ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2013/07/23
古代ガラス展2 青いガラス
色ガラスの中で一番古いものは青色のガラスだろう。
『古代ガラス-色彩の饗宴展図録』は、固くて透明な石英の粒が、ガラスの原料です。この石は1800度もの高温にならないと熔けませんが、植物の灰やナトロンなどのアルカリ分を加えると、1000度以下でも熔けてガラス化します。銅精錬の際、高温でガラス化した窯壁やスラグ(鉱滓)から、偶然ガラスができたのかも知れません。
現在発見されている最古のガラスはメソポタミアのテル・ブラク遺跡のもので、紀元前2350-前2100年頃といわれています。次に古いのが今回出品されるメソポタミア・エリドゥ遺跡のガラス片です。紀元前2050年頃の青ガラスで、着彩にはコバルトと銅が使われていましたという。
ガラス片 イラク、エリドゥ出土 前2050年頃 ガラス(植物灰) コバルトと銅イオンによる青、一部に金属ナノ粒子または酸化銅による赤色 3.4X3.8㎝ 大英博物館蔵
現在知られている最古の青色ガラスの塊。表面には多数の気泡の痕跡が認められる。本展開催にともなう非破壊蛍光X線分析の結果、コバルトが検出され、人類最古のコバルトブルーガラスであることが判明したという。
このコバルトブルーのガラスで、当時はどんなものが作られたのだろう。
初期のガラスは青色が多く、ラピスラズリやトルコ石を意識したと考えられます。実際に古代メソポタミアの粘土板文書には、「山のラピスラズリ」と「窯のラピスラズリ」という言葉が見られます。またエジプト新王朝時代には、青いガラスが゜「人工のラピスラズリ」とよばれていましたという。
高価な貴石の代替品として、青色ガラスを作っていたらしい。
ブレスレット(部分) エジプト 前20-前11世紀 ラピスラズリ、金 4.8X14.5㎝厚0.3㎝ MIHO MUSEUM蔵
黄金とラピスラズリで構成された腕輪である。ビーズの直径はわずか2ミリと小粒で、ラピスラズリ塊からこの小さなビーズを、ここに使われただけで1100個以上も削り出すのは、なかなか手間であっただろう。両脇の金製金具のビーズ側との合わせ面や、ビーズ8個ごとに間に入れる金具も、ビーズと見紛うよう作り込まれたデザインである。一切手抜きのない技術の高さと、シンプルかつノーブルな美の感性が見て取れるという。
ペンダント メソポタミア 前15-前13世紀 ガラス(植物灰) 本体:鉄による黒と無着色の白 ビーズ:銅イオンによる透明の青 5.0X4.4㎝ 大英博物館蔵
黒色ガラスを用いた円盤形のペンダント。底面は平滑で、突出部には紐通し孔が設けられている。上面は2条の白色不透明ガラスによって区画され、外区に9つ、内区に1つ、紐通しに1つの連珠装飾が施される。連珠はそれぞれ白色不透明ガラスの上に青色透明ガラスを貼り付けており、重層貼付文のビーズを想起させる装飾であるという。
コバルトを使うと濃紺に、銅を使うとトルコ石のような色になる。
青色ではあるが、透明なガラスがこの頃にすでにできていたのか。
方形ビーズ 北メソポタミア 前15-前13世紀 ガラス(植物灰) 銅イオンによる青+アンチモン酸カルシウムによる白濁 3.5X5.0㎝厚1.2㎝ MIHO MUSEUM蔵
こちらもトルコ石のような色に仕上げている。
開放鋳型で鋳造されたもので、繋げばネックレスなどにできるように、上下2本ずつの貫通孔があるという。
以前から、このような細い孔は、工具であけたのか、制作時に何かを入れて後で取り出したのかが謎だった。それについては、別の作品の解説で納得できた。
孔がまっすぐに貫通しており、ドリルなど工具による穿孔とは考えにくい。穿孔する位置に炭棒などを鋳型にあらかじめ仕込み、鋳造したものと考えられているという。
ビーズの文様は何だったのだろう。植物の茎を並べたり、束ねているようにも見える。
ファラオ頭部(おそらくアメンホテプ3世) エジプト 前1401-前1363年 ガラス(植物灰) コバルトによる青+アンチモン酸カルシウムによる白濁 高16.8㎝幅16.2㎝奥行10.5㎝ MIHO MUSEUM蔵
古代のガラス製品にしては大型の部類に入る。顔部分を鋳造した上にコールドカットを施し、目と眉に象嵌を施して磨いて仕上げている。当時の技術ではこのような大型塊を作成することは非常に困難だったようで、唇の下から顎にかれての部分に古代の補修痕がみられる。おそらくは顎の部分は鋳造の徐冷過程で割れてしまったタメ、ホゾ穴を作り、ダボ(木釘)で繋いだのであろう。大まかに鋳造したガラス塊の段階で壊れた部分を繋ぎ、その後に顔全体に磨きを施して成形したという。
