ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2017/06/16
スキンチ部分のムカルナスの発展
サーマーン廟 943年以前 外観高さ10.05幅10.8奥行10.7m ブハラ
『イスラーム建築考』は、内部の壁の中から、イスマイルの孫、ナスルⅡ(943)の名前の書かれた木札が見つかったため、多少、建立の時期がずれていたとしても、この霊廟の建設は、サーマーン朝の892年から943年間の造営になった墓廟建築であることには変わりはない。後に、イスマイル自身もこの墓廟に葬られたのであるという。
『イスラーム建築の見かた』で深見奈緒子氏は、ゾロアスター教のチャハール・ターク(拝火神殿)を写し取ったような形である。四つのアーチを意味するチャハール・タークとは、聖なる火を祀る拝火壇で、四角い部屋の四方にアーチを開口させ、その上にドームを戴く。
サーマーン王朝時代の文化、つまりペルシアの伝統文化とアラブ・イスラムの文化、それからソグド地方の固有文化の特色をよく具現した貴重な建築物であることはいうまでもないという。
ドームは半球状で、高さを強調することもなく、バランスがとれている。
内部では四壁中央の僅かに尖頭形のアーチの底辺と同じ長さの底辺で、四隅にスキンチアーチが設けられ、その上は底辺と同じ長さの8つの辺で八角形となり、十六角形・円と短い間隔で移行させている。
スキンチアーチとその頂点から隅におりる半アーチ、そしてスキンチアーチに接したレンガ積みの小面で上からの荷重を支えていて、以前は、これこそが支えていると思っていたムカルナス状の曲面は、段々と装飾のように思えてきた。
真下から見上げると、スキンチの力強いアーチと、それに直交する半アーチで、T字形を造っている。これがドームを支えていたようだ。
『イスラームのタイル』の図ではこのようになるが、ドーム架構に必要なのは、白い半アーチの方である。
この形が、同じブハラのマゴキ・アッタリ・モスクの入口イーワーン(12世紀)と、イスファハーンのジョルジール・モスク(10世紀)の表門イーワーンという、ドームではないところに造られたことは前回まとめたが、その後ドームの移行部には、全く違う形が現れた。
『イスラーム建築の世界史』はイランから中央アジア一帯のペルシアでは、10世紀からイーワーンやドームなどのペルシア的要素が復活の兆しを見せていたが、イスラーム教が民衆の間に深く根付いていくにつれ、モスクや墓建築において、これらのペルシア的要素が進化し、洗練されるという。
アラブ・アタ廟 977年 ウズベキスタン、ティム
外観は、ファサードにドームを隠すほど高いピーシュターク(門構え)ができて、サーマーン廟よりも墓廟風になっている。
ドーム下の移行部の丈が伸びて、その分尖頭アーチも高く、二段重ねになった。
また、四隅にスキンチアーチはなくなり、小さな門構えのようなものの両側にムカルナスが1つずつできている。門構えの上部の尖頭アーチは平面に見える。
これを三葉形スキンチと呼ぶらしい。
ダヴァズダー・イマーム廟ドーム 1037年 イラン、ヤズド
同書は、壁上に八角ドラム。
11世紀になると、キャノピー墓のドームが大きく高くなる。サーマーン廟を端緒としたドーム技法はモスク建築にも適用されるようになるとともに、四角形の部屋から円形のドームに至る移行部の技法が飛躍的な進化を遂げる。四角形から八角形を導き十六角形を介して円形へと達する移行部が、建築の見せ場の一つとなる。また、外部には筒状の部分(ドラム)が設けられ、ドームが一層高くなるという。
