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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。
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2025/04/15

大シルクロード展染織編 連珠円文


今回の展覧会には連珠円文がたくさん展示されていて、書物でしか知らないものなどを実際に目にすることができた。

連珠三日月文錦面覆 5-6世紀 絹、経錦、緯錦 縦31.0㎝、横30.0㎝ 中国絲綢博物館蔵
『世界遺産 大シルクロード展図録』は、四角形の錦の周囲に無地の絹織物でひだ飾りをつけています。被葬者の顔にかぶせた面覆いであると考えられます。表面と裏面で異なる錦が使われていました。裏面は赤地の緯錦で、保存状態が良く、白い輪の中に三日月を表し、その外側を連珠文で囲んでいます。三日月は緑色で、黄土色で縁取りがされていますという。
この作品は織り糸が細いのか、それぞれの文様の輪郭が丁寧に織り出されている。
それにしても三日月が文様として表されるのは稀なように思う。仏教美術に「日月」として表されていても、三日月は滅多にないのだが、雲崗石窟第10窟前室北壁須弥山(北魏時代中期 470-494)に阿修羅が右手に掲げているのは三日月。双方同じような時代につくられているが、この錦の三日月とは関係ないだろう。
中国絲綢博物館蔵連珠三日月文錦面覆 5-6世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より

イラン北西部に位置するタ-ク・イ・ブスタ-ン大洞には、ササン朝ペルシアの帝王による猪狩りを表す浮彫があります(7世紀前半)。船上で弓を引く帝王の後方に控える人物は、連珠三日月文錦を一部に使用した袍を着ていますという。
ターキブスタンで見学した時は、すでに漏水により表面が汚れていてこの部分がはっきりと見えなかった。
残念ながら『世界美術大全集東洋編16 西アジア』の図版でも、帝王の後方に控える人物の服装までわからない。
ターキブスタン大洞左壁浮彫帝王猪狩り図 サーサーン朝、7世紀前半 世界美術大全集東洋編16 西アジアより

絵葉書には、もう一隻の船の上で左手に弓を持ち、右手で家臣から矢を受け取っている帝王が表されていて、その家臣の衣服に三日月状のものが認められる。
ターキブスタン大洞左壁浮彫帝王猪狩り図 サーサーン朝、7世紀前半 絵葉書より

また、ターキブスタン大洞で撮影した写真から、三日月は帝王の被る王冠にも、大洞上にもリボンと共に表されているので、以前からサーサーン朝の帝王の象徴だったのかも知れない。
サーサーン朝とリボンの関係についてはこちら


連珠動物文剣覆 6-7世紀 絹、刺繡 21.0㎝X 58.0 ㎝ 甘粛省博物館蔵
同展図録は、長方形に近い形をしていますが、左端は下部が張り出し、右端は中央が尖っており、両端よりも中央が少し細くなっています。このような形状から剣の覆いであると考えられています。文様はすべて刺繍で表されています。
外縁に沿って、一つ一つが2色から成る円文が巡り、その中に4つの連珠文を配しています。連珠文の中には、猪の頭と孔雀を交互に2回表しています。孔雀の一方は飾り羽を扇状に広げ、もう一方は閉じています。猪は口を大きく開けて、舌を伸ばしています。連珠円文の外側には十字形の植物文の一部や八弁の花が表されていますという。
刺繍だけで文様がつくられているのは珍しい。

飾り羽を閉じたクジャクは横向き。イノシシのモティーフはソグド人のものだが、こんなに大きな口を開けて舌を出しているのは見たことがない。

一つ一つが2色から成る円文は三色の小さな円文が三つずつ並んでいるところとそうでないところがある。
飾り羽を開いたクジャクは正面向きで顔だけ左向き。不思議なことに2本の足以外に足でもなく羽でもないものが一対ある。
一方の猪の口の中には6つの円から成る飾りが見えますという。梅鉢文のよう。


連珠猪頭文錦 7世紀初め 絹、緯錦 縦25.0㎝、横15.0㎝ 2004年新疆ウイグル自治区トルファン・バダム古墓245号墓(632年)出土 トルファン博物館蔵
同展図録は、高昌故城の北4㎞、アスタ-ナ古墓の東3.5㎞に位置するバダム古墓からはソグド人の墓が多数見つかっています。唐代に崇化郷と呼ばれたソグド人聚落がバダム古墓の近くにあった可能性が指摘されています。この錦はバダム古墓245号墓から見つかった面覆いで、連珠文の中に図案化された猪の頭部を表しています。上下で頭の向きが逆になるようにデザインされていますという。
面覆いとして織られたものではなく、長い顔を覆うために生地を使ったのだろう。
トルファン博物館蔵連珠猪頭文錦 7世紀初め 世界遺産 大シルクロード展図録より

