様々な書物に共通しているのは、カイセリ近くの集落でギリシア系キリスト教徒の家庭で生まれ育ったこと、デヴシルメ devşirme で徴用されイスタンブールにやってきたこと、イエニチェリ軍団に入って各地の戦役についたこと、そのときに船を建造したり橋を架けたりしたことである。
『トルコ・イスラム建築』は、これらの従軍中に、各地の名建築直接接する機会を得て、時には詳しい調査も行って、建築に関する知を幅広く豊かにしたと推測される。
1538年にスィナンは、当時第2宰相で翌年には大宰相になるルトフィ・パシャの提言で、前任のアジェ・アリの死去によって空席となっいた宮廷建築主任に任命された。以後、1588年に死亡するまで、50年間宮廷建築主任を務めた。
当時は、スルタンの代理者として絶大権力をもっていた大宰相でも、失したりスルタンの不興を買えば、更迭されたり処刑された時代である。
建築活動としては、口述の記録からは建設と修理に関わった477件建築物の名が挙げられている。建築すべての設計・施工にスィナンが深く関わったとするのは無理である。大建築の設計は1人でできるものではない。スィナンの時代の宮廷建築家は20-30人程度はいただろうから、スィナンが宮廷建築主任を務めていた期間に、組織全体として関わった建築物の数、言い換えれば「この時代に建てられた建築」、または、少なくとも「スィナンの配下にある建築家集団の誰かが関わった建築」の数と考えるべきであろう。
だが、スルタンや帝室からの依頼物件、大宰相などの高官からの依頼物件のうち重要なものについては、 スィナン自身が深く携わり、陣頭指揮して建築したに違いない。それらの建築を見ると、次々と斬新な企画を試み、発展させ、石造り建築の一つの頂点を究めているのがわかる。 オスマン朝古典期建築を完成したのであるという。
今回旅して見学したモスクに限るが、ミマールスィナンの建てたモスクがどのように推移していったかを年代順に辿ってみた。
『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』は、最も重要な支持構造は、広いスパンを持つモスクで発達した。支持構造は内部空間と切り離すことのできない要素。空間を設計するということは、その構造と覆い方を構想することを意味する。スィナンのモスクでは、支持構造は特に明確かつ合理的で、外殻と内部空間は互いに反映されている。
支持要素は、外壁上で無意味な形状になることも、単なる装飾に使われることもない。スィナンは、もちろん彼以前に建てられた建物の要素を利用したが、それらの要素から新たな構成とバリエーションを生み出すことに成功したという。
同書の図版には五つタイプのドーム架構が紹介されている。
①内外にトロンプが露出した伝統的な構造。ドームには通常ドラムはない
②トロンプが露出していない伝統的な構造
③ペンデンティブ付きの正方形のベース
④トロンプ付きの六角形のベース
⑤トロンプ付きの八角形のベース
1538年に宮廷建築主任(ハッサ・ミマールラル・オジャーウ)に就任したミマールスィナンがまず最初に建てたモスクが、ハセキヒュッレムのためのキュッリエ(複合施設)だった。
ハセキヒュレムスルタンジャーミイ Haseki Hürrem Sultan Camii
建設年:1538-51 建設者:ヒュッレム
しかし、この程度のキュッリエにしては建設期間が長すぎる。その理由として、ひょっとすると、ヒュッレムとスレイマン大帝の息子シェフザーデ(皇子)・メフメトが病死(『オスマン帝国外伝』ではシェフザーデ・ムスタファの母に殺されたことになっていた)してしまい、先にシェフザーデジャーミイとキュッリエ(メドレセやイマレットなどの複合施設)を建てさせたのでは。
平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③縦溝のあるスキンチ
これまで見てきた多くのモスクのようにキブラ壁が外に出っ張らず、正方形平面内に収まっている。また、ベヤズィットジャーミイ(1500-06)のようにミフラーブやミンバルが半ドームの下に置かれてもいない。
それにしても礼拝室が小さい。小さすぎて1612年に同じ大きさのドームが増設され、ミフラーブはその境目にある。
②主ドーム
スキンチアーチと四辺から立ち上げた尖頭アーチで円形を導くのに八つのペンデンティブを用いている。これはミマールスィナンの工夫の一つだろうか。
③傘状スキンチ
傘状スキンチと勝手に呼んでいるが、『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』では being fluted(溝が刻まれた)としているので、これからは縦溝のあるスキンチとする。
これはブルサのイェシルジャーミイのザーヴィエですでに使われている。隅の下部に小さなムカルナスの名残が。
そして八つの頂点の間には浅いペンデンティブで、滑らかにドームの円形に移行している。
