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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2025/06/03

太原虞弘墓出土の棺槨


1999年に山西省太原市晋源区王郭村で虞弘墓の石槨が出土して、ソグド人のものだとされている。

『隋代虞弘墓 太原市文物考古研究所編』(以下『隋代虞弘墓』)は、虞弘は中央アジアの魚国の出身で、北斉、北周、隋の時代に官僚を務めた。彼の墓から発掘された貴重な文化遺物には、白い大理石の棺、石像、石のランプ、俑、青銅貨、墓の所有者とその妻の墓誌などがある。
虞弘の墓は単室のレンガ造りの墓で、初期に破壊された。墓は北東と南西の115度の方向に面しており、墓の羨道、廊下、扉、墓室の四つの部分で構成されている。墓室はヴォールト天井で、東西の長さは 3.66m、南北の長さは 3.55mとほぼ正方形、高さは 1.73 mという。
羨道がある墓なので、中国風の地下墓だったのだろう。

『ソグド人と東ユーラシアの文化交渉』は、発見された葬具は家型で、家の基壇にあたる部分の外側と、壁にあたる部分の外側(正面の壁)または内側(側面と背面)が、浮彫と彩色で装飾されていた。背面の壁の中心のパネルに表された男女は、墓主である真弘とその妻であると推定される。虞弘は立派な冠をつけ、肩の上にはリボンが翻っているという。
石槨はほぼ墓室いっぱいの大きさ。石槨は墓室で組み立てたのだろうが、設置してから周囲に塼を積み重ねて墓室を造ったようにも見える。
屋根は3枚の石板でつくられている。別に保管されているのか、他の書籍には屋根の図版はない。
山西省太原市晋源区王郭村 虞弘墓の石槨出土状況 ソグド人と東ユーラシアの文化交渉より

『中国★美の十字路展図録』は、画像は3部に分かれ、正面外壁、左右と奥の内壁に描かれた9点の浮彫彩色画像、左右と奥の外壁に描かれた7点の彩色画像、台座側面に描かれた29点の浮彫彩色画像がある。注目すべきは9点の浮彫彩色画像で、駱駝や象に乗って狩猟する有様、日月冠をつけた貴人の騎馬出行の光景、墓主夫婦が胡騰舞など舞楽を楽しみながら宴飲する光景などが描かれていた。中央アジアのイラン系民族や北方の突厥民族などの風俗と同時に、 中国国内のソグド人などの実態を知る珍しいものという。
太原市晋源区文物旅游局蔵虞弘墓出土棺槨 592年 中国★美の十字路展図録より


棺槨(21点) 白大理石、彩色 南開皇12年(592) 高217㎝ 1999年山西省太原市晋源区王郭村虞弘墓出土 太原市晋源区文物旅游局蔵


『隋代虞弘墓』は、虞弘の墓で最も重要な発見は、白い大理石の棺に描かれた浮彫画である。白い大理石の棺槨には、棺の壁と基壇に浮彫で表された47個の図柄がある。棺の正面の壁の文様は外側を向いており、後面と左右の側面の文様は内側を向いているという。
正面左右の浮彫画、左は墓主が馬に乗っているが、右は墓主のいない馬だけが表されている。
太原市晋源区文物旅游局蔵虞弘墓出土棺槨 592年 隋代虞弘墓 太原市文物考古研究所編より

正面外壁右から半時計回りに

1 正面外壁右側
上段は、画面の中央に乗り手のいない馬がいて、その手綱を引く者、馬の背後に立つ三人全員が深目高鼻の東方アーリア系で胡服を着ている。
下段は、有翼でリボンを付けた半馬半魚の海馬(ギリシア神話のヒッポカンポス)だけが描かれている。たなびくリボンの縞や翼の彩色が鮮やかに残っている。
太原市晋源区文物旅游局蔵棺槨 592年 中国★美の十字路展図録より

上段の馬の上には首にリボンを付けた鳥が描かれるが、飛んでいるようには見えない。馬の足下には2匹の小型犬。
太原市晋源区文物旅游局蔵棺槨図解 592年 中国★美の十字路展図録より


2 右側壁内側 場面不明
上段は、木立の下に石壇のようなものがあり、その上で三人の小さな人たちが踊っている。その右側ではリボンを付け、頭光のようなものに包まれた二人の人物が顔を見合わせているがどういう場面を表しているのだろう。石壇の傍には大きな人が二人やはり頭光がある。右側の人物が抱えているのは骨壺だろうか。
太原市晋源区文物旅游局蔵棺槨 592年 中国★美の十字路展図録より

壇上の三人はリボンは付けていないが、右の二人には頭光がある。
下段ではライオンがヒッポカンポスに襲いかかっている。
太原市晋源区文物旅游局蔵棺槨図解 592年 中国★美の十字路展図録より