イギリスの探検家A.スタインがアスタ-ナ古墓で見つけた連珠猪頭文錦は、文様が精緻なことからペルシア製であると考えられています。一方、本作品は連珠文や猪頭文に歪みがあり、文様を織り出す技術が低いことがうかがえます。バダム古墓やアスタ-ナ古墓からは、完成度が低いペルシア風動物文錦が数多く発見されています。それらは、ペルシア錦の模造品であり、とくに鹿の文様が好まれたことからソグド製であると推測されますという。
連珠円文がササン朝ペルシアであることだけでなく、ソグドの連珠円文はペルシアの模造品で完成度が低く、ペルシアの連珠円文は文様が精緻ということになっている。そう言われると、連珠三日月文錦面覆(5-6世紀)の円文とは比べものにならない六角形とも思えるような形。
トルファン博物館蔵連珠猪頭文錦 7世紀初め 世界遺産 大シルクロード展図録より


連珠豬頭文錦馬面 7世紀頃 錦 縦75.0㎝、横78.0㎝ 甘肃省博物館蔵
同展図録は、馬の頭部から鼻先にかぶせる覆いで、目の位置に穴があいています。穴の形は真円ではなく、目尻にあたる部分が少し尖っています。
出土状況は不明ですが、墓の中から保存状態の良い染織品が見つかることから、本作品も墓の副葬品であると推測されます。墓に陪葬された馬の頭部を覆っていたのでしょうという。
陪葬する馬にもこのような高価な錦を使っている。

本体は無地の組織物で作られ、全体と目の周りは連珠猪頭文錦の細い裂で縁取りがされています。さらにその周縁には褐色、黄土色、藍、緑、白の五色の布で丁寧に作られたひだ飾りを左右対称に縫い付けています。鼻先には楕円形の飾りが垂れていますという。
甘肃省博物館蔵連珠豬頭文錦馬面 7世紀頃 世界遺産 大シルクロード展図録より

頭上にあたる部分は張り出していて、そこにキノコ形の飾りが放射状に並んでいます(5つ残存)という。
円文はやっぱり六角形にも見えるが、唐代(618-)でつくられたものだろうか、ソグド錦だろうか。布地が切り刻んであるので判別しにくいが、イノシシの顔を織り出しているようなので、ソグド錦か、それを唐の工人が模倣したものか。
甘肃省博物館蔵連珠豬頭文錦馬面 7世紀頃 世界遺産 大シルクロード展図録より


連珠鹿文錦 7世紀 絹、緯錦 縦23.0㎝、横17.0㎝ 1975年新疆ウイグル自治区トルファン・カラホ-ジャ古墓71号墓出土 新疆ウイグル自治区文物考古研究所蔵
同展図録は、高昌故城の北東に位置するカラホ-ジャ古墓で見つかった面覆いです。連珠文の中に動物一頭を表すササン朝ペルシア由来の文様ですが、連珠文が真円ではなく縦長になっていることから、ペルシア錦の模造品であると考えられます。カラホ-ジャ古墓、アスタ-ナ古墓から発見されるペルシア錦の模造品には、円文内に猪の頭部や一羽の鳥を表すものもありますが、最も多いのは鹿を表すものです。鹿はソグド製銀器の文様として多用されることから、鹿の文様を好むソグド人が連珠鹿文錦を制作した可能性が高いと考えられます。
7世紀初めにインドへ向かった玄奘三蔵によれば、西突厥可汗の避暑地であった千泉(現在のキルギス、メルケ)には鈴をつけた鹿が群れをなしていて、可汗の命令によって保護されていました。ソグド人は当時の中央アジアの支配者であった西突厥可汗の好みに合わせて、鹿文の錦や銀器を制作したのではないでしょうかという。
ペルシア錦の模造品のソグド錦だった。


胡王および琵琶奏者文錦 7世紀 絹、経錦 縦18.0㎝、横24.0㎝ 1975年新疆ウイグル自治区トルファン・カラホ-ジャ古墓71号墓出土 新疆ウイグル自治区文物考古研究所蔵
同展図録は、円文内の文様は左右対称で、中央の人物は台座に胡座し、正面を向いています。冠飾は鳥の翼を模した鳥翼冠で、正面に三日月と蕾み状の飾りが付いています。頭の左右には、冠を頭に結んでいるリボン(ディアデム)の端が風にはためいています。両側に立つ人物は曲頸琵琶を演奏しています。円文は二重で、小粒の連珠文の周りを渦巻文(あるいは波頭文)がめぐっています。円文の外側の植物文の下に「王」という漢字が白い糸で織り込まれています。このことから、鳥翼冠を戴く人物は胡王を表していると考えられていますという。
漢字が織り込まれていることと、経錦ということで、まだ緯錦の技術のない唐の工人がつくったもの。

