お知らせ

忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。
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2026/06/02

青銅大鍋はウラルトゥ


装飾付き青銅の大鍋はウラルトゥが原産だった。

人面鳥付き大鍋 ゴルディオン出土 アンカラのアナトリア文明博物館蔵
人面鳥(ギリシア神話ではセイレン)が四方から大鍋の中をのぞき込んでいる。
説明パネルは、ゴルディオンで出土した青銅製の大鍋は、フリギア金属工芸における最も傑出した発見の一つ。これらの丸い胴体の大鍋の縁には、人や動物を模したものが装飾として施されている。
人頭の魔物で装飾された大鍋は、アッシリア美術の影響を示している。これらの大鍋はウラルトゥの大鍋と非常に類似しており、ウラルトゥから請来されたものと考えられるという。
フリギアの金属工芸といいながら、ウラルトゥから請来されたものとしている。

毛髪や翼の細部を細かい彫りで表現しているし、背中に環付きが残っている。


確かによく似た大鍋がウラルトゥの工芸品として展示されていた。

人面鳥付き大鍋 ウラルトゥ アナトリア文明博物館蔵
フリギア時代にゴルディオンから出土した大鍋とほぼ同じ。こちらには環も残っている。

環のついた人面鳥の翼は1枚1枚が丁寧に彫られていて、ゴルディオン出土品よりも緻密な作りである。


もう一つのタイプは牛の頭がついたもので、牛の肢をかたどった三脚にのっていた。


牛頭付き大鍋 前7世紀初 ウラルトゥ、アルトゥンテペ出土 アナトリア文明博物館蔵
同館図録は、4頭の牛の頭がついて典型的ウラルトゥ風に飾られたこの大鍋はフリギア、ギリシア、イタリアに輸出されていたという。

鳥の形の平たい板が留め金で取り付けられているのに牛の頭部とは。鳥の尾や翼の線刻がない。


よく似たものが平山郁夫氏の所蔵品にもある。
牛頭装飾付き大鍋 前8世紀末-7世紀 トルコ、アルトゥンテペ出土 青銅高20㎝口径26㎝ 神奈川県、シルクロード研究所蔵
『世界美術大全集東洋編16 西アジア』は、二つの牛頭把手の大鍋はウラルトゥ美術を代表する作品である。大鍋の口縁は外側に反り返っている。
このような丸底の把手付きの鍋は西アジアの調理用鍋の典型的な形で、古くから土製のものが使用されていた。その形をまねて金属で大型に製作し、牡牛の装飾把手をつけたのは、特別な儀式に用いられたためと考えられるという。

『ウラルトゥの美術と工芸展図録』は、本来は牛の脚をかたどった三脚の上に据えられ、径1mに達する大きなものもある。口縁のところには雄牛や鳥、神像などの形をした把手が付けられている。このような青銅鍋はフリュギアやエトルリアでも出土しており、ウラルトゥの文化的影響を示しているという。
大鍋の把手は四つと決まっていた訳でもないようで、この大鍋の把手は二つだけ。取れてしまった跡もない。
シルクロード研究所蔵 アルトゥンテペ出土牛頭装飾付き大鍋 世界美術大全集東洋編16 西アジアより

『ウラルトゥの美術と工芸展図録』は、牛頭はおそらく蠟型技法によって製作され、細かい線刻を加えて額の毛並みや後頭部の毛の流れが表現されている。T字形の基部は三つの鋲で留められ、鳥の翼と尾を表し、線刻で羽根の一筋一筋が刻まれている。力強い牡牛の表情がしっかりとした角、ぴんと張った耳、はっきりと刻んだ目や、鼻の皺からうかがわれる。これは牡牛のもつ力への畏れの現れで、魔除けとしてつけられたのであろうという。
アナトリア文明博物館品よりも鳥の翼や尾の表現が丁寧だけれど、何故牛頭の基部が鳥の翼と尾なのだろう。
シルクロード研究所蔵 アルトゥンテペ出土牛頭装飾付き大鍋部分 ウラルトゥの美術と工芸展図録より


アンカラのアナトリア文明博物館の前6千年紀のチャタルフユックの部屋が再現されていた。部屋の壁面にはたくさんの牛の頭が掛けられていた。古来よりアナトリアでは大きな角を持った牛を畏れ、魔除けとするということが、広く行われていたのだろう。