このような架構法が中央アジアやペルシアのモスク建築にもあったかどうか失念してしまった。
ユシキュダル ミフリマースルタンジャーミイ Mihrimah Sultan Camii
建設年:1542-48 建設者:ミフリマースルタン
母のヒュッレムスルタンのモスクと複合施設が完成していないのに、娘がモスクと複合施設を献納して、先に完成している。礼拝室に入ると、美しく華やかなステンドグラスに囲まれて心地よい空間に浸ることができる。
平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブとその半ドーム ④半ドーム ⑤小ドーム
2年後に建設が始まった兄弟メフメトのシェフザーデジャーミイと比べると、三方にしか半ドームがないのと、シェフザーデジャーミイは扶壁は外側に張り出しているが、このモスクは内側に出ている。
平面的に写ってしまったが、ドームは四つのペンデンティブで支えられていて、入口側以外の三方に④半ドームがあり、大ドームを補強している。4本の円柱にかかる四つのペンデンティブで架構されているのでタイプ❸
平面図にはないが、半ドームを支える小さなエクセドラドームが両側に見える。
四つ葉形の複合柱や付け柱の下方には。補強のためと思われる低いアーチが二つ、付け柱に直角に交わってその下に低い付け柱がある。荷重を支える工夫が各所に見られる。
シェフザーデジャーミィ Şehzade Camii
建設年:1544-48 建設者:スレイマン一世
『トルコ・イスラム建築』は、ミマールスィナンが本格的に手がけた最初の巨大プロジェクトである。スィナンは晩年になって「徒弟時代の作品」と出来栄えが完全ではないとしているが、傑作の一つである。新たな独創的な試みが各所に見られる。それらにより、構造的に堅牢な建築とし、広く一体となった礼拝室の内部空間を創出し、建物全体の外観を極めて美しいものにした。オスマン建築古典期の幕開けを演じ、古典期の建築様式を創造し、後の建築に最も大きな影響を及ぼした建築といえるという。
母ヒュッレムのモスクと比べると格段の違いがある。
モスク平面図
①礼拝室正面入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④半ドーム ⑤エクセドラドーム ⑥四隅のドーム ⑦主ドームを支える4本の支柱(上部が重量塔になっている)
同書は、主ドームの四方に半ドームを配置、支柱が4本の集中プランという。
正面にシャドルヴァン(清めの泉亭)、向こう正面に①礼拝室入口、両脇にソンジェマアトイェリ(礼拝の時刻に遅れてきた人が礼拝する場所)の柱廊の小ドーム、④半ドーム、⑥小ドーム、⑦主ドームを支える支柱上部にある重量塔、そして②礼拝堂の大ドームという積み重なりが見える。
キブラ壁側の⑦半ドーム、その下両側には⑩エクセドラドーム。しかもこの空間は壁で仕切られていない。
この半ドームは、スキンチアーチと平面のアーチの間をペンデンティブにしていて、ヒュッレムスルタンジャーミイのドーム架構を応用したものとも言える。
しかも、キブラ壁を外から見上げると、平面図から分かるように、窓のない壁面に付けられたの6本の扶壁で強度を確保している。
ハドゥムイブラヒムパシャジャーミイ İbrahim Paşa Camii
建設年:1551 建設者:ハドゥムイブラヒムパシャ
ハドゥムイブラヒムパシャジャーミイ平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SINAN』より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④スキンチ
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ハデゥムイブラヒムパシャジャーミイ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNANより |
簡素なモスクである。 スルタンアフメト駅付近のフィルズアージャーミイ Firuzağa Camii
(建設年:1491)の系統のよう。
正方形平面の建物衲衣には正方形のドラムがのっている。スキンチの出っ張りは見えないのでタイプ❷。
④縦溝のあるスキンチと浅いペンデンティブ
二つのペンデンティブの下部に付け柱の角柱が2本。『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』は、シナンが各側壁に2つの控え壁を追加することで内部空間を広げることに成功した、単一ドーム型モスクの第1段階の例。
壁からドームまでのスムーズな移行は、外から見えないトロンプによって確保されている。シナンが建設したこのモスクは、宰相の称号にふさわしいスタイルで、八角形から架構されたドームという平面で架構される以降のモスクの先駆けでもあったという。