断片上部には上段の円文の内側がわずかに見えます。向かい合う2人の人物が片脚を深く曲げ、もう一方の脚を伸ばし、ダンスを踊っているように見えますという。
こんな一部の文様でコサックダンスのような踊りをしていると見抜けるとは。
新疆ウイグル自治区文物考古研究所蔵胡王および琵琶奏者文錦 7世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より


対鳥文錦靴下 7-9世紀 絹、緯錦 足裏32.0㎝、縦59.0㎝、横28.0㎝ 中国絲綢博物館蔵
同展図録は、足先から膝下までを覆う靴下の片方で、足裏部分は失われています。靴下の上辺は斜めになっていて、中央アジアで発見される革のブ-ツのように前方が高くなっています。室内用の履き物だったのでしょう。
全体的にかなり退色が進んでいますが、円文内に二羽の鳥を表す錦が使用されていることが確認できます。向かい合う二羽の鳥は、三つの真珠がついた首飾りの両端をくわえています。頭の後ろには白いリボンが結ばれています。円文の周りを花弁状の文様で縁取り、花弁の中には小花が配されています。円文の外側にも、円文内の図案とよく似た二羽の鳥が表されています。向かい合う二羽の鳥が一つの首飾りをくわえる文様の錦は多数知られています。当時、流行した文様であったことがうかがえますという。

実写と図版
こ、これが靴下!ブーツにしか見えないけれど。中に分厚いズボンを入れて履いたのだろう。
中国絲綢博物館蔵対鳥文錦靴下 7-9世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より

対偶文や対獣文ではなく対鳥文と呼ぶのか。中央アジアのブーツ型ということでソグド錦かな。
中国絲綢博物館蔵対鳥文錦靴下 7-9世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より

細かいことを言うと、連珠というよりも、大きな円文の外を花弁が巡っている。その中に織り出されているのは技術的に円文が織り出せなかったというよりも、花を織り出しているようで、唐の工人の仕事に思える。
中国絲綢博物館蔵対鳥文錦靴下 7-9世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より


連珠対鹿文錦帽子 7-9世紀 絹、緯錦、羅、綾 頭囲50.0㎝、帽高32.5㎝ 中国絲綢博物館蔵
同展図録は、つばのある帽子の周りから35本の細い絹布が垂れ下がっています。帽子の頭を覆う部分は、縦長の三角形に裁断した6枚の錦から作られています。
帽子のつばの部分にも同じ錦が使われています。35本の細い絹布は、帽子のつばと頭を覆う部分の境目に縫い付けられています。その配置には規則性があり、淡い褐色の布 4枚と濃い褐色の布1枚が交互に並ぶように配列されています。淡い褐色の布は菱形文の羅と綾で、濃い褐色の布は菱形文の羅です。出土状況が不明なこともあり、この帽子の用途は不明ですという。

これは連珠円文だろうか。文様を囲む連珠が分からない。
中国絲綢博物館蔵連珠対鹿文錦帽子 7-9世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より

裁断されているため錦の文様は分かりにくいですが、一本の木の両側に前脚を高く挙げた鹿(あるいは羊)を表し、木の上には向かい合って走る小さな動物を表しています。鹿の関節にあたる部分には大小の円文がつけられていますという。
幾何学的に図案化された樹木の両側に草食動物が立って寄りかかっている。
これは西アジアで古くからあるモティーフ、生命の樹に寄りかかる草食動物だ。
中国絲綢博物館蔵連珠対鹿文錦帽子 7-9世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より


連珠対獅子文錦 7-9世紀 絹、錦 30.0×38.7 ㎝ 中国絲綢博物館蔵
同展図録は、暗い赤を地色として、ベ-ジュ色や深緑色で図柄を表しています。連珠の円文の中に2頭の有翼の獅子が向かい合う図柄を1単位とし、現状では二つ残っていますが、左右上下に同じ模様が続いていたようです。連珠円文の隙間には、ハ-ト形の四弁花と、胴体に縞模様がある双獣を向かい合わせで配しています。文様部分のかたちはぎこちなさが目立ち、双獣もどんな動物なのかはっきりしませんという。

