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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2025/10/21

アマスヤの木の扉にもキュンデカリ


アマスヤ考古学博物館では舗床モザイクを囲む壁面にイスラーム時代の木製の扉が並んでいた。中にはキュンデカリ技法で制作されたものもあった。


木の扉2点 1486年にバヤズィト二世が建てたモスク キュンデカリ
ベヤズィット二世は、エディルネイスタンブールにもモスク複合施設を建てている。

左の木の扉

上パネルの碑文
説明パネルは、ペルシア語で詩句が記されているという。

中央パネル
文様のない木切れは候補かも。様々な形の木片だけでなく、白っぽいものや黒っぽいものなどが見受けられる。

色の違う木材を組み合わせたり、中には象牙?などを嵌め込んだものも。この上部にはアルファベットでIYIという文字が嵌め込まれているように見えるが、この時代に西方の文字を嵌め込むかな。

非常に
手の込んだキュンデカリで、次の皇帝ヤウズスルタンセリムのためにその子スレイマン大帝が建てたヤウズスルタンセリムジャーミイの木の扉のような貝の象嵌はないが、細かな材料を象嵌している。
キュンデカリについてはこちら


右側の木の扉

上部の碑文

中央パネル

左の木の扉と比べると象牙?などの象嵌はないが、キュンデカリで荘厳されている。


別の木の扉(どこのものか不明)
上部の碑文は角形の重圏文という表現も変なので長方形の入れ子の枠に嵌め込まれている。下部は矢印を八つ組み合わせような幾何学文。

中央パネル
中心の文様以外は失われたのだろうか。

これもキュンデカリであることが、切れ目で分かる。中心の十二角形の木片にはゆったりと表された蔓草文様。


かなり傷んだ木の扉 所在地不明 キュンデカリと浮彫
上部パネルは碑文が失われているがキュンデカリ、下部パネルはキュンデカリでないので全部残っているか後補の浮彫。

中央パネル
痛々しいが、キュンデカリ技法による扉の造り方が分かる意味で貴重


木の扉 所在地不明 キュンデカリ 幾何学文様だけ


粘土板文書とブッラ


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