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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2026/02/17

後期ヒッタイトの神殿建築様式


ヒッタイト帝国の神殿について『ヒッタイト帝国 「鉄の王国」の実像(以下『「鉄の王国」の実像』)は、ヒッタイトの神殿建築様式には一定の型があるという。

それをハトゥシャ(ボアズキョイ)の神殿群でみてみると、

大神殿の想像復元図(説明パネルより)
説明パネルは、実際の神殿は複合施設の中央に位置し、外部から完全に隔離されていた。
ハトゥシャ最大の神殿。おそらく、王国の最高神であるハッティの風神とアリンナの太陽の女神に捧げられたものと思われる。建物の土台部分のみが大きな石灰岩のブロックで造られていた。その上に、日干しレンガを積んだ木骨造りの壁が築かれていたが、現在では何も残っていない。今は、木骨造りの壁と石の土台を繋いでいたダボ穴が数多く見られる。神殿は、泥で固められた典型的な平らな屋根で覆われていたという。

また「鉄の王国」の実像』は、中央には屋根のない中庭があり、大型の神殿の場合は列柱が中庭を囲む例もある。ヒッタイト語で中庭をヒラ hila といい、列柱で囲まれた広間をおそらくヒランマル hilammar といったようだ。
入口から離れた神殿の最奥に至聖所(神像が置かれ、礼拝が行われた部屋)がある。神殿の入口から至聖所に入るには必ず一度は曲がらなくてはならず、直線的には配置されていない。入口には守衛室のようなものがあり、部外者(身を清めていない不浄な者)が立ち入らないように厳しく管理されていたことが窺える。至聖所の隣には小部屋があり、神々(神像)が人間と同じように食事をし、就寝し、身を清めるための道具や供物が保管されていたらしいという。 
石積みの土台しか残っていないので、見学していると全体が見渡せて、下図のように視界を遮る壁がイメージしにくい。
❼正門 ➓本殿入口 ⓫中庭 ⓬祭壇 ⓭祭祀の間(2箇所) その周囲に貯蔵室


大神殿見学後はバスに乗って門巡りをして、車窓から上の町の神殿群を見ることしかできなかったが、それでも大小様々な神殿には中庭があるのは分かった。

古代都市1 ヒッタイトの都ハットゥシャ アラジャフユクとシャピヌワ』は、その面積は大神殿の本殿よりもやや小さいが、内部の構造は似通っている。
北側に設けられた堂々たる階段を登ると広々とした玄関ホールがあり、その左右には小部屋が設けられていた。ホールを抜けると20×15mの広さの中庭があった。 この中庭の右奥にある小部屋の役割は解明されていないという。
❶No.5の神殿 ❷王の門 Google Earth より


「鉄の王国」の実像』はこの中庭を指すヒラというヒッタイト語について、のちにアッシリア帝国に採用され、アッシリアの建築は「ビート・ヒラ二」(ヒラニの家)と呼ばれた建築様式で建てられていた。アッシリア人が「ヒッタイト風」と考えた建物というわけであるが、その実態はよく分かっていない。また、もう一つアッシリアがヒッタイト(後期ヒッタイト)から採り入れた建築様式があり、それは門や入口の両脇にライオンなど石製の巨像を配置することであったという。
かなり以前にヒッタイトのライオン像とアッシリアのラマッスについてまとめたことがある。その時にアッシリアのラマッスよりも前の後期ヒッタイト時代(前10-9世紀)に、アスランテペで城門のライオン像が造られていたことに気付いていたが、本当にそうだったことが判明してうれしい。
その記事については関連記事へ

城門のライオン像 石灰岩 高124㎝ マラティヤ、アスランテペ 前10-9世紀 アンカラ、アナトリア文明博物館蔵

もちろん一対です。足の指の表現が面白い。尾は後肢の間に巻いている。


それにしても、アッシリアのラマッスと後期ヒッタイト時代の門のライオン像の造形の違いは相当なものだ。

人面有翼牡牛像 前9世紀 アッシリアの首都カルク(現ニムルド)
『メソポタミア文明展図録』は、アッシュールナツィルパル二世(前883-859)はアッシュールからカルクに遷都した。彼はアッシリア宮殿建築の規範となった新様式の豪華な宮殿を建てた。これは伝統的なメソポタミア煉瓦建築に対する大きな革新であり、その実質は装飾に石材を集中的に使用したことにあったという。
この「新様式の宮殿」が後期ヒッタイト時代の宮殿から借用したピート・ヒラニというものだったのだ。

これらのライオンあるいは有翼人面雄牛像は神格を示す角付き冠を着けていた。彼らの像は側柱の役を果たしており、頭から前脚までの半像は丸彫りで、胸あたりから後半身は高浮彫だった。正面からも側面からも見られるように五本脚を特徴としていたという。
左奥には角が二対ある神が立っている。

時代が下がると、
人面有翼牡牛像 前721-705年 イラク、コルサバード、サルゴン二世の宮殿出土 アラバスター 高420㎝ ルーヴル美術館蔵
『世界美術大全集東洋編16 西アジア』は、新アッシリア時代には、宮殿の主要な通路や出入口に、巨大な石製守護像が設置された。巨像は、肩までかかる髪と顎鬚を有する人間の頭部に、翼をもつ牡牛の身体を組み合わせた想像上の生き物として表現された。頭部はほぼ丸彫りに近く、身体部は巨大な一枚岩に高浮彫りで表現されている。巨像は前9世紀のアッシュールナツィルパル2世の時代から前7世紀のセンナケリブ王の時代までの宮殿建築に盛んに取り入れられたが、それ以降に造られた宮殿からは出土しない。
アッシリアでは、一般に守護像を「ラマッス」と総称し、なかでもとくに人面有翼牡牛像は「アラドランムー」と呼ばれたという。
この図版でラマッスの肢がはっきりとわかる。前方から見た時に静止しているように前脚を2本揃えているが、側面から見ると、歩いているように4本の脚が見えるように造られているために、計5本の脚が彫り出されている。尻尾は後ろに垂れている。

ついでに、アッシリアのラマッスに影響を受けて造られたとしか思えないアケメネス朝ペルシアのラマッスも。

ペルセポリス万国の門の出口の人面有翼牡牛像 クセルクセス王期(在位前486-465)
肢は4本しかないし、膝の表現が変。

ということで、後期ヒッタイト時代のライオン像は、新アッシリア帝国そしてアケメネス朝ペルシアにまで影響を与えていたのだった。



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参考文献
「ヒッタイト帝国 「鉄の王国」の実像」 PHP新書1376 津本英利 2023年 株式会社PHP研究所 
「古代都市1 ヒッタイトの都ハットゥシャ アラジャフユクとシャピヌワ」(日本語版)2013年 URANUS
「Gods Carved in Stone The Hittite Rock Sanctuary of Yazılıkaya」 Jürgen Seeher 2011年 YAYINLARI

参考にしたもの
現地説明パネル