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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2009/12/22

日本にある連珠円文

 
日本にも古くから連珠円文は将来されている。現存の古い連珠文は中国で制作されたものとみられてるようだ。

獅嚙連珠円文刺繍 初唐(7世紀) 大阪府叡福寺蔵
『正倉院と飛鳥天平の染織』は、江戸時代に法隆寺から聖徳太子陵のある大阪府下叡福寺に移されたもの。本来法隆寺の伝存品である。連珠円文内に獅嚙文を一つ、大きく表している。中国の伝統的霊物と西方式連珠円文を組み合わせた東西混合意匠だが、獅嚙はかなり動物風を呈している。それに対して連珠は大ぶりで数が少なく、四方に重角文を配するなど、ペルシャ錦的な感じが強い。初唐頃の製作にかかる渡来品ではなかろうかという。
錦ではないが、大きな連珠をめぐらせている。四方に方形を嵌め込むのは、バーミヤン第167窟の銜珠双鳥文(6-7世紀)、クチャ地方出土舎利容器(6世紀末-7世紀初)などに見られるが、意外と少ない。
また、これまで見てきた連珠円文内の動物やその頭部は横向きで表されてきた。このように正面向きのものは、殷周時代の青銅器にすでに大きく表される饕餮文があって、中国の伝統的な表現だろう。
ただ、饕餮には角がないので、この獅子の角は獅子グリフィンからきているのだろうか。バクトリア出土の装飾板(前5-2世紀)には正面向きのライオンと横向きの獅子グリフィンが表されている。いや、中国には龍という角のある動物が古くから表されてきた。龍の角が獅子の頭についたのだろうか。
これまで見てきた連珠円文の主文とは全く系統が異なるが、大きく開いた口の中にまばらに歯を表すなど、非常にユニークだ。
今回いろいろ調べた連珠円文の中で、一番のお気に入りはこれ。 四騎獅子狩文錦 緯錦 唐時代(7世紀) 法隆寺蔵
有翼馬に乗って騎乗から振り向き様に獅子を射ようとする武人の姿を4組、花樹を中心として左右対称に配した意匠で、周囲に連珠円文帯を巡らした、いわゆる狩猟連珠円文である。正倉院宝物および中国西域のシルクロード遺跡・アスターナ出土品やトルファン出土品などにも同趣の連珠円文あるいは狩猟文の遺例が知られ、7・8世紀頃の唐を中心に盛行した文様である。人物の容貌、冠の形状、天馬・獅子の姿態などにも西方の要素が色濃く残っている。本品の図様は、本来の意味を比較的よく留めているといえる。しかしながら、馬尻の円文内に「山」「吉」の文字が織り込まれていることから、本品の製作地は中国と考えられている。織は三枚綾組織の緯錦という。
この連珠円文も円文が大きく表され、四方に方形文が置かれている。
果樹を中心として左右対称だが、上の狩猟図は人物が外向きに、下の方は内向きになっている。
パルティアンショットでライオンを狩る図は、ササン朝ペルシアによく見られる。シャープール2世狩猟文杯(4世紀)のライオンの表現といい、飛びかかるライオンの口に矢の先を向けるところといい、そっくりだ。異なるのは、杯の方は馬だが錦の方は天馬で、翼の連珠帯までの部分に亀甲繋文がある。そして錦の人物は鎧をつけていることくらいだ。
下側の2頭の馬には足首に銀杏の葉のようなものが、前脚と後ろ脚の片側についている。アスターナ出土の天馬文錦(7世紀)は経錦だが馬の各足首にはリボンがある。また、太原市虞弘墓出土の棺槨浮彫(6世紀末)の馬も各足首にリボンが結ばれている。
このようなリボンの名残なのだろうが、これだけ緻密に織り出しているのに総ての足首につけていないのは妙な気がする。余白としては他の足首に付けるのは無理だったのかも。 紫地鳥獣連珠円文錦 7世紀後半-8世紀前半 正倉院蔵
『正倉院裂と飛鳥天平の染織』は、紫・白・水色・緑・赤の五色の経糸が、紫地に白と緑、紫地に白と赤、紫地に白と水色の3種類に分けられて縦縞状に配置される、すなわち三色一組の経錦である。そしてこの三色一組の経糸が、緯糸と一つおきに上下して織られる。いわゆる平組織経錦技法によっている。一般的に経錦は緯錦より古い技法だが、正倉院裂中の経錦がおおむね綾組織で表されているうちにあって、経錦のなかでもとくに初期的な平組織である点、奇とするに足る。また加えて、主文より副文の菱形唐草文の方がやや大きいこと、主文の連珠の数が少ないこと、文様の輪郭が粗くて階段状であることなど、顕文上からも種々古風なところが多い。使用年次はわからないが、これがもしも本来正倉院の伝存品で8世紀のものとすれば、きわめて珍しい作品といわねばならないという。
上下左右に方形が置かれ、その間の円文は3つと少ない。アスターナ出土の連珠文錦で、円文の少ないもので連珠動物文錦(7世紀)が5つ、そして天馬文錦(7世紀)が4つだった。
主文は2種類ある。左側に並ぶ連珠円には、動物の色でみると左右対称ではなく上下対称になっていて、アスターナ出土の人物駱駝文錦(経錦、6世紀)の系統に近い。
上下対称に織っていく方法から、文様を横向けにして織り上げ、完成すると左右対称になる経錦が生まれたと思わせる遺例だ。たとえば飲酒人物連珠文錦(6-7世紀)や天馬文錦(663頃)など。
一方、右に並ぶ連珠円は、織り方が経方向だが、文様は緯方向となっている。円柱状のものを中心として左右対称に翼のある動物の下に孔雀のような鳥が配されている。しかし、その有翼動物は下側は円柱に対面しているが、上側は円柱の上に立っていて、左右対称にはなっていない。アスターナ出土の動物幾何文錦(455年)よりも古拙な文様表現だ。
このような連珠対偶文錦の草創期のような古様を示す錦が7世紀後半-8世紀前半に制作されたとは思いにくい。錦はずっと以前に作られ、この錦に包まれていた品物がそのまま日本に将来されたのではないだろうか。 日本に残る古い連珠円文は、どれも円文が大きく数が少ない。また、四方に方形が配されるなど、古拙な物、完成度の高い作品共に共通している。制作地が同じなのかも。

関連項目

ササン朝の首のリボンはゾロアスター教

※参考文献
「正倉院と飛鳥天平の染織」(松本包夫 1984年 紫紅社)
「法隆寺 日本仏教美術の黎明展図録」(1996年 奈良国立博物館)