連珠円文の中央に色の異なる帯状の段があることから緯錦であるが、連珠といい、円文の枠といい、獅子の肢といい、出来の良い作品とは言えない。



緯錦(ぬきにしき)について同展図録は、唐代(618-907)になると、緯糸(よこいと)の浮き沈みで文様を表わした西方由来の緯錦技法が出てきました。この技法は、経錦とは異なり、文様に応じて自由に配色を変えられるとともに、大形の文様も織ることができ、やがて緯錦が錦の主流になっていきます。
錦の文様をみると、西方由来の連珠文や内部に動物文などを納めたササン朝ペルシア風の文様が、緯錦で織られていることもあり、文様のみならず織の技法においても、両者が影響しあっていたことがうかがわれますという。
これまで勉強してきて連珠円文の錦はソグドと思っていたが、ササン朝ペルシアの方が先ということになっていた。やはり新しい見解を知るためにも展覧会には行くものだ。



関連記事

参考文献
「世界遺産 大シルクロード展図録」 学術監修・責任編集石松日奈子 2023年 東京富士美術館
図録は重く立派な物で、手持ちの書物や図録がかなり以前のものなので、その頃と現在では出土物の解釈も変わっているだろうと思って買った。私にとって美術史の最新情報が得られるのは展覧会の図録なのだから。
「シルクロード 黄金の道展図録」 2002年  NHK

2025/04/08

大シルクロード展染織編 蠟纈・錦・綴織・刺繍


大シルクロード展にはカメラは持って行かず、スマホもしっかり充電せずに行ったら、何と「撮影可」だったので、電池がなくならない程度に写しながらの鑑賞となった。また、会場には作品だけでなく、上方に各地の大きな写真パネルがあって、今まで行ったところの風景が懐かしく、まだ見ぬ地へも誘われた。いつの日にか現地でその景色を眺めたいものだ。
来館者もそれぞれにお気に入りの作品を撮影したりして楽しみながら見ておられて、とても雰囲気の良い中を、久しぶりに見るもの、書物でしか見たことがないものなど思い入れのある品々の鑑賞に浸ることができた。

まずは染め物から。

蠟纈 (解説文は『世界遺産 大シルクロード展図録』より)、
臈纈はインドで発生したといわれており、木綿布の産地もインド方面です。

女神像棉布 1-3世紀 棉、臈纈染め 縦48.0㎝、横85.0㎝ 1959年新疆ウイグル自治区民豊県ニヤ遺跡1号墓出土 新疆ウイグル自治区博物館蔵
同展図録は、棉織物に臈纈染めによって文様を表しています。臈纈染めとは蠟を塗って防染することで文様を染め出す技法ですという。

同展図録は、左下の正方形の枠の中には、豊穣の角(コルヌコピア)を持つ女神の上半身が表されています。クシャ-ン朝のフヴィシュカ王(2世紀後半)のコイン裏面の女神アルドクショ-との類似が指摘されていますという。
このふくよかな女神はクシャーン朝由来のもの?

同展図録は、
右上の大きな区画が構図の中心にあたりますが、残念ながら人間の右脚の指先とライオンの尾と脚先が辛うじて見えるだけですという。
ヘラクレスのライオン退治の図柄だったのかも。

下の長方形の区画には、体をくねらせる龍らしき生き物の一部と、尾の先にかみつく小動物、龍の上下に止まる鳥が認められますという。
身をよじって尾に噛みつく動物はともかく、小鳥の中に一羽だけ後ろを向いているのがいて、この作品を仕上げた人が楽しみながら作業しているようだ。
顔が失われているので龍かどうかは確定できない。ひょっとすると、左端の動物の口から流れ出た水が大地に草をはやし、それを食べに小鳥たちが水辺に集まってきたというのを表しているのかも。


獅子狩文絹布 唐・7世紀末-8世紀初 平絹、臈纈染め 縦42.0㎝、横29.0㎝ 1973年新疆ウイグル自治区トルファン・アスタ-ナ古墓191号墓出土 新疆ウイグル自治区博物館蔵
同展図録は、疾駆する馬にまたがる男性が、後ろを振り向いて、獅子に矢を放つ瞬間を表しています。獅子は前脚を高く挙げ、馬上の人物に襲いかかっています。周囲には兎を追う犬や小鳥を追う鷹、 草花が表されています。馬の首もとに見えるのは「飛」という漢字(展示されている部分では左右反転)であるとされ、法隆寺四騎獅子狩文錦の馬の臀部に見える「山」「吉」という漢字との類似が指摘されています。
獅子狩文といえば、ササン朝ペルシアの銀皿に表された帝王獅子狩文がよく知られていますが、ペルシア銀器や法隆寺錦とは異なり、騎士が王冠をつけないのが本作品の特徴といえます。
文様は染織技法の一つである臈纈染めによって表されています。淡い黄色の平絹を用い、文様部分を蠟で防染した後で赤茶色の染料に浸し、文様を染め出しています。本作品では判型を使用して文様部分に蠟をつけたと考えられていますという。
残念なことに、射手が後ろを向いて矢を構える「パルティアン・ショット」についての解説がない。
パルティアン・ショットについてはこちら
新疆ウイグル自治区博物館蔵獅子狩文絹布 唐・7世紀末-8世紀初 世界遺産 大シルクロード展図録より