アナトリアの東部にあったウラルトゥで製作された青銅製鼎あるいは大鍋はギリシアに請来されて、東方化様式というものが生まれたが、ウラルトゥではなかった大きなグリフィンやライオンの頭部が付属するものだった。

大鍋 オリンピア出土 前670年頃 オリンピア考古博物館蔵
『OLYMPIA THE ARCHAEOLOGICAL SITE AND THE MUSEUMS』は、東方の原型を受け継いだライオン頭部、グリフィン、セイレンが周囲を巡るという。
幾何学様式では垂直の把手だったのが、背中に鐶付きのついたセイレンとなる。これはウラルトゥの把手の一種である人面鳥をそのまま受け継いだのではないのかな。

円錐形の台 前8世紀 青銅製 オリンピア考古博物館蔵
同書は、前700年頃からそれまでのギリシア式の鼎に代わって、オリエント直輸入の形式が登場する。比較的平らな釜を円錐形の台脚に載せる着脱式のタイプで、この新型の釜の原産地は主な出土地である東アナトリアのウラルトゥないし中央アナトリアのゴルディオンとも考えられるが、北シリア地方の石造レリーフとの様式上の類似点も多く、詳細はなお不明である。
いずれにせよこのオリエント製の鼎は東方化時代に入ったばかりのギリシア人の想像力を強く刺激したらしい。ギリシアの主な神域であるオリンピアやデルフィ、サモス島のヘライオンで多数の類品が出土し、また幾何学時代最末期のアテネでこの新型の鼎を模した器形の陶器が登場し、あるいはこの釜を描いた後期幾何学式や初期プロト・コリントス式陶器画も存在するという。
その大流行したオリエント様式の鼎の台脚には、行進する有翼精霊の間に、ポリュフェモスの画家が人物の足の間に描いた「一本の木」によく似たものが描かれている。
それは、花というよりも蕾のようなもので、2段ある葉は渦巻いている。


別の鼎の図
この図からは4枚の翼のある4名の上にはザクロの実のようなものが巡り、精霊は左手で松毬状のナツメヤシの雄花のようなものを持ち行進している。翼の下には小さな植物の芽、脚の間にはちょっと成長した植物が、そして精霊の間にはもっと大きくなった植物が表されているが、ギリシアに運ばれたナツメヤシの実を見て、ナツメヤシはこんな風に出来るものと思って描いたのだろうか。実際のナツメヤシは文字通りヤシなので、どんどん高く成長して、雌雄異株で、人が雄株を雌株に包んでいるのを何かの番組で見たことがあるが、干した実(英語ではデーツ)しか知らないギリシア人が、こんなものかと思ってナツメヤシの成長の様子を描いたのではないだろうか。


大鍋 デルフィ出土 前7世紀 デルフィ考古博物館蔵
口縁周辺に突起物が取り付けられた痕跡はないが、背後の想像復元図ではそのようになっている。三脚の台はウラルトゥのものと同じ牛の足なので、造られた時は牛の頭が付いていたのでは。

その想像復元図
(何故かオリンピアの鼎と同じ)
ギリシアで造られた大鍋は牛の頭ではなく、外側を向いた3つのグリフィン頭部と内側を向いた3つのライオン頭部、そしてセイレン型の鐶付が付いてにぎやかになる。
『DELPHI ARCHAEOLOGICAL MUSEUM』は、東方様式の奉献品は、新たな鼎のタイプ、おそらく北シリア地域を起源とするものに取って代わった。鎚打ちの大鍋は持ち運ぶことができ、縦溝飾りのある三本の脚に支えられた輪っかに載せた。縁の周りは、牡牛、ライオン、そしてもっとよくあるグリフィンやセイレンのような想像上の動物で飾ったという。
また、幾何学様式時代の鼎の把手は垂直に固定された大きな円形のものだったが、東方化様式の時代になるとそれはなくなってしまう。一見把手はわからないが、一対のセイレンの背中に小さな鐶付(かんつき)があり、そこに小さな輪(鐶)が通してある。
デルフィ考古博物館蔵 デルフィ出土大鍋想像復元図 前7世紀 DELPHI ARCHAEOLOGICAL MUSEUM より 