『ペルシア建築』は、イスファハンのマスジェデ・ジャーミの若干部分を別にすれば、この時代の新傾向を体現している現存モニュメントのうちで最も古いのは、ヤズド所在のダヴァズダー・イマームの聖廟で、1036年の作である。正方形プランの上にドームを据えるという古代以来の課題について、この廟はほぼ完全に近い解決をしている。しかし、その解決が真に完璧なものとなるのは次のセルジューク朝時代であり、イスファハンにおいてであったという。
あいにく修復中で中に入ることができなかったので、スキンチの画像は『イスラーム建築の世界史』より。
見上げた
ハシムの世界史への旅の12イマームの霊廟では、アラブ・アタ廟の小さな門構え状のものが大きくなり、四壁中央の尖頭形のアーチの底辺と同じ幅と高さの辺、つまりここですでに八角形を造っている。
三葉形スキンチは、下部は隅に小さなイーワーン型が2つでき、その両側にムカルナスが一つずつできている。上部は半ドーム形。それが門構えの尖頭アーチの中に収まっている。
マスジェデ・ジャーメ南ドーム室(主ドーム) 1083年 高さ24.5奥行14.4 間口14.3m
『ペルシア建築』は、インスクリプションが語るところによれば、広間はニザーム・ウル・ムルクの命にもとづき、マリク・シャーの治世の初期(1072年以降、たぶん1075年以前)に建設されたという。
この広間-宏壮で気品があり侵しがたい威厳をもつ主礼拝室-は直径15.2mという巨大なドームをいただくが、その場合、ドームを支えるために彫りの深い三ツ葉形のスクインチ(この形はヤズドにあるブワイフ朝時代のダワズダー・イマーム廟のスクインチから発展したもの)が使われているという。
1080年頃に建造されたともいわれ、深見奈緒子氏のヴォールティングの諸形態では、1083年建立という。
ダヴァズダー・イマーム廟と同様に、スキンチ高さのところで壁面は八角形になっていて、その上に低い尖頭アーチが16個並んで十六角形・円へと移行していく。この移行部はちょっと間延びした印象だった。
ダヴァズダー・イマーム廟と違いは、小さな門構えが4つ並んだ上に三葉形が現れていることだ。その中は、隅の特に小さな門構えの上にムカルナス2つでスキンチ状の曲面ができ、その上に浅いヴォールト天井がのっている。その両側の小さな門構えの上には、もう少し大きく、高いムカルナスがある。
見上げると、同じ比率のはずのスキンチだが、より外に出っ張った感じがする。
マスジェデ・ジャーメ北ドーム室(ゴンバディ・ハーキ) 1088年 高さ19.8直径10.7m
『ペルシア建築』は、審美的な観点からすれば、この大モスクにおける最も重要な区画は、通称「ゴンバデ・ハーキ」と呼ばれる北端のドームであろう。規模こそ小さいとはいえ質的にすこぶる秀逸なこのドームは、中軸線上で主礼拝室のちょうど正反対に当たる位置にあり、1088年の銘を持つ。おそらくこれは現存する最も完全なドームと言えよう。その荘重にして、しかも人の心を捉えてやまぬ力は、規模の問題(高さ19.8m、直径10.7m)ではなく、意匠の問題であるという。
やはりスキンチ内も壁面の尖頭アーチ内も、三葉形になっている。
しかし、スキンチの下部の小さな門構えは4つとも大きさが揃っていて、それぞれの上にのるムカルナスも安定した形になっている点が、少し前に建立された主ドーム室との違いのようだ。
見上げると、小さなムカルナスの大きさがほぼ等しいので、安定感があり、それが美しさにも繋がっているのではないだろうか。
後世にドーム下の四隅のスキンチが2枚の大きなムカルナスだけに造られているのをよく見かけるが、その原点が、このようなイスファハーンのマスジェデ・ジャーメ内に残るスキンチの一番隅にあって互いに接している2枚の小さなムカルナスなのではなだろうか。
