エディルネのセリミエジャーミイが1575年に完成した後もミマールスィナンはモスクを造っているが、イスタンブールに限っても幾つか建てている。
見学した時は年代順ではなかったので、エディルネのセリミエ・ジャーミイの後で建てられたモスクが、セリミエ・ジャーミイのようにミフラーブの壁龕がモスクの建物から突き出ているものが多いことに気が付いた。
フンドゥクル モラチェレビジャーミイ Molla Çelebi Camii
建設年:1570-84 建設者:モラチェレビ
『Architect Sinan His Life, Works and Patrons』(以下『Architect Sinan』)は、フンドゥクルにあるモラチェレビのモスクには建設の碑銘がなく、1570年に着工され1584年に完成したと推定されているという。
エディルネという遠く離れた街に巨大なセリミエジャーミイを建てている最中に建設が始まったとはいえ、こんなに小さなモスクが完成するまでに14年もかかるとは。
平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④ミフラーブ前の半ドーム ⑤半ドーム ⑥付け柱
セリミエジャーミイと同様、ミフラーブの突出部があり、半ドームが架かっている。
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フンドゥクル モラチェレビジャーミイ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より |
②礼拝室 『Architect Sinan』の図版より
②礼拝室の主ドームの直径は11.8m、それを支える柱が6本のモスク。
それをミフラーブの壁龕両側の角に⑥付け柱、右側にはミンバル(説教壇)、左側には説教台が設置されているところと、
ドーム両脇の⑥付け柱
壁面や支柱は切石積みになっている。『Architect Sinan』は、キュフェキ石は、主に貝殻(小さなカキの殻を含むことが多い)からなるカキ石灰岩の一種。その最大の特徴は、採掘された後、すぐに加工に適しており、加工が容易なこと。空気に触れると二酸化炭素を吸収し、硬度、耐久性、強度を高める。この特徴から、ビザンチン時代のアヤソフィアや上門壁からオスマン帝国時代のスレイマニエ複合施設まで、イスタンブール全域の建造物の建設において基礎材料として使用されてきたという。
キュフェキ石の特質を際立たせるために、下部の白く塗っていたものを剥がして石の素材を出したのだろうか。
そして、入口側の2本の八角形の支柱と、合計6本の支柱で支えている。
こんな小さなドームでも、支柱には重量塔が設けられていた。
エユップ ザルマフムドパシャジャーミイ Zal Mahmut Paşa Camii
ミフラーブ壁側の壁面と一体化した角柱が2本、入口側にはマッフィルの角に円柱が2本の計4本にペンデンティブが下がってドームを支えている。
建設年:1577 建設者:ザルマフムードパシャ
平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④付け柱 ⑤独立した支柱
セリミエ・ジャーミイ完成後に建造されたモスクだが、四方のペンデンティブで架構された単ドーム型の礼拝室という古い型式の建物。三方にマッフィルが設けられている分、建物としては大きい。あえてこのようなプランを選ぶとは、ミマールスィナンの選択とは思えない。
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エユップ ザルマフムドパシャジャーミイ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より |
ミフラーブ壁側の壁面と一体化した角柱が2本、入口側にはマッフィルの角に円柱が2本の計4本にペンデンティブが下がってドームを支えている。
礼拝室のレベルとしては三方が柱廊に囲まれているので狭く見える。
ユスキュダル シェムスィアフメッドパシャジャーミィ Şemsi Ahmet Paşa Camii
建設年:1580 建設者:シェムスィアフメッドパシャ
『Architect Sinan His Life, Works and Patrons』は、正方形の平面を持つこのモスクには、直径8.20mのドームがある。外部には、四つの半円形のドームと四つの窓に囲まれた高いドームが、八角形の基壇の上にあるという。
平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④スキンチ ⑤シェムスィアフメッドパシャ廟
確かに正方形からスキンチを用いて八角形にし、その上にドームを架構するという、古くからの工法をミマールスィナンは用いている。
トプハネ クルチアリパシャジャーミイ Kılıç Ali Paşa Camii
制作年:1578-80 建設者:海軍大将クルチアリパシャ
平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』 より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④ミフラーブの壁龕にある小半ドーム ⑤主ドーム前後の半ドーム ⑥支柱
建設年:1571-86 建設者:アティクヴァリデスルタン
説明パネルは、この複合施設は、その大きさの点でイスタンブール最大のものと考えられている。その建設は、セリム二世の妻であり、ムラト三世の母でもあるヴェネツィアのヌルバヌ・ヴァリデ・スルタンの後援の下、1577年に始まり、スルタンの崩御と同じ年の1583年に完成したという。
平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブと半ドーム ④半ドーム ⑤花崗岩の短い円柱 ⑥ミマールスィナンの弟子ダヴードアーによって追加された左右の側廊(上階はマッフィル)
どの書物にもモスクについては詳しく記されていないが、支柱が6本、④半ドーム五つでドームを支えている。セリミエジャーミイと同様、ミフラーブの突出部があり、半ドームが架かっている。
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ユスキュダル アティクヴァリデジャーミイ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より |
ここでもミフラーブは壁龕のように奥に引っ込んでいる。外から見れば出っ張っている。