MIHO MUSEUMでは平常陳列のエジプトコーナーでいつも見かけていた、やや不気味な顔。欠けているためか、ルクソール西岸クルナのアメンホテプⅢ葬祭殿出土の石造の顔とは雰囲気がかなり違う。
アメンホテプ3世期のガラスは、銘のある青色のものがビーズと蓋付容器、そして白色の蓋付容器と3点出品されている。
他に、王家の谷・西谷アメンヘテプⅢ世墓出土(KV22)のガラス容器断片も見たことがある。
『早大エジプト発掘40年展図録』は、コバルトブルーやスカイブルーを基調とするガラス製容器は、アメンヘテプⅢ世時代にマルカタ王宮で盛んに生産され、特にコア技法を用いた複雑な装飾の多彩色ガラス製品が生産された。ガラス製作技術は、新王国時代初めに西アジアからもたらされ、アメンヘテプⅢ世の時代に最盛期を迎えた。当時、ガラスは珍しく高価でであったためガラス生産は王の管理下に置かれていた。マルカタ王宮、アマルナ王宮などで工房址が発見されているという。
そんな時代だからこそ、このようなガラスの塊の顔というものも作ることができたのだろう。
首飾り エトルリア 前6-前4世紀 ガラス(おそらくナトロン)、金 コバルトと銅イオンによる青 全長50.5㎝ ビーズ:径1.3-1.5㎝ MIHO MUSEUM蔵
コバルトと銅の両方を使って濃紺という色をつくることもあったのか。それともそれがエトルリアガラスの特徴なのだろうか。
表面が銀化した不透明紺色のガラスビーズと、金製ビーズを組み合わせた首飾りである。3種類の金製ビーズのうち、最大のペンダント形ビーズはレンズ豆の形をしており、上部に円筒形金具と2つの円環を付け、粒金細工風に刻みを入れた金線で装飾されている。中央両脇の円筒形ビーズには同様の金線でパルメット文が施され、その他のビーズは無文である。これらは典型的なエトルリアのデザインであるという。
ガラスビーズだけではエトルリアという名前は出てこないが、粒金あるいは粒金に似せた刻みを入れた金線という言葉を目にすると、エトルリアが思い浮かぶ。
パルメット文の粒金風金線というのはわからなかった。
塔門、聖骨函形ペンダント エジプト 前6-前3世紀 ガラス(ナトロン) コバルトと銅イオンによる青 高6.9㎝幅6.6㎝ 平山郁夫シルクロード美術館蔵
エトルリアだけでなく、エジプトでもコバルトと銅で青色を出したようだ。
塔門あるいは聖骨函形の胸飾り。上部突起に紐通し孔が横向きに貫通しており護符垂飾(ペンダント)として着装。鋳造後カットして成形。下方に広がる四角形状で、側面は丸みをもたせているという。
ウジャトの目やアンク、ジェド柱形の護符などはよく見かけるが、このようよな形の護符は初めて見た。
長頸壺 東地中海地域 前3-前1世紀 ガラス(おそらくナトロン、ただし著量の鉛を含む) コバルトと銅イオンによる青+アンチモン酸カルシウムによる白濁 高14.0㎝径13.2㎝ MIHO MUSEUM蔵
青色不透明ガラスを鋳造した、形の美しい器である。ボディのもっとも太い部分にわずかな溝があり銀化が入り込んでいるので、おそらくこの線で上下に分けて鋳造し、再び熱を加えて接着し研磨したものと思われる。口縁、頸部の中間および付け根、高台の内外に刻まれた装飾紐の冴えは、この作品を作った職人の卓越した石彫技術を示しているという。
青い表面を多う白っぽいものは、銀化だと思っていた。この「アンチモン酸カルシウムによる白濁」という言葉が、今回の古代ガラス展では銀化よりも目に付いた。
魚形容器 東地中海地域あるいはイタリア 後1世紀 ガラス(ナトロン) コバルトによる青 高2.3㎝ 5.4X22.4㎝ MIHO MUSEUM蔵
コバルトだけでも濃紺ではなく明るい青色になるのは、濃度によるのだろう。
青色半透明ガラスで鋳造された魚形の容器で、目、口、エラ、ヒレ、尾の文様などを溝で削り出しており、溝の中には銀化が確認できる。器の中央部が平坦になっている。コーニングガラス美術館にこの魚と非常によく似た意匠でサイズの大きな魚形容器が収蔵されている。それは容器の蓋で、身はスペイン、バルセロナのMacayaコレクションにあるという。
魚形の容器には、いったい何を入れたのか。当時スイーツというものがあったのだろうか。
私なら、クッキーやロクムのような干菓子を入れてこの蓋を開けては食べてみたい。
つづく
関連項目
古代ガラス展6 金箔ガラス製メダイヨン
古代ガラス展5 金箔ガラスとその製作法
古代ガラス展とアンティキティラ島出土物 円錐溝ガラス碗
古代ガラス展3 レースガラス
古代ガラス-色彩の饗宴-展はまさに色彩の饗宴だった
粒金細工はエトルリア人の発明ではなかった
ジェド柱は葦を束ねたものか?