また、このような小さなムカルナスが複数スキンチに配されるようになってから、それがより細かく、段数も多く造られるようになっていく。
1104-18年 セルジューク朝 イラン、ゴルペーガーンの金曜モスク
4段の複雑なムカルナスとなっている。
それが入口イーワーンに現れたのが、12世紀再建とされる、ブハラのマゴキ・アッタリ・モスクだろう。
この面が、12世紀のままのものであるとしての話だが。
サーマーン廟のスキンチはイーワーンに←
関連項目
ヤズド ダヴァズダー(十二)イマーム廟
ムカルナスの起源
ムカルナスとは
※参考サイト
ハシムの世界史への旅の12イマームの霊廟
参考文献
「イスラーム建築の見かた」 深見奈緒子 2003年 東京堂出版
「イスラーム建築の世界史 岩波セミナーブックスS11」 深見奈緒子 2013年 岩波書店
「聖なる青 イスラームのタイル」1992年 INAX BOOKLET
2017/03/14
浮彫漆喰から施釉タイルへ ウズベキスタン歴史博物館より
イスラーム時代の建築装飾は、伝統的な浮彫漆喰から始まり、耐久性が高く大量生産が可能な素焼き焼成レンガへと移行し、やがて施釉タイルへと変わっていった。
その変遷をタシケントのウズベキスタン歴史博物館に展示されていたものから見ていくと、
1.浮彫漆喰の建築装飾
おそらくミフラーブの頂部などを飾ったもの 時代不明
赤く彩色されている。
四つ葉(四弁花文)に蔓草が入り込んでいる。控えめにはなっているが、ここにも丸い穴。
浮彫漆喰の場合は継ぎ目がないはず。しかし、欠けた箇所が白いので、焼成レンガではなく漆喰だろう。
2.焼成レンガ1
焼成された平レンガ組み合わせて文様を作っていく
館内にはブハラのサーマーン廟の模型が置かれているだけだった。
モノトーンの美しい装飾となる。
3.焼成レンガ2
外壁は耐久性のある焼成レンガで、しかも浮彫をほどこしたもので装飾されるようになる。レンガの場合は一定の形に作り浮彫して焼成し、それを組み合わせて壁面に貼り付ける。
蔓草文だろうか。1枚の中に文様が完結しているが、4枚の合わせ目にも別の文様ができる。
建築装飾断片 11-12世紀 カシュカダリヤ
中央に四弁花文と八点星風の文様があるが、隣り合うタイルへと文様が続くように作られている。
4.施釉タイル
無釉タイルから施釉タイルへ、様々な色の施釉タイルを刻んで文様に組み合わせるモザイクタイルへ。そして文様をタイルに描き込むようになる。
浮彫タイル
全面にコバルト釉をかけて焼成しているが、ほぼ釉薬は剥落している。
モザイクタイル 16世紀 タシケント、クカルダシュ・メドレセのムカルナス
モザイクタイル
二重の蔓草文。細い曲線状の蔓や小さな花弁をみごとに刻んでいる。
六角形と6点星のタイル 15世紀 ハフト・ランギー(クエルダ・セカ)
サマルカンドのシャーヒ・ズィンダ廟群のウスト・アリ・ネセフィ廟(1360-70年)について『砂漠にもえたつ色彩展図録』は、何といっても注目せねばならないのは、ハフト・ランギー技法の出現で、先のサファヴィー朝技法の先駆けとなった。その初例は管見の限りシャーヒ・ズィンダーに見受けられる。
となりあう色と色が交じり合わないように、まず境を溶剤で線描し、線に囲まれた面に色を発する釉薬を挿して焼き上げる方式であるという。
六角形の各角に円の一部がコバルトブルー(剥落している箇所もあるが)で色付けされている。タイルを並べていくとそこにも6点星と円の文様ができる。
6点星と幾何学文のタイル ハフト・ランギー 15世紀