八つのペンデンティブの間の角四つをスキンチ(トロンプは仏語)にしていて、イランなどで見てきた正方形・八角形・十六角形と上のドームの円形に近づける移行部がなく、なめらかである。
②主ドーム
同書は、シナンが後に実現することになる、八角形をベースにしたドームプランを予見するものという。それはエディルネのセリミエジャーミイのことである。
浅い八つのペンデンティブで円形を導いているが、ドームの重みを受けているのはその間の四つの縦溝のあるスキンチとその間の尖頭アーチである。
ベシクタシュ スィナンパシャジャーミイ Sinan Paşa Camii
建設年:1555 建設者:リュステムパシャの弟スィナンパシャ
先に建設したハドゥムイブラヒムパシャジャーミイは縦溝のあるスキンチアーチで八角形になっているが、本モスクでは六角形から円形への移行部を目指している。
スィナンパシャジャーミイ平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④小ドーム ⑤側廊の小ドーム ⑥支柱
支柱にかかる六つのペンデンティブというのは五つのタイプにはないので❹+としておこう。
『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』は、スィナンはウチシェレフェリ・モスクの六角形の平面を再評価し、そのモデルを改良することに成功した。しかし、中央部分と側面部分の間に現れる三角形の天井部分が空間の統一性を損なっているという。
スレイマニエジャーミイ Süleymaniye Camii
建設年:1550-57 建設者:スレイマン一世(大帝)
『トルコ・イスラム建築』は、キュッリエの中心であるモスクの定礎式は 1550年6月13日に、落成式は 1557年10月15日に挙行されている。ステファノスは、1548年の後半には地盤整備工事が開始されたと推定しているという。
モスク各部名称
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④半ドーム ⑤エクセドラドーム ⑥隅の小ドーム ⑦ドームを支える4本の複合柱(上部に重量塔)
側廊には⑥隅の小ドームの他に大きさの異なる小ドームが三つある。
正面入口から中庭に入ると、ピラミッド状に積み上げられたドーム群がそびえている。
手前にソンジェマアトイェリのドームが並び、中央の①礼拝室正面入口のドームが少し高い。⑥左右端に隅のドーム、⑦複合柱の上部の重量塔のドーム。その間に一番大きく高い②礼拝室の主ドーム、その手前に④半ドーム、その斜め下に⑤エクセドラドーム。
⑧主ドーム(直径27m高さ54m)とその先に⑦ミフラーブのある半ドーム
『トルコ・イスラム建築』は、二階ギャラリーは壁際に幅狭く設置しただけで、大小5個のドームによって天井が高くとられているという。
外観は小ドームや半ドームに主ドーム、その上重量塔が四方の段々に二つずつと、ピラミッド状のみごとな積み重なり。
トプカプ カラアフメトパシャジャーミイ Kara Ahmet Paşa Camii
建設年:1555-59 建設者:カラアフメトパシャ
『トルコ・イスラム建築』は、1559年に完成したカラアフメトパシャジャーミイの礼拝室は支柱が6本の集中プランである。直径 12.4mの主ドームを6本の花崗岩の円柱の上に架けたた6個の尖頭アーチの上に据えているという。
平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム(直径12.4m) ③ミフラーブ ④半ドーム ⑤独立した支柱 ⑥付け柱の支柱
同書は、6本の円柱はいずれも壁から離され、少し前に出ている。6個のアーチはそれぞれ、ミフラーブ前のものはキブラ壁で、入口側のものは浅いヴォールトを介して入口側の壁で、両脇の四つのアーチは半ドームで、後ろから支えられている。この四つのトロンプを用いて長方形平面の空間にしている。両脇の二つの円柱は、短いアーチを介して真横にあるバットレスに支えられている。このようにして、ウチュシェレヘリ・ジャーミで主ドームの両脇に使用された2個ずつの小ドームは取り払われ、横長の約26m×17mの礼拝室が創出されている。
このモスクの礼拝室の構成は、ウチュシュレヘリ・ジャーミと比較して革的に進歩しており、後のエディルネ・セリミエ・ジャーミシへ繋がる創造性溢れたものであるという。
同書は、アーチがら主ドームへの移行は薄いペンデンティブを用いている。6本の円柱はいずれも壁から離され、少し前に出ているという。
ペンデンティブが小さいことを「薄い」と表現するのか。「浅い」でもいいかな。
6本の円柱にかかる六つのペンデンティブがドームを支えているので、スィナンパシャジャーミイと同じくタイプ❹+とする。
リュステムパシャジャーミイ Rüstem Paşa Camii
建設年:1561-63 建設者:リュステムパシャ、死後は妻のミフリマースルタン