その他ガラス・ファイアンスに関するものは多数
※参考文献
「古代ガラス 色彩の饗宴展図録」 MIHO MUSEUM、岡山市立オリエント美術館編 2013年 MIHO MUSEUM
「吉村作治の早大エジプト発掘40年展図録」 2006年 RKB毎日放送株式会社
2012/02/07
アンティオコスⅠの右腰に付けているのはアキナケス型短剣
ネムルート山西のテラスには石像と並んで王権神授を主題にした浮彫石板が並んでいた。現在は博物館にでも収蔵されているのか、見ることはできなかった。
『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、国王の王権神授を表した。国王と神が右手で握手(デクシオーシス)をしている点を特色とするという。
そのような場面で、浮彫にはアンティオコスⅠの右腰に装飾的な剣が提げられている。
『コンマゲネ王国ネムルート』は、刀の鞘にもライオン頭の飾りが5つ見えるというがよくわからない。
ネムルート山近くのアルサメイアにもアンティオコスⅠとヘラクレスが握手する浮彫が残っている。その描きおこし図でライオンの頭部がはっきりと表されている。
それと同時に、この短剣は環頭になっていることもわかった。
そのような剣はコンマゲネ王国独自のものではない。
短剣・鞘 ロストフ州「ダーチ」墓地1号墳1号隠し穴出土 1世紀後半 金、ザクロ石、紅玉髄、トルコ石、鋳造、打出し、鍛造、鑞付け 長36.5㎝・27.1㎝ アゾフ博物館蔵
『南ロシア騎馬民族の遺宝展図録』は、柄には双峯ラクダと、双峯ラクダを襲う鷲がレリーフで表現されている。裏側には植物文がある。刃には白と赤の顔料が付着しているが、腐ってなくなってしまった革の鞘に塗られていた顔料であろうという。
時代はコンマゲネ王国の短剣よりも下がるが、アンティオコスⅠが儀式の時に提げていたとしたら、おそらくこのような絢爛豪華なものだっただろう。
鞘本体には鷲が双峯ラクダを襲う場面と後ろを振り返るグリフィンが表現されている。
鞘入りのこの短剣は、サルマタイの首長の儀式用軍装に伴うものであろうという。
こちらも儀式用である。
ロストフ州出土の短剣鞘にはライオンではなくフタコブラクダになっている。フタコブラクダは黒海東岸のロストフよりも東の中央アジア以東にしか生息しないといわれているが、隊商が物資の運搬に連れてきていて、見慣れた動物だった可能性もある。
柄の頂部は横向きのフタコブラクダで、その下にワシが横向きのラクダを上から襲っているシーンが表されている。
鞘中央には足を曲げて坐るラクダを上からワシが襲うシーンが4回繰り返され、一番下は丸まったラクダとなっている。突起部は左上だけが獅子グリフィンで、あとの3つは丸まったラクダである。
実用的なアキナケス型短剣とはどんなものだったのだろう。
短剣鞘 ウランドリク古墳出土 木製 パジリク文化(前4世紀)
ウランドリク型に似たものは南シベリアのオグラフティ古墳とコケリ古墳(匈奴のものとされている)からも発見されている。
このタイプの短剣鞘は、4つの穴に紐を通して右大腿部にしばりつけたものであることは、図像によって明らかである。シベリアエヴェンキ族も鞘の形はちがうが、ナイフを右太腿にしばりつけているという。
実用的な短剣の鞘とはこのようなものだったようだ。
アキナケス型短剣は、本来は太腿にしばりつけて使用したものだった。
それが儀礼的な短剣となってからは、右腰に提げるようになったようだ。
古代ユーラシア美術史学者、田辺勝美はこのタイプの短剣鞘が前5-4世紀にアルタイ地方などの中央アジアにおいて「スキタイ、メディア、ペルシャなどのイラン系民族が用いていたアキナケス型短剣の影響を受けて発明せられ、それが中央アジアのイラン系の遊牧民、サルマタイやパルティアに伝播して、彼等が南ロシアやイラン高原・メソポタミアに進出するに及んで、このような地方にも伝播した」と考えている。さらにこのタイプの短剣鞘は、「パルティア文化圏においては、一般の人が佩用するものではなく、ある特定の地位の人間(王侯貴族)が用いる短剣として定着し、それがササン朝ペルシャへと継承されていったのである。」(「ササン朝帝王の短剣に関する一考察」1985)。たしかに、このタイプの短剣鞘はズボンをはいて絶えず馬に乗り降りする遊牧騎馬民において発明され、それがオリエント方面へ伝播したことは充分考えられるという。
では、アキナケス型短剣ではなく、アキナケス剣とはどんなものだったのか。