六角形の各角に円の一部がコバルトブルー(剥落している箇所もあるが)で色付けされている。縦横にタイルを並べていくとそこに文様ができる。
六角形と6点星のタイル 15世紀 クエンカ
『世界のタイル・日本のタイル』は、クエンカ技法は、型を使い、輪郭を残して文様部分を凹ませ、この凹部に色釉を詰めて焼成するもの。モザイクに近い効果が得られるという。
コバルトブルーの6点星の中には白い6点星、更に中にはトルコブルーの六角形がある。これを敷き詰めると、コバルトブルーの6点星は、中心に白い円のある6つの六角形で囲まれることになる。
多色絵付けタイル
一見、色タイルを形に刻んで文様に組み合わせるモザイクタイルを簡略にした彩釉タイルに見える。
ところが写真を拡大して見ていると、赤で縁取られた黄色っぽい茎には金箔が貼られていた。これはラージュヴァルディーナと呼んでいいものかどうか。
他にも金箔を貼ったものではないかと思われる作品があった。
絵付け浮彫タイル 時代不明 アラビア文字の銘文
白い文字は上の蔓草と同じように赤で縁取られ、ほとんどが白いが、黄色っぽいところも残っている。
絵付けタイル 時代不明
六角形だが曲面になっている。付け柱に貼り付けられていたものだろう。貴重なもののようで、木の枠に収められている。
緑の花を縁取る組紐にはやり金箔が貼られている。
絵付けタイル 16-17世紀 染付と呼んで良いのか青花なのか迷う。
ヒヴァの宮殿や墓廟などを飾っていたタイルほど凝った文様ではないが、ペンジケントのルダーキー博物館にあったタイルからヒヴァのタイルへと発展していく過程とも思える。大きな壁面一面に貼付られたのだろう。
下絵を描いて焼成後に同じ位置に組み合わせられるように数字が書き込まれている。
このように、壁面装飾の変遷をウズベキスタン歴史博物館で辿ることができるのだが、問題はこのような順番で展示されていないこと。帰宅後写真を整理していて理解できたのだった。
※参考文献
「STATE MUSEUM OF THE HISTORY OF UZBEKISTAN」(ウズベキスタン歴史博物館図録) 2013年 PREMIER PRINT
「世界のタイル・日本のタイル」 世界のタイル博物館編 2000年 INAX出版
2017/03/10
托胎霊夢
カラ・テパ遺跡から仏伝図のうちの托胎霊夢の場面を表したと思われる浮彫断片から出土している。
「托胎霊夢」浮彫断片 3-4世紀 石 10.0X15.0㎝
『ウズベキスタン考古学新発見』は、円盤内に象が表現され、その上部に欄楯が表される。ガンダーラ美術では聖なる夢の表現として、円盤内に象を表す。この浮彫もガンダーラの表現を踏襲したものだろう。欄楯は摩耶夫人が眠っている宮殿の建物を表したという。
円形の枠内に象が表されている「托胎霊夢」はインドあるいはガンダーラで見られるものだ。
托胎霊夢について『シルクロードの仏たち』は、釈尊は地上に生まれ降りる直前まではトウシタ天(兜率天)という天上世界に住み、シュヴェーターケートゥ(浄幢菩薩)と呼ばれていた。そこではブラフマン(梵天)、インドラ(帝釈天)、四天王、天人天女や多くの神々と一緒であった。
天上では神々が協議の結果、王妃マヤが選ばれた、このような物語は大乗仏教の勃興とともに創作され、釈尊の神格化と超人化が進んでから成立した内容である。
シュヴェーターケートゥは天上から地上に降りる時期が熟したので、6本の牙のある白象に姿を変えて、母となる王妃マヤの右腕から体内に入った。
釈尊の父王シュッドウダナ(浄飯王)のカビラヴァストウの城内で、マヤ夫人は快い眠りの中で、この白象のことをはっきり夢にみていた。この白象の夢をみて受胎したので、托胎霊夢というという。