3 右側壁内側 勇者とライオンの闘争図
『隋代虞弘墓』は、上段には、ラクダに乗ってライオンを射る場面が描かれているという。
パルティアンショットと呼ばれるものだ。シャープール2世狩猟文杯(ササン朝ペルシア、4世紀)に同様の図柄がある。射手には頭光がある。
太原市晋源区文物旅游局蔵棺槨 592年 中国★美の十字路展図録より

上段では、ラクダに乗った勇者が跳びかかるライオンに矢を向けている。この勇者にも頭光がある。弓は見えるけれど、矢は見えない。射た後なのかな。
一方、ヒトコブラクダは後ろ肢に噛みつこうとする別のライオンの腰に噛みついて、犬も加勢している。
下段では一転して丸い毛氈に腰を下ろした人物が角笛を吹くという平穏な場面。
太原市晋源区文物旅游局蔵棺槨図解 592年 中国★美の十字路展図録より


4 奥壁内側 勇者とライオンの闘争図
上段は、ラクダに乗って進む背後から跳びかかるライオンを、振り返って矢で射ようとする若い勇者。勇者は長い髪で3図の人物とは別の人。
もう1匹のライオンがラクダの首に噛みついている。
太原市晋源区文物旅游局蔵棺槨 592年 中国★美の十字路展図録より

下段は反対方向に逃げる草食獣。どんな種類か特定できなかった。
太原市晋源区文物旅游局蔵棺槨図解 592年 中国★美の十字路展図録より


5 奥壁内側中央(前壁の間から見える部分)
『隋代虞弘墓』は、棺槨の浮彫画のうち5番目の部分は、最も大きく、人物が最も多く描かれており、上段と下段に分かれている。上段は大きなテントの中に多くの登場人物が集まっており、複雑な構成になっている。真ん中に男性と女性が座っているという。
太原市晋源区文物旅游局蔵棺槨 592年 中国★美の十字路展図録より

『中国★美の十字路展図録』には浮彫画に描かれたものが理解し易いよう図解もあるが、上段の細かいところまではよく分からない。
下段はライオンと勇者との闘いをほぼ左右対称に描いていて、どちらも頭はライオンの口の中。それでも右側の勇者は、果敢にもライオンを剣で突き刺している。
太原市晋源区文物旅游局蔵棺槨図解 592年 中国★美の十字路展図録より

『隋代虞弘墓』はテント前の壇に坐る二人について、男性はがっしりとした体格で、深目高鼻で、長くウェーブした髪をしており、上に太陽と月の形の装飾が付いた王冠をかぶっている。女性は宝石をちりばめた王冠をかぶり、豪華な衣装を身にまとっていた。彼女もまた深目高鼻であるという。
双方とも深目高鼻で、東方アーリア系のソグド人であることに間違いない。墓主の冠は日月冠で、ホスロー二世の日月冠に似ている。
太原市晋源区文物旅游局蔵棺槨 592年 隋代虞弘墓 太原市文物考古研究所編より

同書は、前景では、6人の男性楽士が左右対称にひざまずき、それぞれ楽器を演奏している。真ん中には、深目高鼻、そして後ろになびいた長い髪を持つ男性がいる。彼は小さな丸い毛氈の上に立っており、生き生きとして明るい胡騰舞を踊り、楽しくて平和な宴会の雰囲気を作り出しているという。
女性の背後には同じような冠を被った人物(女性?)が控えている。
太原市晋源区文物旅游局蔵棺槨図解 592年 中国★美の十字路展図録より


6 奥壁内側 勇者とライオンの闘争図
上段は、象に乗った勇者に3頭のライオンが襲いかかっている。頭光をいただき顎髭をたくわえる勇者は2本の剣で後方のライオンと闘っているが、別のライオンは象の鼻に噛みつかんとし、残る1頭は象の前肢に迫っているが、後ろから来た犬がそれを阻止しようと跳びかかっている。
太原市晋源区文物旅游局蔵棺槨 592年 中国★美の十字路展図録より

下段のカモのような鳥は上段の象と同じ方を向き、口に銜えているのは花?雲?
太原市晋源区文物旅游局蔵棺槨図解 592年 中国★美の十字路展図録より


7 左側壁内側 日月冠をつけた貴人の騎馬出行図
上段では勇者が到着したのか、食べ物を持った盆を掲げる者と飲み物の器を持っている者に囲まれている。馬の肢は歩いているように表現されているが、勇者はすでに杯を持っている。
太原市晋源区文物旅游局蔵棺槨 592年 中国★美の十字路展図録より

