お知らせ

忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。
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2026/04/07

シヴリヒサルのウルジャーミイ ミフラーブと説教壇の装飾


シヴリヒサルのウルジャーミイには素晴らしい漆喰装飾のミフラーブとキュンデカリの説教壇があった。


ミフラーブはマッカ(メッカ)のカーバ神殿に向かって礼拝する方向を示す大切なもの。アンカラのアスランハネジャミイではモザイクタイル、そのほかにも全面タイルで覆われたり、大理石で造られるなど、荘厳されてきたのだが、この礼拝室のミフラーブは漆喰装飾でさまざまな文様を表しているのだが、それが和紙のようなな、柔らかな質感の漂うものだった。
SIVRIHISAR BELEDIESI の Sivrihisar Great Mosque UNESCO World Heritage は、建設に使用された材料を考慮すると、14世紀から15世紀のオスマン建築に属することがわかる。ミフラーブは、成形技法による漆喰装飾が施されているという。

同ページは、1440年にヒズルベイによって行われた修復で設置されたこのミフラーブは、表面にムカルナスを施した漆喰でできているという。
ということは、アナトリアセルジューク朝期ではなく、オスマン帝国第6代皇帝ムラト二世(1453年にコンスタンティノープルを攻略するメフメト二世の父)の治世につくられたものだ。

ミフラーブは頂部が5段のムカルナス、その下が7面の壁龕になっている。

斜めからの眺め

5段のムカルナスも複雑で装飾的な浮彫になっているが、ムラト二世がエディルネに建立したムラディエジャミイの入口上のムカルナスにやや似ていると言えるかも。


頂部の開花した花のような突起は何だろう。

上部も浅浮彫の文様で荘厳されている。漆喰なのに和紙のような柔らかな風合いに見えるのは、その中に植物文様が浅く彫られているからだろうか。


ミフラーブの中は組紐文による幾何学文の中に植物文様が彫られていて、まるでアスランハネジャミイ(アンカラ、13世紀末)のミフラーブのタイル装飾説教壇のキュンデカリでつくられた組紐文による幾何学文に似ている。


同ページは、ミフラーブを囲む最も外側の最初の帯には、スルース体のカリグラフィーがあり、2番目の帯にはブドウの房と枝からなる植物のモチーフがあり、3番目の帯には絡み合った五角形からなる五点星と十点星のモチーフがあるという。

撮影した本人が何か分からなかったややピンボケのこの写真はブドウの房や葉だった。



続いてキュンデカリの説教壇(ミンバル)
Sivrihisar Great Mosque UNESCO World Heritage は、アナトリア・セルジューク朝時代の最も傑出した説教壇の一つと言える。ホラサンル・イブン・メフメトが釘を一切使わず、キュンデカーリ技法を用いて手作業で製作した。クルミ材で作られたこの説教壇は、セルジューク朝時代の木工技術の貴重な作品の一つであり、幾何学的な断面の中に突き出したルーミーとパルメットの精緻な象嵌細工、透かし彫りの手すりや格子が特徴。この説教壇は1924年にクルチ・メスジト・モスクから移設されたという。
漆喰装飾のミフラーブよりもずっと古いものだが、他のモスクにあったものだった。

側面

説教壇上部
一見木材を幾何学的に組み合わせただけに見えるが、それぞれが薄い板を重ねたキュンデカリの部材だ。

周囲は浮彫の蔓草文様だが、その内側は三つの菱形が上下左右に展開して、まるで折り紙で六角形の隙間をつくったよう。これは何という技法だろう。ただの透彫と浮彫?

階段の手すりのところには、透彫による六角形と六点星だが、その裏側は大きな六角形が繋がっている。


キュンデカリは2種類あって、左端は六角形と対角線、右の階段下は対角線のある八角形とその隙間の四点星との組み合わせ。

世界のモスクモスクの特徴。建築や装飾からモスクを読み解くでは、トルコでは、接着剤や釘などを一切使用せず、木片ピースを組み合わせるキュンデカリ Kündekari と呼ばれる技法で作られたミンバルがある。その技法は、日本の伝統技術でもある組子と通じるところがあるという。


左端の六角形と対角線


階段部の対角線のある八角形と四点星
キュンデカリの組紐文の間の三角形と変形四角形は左右対称の蔓草文様の浮彫。

キュンデカリの部材が八方から交わったところ。

キュンデカリの部材の集合部その2

変形四角形の部品が剥がれてしまった箇所

その変形四角形の部品 逆方向


説教壇の扉にも丁寧な細工が施されている。
同ページは、扉にはアヤテル・キュルシ(コーラン第2章「牡牛の章」第255節)が彫られている。アブジャド暦に基づいて1245年に建造されたものと理解できるという。
一番外のコの字形の部分にインスクリプション