続いて織物を年代順に(解説文は『世界遺産 大シルクロード展図録』より)、

経錦(たてにしき) 
中国の絹織物の歴史は非常に古く、漢代には東の長安から西へ通じる西域南道と西域北道がベルシア、さらにロ-マ帝国へと続き、いわゆる「シルクロ-ド」を通って東西の文物の交流が頻繁に行なわれるようになり、双方の染織技法や文様が伝播しました。今回の展示品をみると、トルファン・アスタ-ナより北朝 (5-6世紀)から唐(7-9世紀)にいたる錦が出陳されています。錦は漢代からの伝統を引き継いだ経錦が主流でした。

綴織(つづれおり)
西方から中央アジアに伝わった綴織(中国では「緙絲(こくし)」と表記)は平織に比べて少し間隔を空けた経糸に、文様におうじた色の緯糸を手作業で折り返して詰めていくので、緯糸が密になり、一見すると絵画のようにもみえます。色の境目には「ハツリ」と呼ばれる縦の隙間がみられる場合が多いです。錦のように大掛かりな織機を必要としません。


半人半馬および武人像壁掛 前2-後2世紀 毛、綴織 縦116.0㎝、横48.0㎝ 1984年新疆ウイグル自治区ホ-タン・ロプ県サンプラ古墓1号墓出土 新疆ウイグル自治区博物館蔵
は、この毛織物の断片は被葬者のズボンの一部でしたが、もとは大きな壁掛であったと考えられています。左端に織耳が残っていることから、壁掛の左端にあたることが分かります。帯状の繧繝模様によって上下二段に分かれています。西方の高い綴織技法で制作された壁掛が、ホ-タンにもたらされ、被葬者のズポンに仕立てられたと考えられますという。
それでこんな細長い裂だったのか。

『シルクロード 絹と黄金の道展図録』(2002年)では後1-3世紀とされていた。20年も経てば研究が進んで、見解も違ってきたりするので、このような特別展やその図録というものは有り難い。
平たいケースに展示されていたので、どうしても遠くの方は小さく写ってしまう。

『世界遺産 大シルクロード展図録』は、上部は藍地で、四弁の花からなる菱形の枠の中に上半身が人間の半人半馬を表しています。両手で長い笛を持ち、それを吹きながら疾駆していますという。
なるほどケンタウロスは西方の顔立ち。敵の急襲を知らせるのではなく、花々に囲まれて慶事の様子を表しているようだ。細い蔓が申し訳程度に織り込まれている。

同展図録は、下部は赤地で、長槍を持つ武人の頭部と右肩が認められます。髪の毛を後方に撫でつけ、白っぽい鉢巻きをしめています。顔貌表現は写実的で、色糸の濃淡により立体感を見事に表現していますという。


ズボン 1-3世紀 毛、綴織、経錦 長111.0㎝、腰幅61.0㎝ 新疆ウイグル自治区博物館蔵
同展図録は、本作品のように毛織物の一部に綴織を織り込み、それに沿って繧繝模様や波頭文を表す織物がシリアのパルミラやドゥラ・ユ-ロポスなどの遺跡から出土していることが指摘されていますという。

膝上と膝下の2ヵ所に帯状の装飾が織り込まれています。上の文様帯は幅約8㎝で、下は幅約4㎝です。文様はどちらも上下対称で、中央に幾何学文様を綴織で表しています。その両側は繧繝模様で、内側から外側へ徐々に色が変化しています。上の文様帯では繧繝模様の両端に波頭文が表されていますという。
新疆ウイグル自治区博物館蔵ズボン 1-3世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より

ズボンの裾には動物山岳雲気文錦が縫い付けられています。地は藍色で、緑、赤、白などの経糸により山岳雲気文を上下に連続させ、その間に瑞獣や漢字を表していますという。
新疆ウイグル自治区博物館蔵ズボン 1-3世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より