セイレン 前625-600年頃 青銅製
東方様式の鼎を飾った。東方のモデルに影響を受けたギリシア工房の特徴的な作品。
女性の頭部をした有翼のセイレンは、オデッセイの冒険で知られるセイレンに似ているので、便宜上付けられた名称である。ギリシアの工人たちが東方のものを真似て、自身の作風へと換えていく過程を示している。アーモンド形の目、肉付きのよい頬、だんご鼻をした東方の怪物の顔だちは、強さと生命力のある人物像の表現となったという。
これまでの人面鳥は翼の上に腕が表現されていたが、このセイレンは腕が翼の下にあるみたい。
デルフィ考古博物館蔵 デルフィ出土青銅製大鍋の装飾セイレン 前7世紀 DELPHI ARCHAEOLOGICAL MUSEUM より


脚のとれた大鍋 
残念ながら説明板を写していなかったので、制作年代は不明
他の大鍋が壊れて残った上下を繋いだような形。

翼を広げた鳥形の青銅板が付けられていた。付けるための穴や小さなリベットが残っている。どんな頭部が付いていたのだろう。



イタリア(エトルリア)で出土した大鍋

兵士と動物のレベス(宗教儀式用大釜) 前7世紀 イタリア、パレストリーナ(ローマの東方)、ベルナルディーニの墓出土 銀、鍍金 ローマ、ヴィッラ・ジュリア国立博物館蔵
『世界美術大全集5 古代地中海とローマ』は、外面は上下3段に分割されており、下段は戦車に乗る人物と楯や槍を持つ兵士の行進、中段は騎馬人物と武器を持つ兵士の行進、上段は水鳥が並んでいる。いずれもエジプトのモティーフを手本としているが、細部に曖昧なところがあり、エジプト人の手によるものではないことは確かである。事実、パレストリーナ出土の他の1点にはフェニキア文字でかつての所有者の名前が刻まれている。
銀製の本体に鍍金を施したこの容器がレベスと称されるのは、口縁近くから蛇を模した6本の突起があるためで、宗教儀式における大釜としてギリシアやエトルリアで用いられたという。
外側を向いた6匹の蛇が口縁部を飾っている。
銀に金の鍍金とは、よほど大切な儀式に使用されたのだろう。
ヴィッラ・ジュリア国立博物館蔵兵士と動物のレベス 前7世紀 パレストリーナ、ベルナルディーニの墓出土 世界美術大全集 古代地中海とローマより
 
ウラルトゥ請来の牡牛の頭部や人面鳥の控えめな造形が、ギリシアやエトルリアではこんなにおどろおどろしいライオンやグリフィンの装飾になったとは。




関連記事

参考文献
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」2000年 小学館
「DELPHI ARCHAEOLOGICAL MUSEUM」 DIANA ZAFIROPOULOU 2012年  ATHENS
「OLYMPIA THE ARCHAEOLOGICAL SITE AND THE MUSEUMS」 OLYMPIA VIKATOU 2006年 EKDOTIKE ATHENON S.A.
「世界美術大全集5 古代地中海とローマ」 1997年 小学館

2025/09/23

チョルム博物館にアラジャホユック遺跡の王墓

 

チョルム博物館一階の中央展示室には初期青銅器時代(前3000-2000)の王族の墓の復元が展示されている。

チョルム博物館のPDFは、ヒッタイト人以前のアナトリア先住民つまりアナトリアにおける高度な文化の担い手であるハッティ人達が活躍したのは、前期青銅器時代(前3000-2000)であるという。
ハッティ人はヒッタイト人のような印欧語族ではなかったが、製鉄技術があって、ヒッタイト時代にもそれが受け継がれたとも言われている。

アラジャホユックL墓 
アラジャホユックL墓を実寸大に復元している。そして墓内にあった人骨、祭祀用のウシ、シカ形製品、サンディスク、装飾品や墓の上に犠牲獣(死者の食物)として捧げられたウシの頭部を実物同様に展示しているという。
近年はサンディスクと呼ばれているが、以前はスタンダードだった。
ある程度の広さはあるのに、遺体は墓室の中央ではなく片隅に安置されている。出土時には残らなかった品々が所狭しと副葬されていたのだろうか。