インド中部バールフット出土欄楯浮彫 前2世紀末-前1世紀初 砂岩 コルカタ博物館蔵
同書は、作風は稚拙であるが、古代人の力強さが感じられる作品である。右端にあるランプは夜の出来事を表示している。
前2世紀末には仏伝図が出来上がっていたことが分かる。バールフットの浮彫りは仏教美術史上最古のものであるという。
大きな円の中央に置かれた寝台に横たわる摩耶夫人の真上に巨大な象がやってきている。
インド南部アマラバティ出土 2世紀 石灰岩 コルカタ博物館蔵
同書は、左上には浄幢菩薩が象に姿を変えて輿に乗って地上へ向かうところである。右側はマヤ夫人が夢をみているところ。
古代インドの托胎霊夢図中の白象の牙は2本の作品が多いという。
左の場面では4人で担ぐ輿には小さな象が乗っている。柱や斜めの梁で区画された内側では摩耶夫人が寝台に横たわり、数名の女性が寝台を囲んでいる。その上の横梁?には、もっと小さな象が浅く彫られている。
アマラバティ出土 2世紀 石灰岩 マドラス考古博物館蔵
同書は、象の姿は上部横梁に小さく描かれている。アマラバティのある南インドではアーリア人の侵入もなく、南インド独特の躍動な作風が開花しているという。
象は横梁を左方に歩いている。そにはアカンサスではないものが浅浮彫されているがよくわからない文様だ。
宮殿というよりも欄楯の1区画が仏伝に当てられていて、横梁にいる象の下から団扇状のものがその場面内にさがっている。これが象を表すものかどうかわからないが、象のいる円が場面の中に入っていく過程を表しているようで、興味深い。
ガンダーラ出土 2-3世紀
ガンダーラでは場面の中に円に囲まれた象が登場している。象は摩耶夫人の方に斜めに下降していく。
スワート出土サイドゥ・ストゥーパ 2-3世紀 緑色片岩 21.5X34.5㎝ スワート考古博物館蔵
『ブッダ展図録』は、象を円盤内に表すのは、霊的な夢であることを示すガンダーラの表現方法であるという。
象を囲む円盤に意味があるのだった。
ガンダーラ出土 2-3世紀 ラホール博物館蔵
「ガンダーラ美術の見方」は、夢の中の象には円型の光背がついていてやがて如来になることを思わせるという。
象を包み込む円は象の光背だという説もある。
カラ・テパ出土の円に囲まれた象は、摩耶夫人に向かって、欄楯(バルコニー)と場面内との境界まで来ていることを表している。しかし、まだ下向きにはなっていない。
これだけの例で断言することはできないが、割合早い段階の托胎霊夢の図像が、古テルメズに入ってきて、それが後の時代でも踏襲されているのではないだろうか。
おまけ
カラ・テパ出土の托胎霊夢図断片について『ウズベキスタン考古学新発見』は、欄楯は摩耶夫人が眠っている宮殿の建物を表したという。宮殿の様子を表した仏伝図があるので、添付しておく。
仏伝部分「出家決意」 2世紀頃 片岩 高61.5幅46.5厚9.5㎝ カラチ国立博物館蔵
『パキスタン・ガンダーラ彫刻展図録』は、上段は宮殿内の様子を、下段ではシッダールタ太子(釈迦)が出家を決意した瞬間を描いている。
下段中央にはバルコニーがあり、中央には牛頭、その左右には頭光を負う日天と月天が配されている。太子は上段でかぶっていたターバンを脱ぎ、髷姿に変わっているのが注目される。バルコニーにいる牛頭は、出城の日が満月であったことを象徴する存在とされるという。
バルコニーにいる人物で日天と月天は頭光をつけているが、その両隣には頭光のない人物が表されている。上の方の桟敷席で観劇する人々のように、宮殿で起きていることを眺める第三者のようで、興味深い。