聖樹と有翼神・動物文の剣と鞘覆い スキタイ(前7世紀末期) ロシア、クラスノダル地区ケレルメス1号墳出土 金・鉄 鞘覆い:長47.0㎝幅14.1㎝ 剣の柄:長15.5㎝ サンクト・ペテルブルグ、エルミタージュ美術館蔵
『世界美術大全集東洋編15中央アジア』は、鉄剣は柄と刃が一体になっており、鐔は蝶あるいは逆ハート形に近い形をしている。このような鐔をもつ剣をギリシアではアキナケスと呼ぶ。アキナケス剣は、いわゆるスキタイの三要素(動物文様、馬具、武器)の一つである武器のなかで、三翼鏃とともに本来スキタイ固有の要素と考えられ、スキタイ時代にはユーラシア草原地帯とその周辺の中国やイラン、ギリシアにも広まったという。
アキナケス剣は、鞘の出っ張りが一つだけで、そこに紐がついている。太腿に巻き付けたのではなく、腰に提げていたらしい。
鞘には前進する鳥グリフィンと弓を引いて前進する鳥グリフィンが交互に4対表されている(下図の矢印は同じ鳥グリフィン)。
パルティア美術圏では、その後もこのようなアキナケス型の装飾短剣を腰に提げることが続いたようで、パルミラの饗宴図にも見られる(中央人物の右腕と右脚の間)。
アキナケス型短剣については、他にもまとめておきたいが、それはいつの日にか。
※参考文献
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」(2000年 小学館)
「世界美術大全集東洋編15 中央アジア」(1999年 小学館)
「南ロシア騎馬民族の遺宝展図録」(1991年 古代オリエント博物館・朝日新聞社)
『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、国王の王権神授を表した。国王と神が右手で握手(デクシオーシス)をしている点を特色とするという。
そのような場面で、浮彫にはアンティオコスⅠの右腰に装飾的な剣が提げられている。
『コンマゲネ王国ネムルート』は、刀の鞘にもライオン頭の飾りが5つ見えるというがよくわからない。
ネムルート山近くのアルサメイアにもアンティオコスⅠとヘラクレスが握手する浮彫が残っている。その描きおこし図でライオンの頭部がはっきりと表されている。
それと同時に、この短剣は環頭になっていることもわかった。
そのような剣はコンマゲネ王国独自のものではない。
短剣・鞘 ロストフ州「ダーチ」墓地1号墳1号隠し穴出土 1世紀後半 金、ザクロ石、紅玉髄、トルコ石、鋳造、打出し、鍛造、鑞付け 長36.5㎝・27.1㎝ アゾフ博物館蔵
『南ロシア騎馬民族の遺宝展図録』は、柄には双峯ラクダと、双峯ラクダを襲う鷲がレリーフで表現されている。裏側には植物文がある。刃には白と赤の顔料が付着しているが、腐ってなくなってしまった革の鞘に塗られていた顔料であろうという。
時代はコンマゲネ王国の短剣よりも下がるが、アンティオコスⅠが儀式の時に提げていたとしたら、おそらくこのような絢爛豪華なものだっただろう。
鞘本体には鷲が双峯ラクダを襲う場面と後ろを振り返るグリフィンが表現されている。
鞘入りのこの短剣は、サルマタイの首長の儀式用軍装に伴うものであろうという。
こちらも儀式用である。
ロストフ州出土の短剣鞘にはライオンではなくフタコブラクダになっている。フタコブラクダは黒海東岸のロストフよりも東の中央アジア以東にしか生息しないといわれているが、隊商が物資の運搬に連れてきていて、見慣れた動物だった可能性もある。
柄の頂部は横向きのフタコブラクダで、その下にワシが横向きのラクダを上から襲っているシーンが表されている。
鞘中央には足を曲げて坐るラクダを上からワシが襲うシーンが4回繰り返され、一番下は丸まったラクダとなっている。突起部は左上だけが獅子グリフィンで、あとの3つは丸まったラクダである。
実用的なアキナケス型短剣とはどんなものだったのだろう。
短剣鞘 ウランドリク古墳出土 木製 パジリク文化(前4世紀)
ウランドリク型に似たものは南シベリアのオグラフティ古墳とコケリ古墳(匈奴のものとされている)からも発見されている。
このタイプの短剣鞘は、4つの穴に紐を通して右大腿部にしばりつけたものであることは、図像によって明らかである。シベリアエヴェンキ族も鞘の形はちがうが、ナイフを右太腿にしばりつけているという。
実用的な短剣の鞘とはこのようなものだったようだ。
アキナケス型短剣は、本来は太腿にしばりつけて使用したものだった。
それが儀礼的な短剣となってからは、右腰に提げるようになったようだ。