王は金製の王冠のようなものを被り、青銅器(スタンダード類)や土器が散在している。


金冠
アンカラのアナトリア文明博物館蔵アラジャホユックA墓出土の金冠(前2500-2000年)とそっくり。 
『世界美術大全集東洋編16 西アジア』は、透彫りは、三角形の透かしを方向をたがえて四つ組み合わせることで格子目文にX字形文(襷状)が組み合わせた形となっている。それぞれの三角形は、外側から鑿(のみ)状の工具で3回打ってくりぬくことで作り出されているため、微妙に形が異なっている。これが水平方向に4段にわたって全周する。上縁と下縁には内側からの打出しによる点文が認められるという。
背後にある金製の十字形のものは何だろう?頭の上にのせて金冠に留めていたとか。

サンディスクと
儀式用スタンダード 青銅製 前3千年紀後半
サンディスクにはいろんなものが付属している。
スタンダードについて『世界美術大全集東洋編16 西アジア』は、アラジャ・ホユックの副葬品のなかで出色なのは、なんといっても「スタンダード」と呼ばれる青銅製品であろう。これらはいずれも基部に柄に差し込めるような形の茎が作り出されており、柄に差し込んで用いられた祭器であったと考えられる。
スタンダードには大きく分けると、動物像と円盤状のものの2つの種類が見られる。動物像としてはまれに驢馬も見られるが、牡牛と牡鹿が中心となっているという。
下部に差し込む突起があるのでスタンダードと呼ばれている。それについてはこちら
儀式用スタンダードはアナトリア文明博物館所蔵の作品を小さくしたみたい。

丸くないサンディスクや円形でないものも。


横向きにもおける壺?


奥にも鹿形スタンダードやサンディスク類が散らばっている。


奥にもサンディスクが幾つかあるが、石の上に中に鹿のスタンダードも。これは茎が1本で、実際にこんなに枝分かれした大きな角のある鹿がいるとは思えない。


犠牲獣(死者の食物)として捧げられた牛の頭部が並ぶ。
墓室は丸太を並べ、その上から土を盛っていたようだが、墓全体はどのような構造だったのだろう。


                   →ヒッタイト時代の装飾付き壺


関連記事

参考サイト

参考文献
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」 2000年 小学館


2017/02/07

泉屋博古館の青銅器2 饕餮文


第3展示室は「青銅器の文様」
それぞれの作品の上部に、饕餮の文様が拡大されて分かり易い。

しかし、今回はその饕餮文の図解を撮影するにとどまった。

展示室にあった「商周青銅器の文様」というリーフレットは、商時代から西周時代前半にかけて、器の最も目立つ位置(腹部中央など)に、怪獣の顔面を大きく表現することが流行しました。この顔面文様を饕餮文と呼んでいます。近年中国では獣面文と呼ばれています。
この文様は、青銅器の最も目立つ部分を飾る場合が多いことから、この時期、一番格の高い重要な文様であったと考えられ、天の最高神をあらわした文様とか、最高神の使者をあらわした文様とかいわれていますという。

何故それを写したかというと、顔の各部分がくっきりと表され、しかもそれぞれに名称が記されてあるからだ。商から西周時代の青銅器は地文もびっしりと彫られているので、顔全体として理解するということが困難な作品が多い。だからこのような図解は有り難い。

顔面らしい形。角が少し離れている程度で一体感がある。
鼻梁の上部が左右で合っていないのは、この顔面が平面に表されているのではなく、3本の足の上の出っ張った部分の端に半分ずつが彫られているので、それを平面に合成する時にうまく合わせられなかったから。

上下一対ずつある牙は、上の作品よりは目立つ。角は外側の端が細くなり、角らしい形に。
リーフレットは、饕餮の基本構造は中央の稜飾を鼻すじとして、左右対称に顔面を展開します。鼻梁の上部には、必ず篦状の飾りを付けるのが特徴になっていますという。

角は顔面に付いているが。口は小さな牙のある線状に表され、その横に足が出現した。

饕餮の面白いのは、最初は正面向きの顔面だけだったのに、段々と胴部や尾、足などが横向きで表されるようになることだ。

横向きの動物として見た場合は顔も横向きのものが左右対称に配されており、しかもその横向きの顔を左右合わせて見ると、ちゃんと正面向きになっている。

各部分に鰭のようなものが複数出ていて、もはや饕餮の顔面よりも、横向きの動物を左右対称に表す方に重きを置かれているよう。

細い線で横向きの獣が表されている。羽根が出てきた。背後にはこの図柄をもっと簡略したような虁文が表されている。
眼だけは大きく表されているので、両眼を正面にして見ると顔面に見えるだろう。

