文字通りの意味は「結び目」で、植物を想起させるほか、結び目や組紐などが持つ護符的な力も連想させる。帯が交差するパターンは、裏返しても鏡映対称にならない。表裏を反転させると、「上」だったところがすべて「下」となり、「下」だったものは「上」になる。
世界中の宗教やスピリチュアルの伝統はどれも、われわれが見ているこの世界の下には、目に見えず捉えることも難しいが意味にあふれた秩序があって、この世界を支えていると説くという。
幾何学パターンはギリーと呼ぶことにしよう。そう言えば、ウズベキスタンでは、植物文様をイスリミ、幾何学文様をギリヒと呼んでいた。きっとペルシア語由来の言葉だろう。
隅の方を見ると、アラベスク・モチーフの文様帯が凝縮されている。

⑤-2
緑を帯びた12点星を中心にした円花文の周囲に6つの大きな円花文が配されている。
『イスラム芸術の幾何学』は、サブグリッドの中に、六角形の各辺の中点に星の尖端部(角度60度)がくるようにして星形が作られる。この6回対称の星2個をずらして重ねると12個の尖端を持つ星ができるという。
12点星のまわりに12個のロセッタ、その外側に12個の5点星が組み合わされて一つの大きな円花文ができている。
三角形の移行部は三つ葉と六弁の花文、そして長い平行四辺形という3つのモチーフだけで構成されて、しかも非常に平面的に仕上げられている。

⑦-1
花文よりも白っぽい組紐が目立つ。
白い組紐がつくる10点星の中に花文が入り込む。しかも、上から見た花と横から見た花があって、その配置が規則的ではない。
他のドーミカル・ヴォールトの漆喰装飾とはちよっと系統が違うような。

⑦-2 外から見えたドーミカル・ヴォールト
六角形の中に六角形が入れ子に、その中に6点星、更に円形とわずかながら高くなっていく。
中央の円には5点星にカリグラフィーを組み合わせたもの。カリグラフィーには鳥の頭のようなものが出ていて面白い。
円を一回り。
組紐が作り出した様々な幾何学パターンには、植物文様(イスリーミー)ではなく、幾何学文様(ギリー)の埋め木が嵌め込まれている。
菱形の区画には両矢印なども登場する。
右の菱形区画にはL字形のような埋め木、左側は変形ロセッタ。
円を囲む6点星の中は、5点星と変形ロセッタの埋め木。外側の菱形区画は六角形と6点星、そして変形5点星に、イスリーミーともギリーとも言える文様の埋め木が嵌め込まれているのだが、組紐の幅がとても広く、未完成ぽい。
右の菱形区画の中央には、組紐が四角形を作っている四角形の中を通る組紐も変形八角形を作って完結していて、他の組紐へと繋がっていない。そして、左の菱形区画でも、組紐自体が変形ロセッタを2つ作っている。
組紐は蔓草のように、いろんな方向に伸び続けるものではなかったのかな。それとも、職人の遊び心かも。
外側の三角形の区画では、6点星をロセッタが取り巻くように組紐が彫られている。はずなのに、ここでも3つの頂点からロセッタの中に組紐が入り込んで捻れ、蕾のような形を作っている。やっぱり遊んでいる。
ドーミカル・ヴォールト移行部の三角面は、従来通りに上下に交差する組紐が幾何学文様を作っている。埋め木はイスリーミーで、整然と配置されている。
文様帯は蔓草文なのだろうが、その一つ一つが、口を開いた蛇に見えてしまう。

オルジェィトゥ廟の漆喰装飾2 埋め木←

関連項目
オルジェィトゥ廟の漆喰装飾1 浅浮彫とフレスコ画
スルタニーエのオルジェイトゥ廟(ゴンバデ・スルタニエ)

オルジェィトゥ廟のタイル装飾
亀甲繋文と七宝繋文の最古はインダス文明?

※参考文献
「ペルシアの伝統技術 風土・歴史・職人」 ハンス・E.ヴルフ 大東文化大学現代アジア研究所 2001年 平凡社
「イスラム芸術の幾何学 天上の図形を描く」 ダウド・サットン 武井摩利利訳 2011年 創元社