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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2025/07/15

モスク上部のステンドグラス


ステンドグラスについては、ブルサのイェシルジャーミイ(1414年まで)にさえシェフザーデジャーミィとその墓廟にもあるような凝ったデザインのものがあることが分かった。ただし後世の修復時に新たなデザインでつくられたものでなければ。
それについてはこちら

大きなモスクになると、ミフラーブ壁などのステンドグラスは凝っていても、上部のステンドグラスは白または透明な地に、僅かに色ガラスが嵌め込まれたシンプルなものが多かった。それをモスクの創建年代に沿って見てみると、


エディルネ エスキジャーミイ(1414年完成)
ミフラーブ壁のステンドグラスはあまり凝ったものではないが、

礼拝室上部のステンドグラスはそれを多少簡略化した程度


エディルネ ムラディエジャーミイ(1427年完成)
ミフラーブ壁やタブハネの上側のアーチ窓に、ロンデル3個を5段に並べたその周辺と窓の輪郭に色ガラスステンドグラスだったが、オリジナルだろうか。


エディルネ ユチュシェレフェリジャーミイ (1447年完成)
ミフラーブ壁のステンドグラスは華やかだが、上部のステンドグラスは枠が目立つものだった。


エディルネ バヤズィットキュッリエ モスク(1484-88)
ミフラーブもドーム下もステンドグラスの装飾はあまり変わらない。

ミフラーブに近いものは上部中央が円形でカリグラフィーが表されているが、上の方では縦長楕円の白いガラスになっているくらい。紫色のガラスのお陰で落ち着いたステンドグラスになっている。



イスタンブール ベヤズィットジャーミイ(1500-06)
『トルコ・イスラム建築』は、1509 年と 1766年には地震で大きな被害を受け、特に完成して間のない 1509年の地震ではドームも崩れている。ミマール・スィナンの時代の1573年に修復され、ミフラーブ側の大アーチには補強アーチが付けられた。また、1999年の地震でもドームに亀裂が入り、イスタンブルで被害を受けたモスクの中では最初に修復されているという。
ステンドグラスはミフラーブの上と半ドームでは極端な違いはない。

ベヤズィト廟のステンドグラスは色ガラスが極端に小さい。


イスタンブール ヤウズスルタンセリムジャーミイ スレイマン大帝により1522年に完成
スレイマン大帝の父セリム一世が「冷酷な」という形容詞付きで呼ばれているのは、スレイマン大帝の跡継ぎのセリム二世と区別するためなのだろう。
ミフラーブ壁のステンドグラス

無色透明なガラス部分は修復の際に復元しなかったのでは。


イスタンブール シェフザーデジャーミイのキュッリエ(複合施設 1548年完成)では、メフメト皇子の墓廟には細かな文様のステンドグラスが多いが、モスクでは白いガラス面が多いステンドグラスだった
ミフラーブ壁側の半ドームやその下両側のエクセドラドームではほとんど色ガラスが使われていないように見える。これらがオリジナルか修復でこのようになってしまったのかを知る手掛かりはない。

ミフラーブ上部のステンドグラスは色ガラスの枠が何でつくられているのか分からないが、曲線が目立つ。もっと簡略化されたデザインが上部のステンドグラスに嵌め込まれていたのではないだろうか。


側壁にも凝ったステンドグラスが嵌め込まれているが、さすがにドーム上部になると白ガラスが目立つ。そこの写真を撮っていなかった。

小半ドーム
小さな窓にも可愛い花のステンドグラスが嵌め込まれている。


イスタンブール ハドゥムイブラヒムパシャジャーミイ 1551年完成
ミフラーブ壁とドーム
ステンドグラスは曲面でつくった三角形六つで円にするだけのシンプルなもの。ミフラーブ周りもドーム下も同じデザインのステンドグラスのよう。


イスタンブール スレイマニエジャーミイ 1557年完成
メンテナンス用の通路と思われる手すりのある通路は枠だけ残っているようだが、ドームの窓はロンデル窓だけ。

あるのはミフラーブ壁の上の三つの窓くらいで、曲線の多い枠に色ガラスが嵌め込まれている。ひょっとすると、創建時はこの高さの窓にはこのようなステンドグラスが嵌め込まれていたかも知れない。ピンボケですが。



イスタンブール リュステムパシャジャーミイ 1561-63年
ミフラーブ上部。ドーム下の窓は亀甲繋ぎ文のような六角形だが、ロンデル窓を嵌め込んだものだろう。

ミフラーブ上部のステンドグラスのデザインには、後にエディルネに建立されたセリミエジャーミイのステンドグラスに近いものがある。


四面のティンパヌンがほとんどガラス窓。しかも『トルコ・イスラム建築』が、ドームの重量は、四方の大アーチが作るペンデンティブを介して四隅のピアが支えている。スレイマニエ・ジャーミシやシェフザーデ・ジャーミシで使用した、大アーチを横から支える半ドームも、ピアを横から支えるバットレスも、すべて取り去って、主ドームの裾が横に拡がろうとする推力に対しても、4本のピアのみで対抗させている。
最初の試みであったので構造上の強度が不十分だったためか、地震による被害を繰り返し蒙っている。最近では1999年の地震による被害がイスタンブル市内のモスクでは最も甚大で、修理に10年近い期間を要しているということなので、ティンパヌンのステンドグラスはオリジナルではないだろう。ティンパヌンよりも大ドーム下のステンドグラスの方が色鮮やか。

右側壁のステンドグラス
このような場所の方が地震の被害は受けにくかったのでは。それでも枠だけが曲線なのに、ガラスは白というステンドグラスが創建時に嵌め込まれただろうか。
ただ、もしこれがオリジナルに近いものだったとすると、1999年の地震でティンパヌンのステンドグラスが割れてしまって、これらのステンドグラスのデザインが採用されたとか。


ミフラーブ上部は凝ったものだが、半ドームや大ドームの下に嵌め込まれたステンドグラスは白いガラスと枠の線ばかり。

四つある小半ドームの内入口から入って右側の半ドーム下。
中段のステンドグラスは、青いガラスの曲線が上に伸びる蔓草のよう。

同じ半ドーム上部のステンドグラスはチェリーピンクの五弁花だけ。右下には凹んだ壁面に緑色の組紐でつくったような、小さな小さなステンドグラス。ミマールスィナンの遊び心か、それとも入口側に並んだマッフィルの明かり取りか。



エディルネ セリミエジャーミイ  (1575年完成)のステンドグラス

この段のステンドグラスは、ミフラーブ壁のものもデザインが同じ。セリム二世の好みだろうか。


イスタンブール トプハネ クルチアリパシャジャーミイ 1578-80

下緑色の太細のある蔓草のようなものは、カドゥルガのソコルルメフメトパシャジャーミイの青い線に似ている。

この記事をまとめようとしたきっかけは、上部の余白の多いステンドグラスは、ひよっとするとどれも似たようなものではないかと思ったことだったが、モスクごとに違うものの方が多いことが分かった。


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参考文献
トルコ・イスラム建築」 飯島英夫 2010年 富士房インターナショナル
「トルコ・イスラム建築紀行」 飯島英夫 2013年 彩流社