とうとう各部分がばらぱらに。これでは顔だとわからない。工人も、一体何を作っているのかわからなくなっているのでは。

犠首方尊
各部分がばらばらの類。

饕餮の顔面というよりも、横向きの対獣文に見える。

平たいが饕餮の顔面に見える。それは、足がなくなり、上下に3つ繋がった羽根が幅が広いので、顔の続きのようになっているからだろう。
足がなくなり、4枚の羽根が髪にも見え、巻いた尾は耳ともとれる。横向きの獣は存在感が失せ、全体に饕餮の顔面を表したよう。
次回は必ず集中力のある時に、時間をかけてみよう。

     泉屋博古館の青銅器1 羽状獣文を探して←

関連項目
饕餮が大喰らいだったとは
饕餮は王だったのか

※参考文献
「商周青銅器の文様」 泉屋博古館青銅器室のリーフレット

2017/02/03

泉屋博古館の青銅器1 羽状獣文を探して


前回泉屋博古館に来た時は、特別展を見ただけで集中力が失せてしまい、同館の主要収蔵品である中国の青銅器はその前を通り過ぎただけで、今度行く時は必ずしっかり鑑賞しようと思ったものだった。
ところが、今回は石山寺の本尊如意輪観音半跏像(33年に一度の御開帳)を見、高麗仏画展を観覧した後だったので、その時以上に頭の中が満杯になってしまったため、やはりじっくり見ることはかなわなかった。

青銅器の展示室へ
入ると円筒形の吹き抜けのホールがあり、壁面に取り付けられた階段を登っていく。
その先の開口部が第1展示室。

第1展示室に入ると、青銅器が四方から見えるケースに一つずつ、整然と置かれていた。以前に来た時は、薄暗い中に大量の青銅器が置かれていたように覚えているが、なんと記憶というものの当てにならないものか。
ここは「青銅器名品選」の部屋。もちろん商(殷)時代のものからあるが、この日は春秋戦国時代以降の青銅器を見て歩いた。それは、同年春に東京の根津美術館の中国の古鏡展で、青銅鏡に羽状獣文や渦雷文など文様を覚えたので、その復習のつもりだった。

でも、一番近くの虁神鼓(商後期、前12-11世紀、高82.0㎝重71.1㎏)に吸い寄せられてしまった。

少しはこの展示室を見て回ったが、その後は春秋戦国時代のものを選んで見るようにした。

螭文れい(缶+雨+口3つ) 春秋時代(前7世紀) 高35.7㎝重18.1㎏
説明は、肩が強く張り、底に向かって直線的にすぼまる大型の酒甕。春秋中期から戦国前期にかけて見られる。本器は肩に獣面を透かし風に飾る持ち手が一対付くという。
文様は肩から胴下部にかけて4段あり、上段は双頭の有舌螭文とその隙間に鳥文という。
横向きの斑点のある鳥がなんとかわかる。
それ以外は連続S字状双頭有舌螭文が配されているという。
双頭というのは、双頭の鷲のように、肩の上に2つの頭部があるのではなく、S字状の体の両端が頭部になっている。
地文はない。

蟠螭文錞于 戦国前期(前5世紀) 高40.0㎝重6.2㎏
同館の説明は、底のない円筒形の上方部がふくらみ、その頂部が皿状になり、上に虎形の鈕が打楽器である。円筒形になった胴の下半を叩いたと考えられる。先の鐘や鉦に比べて非常に薄く造っているのが特徴で、柔らかい音がする。春秋中期に出現し、漢時代まで用いられた。本器は頂部の皿の縁が大きく外き、蟠螭文が飾られるという。
裾にこのような文様が一巡している。蟠螭文が崩れたような、羽状獣文になる前の段階のような・・・ いや、あまり整っていない穀粒文のようだ。