また、ガンダーラ出土の化粧皿(前2-前1世紀)に4つに区画されたうちの一つだけに、右手に何かを持った女性胸像が表されているものがあった。それを見て、バルコニーで主場面を眺め降ろしている人物へと繋がるのではと思ったのだった。
その他にも、バルコニーの両側のアーチ形は、ファヤズ・テパ出土の仏三尊像の龕を想起させるし、円柱の柱礎の形や柱頭の獅子グリフィン、そして床下のアカンサスなど、非常にモティーフの豊富な浮彫である。

※参考文献
「図説釈尊伝 シルクロードの仏たち」久野健・山田樹人 1990年里文出版
「平山郁夫コレクション ガンダーラとシルクロードの美術展図録」田辺勝美ほか 2002年 朝日新聞社
「ブッダ展-大いなる旅路図録」1998年 NHK
「パキスタン・ガンダーラ彫刻展図録」 2002年 NHK
「ガンダーラ美術の見方」 奈良康明監修 山田樹人著 1999年 里文出版
2017/03/07
カラ・テパ遺跡2 出土物
遺跡の出土品はウズベキスタン歴史博物館に展示されている。
北丘
『ウズベキスタン考古学新発見』は、北丘の屋根の架けられている大ストゥーパについて、このストゥーパの機能したある時期、大ストゥーパ基壇の西側正面は、仏陀、菩薩、供養の男女、象、獅子、ガルーダ、その他のアカンサスを背景にした小彫刻で飾られていたという。
ここから出土したものかどうか定かではないが、これに該当すると思われるものをまとめてみると、
仏坐像 2-4世紀 塑造 ウズベキスタン歴史博物館蔵
施無畏与願印にしては右腕が水平に出ている。やつぱり禅定印かな。
仏陀像頭部 3世紀 塑造石膏仕上げ
おそらく金箔で顔面または露出している首や手足などを荘厳している。
顔は角度によってかなり感じが違ってみえたりするので、はっきりしたことは言えないが、ファヤズ・テパ出土の仏三尊像の主尊に似ている。
菩薩像頭部 3世紀 塑造石膏仕上げ
仏陀とはだいぶ顔つきが違う。頭部に布を巻いたようなものは冠とも思えない。
天部像頭部 3-4世紀 11.0X10.0X6.0㎝ 塑造 北丘西側正面出土? ウズベキスタン歴史博物館蔵
『ウズベキスタン考古学新発見』は、着彩されて、大きな眉と見開いた眼が印象的であるという。
もう少し上から見下ろしたら、この顔も上の仏陀像に似ているかも。
菩薩立像断片? 2-3世紀 塑造
ダルヴェルジン・テパ出土の仏像のように、型成形の飾りが盛り上がっている。
執金剛神像 3世紀 石灰岩
金剛杵を握る手の甲や指、そして着衣、足先など、未完成品のよう。
執金剛神について『仏教美術用語集』は、金剛杵を持って仏法を守護する天部。一般に仁王と呼ばれ、上半身裸形の姿で守門神となる場合が多いという。
ヘレニズムによって将来されたギリシア神話のヘラクレスは、グレコ・バクトリア朝エウティデーモス1世の銀貨(前230-190年頃)やインド・グリーク朝エウティデーモス2世の銀貨(前190-171年頃)ではギリシア風に棍棒を持っているが、その後仏教に取り込まれ、パキスタン、ローリヤーン・タンガイ出土の仏伝図(1-2世紀)では金剛杵を持つ執金剛神として登場している。
それについてはこちら
供養者像頭部 3-4世紀 15.0X10.0 塑造型つくり ウズベキスタン歴史博物館蔵
生き生きとした表情を見せているという。
小仏頭型よりも一回り大きなものだが、それだけの違いで、同じ型つくりだが、頬の膨らみなどが生き生きした表現になっている。
供養者像 3-4世紀 塑造 北丘西側正面出土 ウズベキスタン歴史博物館蔵
男性:30.0X9.0X9.0㎝
女性:35.0X11.0X8.0㎝