下段には角のない羊がいる。
太原市晋源区文物旅游局蔵棺槨図解 592年 中国★美の十字路展図録より


8 左側壁内側 もてなされる貴人
上段では、髭面の男性が椅子に半跏して腰掛け、右手には大きな碗を持っている。その前には丸い毛氈に跪いて食べ物を献上する人物、その背後には琵琶のような楽器を奏でる人物もいる。跪く人物以外は頭光がある。
太原市晋源区文物旅游局蔵棺槨 592年 中国★美の十字路展図録より

リボンを付けた鳥は飛んでいて、犬は人々の後方で横を向いている。
下段では右方向へヘラジカのような大きな角の草食獣が駆けている。
太原市晋源区文物旅游局蔵棺槨図解 592年 中国★美の十字路展図録より


9 正面外壁左側 日月冠をつけた貴人の騎馬出行
上段は、足首にリボンを巻いた馬に乗った墓主の図で、日月冠を被り、リボンを後方に靡かせて前方に進んでいる。左手には蓋付きの小さな容器を持っている。その後ろにはMIHO MUSEUM蔵棺床屏風に表された傘(6世紀後半-7世紀前半)によく似た傘を掲げていて、前方には墓主が持っている容器に似た器を托にのせた人物が待っている。茶托ってこの時代すでにあったのか。
太原市晋源区文物旅游局蔵棺槨 592年 中国★美の十字路展図録より

上段に登場する人物には全て頭光があるが、何を表しているのだろう。
下段では角の大きな牛にライオンが噛みついている。
太原市晋源区文物旅游局蔵棺槨図解 592年 中国★美の十字路展図録より

MIHO MUSEUM蔵棺床屏風(6世紀後半-7世紀前半)と比べると、登場人物は少なく、下段の浮彫画は動物闘争図が多い。


10 棺槨台正面左側
上段は、左端には丸盆と壺を持った人物、他は楽士が二人ずつ扁平なアーチ型の壁龕に並んでいる。しかも皆頭光がある。
太原市晋源区文物旅游局蔵棺槨 592年 中国★美の十字路展図録より


下段にはやや崩れた連弧式の格狭間の中で、大きな壺を挟んで左は竪笛を吹いているようで、右には杯を掲げる人がいる。やはりどちらも頭光がある。
太原市晋源区文物旅游局蔵棺槨 592年 中国★美の十字路展図録より


棺槨台正面右側
上段は楽士たち
太原市晋源区文物旅游局蔵棺槨 592年 中国★美の十字路展図録より

楽士たち
今も残る色彩から、当時の鮮やかな彩色がしのばれる。それだけでなく金箔も貼られていた。
太原市晋源区文物旅游局蔵棺槨 592年 中国★美の十字路展図録より


台座前壁浮彫画 『隋代虞弘墓 太原市文物考古研究所編』より
中央部分
同書は、典型的なゾロアスター教の儀式が描かれている。画面中央には、壇と、その上に炎が燃え盛る三段の蓮華形の拝火壇が置かれている。
左右に向かい合って立つ神がいる。上半身を火の祭壇の方に傾け、手袋をはめ、片手で口を覆い、もう一方の手を火の祭壇の方に伸ばしている。同様の拝火壇の形は、世界中のゾロアスター教の図像やペルシャの銀貨の図柄によく見られる。石槨の重要な位置に刻まれたこの像は、墓の所有者の宗教的属性の象徴であると考えられるという。
拝火壇の傍で火が消えないように管理しているのは神官だと思っていたが、同書は「神」としている。
蓮華形の拝火壇というのは、中国の仏像の台座から拝借したものかと思ったが、ゾロアスター教では普遍的なものという。しかもペルシアの銀貨によく見られる図柄ということで、自分の記事を調べてみたが、蓮華形の拝火壇は見つからなかった。ペルシアの銀貨についてはこちら
太原市晋源区文物旅游局蔵棺槨 592年 隋代虞弘墓 太原市文物考古研究所編より

図解
神あるいは神官には頭光がない。
太原市晋源区文物旅游局蔵棺槨図解 592年 中国★美の十字路展図録より


神の上半身は人間の姿で、頭に王冠をかぶり、長い黒髪を波打つように背中に垂らし、深目高鼻、そして濃いひげを生やしている。頭の後ろには赤と白のリボンが後ろへなびいているという。
背中に垂れた長い黒髪は浮彫されておらず彩色だけだが、髭は浮彫されている。
太原市晋源区文物旅游局蔵棺槨 592年 隋代虞弘墓 太原市文物考古研究所編より