平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④半ドームまたはスキンチ ⑤側廊 ⑥独立した支柱
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リュステムパシャジャーミイ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より |
②礼拝室の主ドーム 『トルコ・イスラム建築』より
傘状スキンチではなくなり、半ドーム型のスキンチ四つと、その間の壁面のアーチ四つで八角形をつくらずに、浅いペンデンティブが隙間を埋める。
『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』は、八角形平面の場合はドームへの移行は、小さなペンデンティブによって実現され、ドームとその周囲のスキンチが正方形の表面を覆っている。ペンデンティブの典型的な変種であるムカルナスヴォールティングという。タイプ❺でよいのかな。
左側廊と上階のマッフィル
同書は、ドームを支える2本のピアとマフフィルを支える3本の円柱があるという。
三本目の小円柱は西側の特別なマッフィルを支える柱ともなっている。ピアは八角形で、柱頭以外タイルで覆われている。
エディルネカプ ミフリマースルタンジャーミイ Mihrimah Sultan Camii
建設年:1565-70 建設者:ミフリマースルタン
『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』は、この正方形平面のモスクは、単一ドーム型の最も発展した段階にある。ここでは、高さ35m、幅20mの巨大な単一ドームが建物全体を覆っている。ドームは四つの支柱によって支えられ、四つのアーチと四つのペンデンティブからなる、一種の支持塔のような構造を形成しているという。
ミフリマースルタンジャーミイ平面図
平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④側廊の半ドーム ⑤ドームを支える付け柱 ⑥カーテン壁のティンパヌンを支える支柱
②礼拝室の主ドームを四隅の付け柱だけで支えているのでタイプ❸。
『トルコ・イスラム建築』は、このモスクの礼拝室は、ドーム架構法を最も単純化した集中プランの空間を創出していて、スィナンの独創性が最も発揮さ
れている建物の一つである。
主ドームは直径約20m、床からの高さ約37mである。そのドームの重量は、四方の大アーチが作るペンデンティブを介して四隅のピアが支えている。
四方の大アーチの下のティンパヌンはカーテン壁で、いずれも5段の並びで窓が開けられているという。
⑥ティンパヌンを支える支柱
ステンドグラスの嵌め込まれたカーテン壁は軽々としているが、『トルコ・イスラム建築』は、この4本のピアでドームを支える型式は、その後多くのモスクで適用された。このミフリマースルタンジャーミイは、最初の試みであったので構造上の強度が不十分だったためか、地震による被害を繰り返し蒙っているという。
『イスタンブール 旅する21世紀ブック望遠郷』(以下『望遠郷』)に興味深い断面図・投影図があった。
❶礼拝室入口 ❷礼拝室 ❸ミフラーブ ❹櫓 ❺ドーム
同書は、上の図はドームと四角い天蓋の断面図で、大きな球状のペンデンティブが見えている。下の図はドームの投影図。赤い部分は支持構造で、花崗岩でできた4本の円柱とつけ柱である。
モスクはどっしりとした立方体で、その四隅に大きなアーチを支える櫓があるという。
この❹櫓について『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』は、四つの支持塔と呼んでいて、四つの支持塔は多角形で、内部からはほとんど目立たないように外側に突き出ているという。
カドゥルガ ソコルルメフメトパシャジャーミイ Sokullu Mehmet Paşa Camii
建設年:1571 建設者:ソコルルメフメトパシャ
『トルコ・イスラム建築』は、支柱が6本の集中プランの建物という。
平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④半ドーム ⑤付け柱の支柱
トプカプのカラアフメトパシャジャーミイの平面図とよく似ているが、違いは6本の支柱がカラアフメトパシャジャーミイではすべて独立していたが、ソコルルメフメトパシャジャーミイでは独立柱はなく、全部付け柱になっていることだ。
『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』は、リュステムパシャジャーミイと同じくペンデンティブの典型的な変種であるムカルナスヴォールティングということで、タイプ❹+。
『トルコ・イスラム建築』は、ここでは、すべての支柱は壁と一体となっていて円柱ではない。キブラ壁と入口側の支柱を含む壁は厚く強固に造られ、両脇の支柱は力のかかる横方向に長くして強くし、支えのバットレスはない。約19m×16mの礼拝室内に壁から離れた支柱がないので、空間の一体化はほぼ完璧になっているという。