ファーティフ地区 メスィフメフメットパシャジャーミイ Mesih Mehmed Paşa Camii
制作年:1586 建設者:メスィフメフメットパシャ
平面図 『Architect Sinan His Life, Works and Patrons』より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④ミフラーブの壁龕上部の半ドーム ⑤半ドーム
同書は、支柱構造は八角形。シナンの晩年に建てられたもので、シナンの通常の設計とは一線を画しているため、多くの人が建築家ダウドア-の作品だと考えている。
身廊の両側には2層の回廊が増築され、下層部分は身廊から独立し、独立したセクションを形成している。一方、上層部分はアーチを通して開放されている。その結果、エディルネ・セリミエ・モスクにも見られるように、内部空間は上に向かって広がり、非常に独特な照明効果を生み出している。装飾タイルと大理石のミンベル(説教壇)は興味深い。中庭、奉行の天蓋付き墓、そして背の高い花崗岩の柱が並ぶ、ソンジェマアトイェリの二重のポルティコは、特別な場所にいるような感覚を与えてくれるという。
④ミフラーブの壁龕が出っ張っている。④⑤の半ドームは共に低いので、②礼拝室のドームやドームを巡る八つの重量塔が高く見える。
②礼拝室の主ドーム
内部から見上げた図版では8本の支柱と八つのペンデンティブでドームを支えている点で、エディルネのセリミエジャーミイのドームとあまり変わりがない。
ファティフ地区 ニシャンジュメフメトパシャジャーミイ Nişancı Mehmd Paşa Camii
制作年:1584-87 建設者:ニシャンジュメフメトパシャ
平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』 より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④他の半ドームよりも大きな半ドーム ⑤半ドーム ⑥付け柱
このモスクもセリミエジャーミイと同様、ミフラーブの突出部があり、半ドームが架かっている。
『『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』は、シナンの八角形プランの発展において重要な一歩を踏み出したことが明らかになる。たとえ彼が高齢で新しい設計を思いつくことはできなかったとしても、この偉大な巨匠は以前に構想した構想を着実に実行に移していたに違いない。ここでは中央ドームはもはや単純な正方形の構造にはめ込まれておらず、カドゥルガ・ソコルやモッラ・チェレビの場合と同様に、モスクは単一のメインドームとそれに統合されたセミドームで覆われた、真に一体化した空間となっている。しかしながら、この基本的なデザインの統一性は、入口とその周辺を覆う二つの回廊型ヴォールトによって損なわれているという。
ミマールスィナンは正方形平面にドームを架けるところから初めて、六角形平面にドーム、八角形平面にドームと工夫をしていって、アヤソフィアのドームを超えるとされているエディルネのセリミエジャーミイを造り上げた。ミマールスィナンの凄いところは、それで引退せずに、更にその先を目指していることだ。
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ニシャンジュパシャジャーミイ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より |
キブラ壁へとジグザグに狭まる外観は独特。
カラギュムリュクはファティフ地区の中の小地区名
同書は、モスクは南北軸に沿ってジグザグに徐々に狭まり、キブラを強調する効果を生み出しているという。
とはいえ、上を見上げても支柱が8本のドームとしか思えない。
同書は、それほど大きくないドームは、バットレスとして機能するジグザグの壁によって支えられている。それまで多くのモスクでバットレス壁のように重厚なままだった南面、すなわちキブラ壁にも、スィナンはついに、本来の格調を与えることに成功した。
これらの特徴はすべて、このモスクがスィナンの発展においていかに重要な段階を象徴しているかを示しているという。
外観は直線的なジグザグなのに、ドームの支柱は円柱風の付け柱。
ところで、このファティフ地区には地区名になったファティフジャーミイ以外に上の二つのモスク、そしてミマールスィナン自身が奉献した小さなマスジドもある。
征服王メフメト二世が建てたが地震で倒壊し、18世紀に再建された広大な敷地にキュッリエ(複合施設)が並ぶ壮大なもの
②ミマールスィナンマスジド(Mimar Sinan Masjid トルコでは小規模な礼拝施設をマスジドと呼ぶ)
Google Map では 別の場所として出てくるが、Akşemsettin & Şehit İbrahim Küçük Parkı という公園内にある。
Google Map の写真の中に説明パネルがあった。
1573年にミマール・スィナンが自身の慈善事業として建設した。1918年のチバリ・ファティフ火災で焼失した。1976年、モスクは財団総局によって再建され、一般の礼拝のために再開された。長方形の構造で、寄棟屋根。
モスクは、開放型のイーワーン様式のユニットと完全に閉鎖型のイーワーン様式のユニットが一つずつ隣接して配置されている。冬季用と夏用である。夏季用のユニットはL字型で、ミフラーブのある礼拝エリアを部分的に囲んでいる。現在、このユニットは少し拡張され、ナルテックスとして使用されている。このエリアのファサードは2本の柱で三つに仕切られており、壁の開放側はガラスケースで覆われている。
この建造物の最大の特徴は、高さ10mのミナレットで、ミナレットは中庭への入口の横に位置し、八角形の本体と石灰岩製の小さなドームを備えているという。
③メスィフメフメトパシャジャーミイ
Google Map では Mesih Ali Pasa Cami になっている。
④ニシャンジュメフメトパシャジャーミイ
ⓐフェヴズィパシャ通り Fevzi Paşa Cd. ⓑアドナンメンデレス大通り Adnan Menderes Blv.
ファティフ(またはファティ)地区の地図 Google Earth より
①は見学したことがあるが、②③④はいつの日にか行ってみたい。
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参考文献