地下鉄の蹴上駅を出て久しぶりにねじりまんぽをくぐった。
立て札は、「ねじりまんぽ」とは三条通から南禅寺へ向かう道路の造成に伴って建設され、「明治21(1888))年6月に完成しました。「まんぽ」とはトンネルを意味する古い言葉で、「ねじりまんぽ」は、ねじりのあるトンネルという意味です。上部にあるインクライン (傾斜鉄道)と斜めに交わる道路に合わせ、 トンネルも斜めに掘られるとともに強度を確保する観点から、内壁のレンガを螺旋状に積む工法が採られています。
「ねじりまんぽ」は、明治時代の土木技術を物語る貴重な遺産といえますという。
金地院を過ぎると小さな門が見えてくる。
へ~、こんなところに蔵がなどと時間を潰していると
間もなく門が開いた。
對龍山荘のリーフレットは、對龍山荘は薩摩出身の実業家・伊集院兼常の別荘として建てられ、これを呉服商市田彌一郎が譲り受けて明治34年より手を加えられ、明治38年に現在の全景観が完成した。名称は南禅寺瑞龍山に対する事から谷鉄臣によって名付けられた。
南禅寺界隈に数多く営まれた別荘庭園の優秀な典型を表している。東山を借景とし、琵琶湖疏水により導かれる豊富な水を用いて、流れ・滝・ 池など多様な水景を演出し、茶室とともに露地を備え、園遊のための芝生広場を設けている。對龍山荘庭園は近代庭園の名匠 「植治」こと小川治兵衛の造園スタイルを確立した庭園とも言われており、作庭当初から「風流清雅にして其構造に最も心尽くしたるを見る」などと極めて高い評価を得てきた庭園であるという。
露地は湿らせてあり、良い雰囲気
山荘の平面図
リーフレットは、全体の構成は、西に建物を配し、東に庭園を設けている。建物は、 北から書院(對龍台)、茶室群(聚遠亭)、居室群と連続するという。
外から見えた蔵
文殊塔も見えている。
庭園の木々に隠れて、東山連峰は山の端しか見えない。七代目小川治兵衞(植治)が庭を造った時代は山が聳えていただろう。
公開部分はここまでなので、一階の廊下を通って先ほどとは違う角度で庭を見ながら受付に戻っていく。
参考にしたもの
對龍山荘庭園のリーフレット







