下半身は鷲で、大きく広げられた翼、力強い尾羽、そして力強く誇張された脚と爪を持っているという。
MIHO MUSEUM蔵棺床屏風(6世紀後半-7世紀前半)の神官は足も人間のものとして描かれている。この違いは何だろう?
これについては後日
太原市晋源区文物旅游局蔵棺槨 592年 隋代虞弘墓 太原市文物考古研究所編より


11 台の左内側
上段には三つの壁龕があり、それぞれ馬で疾駆しながら草食獣を追う勇者たち。  
下段の格狭間には角笛を吹くものが一人ずつ。
太原市晋源区文物旅游局蔵棺槨 592年 中国★美の十字路展図録より


12 台の右内側
上段の三つの壁龕は、左端では暴れ馬を制している人物、右の二つでは矢を向けている。
下段の格狭間には酒杯を持つ者が一人ずつ。
『ソグド人と東ユーラシアの文化交渉』は、酒を注いで雨を祈る様子は、甘粛省天水県のソグド人墓石棺牀の屏風や、山西省太原の隋代虞弘墓の石棺にレリーフとして刻まれており(雨乞いではなくローマのワイン作りをモチーフとする説もある)、唐代のソグド人には広く祈雨信仰が広まっていたというが、虞弘墓の浮彫画にそのような場面を見つけることはできなかった。ひょっとすると格狭間の中で酒杯を掲げているのは飲むためではなく、雨乞いなのかも。
太原市晋源区文物旅游局蔵棺槨 592年 中国★美の十字路展図録より

12 上段右端
大きな角の鹿を追いかけているが、矢がない。人物の瓔珞や着衣、馬の鬣や尻尾などに金箔の痕跡がある。
太原市晋源区文物旅游局蔵虞弘墓棺槨 592年 中国★美の十字路展図録より


棺槨を飾るものは浮彫画だけではない。

『隋代虞弘墓』は、棺の台は彫刻と彩色が施された扉と壁龕に囲まれており、その内部にはすべて人物像が描かれているという。
浮彫画と同じく、2本の柱の間に浅いアーチ状の門楣があり、その中に人物が描かれている。他にも狩猟図や楽人図などがある。本図では男性に女性が杯を渡す傍で猟犬がじゃれついている。
太原市晋源区文物旅游局蔵 虞弘墓棺槨内壁画 592年 隋代虞弘墓 太原市文物考古研究所編より

八角柱
墓からは、浮彫と絵画が施された八角形の白い大理石の柱5本と、蓮弁の台座5基も出土した。総高は148㎝で、棺の上の軒から地面までの高さよりわずかに低い。この推測に基づくと、これらの八角柱の本来の位置は棺の上の軒下にあったはずで、これらは石棺の装飾的な要素であると同時に、棺の蓋を支える役割も果たしていたという。
この八角柱で石製の屋根を支えていたのだ。
仏像の蓮台のようで、ふっくらした複弁の返花が8枚巡っている。八角柱の各面には大きな四葉の半パルメット蔓草が刻まれている。
太原市晋源区文物旅游局蔵 虞弘墓棺槨内の八角柱 592年 隋代虞弘墓 太原市文物考古研究所編より

石槨門楣
龍の頭部は両端に離れているのに、尾が結ばれて、蓮華の蕾がその間から出ている。
太原市晋源区文物旅游局蔵 虞弘墓棺槨門楣 592年 隋代虞弘墓 太原市文物考古研究所編より

楽士の白い大理石の俑が10体あり、すべて彩色されており一部は完全な状態。男性7人、女性3人の楽士がおり、全員漢民族で、身長は50㎝以上、琵琶、パンフルート、箜篌、笙、横笛、腰鼓などの楽器を持っているという。
パンフルートを持つ女性は8枚の単弁の返花のある蓮台に立つ。仏教美術に表される蓮台や龍などが装飾として使われている。それに違和感がなかったのたろう。
太原市晋源区文物旅游局蔵 虞弘墓棺槨より出土女伎楽俑 592年 隋代虞弘墓 太原市文物考古研究所編より

石灯
ここにも蓮弁が入り込んでいる。
太原市晋源区文物旅游局蔵 虞弘墓棺槨より出土石灯 592年 隋代虞弘墓 太原市文物考古研究所編より 


虞弘は官僚貴族で、実際には動物はもちろん、敵と闘うこともなかっただろうが、勇者とライオンの闘争図やもてなされる貴人は虞弘の生前の活躍を象徴しているのだろう。
それにしても、小さな空間にまで闘いの場面を表した棺槨は珍しい。




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参考文献
「中国★美の十字路展図録」 曽布川寛・出川哲朗監修 2005年 大広
「隋代虞弘墓 太原市文物考古研究所編」 2005年 文物出版社
アジア遊学175「ソグド人と東ユーラシアの文化交渉より」森部豊編 2014年 勉誠出版