『ウズベキスタン考古学新発見』は、頭部を失うが、合掌する手に花をつかむ姿の供養者像。女性像はインド風の衣装であるが、男性像はこの地方の上着とズボンをつけている。たくさんの花を合掌する手にはさみ持つポーズが興味深いという。
女性像 3世紀 大理石のような石灰岩 出土場所不明
菩薩特有の瓔珞とは異なる首飾り、着衣とその衣文。仏教の像とは思えない。
鎧を着けた武人像胴部 3-4世紀 石 8.5X8.5X2.7㎝ ウズベキスタン歴史博物館蔵
『ウズベキスタン考古学新発見』は、石製人物像は小さいものが多いが、頭光をつけた菩薩頭部や天部とみられる像、鎧を着けた武人など様々な人物像が見られる。それらは菩薩なのか、天部(守護神)なのか、あるいは供養者なのか、必ずしもはっきりしないものも多い。小像が多いことから見ると、仏伝などの説話浮彫の一部であった可能性もあるという。
「托胎霊夢」浮彫断片 3-4世紀 石 10.0X15.0㎝
『ウズベキスタン考古学新発見』は、円盤内に象が表現され、その上部に欄楯が表される。ガンダーラ美術では聖なる夢の表現として、円盤内に象を表す。この浮彫もガンダーラの表現を踏襲したものだろう。欄楯は摩耶夫人が眠っている宮殿の建物を表したという。
「象」というのはこのことかな。
托胎霊夢の場面なら、この下に寝台に横たわる摩耶夫人の姿が表されていただろう。
托胎霊夢についてはこちら
ガルダ(金翅鳥)像断片 3-4世紀 石 15.0X7.0X8.5㎝
毒蛇を食べるガルダは金翅鳥と呼ばれ、仏教の守護神となるが、中央アジアではとくに天空飛翔のテーマと結びついているという。
龍の頭部 3世紀
龍には見えないが、ガルダでもない。
獅子面 3-4世紀 石 10.0X8.0X7.0㎝
装飾的な獅子面も中央アジアで好まれている(ホータンのテラコッタ製獅子面など)という。
頭部や鬣の穴には何かが象嵌されていたのだろうか。
小ストゥーパ基台 南丘コンプレクスC出土 塑造
『ウズベキスタン考古学新発見』は、32個蓮弁レリーフ。同様のデザインが日本の寺院の燈篭などの基台にみられる(B.Staviskiによる)という。
角ばった弁端で2本の葉脈の表された蓮弁
出土場所は不明だが、こんな蓮華座も発見されている。
蓮華座 2-3世紀 塑造
1本の葉脈がある蓮弁が3段、失われた部分があるので正確な数は不明だが、一段に20数枚の蓮弁が巡っている。3段もあるのでこんもりと盛り上がっているが、この上にストゥーパが置かれていたのだろうか。
仏坐像 2-4世紀 塑造 西(中)丘ストゥーパの側の龕内出土
結跏趺坐し禅定印を結ぶ
アカンサス柱頭 2-3世紀 大理石のような石灰岩
アカンサス柱頭 2-3世紀 大理石のような石灰岩
アカンサス断片 3世紀 彩色粘土
ストゥーパの平頭(ハルミカ)タイプの柱頭 3-4世紀 大理石のような石灰岩 35.0X30.0X33.0㎝ ウズベキスタン歴史博物館蔵
『ウズベキスタン考古学新発見』は、その形態からみて、当初奉献小塔の丸い覆鉢の上に載せられていたものと推定される。平頭に表された城塞文様や欄楯文様はインドの初期仏教美術以来見られるが、軒蛇腹の建築モティーフはガンダーラに見られる。おそらくガンダーラの形式を継承したものだろうという。
6弁花文は各辺に表されているのだろうが、何の花だろう。蓮華ではないようで、西方将来の文様のようだ。その四方の角に表された角柱には、
建築装飾断片 3-4世紀 大理石のような石灰岩 10.5X20.5X6.0-8.0㎝
建築装飾断片 3-4世紀 石 10.0X15.0㎝
金箔の痕跡が。
柱頭装飾断片 3-4世紀 石 35.0X15.0X6.0㎝ ウズベキスタン歴史博物館蔵