古代ユーラシア美術史学者、田辺勝美はこのタイプの短剣鞘が前5-4世紀にアルタイ地方などの中央アジアにおいて「スキタイ、メディア、ペルシャなどのイラン系民族が用いていたアキナケス型短剣の影響を受けて発明せられ、それが中央アジアのイラン系の遊牧民、サルマタイやパルティアに伝播して、彼等が南ロシアやイラン高原・メソポタミアに進出するに及んで、このような地方にも伝播した」と考えている。さらにこのタイプの短剣鞘は、「パルティア文化圏においては、一般の人が佩用するものではなく、ある特定の地位の人間(王侯貴族)が用いる短剣として定着し、それがササン朝ペルシャへと継承されていったのである。」(「ササン朝帝王の短剣に関する一考察」1985)。たしかに、このタイプの短剣鞘はズボンをはいて絶えず馬に乗り降りする遊牧騎馬民において発明され、それがオリエント方面へ伝播したことは充分考えられるという。
では、アキナケス型短剣ではなく、アキナケス剣とはどんなものだったのか。
聖樹と有翼神・動物文の剣と鞘覆い スキタイ(前7世紀末期) ロシア、クラスノダル地区ケレルメス1号墳出土 金・鉄 鞘覆い:長47.0㎝幅14.1㎝ 剣の柄:長15.5㎝ サンクト・ペテルブルグ、エルミタージュ美術館蔵
『世界美術大全集東洋編15中央アジア』は、鉄剣は柄と刃が一体になっており、鐔は蝶あるいは逆ハート形に近い形をしている。このような鐔をもつ剣をギリシアではアキナケスと呼ぶ。アキナケス剣は、いわゆるスキタイの三要素(動物文様、馬具、武器)の一つである武器のなかで、三翼鏃とともに本来スキタイ固有の要素と考えられ、スキタイ時代にはユーラシア草原地帯とその周辺の中国やイラン、ギリシアにも広まったという。
アキナケス剣は、鞘の出っ張りが一つだけで、そこに紐がついている。太腿に巻き付けたのではなく、腰に提げていたらしい。
鞘には前進する鳥グリフィンと弓を引いて前進する鳥グリフィンが交互に4対表されている(下図の矢印は同じ鳥グリフィン)。
パルティア美術圏では、その後もこのようなアキナケス型の装飾短剣を腰に提げることが続いたようで、パルミラの饗宴図にも見られる(中央人物の右腕と右脚の間)。
アキナケス型短剣については、他にもまとめておきたいが、それはいつの日にか。
※参考文献
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」(2000年 小学館)
「世界美術大全集東洋編15 中央アジア」(1999年 小学館)
「南ロシア騎馬民族の遺宝展図録」(1991年 古代オリエント博物館・朝日新聞社)
2009/09/01
首飾りに円筒印章は?3
前2千年紀前半の首飾りや、首飾りをした人物の像はあったが、以降前2千年紀後半までどちらも見つけられなかった。
首飾りのビーズ玉 前13-12世紀 種々の石 長46㎝ マリ、133号墓出土 ルーヴル美術館蔵
『メソポタミア文明展図録』は、マリの墓はどれも装身具をたくさん納めている。それらは男女とも区別なく身に着けた。当時最高の贅沢品は、紅玉髄やラピスラズリのような宝石を用い、ビーズ玉や凝った細工の金の座金と組み合わせたものである。この作品のような少し地味な首飾りは、印章彫刻では需要の多かった瑪瑙、トルコ石、石英、オニックスのような硬い石を用いた。ビーズ玉はサイズがいろいろだったが、当時初めて切り子の偏菱形に作られたという。
円筒印章に使われた石をつないでいるが、この中には円筒印章は含まれていない。
重苦しい印象のする首飾りである。
ビーズ装身具 前1千年紀 ギーラーン州ジューボーン出土 ファイアンス・瑪瑙 イラン国立博物館蔵マリ出土の首飾りよりも軽やかな感じを受ける。
前2千年紀初頭の首飾りにラピスラズリが使われてるのは珍しいということだったが、前1千年紀にはラピスラズリは使われなくなり、同じような色のファイアンスに代わったのだろうか。
石製板浮彫 狩りの後の儀式 前875-860年頃 ニムルド北西宮殿B室石製板20下部 縦90.0横225.0厚10.0 大英博蔵『アッシリア大文明展図録』は、王冠は、帯状髪飾りのついた標準的なものであり、手首にはロゼット文の飾りのついた腕輪をはめている。連珠の首飾りは、王の首の後ろで結ばれた房飾りによってバランスが保たれているという。
房飾りの一方は肩胛骨のところまで、もう一つは幅広のベルトのところまで垂れているので、首飾りの端としたら、太いし長すぎるように思うが、「バランスがとれる」ということは、首飾りがかなり重かったことを示しているのだろうか。