円渦文敦 戦国前期(前5世紀) 高24.3㎝重3.23㎏
説明は、半球形の身に一対の環状把手と短い3本足が付く。蓋も身とほぼ同じ形をしていて、蓋をのせると球形の器になる。穀物を盛る器である。春秋時代に出現し、戦国時代に流行した。蓋の頂部にだけ大きな円渦文があるという。
蓋の上の方に動物が3頭表されていて、これは蓋を上向きに置く時、安定が良いように足の役目を果たす。
羽状獣文は、青銅器の文様として発達した龍形文様の羽状飾だけを強調した文様(『中国の古鏡展図録』より)た゜という。その中に3列の列点文が入り込んでいて、龍の鱗のある体を表しているが、その文様が成立していく過程のよう。

者とう(氵+刀)鐘 戦国前期(前4世紀) 高25.7㎝重3.90㎏
説明は、逆U字形の鈕をもつ鐘である。春秋戦国時代以降に流行したタイプという。
枠の下は、左右対称のようだが、複雑に体を捻らせて集まった蟠螭文となっている。
これまでの青銅器と比べると、格段に彫りが浅くなっている。

穀粒螭文壺 戦国後期(前3世紀) 高29.1㎝重1.48㎏ 
説明は、やや外に開き加減の口に、細長い頸、球形の胴をした壺である。肩に獣面の環耳があるという。
文様は頸に沈線で退化した三角螭文、胴に穀粒螭文が4段ある。これはスタンプ状の母型を鋳型に繰り返し型押しして文様帯を形成する。この時期の典型的な施文方法である。全体に厚さ1.7㎜程度で、薄く鋳造しているのが特徴であるという。
「始皇帝と大兵馬俑展」に出品されていた盉(か、戦国秦、前3世紀)の羽状文によく似ている。幽かに地文の見られる部分もある。

その後第4展示室へ。

螭首文方鏡 春秋末戦国初(前5世紀) 長14.7㎝重502g
説明は、方形の鏡背面を上下二分したなかに、獣面文を対であらわす。獣面は、商・西周期の饕餮を模倣した図像で、眼・眉・鼻・角・三爪の足などが描かれ、その先端が羽状化している。一部錆により浸食されているが、非常に浅い浮彫で精緻に表現されていて、見事な出来栄えの優品であるという。
区画一面に、獣面とその各所から伸びた羽状の渦巻が広がっている。
しかし、よく見ると地も残っており、そこには渦雷文が充填されている。渦雷文としては古いものだろう。あるいは、渦雷文がこんな文様の隙間を埋める工夫として生まれた文様で、それが地を広く多うようになるのが戦国末-前漢初(前3世紀)なのかも。

四鳳文鏡 戦国中期(前4世紀) 径13.3㎝重178g
説明は、螭首文方鏡の主文様の一部を地文として、その上に浅い浮彫の葉文と鳳とをあらわす。鳳は後ろをふりかえり、尾を大きくひるがえす。鏡背全面に地文を充填する形式は戦国時代後半より流行するが、そのなかで本鏡は地文の形状などから、出現期の古いタイプのものと考えられるという。
鈕を巡る方形の区画の角から1枚ずつ細い葉が出ているので、四葉文という文様も盛り込んでいる。
上の螭首文方鏡の主文といえば饕餮を模倣した獣面文様とされているが、どちらかといえば、獣面の各所から伸びる羽状のものだけを採り上げたような地文。

蟠螭文鏡 戦国末-秦時代(前3世紀) 径20.8㎝重544g
説明は、蟠螭文は、口を大きく開けた顔を中心に置き、首から左右両側に胴体を枝分かれさせ、右側胴体に大型の菱雲文を付ける雲気をまとった螭龍の姿を表現するこの時期の典型的なスタイルであるという。
細線の菱形斜格子と渦とを組み合わせた雷文を地文として、その上に3体の蟠螭文を配するという。
地文は渦雷文だった。
2016年の締めくくりに、「羽状獣文」と「渦雷文」を再確認できた。

第4展示室の出口は第1展示室の上方に繋がっていた。こんな風に展示品を上から見られる美術館は少ない。
次回こそは時間をかけて青銅器を見ていこう。

泉屋博古館の青銅器2 饕餮文

関連項目
始皇帝と大兵馬俑展2 青銅器で秦の発展を知る
中国の古鏡展2 「山」の字形
中国の古鏡展3 羽状獣文から渦雷文、そして雷文へ

※参考文献
「村上コレクション受贈記念 中国の古鏡展図録」 根津美術館学芸部編 2011 根津美術館