草花文綴織靴 1-5世紀 毛、綴織・綾織り、皮革、絹 長29.0㎝、高16.5㎝ 1995年新疆ウイグル自治区民豊県ニヤ遺跡1号墓地5号墓出土 新疆ウイグル自治区博物館
同展図録は、ニヤ遺跡5号墓の女性被葬者が履いていた踝丈のブ-ツです。
底部には皮、内側はフェルトが用いられ、履き口には別裂の縁がつけられています。本作品が出土したニヤは、西域南道に栄えた鄯善国の西端に位置するオアシスで、漢文史料では精絶の名で呼ばれていました。早くに砂漠化して被葬者はミイラ化し、身につけていた服飾も本作品のように驚くほど良好な状態で保存されていますという。
2000年近く昔のものが、現在つくられたと言われてもそうかと思うほど色が鮮やか。日常履いていた汚れさえなさそう。

同展図録は、アッパ-部分の毛織物は、一枚の裂に二種類の異なる技法が見られます。正面は一色ずつ色糸を折り返す綴織技法で、帯状に草花文を織り出しています。その両側は、綾織りで濃淡の色調を段階的に配する繧繝配色を表しています。このような技法・意匠の毛織物は西域南道とよばれるタリム盆地南縁の諸オアシスに類例がみられますが、その中でも本作品の繧繝は精巧なことで知られていますという。
綴織の箇所では、地面から生えた草は茎が二つに分かれて伸び、それぞれ花を付ける。そんな周辺の自然が意匠としてできあがっている。スミレの花かも。
両側の綾織り部分は暈繝のグラデーションが美しい。踵に近い方は真紅で濃淡はない。


太陽神等文様錦 5-6世紀 絹、錦 縦42.0㎝、横27.0㎝ 1985年青海省海西州都蘭県熱水墓地出土 青海省博物館蔵
同展図録は、都蘭県熱水墓地群の熱水第一号墓から出土した錦断片で、二種類の錦が縫い合わされており、左端に縁取りが縫い付けられています。各錦には絵柄の異なる円文が織り込まれていますが、特に右側の錦はトルファン・アスターナ101号墓出土の連珠狩猟紋錦(北朝)とデザインがほぼ同じです。
左側の錦は、中央に相対する動物を表し、その上下には、建物の中に立つ二人の人物、さらに。両端の文様は不明ですという。
連珠円文ではなく、渦巻円文とは凝った織り方をしたものだ。その中のデザインもまた細かい。
青海省博物館蔵太陽神等文様錦 5-6世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より

上左:渦巻文に囲まれた獣面を、上下対称となるように表していますという。
獣面が逆さになっているので下の方の図を参照して下さい。

上右:象、馬上から鹿を射る人物、獅子、駱駝が相対しています。また獅子の間には蓮華座に立つ塔のようなものが見えます。円文はそれぞれ渦巻文で縁取りされ、各円は花柄で繋がれます。また各円の余白には動物が表されていますという。
上半にはパルティアン・ショットで鹿を狙う人物というモティーフが左右対称に表されている。下半は分かりにくいので下方の図を参照して下さい。
青海省博物館蔵太陽神等文様錦 5-6世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より


中左:(上下逆)中央に相対する動物を表し、その上下には、建物の中に立つ二人の人物、さらに渦巻文に囲まれた獣面を、上下対称となるように表していますという。
本図では上下の尖った曲線の枠の中に対獣文が表されている。頭が大きいので獅子だろう。その下に二人の門番(仁王ではない)と、中央の通路のようなところに七つの薄い色の円文がある。
青海省博物館蔵太陽神等文様錦 5-6世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より

中右:真ん中の円文は四頭立ての馬車に乗る太陽神ヘリオスの文様で、太陽神は光背を備え、頭上には傘蓋が確認できます。両脇には鳥のような獣に乗る小人がいるとされますという。
頭光のある仏像だと思って見ていたが、交脚像でも倚像でもないのはヘリオスだからか。鳥のような獣に乗る小人は何かを掲げている。


下左:渦巻文に囲まれた獣面
青海省博物館蔵太陽神等文様錦 5-6世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より

下右:上方と同じ文様が上下対称に表されていて、下部は傷んで何が表されているのか不明だが、上下反対にしてみると、獅子の間に塔のようなものがあるのは分かる。
青海省博物館蔵太陽神等文様錦 5-6世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より