首飾りは2連で、あまり大きな玉はなさそうだ。マリ出土の「切り子の偏菱形」の似た形の玉と小さな玉を繋いでいるようだ。
石製板浮彫 守護精霊 前875-860年頃 ニムルド北西宮殿Z室a出入口 縦224.0横127.0厚12.0 大英博蔵『アッシリア大文明展図録』は、おそらく「アプカルル」と呼ばれる精霊で、王の私的な部屋の入口を守護していた一対の精霊像のうちの一方である。
帯状髪飾りと手首の腕輪にはロゼット文の装飾が施されているという。
精霊の首飾りは、一粒一粒がしっかりと彫られているので形がわかりやすい。前2千年紀後半に、切り子で偏菱形のビーズ玉が初めて作られたというが、もう少し時代が下がるとソロバン玉に近い形になっている。
全く同じ形で同じ配列のものを2連重ねてつけていて、中央のものはやはり髭に隠れてわからない。
王の房飾りよりも短い房飾りが精霊の背中に見えるので、軽い材質のものかも。
レヤード夫人旧蔵の装身具 前2300-350年頃 さまざまな貴石と金 大英博蔵『アッシリア大文明展図録』は、金製の台には、新アッシリア時代の円筒印章を模した山形文の縁飾りが施されたり、アッシリアのライオンの頭部や松かさのモチーフが使われている。円筒印章の1つはアッカド時代(前2300年頃)の作で、4個は前2千年紀の作、そして8個は新アッシリア時代の作である。新バビロニア時代とアケメネス朝時代(前600-350年頃)のスタンプ印章は、ペンダントと留め金の部分に使われているという。
考古学者レヤードが発掘で掘り出したものをこのように加工したのだが、実際にこのような首飾りはなかっただろうなあ。
結局円筒印章を首飾りなどにして身につけている像というのは、どの時代にも見つけることはできなかった。丸彫りの像や浮彫は、祭祀の時に祀られたり、儀式の時や戦いの場面を表したものが多いので、そのような時に円筒印章を身につけるという習慣がなかったのかも。
※参考文献
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」(2000年 小学館)
「アッシリア大文明展図録」(1996年 朝日新聞社)
「ペルシャ文明展 煌めく7000年の至宝 図録」(2006年 朝日新聞社)
2009/08/28
首飾りに円筒印章は?2
エシュヌンナの貴人座像 前2千年紀初頭 イラン、スーサ出土 閃緑岩 高89㎝ ルーヴル美術館蔵
『世界美術大全集東洋編西アジア』は、メソポタミアの東隣エラムの地の中心地スーサからは、数多くのメソポタミア美術の遺品が発見された。これらはどれも前12世紀に、戦利品としてエラム王の手により持ち込まれたものである。そのなかにはテル・アスマル(現エシュヌンナ)から運ばれてきた彫像が何点か含まれていて、いずれも前2千年紀初頭の作品であることが判明している。これらは共通する一定の作風を見せていることから、古バビロニア時代前半の彫刻の概要を知るための貴重な手がかりとなっている。
人物のプロポーションや衣服から出ている右肩・右腕の表現などにとくに大きな誇張は見られない。豪華な縁飾りをつけた丈の長い衣服の輪郭線、胸の前に垂れ下がっている装身具の取り扱い、あるいは衣服の皺を強調した刻線ではなく面の凹凸をつけることによって巧みに表現している点など、自然の感触を重視した作風が見られるという。
王妃の装身具以外は首の付け根にぴったりとした首飾りだったが、こちらはだいぶ長目だ。楕円形と小円形を交互に組み合わせているが、円筒印章ではなさそうだ。残念なことに顎鬚のおかげで中央にどのようなものが下がっていたのかわからない。ヒゲで隠すほど貴重な円筒印章だったのかも。
首飾りのビーズ玉 前2千年紀初頭 テロー出土 瑪瑙、紅玉髄、水晶、ラピスラズリ 長左:約16.5㎝ 右:約11㎝ ルーヴル美術館蔵『メソポタミア文明展図録』は、この2つの首飾りは、鐶で小さなレンズ状の宝石を吊り下げている。きわめて高純度の水晶を加工した玉もある。これらの宝飾品の一つはテローの墓から見つかったという。
紐を通す穴を外側に彫りだした球形が他の時代にない。首飾りとしては短すぎるので、同じくテローで出土したウルク後期の首飾りのように、間隔を開けていたのかも。
それにしても、右側の首飾りは、中央にくるものがハエとは、いくら高価なラピスラズリ製でもね。しかし、装身具にハエの象った物はどこかで見かけたような。
首飾りのビーズ玉 前2千年紀初頭 瑪瑙、紅玉髄、ラピスラズリ、金 長約19㎝ スーサ出土 ルーヴル美術館蔵同展図録は、発掘現場から出土するビーズ玉は、たいてい紅玉髄、瑪瑙、金でできており、ラピスラズリは比較的珍しい。