頂部のコの字形の帯にカリグラフィー。扉にもカリグラフィーが彫られている。

枠にはカリグラフィーだけでなく、地に一重蔓の蔓草文様が彫られている。扉上部のスパンドレルを一重蔓の蔓草文様が埋めている。

上の枠にも一重蔓の蔓草文様とカリグラフィーが浮彫されている。

扉の小さな区画には植物文様の浮彫だけのものも。

参考サイト

参考にしたもの
現地説明パネル

2016/02/16

アナドル・セルジューク朝に初期のモザイク・タイル


アナドル・セルジューク朝の空色嵌め込みタイルを探していたら、同じ時期のものにモザイク・タイルの技法もあったことがわかった。
それをいつものように遡っていくと、

アルスランハネ・モスク 1289年 アンカラ
『COLOUR AND SYMBOLISM IN ISLAMIC ARCHITECTURE』は、アンカラで最も古く大きいモスクで、城砦の麓にあるという。
全体に漆喰地がそのままになっている間地が多いが、トルコブルーと黒(または紫)のモザイク・タイルと言えるのでは?

ムカルナスには小さな六角形を鏤めたものや、花文などを表す。
その下の文様帯はにはアラビア文字の銘文と蔓草文の組み合わせが、漆喰地の中に嵌め込まれている。
このようなものを嵌め込みタイルと呼ぶよりは、初期のモザイク・タイルとした方が適しているだろう。

腰壁は、青色と紫、そして無釉の3色のタイルを組紐として、型による数種類の浮彫漆喰を置いた隙間を縫っている。

詳しくはアスランハネジャミイのタイルとキュンデカリへ


チフテ・ミナーレ・メドレセ 1276年? エルズルム
ミナレットの下部
青色タイルと焼成レンガを交互に挟んだ枠、青色タイルの銃眼胸壁のような形が互い違いに並んだ文様帯。
その中には、中央の円に8点星とアラビア文字の組み合わせ、円の外側の隙間に蔓草文が、それぞれ青色タイルと紫色?タイルでモザイク・タイルとなっている。その間の輪っかは青色タイルを地として、焼成レンガを植物文に刻んで嵌め込んでいるのかな?

ギョク・メドレセ 1271-72年 シワス
『トルコ・イスラム建築紀行』は、本来の名はサヒビエ・メドレセシであるが、ミナーレに組み込まれたトルコ石色のタイルが美しいので、「青いメドレセ」の意で呼称されている。典型的な2階建て中庭式メドレセで、ファサードの構成と装飾が、他の追随を許さない豪華な建物。
建築家キョリュク・ビン・アヴドゥラーの弟子のカルーヤンという。
ミナレットには角錐形の青色タイルが嵌め込まれているので、嵌め込みタイルとモザイク・タイルの両方が見られるメドレセである。
青い8点星の外側にある8つの三角形は白色の施釉タイル。欠失しているが、5点星もトルコブルーの内側に白いタイルが嵌め込まれていた痕跡がある。
傷んでいるので土色が見られるが、間地のないモザイク・タイルで、しかも黒と青の組紐が立体的に交差している。
まず、それぞれの文様や黒と青の組紐を部品ごとにつくり、それを壁面に嵌め込んでいったか、ある程度の面積を作業場で組み合わせたかだが、このように凹凸のある表面に仕上げるのには、表向きに貼り付けていかないと無理なのでは。

ブルジエ・メドレセ 1271年 シワス
『トルコ・イスラム建築紀行』は、廟のドーム架構にトルコ扇の技法を用い、タイルによる装飾が鮮やかである。
建設者はイラン・ブルジルド出身のムザッフェリュッデイン・ブルジルディ、建築家は不明という。
空色嵌め込みタイルのところもあるが、ドーム架構部のトルコ扇中央には紫色の六角形と6点星が、トルコブルーの組紐で囲まれる、間地のないモザイク・タイル。
四壁上部には、アンカラのアルスランハン・モスク(トルコ語ではジャーミイ)とよく似た文様のムカルナスとアラビア文字の銘文がモザイク・タイルで表されている。

インジェ・ミナーレ・メドレセ 1264年 コンヤ
『トルコ・イスラム建築紀行』は、頂きに明かり取り、四隅にドームを支えるトルコ扇。ドームは直径10文様強、高さ15m強。四隅の4枚羽根のトルコ扇により、西20角形の台を作り、その上にドームを据えているという。
いつも参考にさせて戴いているというか、頼りにしているイスラムアート紀行さんに、レンガとタイルの美 インジェ・ミナーレ・マドラサというページがあった。そこにはトルコ扇の根元部分の大きな画像があり、ラインの中にはモザイクでパルメットのような模様が黒で描かれていますとのこと。
トルコブルーと黒いタイルが交互に並んでいるのかと思っていたが、こんなにくっきりとした文様帯が扇の骨?になっていたのだ。