④側壁の半ドームは弧の中央がそれぞれ建物の四隅に位置していて、そこにムカルナスが数段積み重なった装飾のペンデンティブが降りている。このペンデンティブによって②主ドームの荷重を分散させているのではないだろうか。
カスムパシャ地区 ピヤーレパシャジャーミイ Kasımpaşa Büyük Piyale Paşa Camii (見学外)
制作年:1573-74 建設者:ピヤーレパシャ(セリム二世の娘ゲヴィヘリ・ミュルーク・スルタンの夫)
『トルコ・イスラム建築』は、直径8.9mのドーム6個を3個ずつ2列に並べ、その両側にヴォールト天井の二階ギャラリーの女性用マフフィルを置いて、約37m×19mの横長の礼拝室を形成した多ドーム式モスクである。多ドーム式モスクは、ブルサ・ウルジャーミ以降も建築数は少なく主流ではない。スィナンがこの時期に、この古い型式を選んだ理由を理解しにくい。私見だが、与えられた土地が谷間の沖積地で地盤が軟弱だったためかもしれないという。
外観
同書は、金角湾北岸のカスムパシャに流れ込む谷間を新たな市街地として開発し、その核としてピヤーレパシャが建設したキュッリエのモスクであるという。
同書は、礼拝室内部には、ブルサ・ウルジャーミやエディルネ・エスキジャーミで使用されたピアを使用せず、代わりに花崗岩の円柱が2本あるだけで、極力視界を妨げないように工夫しているなど、随所に新たな工夫があるという。
ブルサのウルジャーミイやエディルネのエスキジャーミイのようなドーム一つ一つで塞がれたような空間というよりもドーム部が高いので、ミマールスィナンが目指した一体感をそれほど損なっていないように、この図版を見た限りでは感じる。
エディルネ セリミエジャーミイ Selimiye Camii
建設年:1565-75 建設者:セリム二世(在位66-74)
『トルコ・イスラム建築』は、ミマール・スィナンが自ら「熟達者の作」と自慢しているように、オスマン建築の最高傑作である。
直径31m余、高さ42m余の主ドームと、それを囲んで聳えている高さ71mの4本のミナレットが遠くからも良く見えるという。
セリミエジャーミィ平面図
①礼拝室入口 ②礼拝室の主ドーム ③ミフラーブ ④ミフラーブの突出部を覆う半ドーム ⑤八角形をつくる四つの半ドーム ⑥ドームを支える4本の円柱 ⑦ドームを支える4本の付け柱
『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』は、ミフラーブの突出部は、アーチを支える柱を補強する役割を果たし、外側の段階的なバットレスも同様に補強されている。スィナンは、側面ファサード(セリミエのミフラーブのファサードも同様)に設計したギャラリーとアーケードによって、バットレスを巧みに覆い隠している。セリミエでは、階段もバットレスの間に配置されているという。
ブルサやエディルネ、そしてイスタンブールの古いモスクのマフムドパシャジャーミイ に見られるようなタブハネ(旅行者を無料で短期間宿泊させる部屋。修道僧のためのザーヴィエから変化した)より礼拝室が突出しているものとは全く異なるものをミマールスィナンは創出した。
タイプ❺のスキンチのある八角形
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セリミエジャーミイ平面図 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より |
②巨大なドーム 修復中の養生に架けられたパネルより
『トルコ・イスラム建築』は、直径31m余、高さ42m余の主ドーム。ピアの上に架けた8個のアーチから、ムカルナスによるペンデンティブ風の措置を介して、ドームの裾に移行しているという。
入口側からミフラーブ方向 修復中の養生に架けられたパネルより
『トルコ・イスラム建築』は、この建物の最も優れているところは、礼拝室の空間の一体化が完璧に近く実現されていることである。主ドームは8本のピアの上に据えられている。ピアは切石積みで、断面が12角形で、縦に12本の溝を付けて装飾としているという。
このパネルのおかげで、両脇の4本の支柱は独立したものではなく、脇の壁面とアーチで繋いで補強されている。
金曜日の集団礼拝
上が入口側、下がミフラーブ側。礼拝者たちは、礼拝室だけでなく、礼拝室いっぱいに坐ってメッカ(またはカーバ神殿の黒い石)に向かってひれ伏している。ミフラーブの突き出した空間にもいる。『トルコ・イスラム建築』で「一体感」というのはこのことだったのか。
ミマールスィナンは自らこのモスクを「熟達者の作」と呼んだが、これでモスクの建設を止めたわけではない。
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