この小さな首飾りの中心は、大きな長方形のビーズで強調される。また金のビーズ玉は、古典的様式に従ってビーズの軸と平行に、あるいは軸と直角に畝模様が入っているが、直角方向の例は少なくこの時代に特有かと思われる。これら金のビーズ玉はおそらく粘土の芯をもっていると思われるという。
この大きな長方形のビーズなら、文様を彫ると円筒印章になっただろう。
水壺を持つ女神像 古バビロニア時代(前20-19世紀) シリア、マリ(テル・ハリリ)出土 白石 高140㎝ アレッポ国立博物館蔵『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、この彫像は、胴体がジムリリム王の宮殿の奧に位置する中庭から、また頭部がその隣の広い部屋から、それぞれ別に発見された。
女神は角飾りを帽子につけ、大きなイヤリングと腕輪とを飾り、ビーズを連ねた飾りを幾重にも首に巻いている。スカートは襞を5段重ねた華やかなもので、マリの女神の姿に共通する衣装であり、この時代の宮廷の女性の服装を反映していることはたしかであろうという。
当時の宮廷の女性は首が隠れるほどぴったりした首飾りを何連も巻いていたようだが、丸い形から、上の首飾りの金のビーズ玉かも。
ハンムラピ法典碑 バビロン第1王朝時代(前18世紀) イラン、スーサ出土 玄武岩 高225㎝ ルーヴル美術館蔵同書は、この細長い石碑も他の多くの作品と同様に、前12世紀のエラム王シュトルク・ナッフンテによりバビロニアから戦利品としてスーサに運ばれたものである。
石碑の頂部の浮彫りには、右側に玉座に腰掛けた神の姿が、左側にはこれに礼拝を捧げる王の姿が表されている。神は神性を表す角飾りをつけた帽子をかぶり、右手に環と短い棒(または紐)を持っているという。
有名なハムラビ法典碑だが、エシュヌンナの貴人座像ほどには丁寧な表現ではない。地方性というのだろうか。
王も神もそれぞれ異なった首飾りをつけているようだが、長い顎髭に隠れているために、中心にどんな玉をつけているのか、わからない。
フレスコ画 犠牲を捧げる人々 前18世紀 マリ出土 ルーヴル美術館蔵同書は、マリ王宮の中庭からは多くの壁画断片が土に埋もれたまま出土した。
右側に見られるひときわ大きな人物は、王またはひじょうに身分の高い神官と思われるが、彼はこれから犠牲として捧げる牡牛を引く人々の先頭を歩いているという。
牡牛を引く人々は今までみてきた貴石や金の玉と全く異なる輪っかを首に下げている。首飾りにも身分の差があったのかも。
前2千年紀前半でも首飾りに円筒印章は見つからなかった。※参考文献
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」 (2000年 小学館)
「世界四大文明 メソポタミア文明展図録」(2000年 NHK)
2009/08/25
首飾りに円筒印章は? 1
『オリエントの印章』は、円筒印章は紀元前3000年頃になると、芯の部分をくり貫き、ネックレスやブレスレットにしたり、ピンで衣服に留めたりできるようにしたという。残された像に円筒印章を首にかけたり、腕に巻いたりしているものがあるだろうか。
首飾りのビーズ玉 ウルク後期(前3500-3100年頃) テロー出土 水晶と石英 長約40㎝ ルーヴル美術館蔵
『メソポタミア文明展図録』は、水晶を滴やアーモンドの形にカットしたこれらのビーズ玉は、高価な装身具となって、それを身に着けた男女の威信を高めるのに役立った。これらの石は社会階層の頂点を占めたエリートの存在を物語っている。ビーズ玉は散乱して見つかったので、首飾りへの取りつけは近代のことであるが、スーサで見つかった同じ型の首飾りを見ると、滴状の大きなビーズ玉が、通し孔で連ねられたファイアンスまたは頁岩でできた小さなビーズ玉の列と組み合わされていたという。
図版ではもっと黄色がかっているため、石の小さな穴に残った砂が金のようだ。透明であるとことが珍重されたのだろうか。
取り付けが近代のものとはいえ、ビーズ玉の真ん中ではなく、先端に孔があけられていて、現代の作家の作品であると言われれば、そうかと思うようなビーズ玉群である。
しかし、当時の技術では、真ん中よりも端に孔をあけた方が簡単だっただろう。