ブユック・カラタイ・メドレセ 1251年 コンヤ
『トルコ・イスラム建築紀行』は、建物の本来の名はカラタイ・メドレセシ。典型的な屋内式メドレセで、アナドル・セルジューク建築の代表的傑作。ドーム天井のモザイクタイル装飾が圧巻。
建築家:碑文はないが、ダマスカスのムハンメド・ビン・ハヴラーンの可能性ありという。
ドームを飾るモザイク・タイル。トルコブルーの組紐が、細かな紫色の幾何学文を囲んでいる。
24枚の花弁が紫(図版によって紫に見えたり、黒に見えたりする)と白交互に表される。この白い花弁がタイルなのか、漆喰なのかがわからない。
その輪郭となるトルコブルーの組紐が放射状に、交差を繰り返しながら拡がっていく。それぞれの継ぎ目まではっきりとわかるすごい図版ではある。
その外側には蔓草文の文様帯の間に装飾的なアラビア文字の銘文と蔓草文が、漆喰地に嵌め込まれている。この間地がなくなるとモザイク・タイルは完成の域に達する。
アラビア文字の銘文の背後に表された一重に渦巻く蔓草文。これは渦巻きではなくて4重の同心円かと思ったが、目を回しながら辿っていくと、確かに渦巻いていた。
四隅にはスキンチでもペンデンティブでもないものが。
同書は、ドーム架構に「トルコ扇」の技法を用いた初期の例という。
トルコ扇も、移行部下、四壁上部にもモザイク・タイルがある。
イーワーン側壁
10点星の輪郭線が延長して互いに交差を繰り返し、様々な幾何学文をつくり出している。
それをおそらく2色のタイルと、僅かに地の漆喰が10点星の三角形に残っているように見える。
その他にも漆喰地を残すもの、残さないもの。植物文に幾何学文など、実に多様な文様をモザイク・タイルで表している。
特に、下の方に蔓草文とアラビア文字の銘文が、漆喰地は残るものの、モザイク・タイルで表されているのが興味深い。
黒い蔓草文は、白いタイルや焼成レンガを刻んだものに嵌め込まれたのではなく、やはり漆喰らに埋め込まれている。
色タイルの切れ目が見えなかったら、絵付けタイルと思うほどだ。
蔓草文をトルコブルーのタイルの帯が囲んでいるが、その帯が立体的に組み合わされている。

スルチャル・メドレセ 1242年 トルコ、コンヤ
『トルコ・イスラム建築紀行』は、典型的な中庭式メドレセで、釉薬タイルのモザイク装飾が特筆されるので、「ガラス装飾のメドレセ」の意で呼称されている。
建築家はトゥスのムハンメッド・ビン・ムハンメッド・ビン・オスマンという。
イスラムアート紀行さんに、スルチャル・マドラサ(コンヤ) 草創期のモザイクタイルというページもあった。そこに記載されている拡大されたタイル壁面の豊富な画像で、このメドレセにも漆喰面の残るモザイク・タイルと、色の異なるタイルがそれぞれの形に刻まれ、間地の見えないほど密接して組み合わされたモザイク・タイルがあることがわかった。
そしてその記事には、アンカラのアルスランハン・ジャーミイやコンヤのブルジエ・メドレセのような、間地の多いモザイク・タイルのムカルナスがあった。大きな写真のお陰で、トルコブルーとコバルトブルーの小さな六角形を並べた間地というか漆喰の三角形が、あるところでは繋がってしまっているのまでが見える。

イーワーン側面
右は黒いアラビア文字の銘文の下に、トルコブルーの一重に渦巻く蔓草文があるが、地は釉薬が剥がれたか、漆喰のままになっている。
左端の文様帯も、トルコブルーとコバルトブルーの植物文が表され、その地は釉薬が剥がれたか漆喰のままのよう。
黒いタイル片を地として、トルコブルーのタイル片で幾何学文構成している。その中心となるのは、放射状にトルコブルーのタイルが置かれる10点星である。
モザイク・タイルは、それぞれに刻んだ色タイルを文様に組み合わせ、裏向きにして漆喰で固めておいて、壁面に貼りつけると聞いているが、そのようにすると、こんな風に高低差はできないのではないだろうか。それで凹凸のあるモザイク・タイルは、表向きにして漆喰地に嵌め込んでいくと考えている。