同書は、アカンサス葉形と渦巻曲線が残る。コリント式柱頭の一部という。
柱頭装飾断片 3-4世紀 石 12.5X9.2X12.0㎝ ウズベキスタン歴史博物館蔵
アカンサス葉形から供養者が上半身を現すコリント式柱頭。コリント式柱頭はアイ・ハヌムから出土したギリシア・バクトリア以来のモティーフであるが、人物上半身をアカンサス葉形に配するのはガンダーラやスワートにも繋がっていく手法であるという。
開敷蓮華文付きの容器の蓋 3-4世紀 径14.5X5.0㎝ テラコッタ ウズベキスタン歴史博物館蔵
開蓮華文様を施したものが5点ある。この陶製容器が中庭に用いられたか明確ではないが、舎利容器として用いられたものかもしれない。蓋中央に蓮肉をデザインしたつまみをつくり出している。開蓮華文様にはヴァリエーションがあるが、9-10弁の先の尖ったスイレン型の花弁のものが多いという。
小仏頭型 3-4世紀 石膏 9.0X7.5X4.5㎝
同書は、塑像を造るための型。中央アジアで流行する塑造彫刻の技法を知る上で貴重なものという。
小さなものなので、頭髪の造形も丁寧ではない。
装飾文の型 3-4世紀 石膏 18.0X10.8X2.5㎝
仏頭や装飾文様、あるいは獅子面をそれぞれ表した石膏製の型が見つかっている。これらは塑像を造るための型で、中国新疆からもこのような型が少なからず発見されている。装飾文様の型は菩薩や天部、供養者などの装身具を造るためのものだったのではなかろうか。中央アジアで旅行する塑造彫刻の技法を知る上で貴重なものであるという。
ダルヴェルジン・テパ出土の菩薩立像(2-3世紀初)の盛り上がった装身具なども、このような型で作られたのだろう。
左:把手付水差し 5-6世紀 19.7X12.5(口径7.5、底径4.7)㎝
長い頸に下ぶくれの胴がつき、曲線的な把手をつけたペルシア系水差しで、しかも注ぎ口も鳥の嘴をかたどっており、大層ペルシア的な意匠であるという。
右:アンフォラ型陶器 5-6世紀 37.0X10.0X?
胴が下ぶくれのずんぐりした形でペリケー型に近いが、バクトリア地方でギリシア系陶器が愛用されたことを物語るという。
ギリシア系の壺とペルシア系の水差しがともに陶器で造られ、使用されていたことは、この地の文化のあり様を示すものとして興味深いという。
しかし、北丘の大ストゥーパの下段基壇に沿って、その床面に24個の水差しが並べられていたといが、時代が違うので、このような水差しではなかっただろう。
『ウズベキスタン考古学新発見』は、カラ・テパからの出土品の数々は、ギリシア・バクトリア王国以来のヘレニズム文化の伝統、クシャーン時代におけるギリシア・ローマ、イラン系中央アジア、インドの壮大な文化交流、ガンダーラの仏教図像の導入、これらを背景にしながらバクトリア文化が形成されていったことを物語る。バクトリアは中央アジアの重要な文化的拠点となり、北西インドにも影響を与え、同時にソグディアナや中国新疆にも大きな影響を及ぼしていったことが推測されるという。
カラ・テパ遺跡1 洞窟寺院← →托胎霊夢
関連項目
黄金のアフガニスタン展4 ヘラクレスは執金剛神に
ファヤズ・テパ遺跡1 ストゥーパ
参考文献
「ウズベキスタン考古学新発見」 加藤九祚 2002年 東方出版
「BUDDHISM AND BUDDHIST HERITAGE OF ANCIENT UZBEKISTAN」 2011年
「仏教美術用語集」 中野玄三編著 1983年 淡交社
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