王妃のアクセサリー ウル第1王朝時代(前2600-2500年頃) イラク、ウル王墓出土 金、銀、玉髄、ラピスラズリ 大英博蔵『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、王妃プアビの墓から発見されたまばゆいばかりの金銀宝石細工は、その発見状況から、多くは頭部を飾っていたものと思われる。金の板を薄く伸ばして紐状にしたり、リング、木の葉の形などに加工したものを、ラピスラズリや紅玉髄のビーズとつなぎ合わせ、 ・・略・・ 貴金属加工の優れた技術と、斬新な意匠が時代を超えて人々の目を釘づけにするという。
この中に円筒印章はありそうにないなあ。
首飾りのビーズ玉 左:前2600-2500年頃 メソポタミア出土 金 長約33㎝ 右:前2600-2500年頃 テロー出土 金、紅玉髄、ラピスラズリ 共にルーヴル美術館蔵『メソポタミア文明展図録』は、双円錐形のビーズ玉はこの時代に特有であり、あらゆるサイズが存在する。これらの玉は繋げて首飾りに用いられた。
もう一方はさまざまな形の金、紅玉髄、ラピスラズリの玉で出来ている。その配列は全く推定の域を出ないが、多種多様な高価な材料のきらびやかな組み合わせは特に尊重されたという。
ソロバン玉の方はともかく、右の細長いものなら円筒印章になりそうだ。
男性立像(背面) イラク、アッシュル出土 閃緑岩 高137㎝ アッカド王朝時代(前2300-2250年頃) ベルリン国立博物館西アジア美術館蔵 『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、アッシュルのアヌ・アダド神殿の東北に位置するジッグラト(聖塔)の東隅付近から発見された。
人物は長く鬚を伸ばしている。ネックレスをつけ、こしに幅のあるベルトまたは帯で固定したスカートをはき、また左肩にも布を掛けている。衣服の裾には縁飾りがついている。これがアッカド期の貴人の典型的な服装であったのだろうという。
貴人男性は首飾りをつける習慣があったらしい。真ん丸の同じ形の玉を繋いでいるが、前面の図版は正面に鬚が下がっているので、中央にはどんな玉があったのか残念ながらわからない。
背面の中央の玉の下には浅浮彫で細長いものがあるが、これが円筒印章ということはないだろうなあ。
ビーズ装身具 前3千年紀後期 シースターン州シャフレ・ソフテ出土 ラピスラズリ、瑪瑙、金ほか イラン国立博物館蔵『ペルシャ文明展図録』は、ラピスラズリの管玉、瑪瑙製の菱形玉など多種多様のビーズが連なった装身具。瑪瑙の縞模様が複雑な色彩効果をさらに高めている。黄金製のビーズが加わる作品もある。それぞれの珠は大きさに若干の違いがあり、絶妙のアクセントを醸し出しているという。
円筒印章のような形の石と金製のビーズが交互に配列されてできた首飾りのようだ。しかし、浮彫のあるものはなさそうだ。
もし円筒印章がこのように首飾りの紐に繋がれていたなら、わざわざ外さなくても、土の上を転がすことができそうだ。
色付きビーズの首飾りを着けた女性の小像 前2000年頃 テロー出土 アラバスター、紅玉髄、トルコ石、金メッキした銅 高2.8㎝長40.4㎝ ルーヴル美術館蔵『メソポタミア文明展図録』は、断片ではあるが、このごく小さな像が貴重な資料であるのは、通常ばらばらで見つかる首飾りの構成要素の配列を、きわめて正確に知ることができるからである。
彫り手は首の周囲に一連の小さな窪みをつけ、そこには紅玉髄、ラピスラズリ、トルコ石、金メッキ-酸化して今は緑色-した銅の粒をビーズ玉として嵌めこみ、3段首飾りを構成している。互い違いに色の変わるビーズ玉は、中央の大メダルの両側に左右対称に振り分けられた。背中の襟の開きの中、金メッキした粒の上に緑色の石の大メダルが見えるが、おそらく首飾りと平衡を保つためであろう。
当時めったに使われなかったトルコ石があることも注目に値するという。
中央に大きな石が嵌め込まれているので、これが背面であると思わなかった。
この首飾りに円筒印章らしきものはついていないが、前面中央になかったとは言えない。
前2000年までには円筒印章を身につけている像も、装身具も見つけられなかった。※参考文献
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」 (2000年 小学館)
「世界四大文明 メソポタミア文明展図録」(2000年 NHK)
「ペルシャ文明展 煌めく7000年の至宝 図録」(2006年 朝日新聞社)
「大英博物館双書④古代を解き明かす オリエントの印章」(ドミニク・コロン著 學藝書林)
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