ウル・ジャーミイ 1225-70年 エスキ・マラティア(古いマラティア)
ドームは空色嵌め込みタイルで放射状に曲線を描いているが、外壁と思われる箇所には、漆喰地のモザイク・タイルがあった。
壁面の2色のタイルで蔓草と枠を構成する。
地の部分が多いが、ある程度の大きさ、あるいは単位で、文様に刻んだタイルを裏側を向けて並べ、漆喰で固めてから建物に貼り付けるという、モザイク・タイルの造り方なら、漆喰部分が広くてもこのような文様は作ることができる。
漆喰地と色のタイルによるモザイク・タイルなどと思っていたが、人字形ような地はテラコッタを削ったものにも見える。そしてまた、トルコブルーと黒?の色タイルと、この焼成レンガの部品は、平らな面になっておらず、色タイルが高くなっている。

ケイカーブス1世廟入口 1217年 シワス、シファイエ・メドレセ
『トルコ・イスラム建築紀行』は、カイセリのチフテ・メドレセと同様に、病気治療機能と医学教育機能とを併せ持つ医学センターとして建設された。中庭式メドレセのプランで、建設者の墓廟があるのもカイセリの例と同じ。墓廟のドームにはトルコ三角形の技法を用いた初期の例。
墓廟部分は、アゼルバイジャン・マレンドのアフメット・ビン・ビジルという。
上から見ていくと、リュネットあるいはタンパンには大きな文字文があって、ティムール朝で大建築の壁面を飾ったバンナーイのよう。
その下や入口上部は、空色だけでなく、茶色い焼成レンガも用いて幾何学文やアラビア文字を表しているが、これまで見てきた嵌め込みタイルというよりは、モザイク・タイルと言ってもよいくらいの完成度の高さに見える。
中央の扉口上部
青釉タイルを刻んだ部品と、黒っぽい彩釉タイルを刻んだ部品とを、薄い色の焼成レンガに埋め込んでいる。
色の濃いテラコッタではなく、黒っぽい彩釉タイルと考えたのは、釉薬が剥落して、地となる焼成レンガと同じ色になった箇所が見られるから。

⑨アラーエッディン・ジャーミイ ルーム・セルジューク朝(アナドル・セルジューク朝)、12世紀後半-1220年 コンヤ
『トルコ・イスラム建築紀行』は、アナドル・セルジューク朝が建設した初期のモスク。アラーエッディンの丘に、宮殿と共に建設された。建設期間が長く、複雑な構成の建物だ。ドーム架構に「トルコ三角形」の技法を用いた初期の例。ドームの直径8.2m。
ダマスカスのムハンメド・ビン・ハヴラーン、ミンバルにアフラトの棟梁、モザイクタイルにアゼルバイジャンの棟梁の名があるという。
ミフラーブ前のドーム。ムカルナスを用いたスキンチや、アヤソフィアのようなペンデンティブを使わずに、ルーム・セルジューク朝では独自のドーム架構を工夫した。後に「トルコ扇」と呼ばれる形になっていくものの初期にはたくさんの三角形がドームへの移行部にあったのだ。
その三角形の中にはトルコブルーが見える。アゼルバイジャンの棟梁が貼り付けたモザイク・タイルというのはこのことかな。創建が1220年で後世の補修がなかったとしたら、早い時期のモザイク・タイルとなるのだが、どんなモザイク・タイルか、詳しくはわからないのが残念。
ドーム下のミフラーブの周りには、シワスのブルジエ・メドレセ(1271年)やコンヤのブユック・カラタイ・メドレセ(1251年)のような、漆喰地にトルコブルーの蔓草文と紫か黒のアラビア文字の銘文というモザイク・タイルの初期のものがあるように見える。

このようにアナドル・セルジューク朝で初期のモザイク・タイルを見ていくと、空色嵌め込みタイルを作lるうちに、色の異なるタイルを文様に刻んで漆喰で固めるようになり、やがてはその漆喰地が見えなくなるほどタイルとタイルを密着できる技術を編み出していくという、モザイク・タイル技法の発展段階がうかがえる。
しかしながら、モザイク・タイルにアゼルバイジャンの棟梁の名があるように、このモザイク・タイルによる装飾は、アナドル・セルジューク朝で発展したのかも知れないが、創り出されたものではないのだった。


       空色嵌め込みタイル2 13世紀はアナドル・セルジューク朝

関連項目
14世紀、トゥラベク・ハニム廟以前のモザイク・タイル
トゥラベク・ハニム廟のタイル

※参考サイト
イスラムアート紀行さんのレンガとタイルの美 インジェ・ミナーレ・マドラサスルチャル・マドラサ(コンヤ) 草創期のモザイクタイル

※参考文献
「COLOUR AND SYMBOLISM IN ISLAMIC ARCHITECTURE」 1996年 Thames and Hudson Ltd.London
「トルコ・イスラム建築紀行」 飯島英夫 2013年 彩流社