羊樹文錦 6-7世紀 絹、経錦 長24.0㎝、幅21.0㎝ 1972年新疆ウイグル自治区トルファン・アスタ-ナ古墓186号墓出土 新疆ウイグル自治区博物館蔵
同展図録は、緑地に紅、黄、白色の経糸で文様を織り出した経錦です(たてにしき、経糸の方向は文様の左右方向に当たります)。文様は大樹を中心に、樹下に一対の山羊、梢の左右に二対の鳥を配して一単位を構成しています。西方由来のモチ-フを中国で発達した経錦の技法で表現していることが特徴です。
大樹の形状は人工物のようにも見えることから、中国北朝から唐代の風習で上元節(正月十五日)に飾った「灯樹」を表したものとする説があります。アスタ-ナからは本作例と同じ文様で藍地のものや(151号墓)、「吉」字が織り込まれたもの(31号墓)が出土しています。いずれも620年の埋葬で、この種の錦が流行した時期を知ることができます。なお、313号墓出土文書に「陽樹錦」の記載があり、「陽」は「羊」と音が通じることから、本作例のような文様の錦を指す可能性が指摘されていますという。

『シルクロード絹と黄金の道展図録』(2002年)では、五胡十六国-麴氏高昌国時代(5-6世紀)。雄々しい角を持った雄羊ではあるが、頸にはササン朝の動物にしばしば登場するリボンをなびかせるとなっている。

山羊か羊か? 山羊でこんなに長い角のある種は見たことがないし、大角羊は曲がった角を左右外側に描かれている。
リボンを首に巻くのはゾロアスター教美術。それについてはこちら
新疆ウイグル自治区博物館蔵羊樹文錦 6-7世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より


そしてちょっとびっくりのこの布は、図録のものとはかなり違う写り方になってしまった。


蓮華化生および畏獣文錦 6-7世紀 絹、経錦 縦26.0㎝、横17.3㎝ 2004年新疆ウイグル自治区トルファン・バダム古墓244号墓出土 トルファン博物館蔵
同展図録は、鮮やかな藍地に赤・白・緑の経糸で文様を織り出した経錦です。ソグド系豪族・康氏の墓地から出土しました。
蓮華化生とは仏教図像の一種で、蓮華から生まれ出る天人や極楽往生者を表したものです。畏獣とは中国古来の鬼神像の一種で、獣面・二足で羽を生やしています。中国では伝統的な瑞祥(為政者の徳に呼応してめでたいしるしが現れること)の観念が仏教と結びついたことを背景に、6世紀前半には中国的鬼神・神獣と仏教図像が入り混じった図像が流行しました。なお、錦を含めアスターナの副葬品に仏教図像が認められることは珍しく、その点においても興味深い作品ですという。
ソグド人はゾロアスター教を信仰していたのに、仏教由来の文様を身につける、あるいは副葬するということもあったのか。
トルファン博物館蔵蓮華化生および畏獣文錦 6-7世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より

文様は織地の耳(図版では下端)側から、一対の有翼獅子、蓮華から上半身を現した蓮華化生、連珠蓮華文を配し、
トルファン博物館蔵蓮華化生および畏獣文錦 6-7世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より

さらに畏獣が蓮台を支え、その上に水晶形宝珠がのる様を一単位としていますという。
しかもそれぞれ左右対称の同じ文様をを横に並べ、縦には五つのモティーフの上に連珠蓮華文を配し、その上は五つのモティーフが逆に織られているようだ。
トルファン博物館蔵蓮華化生および畏獣文錦 6-7世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より


靴下 7-8世紀 絹、経錦、刺繡 縦27.0㎝、幅23.0㎝ 1983年青海省海西州都蘭県熱水墓地出土 青海省文物考古研究院蔵
同展図録は、都蘭県熱水墓地群から出土しました。3種類の異なる絹織物を縫い合わせたおそらく室内用の履き物です。当該墓地群からはチベットや西域の影響を受けた文物が多く出土していますが、この履き物からは明らかに唐文化の影響がみてとれますという。
贅を尽くしたさまざまな履物は古墓からいろいろと出土しているが、実際に履いていたものなのか、葬られる時に履かせたものなのか。傷んだ箇所があるのは、個人が使用していたからだろうか。
青海省文物考古研究院蔵靴下 7-8世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より

足首部分は青地に黄色で花文2種類が規則的に織り込まれた経錦であり、足の甲部分は赤地の絹織物に黄、青、緑などの糸で花文を刺繍しています。花文の真ん中には六弁の花が置かれ、花の周辺を6枚の葉が囲み、葉の間には三弁の花が挟まれています。六弁の花の中心は緑と黄の2種類があり、また三弁の花も緑のみ、黄のみ、黄に緑で縁取り、緑に黄で縁取りの4種類があるなど変化が付けられ、形状も異なります。足底は黄色の絹の上に黄色の糸で四角様に刺繍され、滑り止めとなっていますという。
それぞれの花の文様にも工夫を凝らした非常に豪華な靴下である。
青海省文物考古研究院蔵靴下 7-8世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より


