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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2025/01/14

セリミエジャーミイ Selimiye Camii 複合施設の装飾


セリミエジャーミイについて『トルコ・イスラム建築』は、セリム二世(1566-74)は自身の名のキュッリエをエディルネに建設させた。1568年に工事が始まり、一応完成したのはセリム二世の死後の1575年のようである。建設地としてイスタンブルでなくエディルネを選んだのは、セリム自身がイスタンブルよりエディルネを好んでいたためであろうか。
場所はエディルネの中心の高台で、バヤズィット一世が建てた宮殿の跡地であった。当初の敷地は約140m×190mの長方形で、四方を壁で囲み、中央よりやや奥にモスク、奥の両隅にメドレセとダールウハーディスを配置した。スレイマニエ・キュッリエシに比べればずっと小規模であるが、モスクのミフラーブを通るキブラ軸に対して完全に対称なプランのキュッリエであった。
後に、ムラト三世の時代になって敷地を約150m×190mに広げ、アラスタを付設した。アラスタの賃貸料をセリミエのワクフの収入とするためであったという。


モスク平面図 『Architect Sinan His life, Works and Patrons』より
①中央ドーム ②中央ドームのムカルナス ③リブ付きアーチ ④半ドーム ⑤ミフラーブの半ドーム ⑥支柱 ⑦斑岩のアーチ ⑧斑岩のアーチ間のヴォールト ⑨公衆扉のヴォールト ⑩スルタンのマッフィル ⑪図書館 ⑫女性用マッフィル ⑬ミフラーブ(祈りの壁龕) ⑭ミンバル(説教壇) ⑮ムアッジンのマッフィル ⑯シャドゥルヴァン(清めの泉亭)の中庭 ⑰シャドゥルヴァン ⑱ソンジェマアトイェリ(遅れてきた人が礼拝する場所)のドーム ⑲樽型ヴォールト ⑳ドームギャラリー ㉑外部の場所 ㉒ミナレット
『トルコ・イスラム建築』は、ミマール・スィナンが自ら「熟達者の作」と自慢しているように、オスマン建築の最高傑作である。
直径31m余、高さ42m余の主ドームと、それを囲んで聳えている高さ71mの4本のミナレットが遠くからも良く見えるという。
エディルネ セミリエジャーミイ平面図 『Architect Sinan His life, Works and Patrons』より


結局モスクの外観を見ることができたのは西側だけだった。足場に遮られたところもあるが。

外から見ると三段目にある尖頭アーチ列の窓には白い幾何学文様が嵌め込まれている。
モスクでは、外側はロンデル窓、内側はステンドグラスになっているのに、どういうことだろう。これは内側のステンドグラスの枠だろうか。ステンドグラスにはこのような枠は見たことはないが。

幸い『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』に西側面の図版があった。
エディルネ セリミエジャーミイ外観 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

どうやらこの並びの幾何学文様の窓はガラスが嵌め込まれていて、外側と内側の二重にはないていなかったようだ。

エディルネ セリミエジャーミイ外観 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より


修復中のため、南西の入口から入ったら目の前にミンバル(説教壇)があった。


中央の透彫は十点星から展開していったイスラーム独特の精緻な幾何学文様。

大理石の板には金色の蔓草文様がある。これが浮彫に金箔か金泥を塗ったものか、金属の細工を嵌め込んだものかは不明。
エディルネカプにあるミフリマースルタンジャーミイのミンバルには、大理石板に蔓草文様の浅い浮彫りに、部分的に真新しい金色の彩色がある。

上部にはイズニクタイルのパネル
トプカプ宮殿ムラート三世(セリム二世の嫡子)の間にあるプラムの絵柄のタイルパネルよりも早くつくられたものだ。

透彫の内側

菊というか、八重咲きの多弁花のようで、他でも見た意匠だが、現地ガイドのギュンドアン氏はロータスだという。


ミフラーブ空間

左のタイルパネルは中央に大きなメダイヨンを配し、その上下にもペンダントのようなものを並べることで中心に軸が通っている。

窓に囲まれて狭いタイルパネル
珊瑚の赤が鮮やか。
リュステムパシャジャーミイのタイルパネルに、花の断面・サズ・ペンチの組み合わせがあるが、それよりも赤が多い。

ミフラーブの右(西)側。タイルの文様はリュステムパシャジャーミイほど変化に富んでいない。

左端の細いタイルパネル

角に並んだ同じ意匠のタイルパネルだが、頂部のスパンドレルや、大きなメダイヨンなどは配色を変えてある。
この大きなタイルパネルの細部を撮影していなかったとは残念。

スルタンのマッフィル近くのタイルのリュネット
赤い色が鮮やかではないので補修タイルかも。

多少暗いところにあたとしても、このようなどす黒い赤は創建時のオリジナルではないだろう。


ステンドグラスは白地が多く、このようなステンドグラスは他でもあったような。

最下段は粒々のガラスのような地にカリグラフィー、上の枠では左右の角に、タイルに見られる花の断面の図柄をアレンジしたものだろうか。


ステンドグラスは、メドレセの居室や教室にもあった。

デザインは同じでも色の差し方が違う。


四弁花の小さな花のほかにはナデシコやチューリップが表されている。

十点星から延びた線が様々な形を作り出すイスラームの幾何学文様がステンドグラスに使われたのは初めて見た。


教室のステンドグラス(時代不明)

メインパネルには霰を敷き詰めたようなところが多い。

別の部屋にはセリム二世の花押(トゥーラ)が表されたステンドグラスも。



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参考文献
「THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN」 REHA GÜNAY 1998年 YEM Publication 
「Architect Sinan His Life, Works and Patrons」 Prof. Dr. Selçuk Mülayim著 2022年 AKŞIT KÜLTÜR TURIZM SANAT AJANS TIC. LTD. ŞTI.
トルコ・イスラム建築」 飯島英夫 2010年 富士房インターナショナル
「トルコ・イスラム建築紀行」 飯島英夫 2013年 彩流社
「イスタンブール 旅する21世紀ブック望遠郷」 編集ガリマール社・同朋舎出版 1994年 同朋舎出版