緯錦(ぬきにしき、解説文は『世界遺産 大シルクロード展図録』より) 
唐代になると、緯糸(よこいと)の浮き沈みで文様を表わした西方由来の緯錦技法が出てきました。この技法は、経錦とは異なり、文様に応じて自由に配色を変えられるとともに、大形の文様も織ることができ、やがて緯錦が錦の主流になっていきます。しかし、奈良時代の日本においては、引き続き経錦も織られていました。
錦の文様をみると、西方由来の連珠文や内部に動物文などを納めたササン朝ペルシア風の文様が、緯錦で織られていることもあり、文様のみならず織の技法においても、両者が影響しあっていたことがうかがわれます。


唐花文錦鞋 唐・8世紀 絹、綿、緯錦 長29.7㎝、幅8.8㎝、高6.0㎝ 1968年新疆ウイグル自治区トルファン・アスタ-ナ古墓381号墓出土 新疆ウイグル自治区博物館蔵
同展図録は、つま先が反り返って雲形を呈する、華やかな女性用の浅靴です。靴の両側に紐がついています。ひきずるほど長い裾から靴先がのぞいて装いのポイントになっていますという。
正倉院宝物の鳥毛立女屏風にもこのような先が長い裾から出ていたが、これほど嵩のある鞋先だったとは。それについてはこちら
それに細い紐で甲に結んでも、浅過ぎて歩きにくかったのでは。

外側は白地に唐花文を織り出した緯錦で覆い、立ち上がった靴裏中央を紅地の布に切り替えています。靴の内側は色とりどりの縦縞に小花文を配した長斑錦、中敷きは黄色の入子菱文綾を用いています。靴底は綿布を縫いあげ、下敷きに綿をつめていますという。
外側だけでなく、内側にも縦縞の長斑錦を貼るなど贅を尽くした鞋。鞋底は踵から足先に向かって厚くなっているが、こんな鞋って歩き易いのだろうか。
新疆ウイグル自治区博物館蔵唐花文錦鞋 唐・8世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より


鞍敷 8世紀 絹、刺繡 51.0×37.0㎝ 1983年青海省海西州都蘭県熱水墓地出土 青海省文物考古研究院蔵
同展図録は、都蘭県熱水墓地群から出土した鞍敷の一部です。絹布全体に刺繍がほどこされ、地の部分は黄色の糸で、複数のパルメット文から成る文様部分は青、白、茶、緑などの糸で刺繍されています。いわゆる唐草文の一つで、北朝や唐代の文物によく見られます。
花文の底部から緑で縁取りされた葉が左右に広がり蔓となって花を囲んでいます。この文様を基本単位とし、鞍敷の左右にはこの単位を四つ集めた文様が配置され、また上部にはこの単位を三つ集めた文様がある一方で、下部にはこの単位文様が一つだけ表されます。各文様は蔓で連結され、間にも花弁や蔓が配されますという。
織物は非常に繊細な工芸品だが、刺繍で生地を覆い尽くす作業もまた手間の掛かる作業の賜物である。
青海省文物考古研究院蔵靴下 8世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より

これが花の下側から左右に出た葉が蔓となって花を囲んだ単位を四つまとめたもの。その中心には小さな蕾が一つずつ伸びている。外側には二段に膨らんだ蕾が蔓の分かれ目から出ている。蕾の大きさや花弁の数も様々でいろいろ探すのが楽しい。
小さな花から、蔦となった葉が囲む大きな花まで、花の縦断あるいは断面を表していて、後のオスマン朝期のイズニクタイルに見られるハタイという文様のようだ。
青海省文物考古研究院蔵靴下 8世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より

暈繝配色の宝相華(唐花)文を全面にわたって鎖繍で埋めつぶす手法がとられており、技術の進展が認められます。漢代以来の鎖繍が唐代まで受け継がれていたことがわかりますという。
鎖縫は中国発祥だった。





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参考文献
「世界遺産 大シルクロード展図録」 学術監修・責任編集石松日奈子 2023年 東京富士美術館
図録は重く立派な物で、手持ちの書物や図録がかなり以前のものなので、その頃と現在では出土物の解釈も変わっているだろうと思って買った。私にとって美術史の最新情報が得られるのは展覧会の図録なのだから。
「シルクロード 黄金の道展図録」 2002年  NHK