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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。
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2008/09/06

インドの誕生仏は

ではインドやガンダーラには誕生仏があるのだろうか。単独像や丸彫の像は見たことはないが、浮彫仏伝図には釈迦の誕生にまつわる場面があったはず。

灌水 ガンダーラ出土 2~3世紀 東京・金剛院蔵
『シルクロードの仏たち』は、生まれて間もないシッダルタも温冷2種の水で浄められた。これを「灌水」と言い、日本の「産湯」にあたる。ガンダーラの作品ではインドラ神(帝釈天)とブラフマン神(梵天)が水をそそぐ。
宝冠のようなターバンをかぶっているのがインドラ神、髪をのばしているのがブラフマン神、中腰で太子を介添しているのはマヤ夫人とマハプラジャパーティ
という。この図では誕生仏が両手をおろしているというよりは、両側の人たちが太子の手を持って支えている。
七歩行 ナガールジュナコンダ出土 3~4世紀 石灰岩 ニューデリー博物館蔵 
同書は、太子は生まれてまもなく七歩歩んだとされている。そして右手で天を、左手で地を指し、「天上天下唯我独尊」と言った。
ガンダーラ美術では、マヤ夫人から生まれた太子がすぐ下で歩いている作品がある。しかし、右手で天上を指しておらず、「天上天下・・・」の様式になっていない。生まれたばかりの太子が胸のあたりまで手をあげている作品は稀にはある。
5世紀頃、中国で右手で天を指す誕生仏がつくられたものと思われ、日本では6世紀の飛鳥時代から数多くつくられている。
ナガールジュナコンダ(竜樹の丘)は竜樹の亡くなった故地である。南インド東岸のクリシュナ河の中流にあるこの地から出土した作品は、同じ南インドのアマラバティの作風の流れを汲んでいる。釈尊の姿は刻まれず、初期仏教美術の伝統が守られている「無仏」の浮彫である。中央の樹木と傘と払子は太子の存在を示している。右側に並ぶ4人は四天王で、持っている長い布に太子の七歩の足跡が描かれている
という。 ということで、右手をあげた誕生仏はどうやら中国で創られたものらしく、施無畏印のような右手を胸まであげた像はインドあるいはガンダーラにまれにあるらしい。そして両手を下げたものの起源は両手を支えられた像かも知れない。

また、『日本の美術159誕生仏』は、この師子吼する場面はキジール、敦煌の仏伝図(6~7世紀)や幡(8~9世紀)に描かれたものなどが伝えられており、インドでは見られなかった師子吼する像が出胎や灌水の場面と同等にあらわされていることが注目されるという。しかし、『シルクロードの仏たち』は、右手をあげた誕生仏は5世紀に中国でつくられているとしているので、西域には中国から伝わった可能性もあるなあ。

※参考文献
「図説釈尊伝 シルクロードの仏たち」(久野健監修 山田樹人著 1990年 里文出版)
「日本の美術159 誕生仏」(田中義恭編 至文堂)

2008/09/02

手をあげた誕生仏は中国にも

両手を下げた誕生仏があるのなら、施無畏印の誕生仏も中国にあったかも知れない。

石造如来坐像光背裏面浮彫 北魏大安3年(472)銘 東京・個人蔵
『日本の美術』は、右肘を曲げて手を肩の辺りまで挙げて立つ師子吼する像を左にあらわし、中央から右にかけて両手を下げて台座上に直立する釈迦牟尼に左右から九龍が浄水をそそぐ図様が浮彫されているという。
師子吼するというのが「天上天下唯我独尊」と叫んでいる場面をさすのだろう。両手を下げた姿は東京・個人蔵の北魏誕生仏と同じで、上から水をかけられる像の、中国での基本形と言えるかも知れない。そして、右肘を曲げているのは施無畏印に似ている。造像碑背面線刻画中の誕生の場面 阿南省泌陽県 武定元年(543)銘 
同書は、左側には右手を挙げてあゆむ姿があり、これに上方から九龍が頭を並べて清浄水をそそいでいる。ここで初めて師子吼の像と灌水とが同一場面としてあらわされているのを見るが、これは例外であって、やはり2つの場面に分けてあらわすものが圧倒的に多いという。この図像以降右手をあげた誕生仏に水をかけるようになっていたら問題はなかった。
石造如来立像光背裏面線刻誕生図 東魏武定4年(547)銘 米・フィラデルフィア大学蔵
同書は、上方に多くの侍女にかしずかれた摩耶夫人の右袖口から誕生する釈迦牟尼をあらわし、さらにそれに引き続いて中央下方へ7歩のあゆみを示す7個の蓮花を刻んで、右手を挙げて蓮花上に立つ師子吼する姿を表している。その右側には両手を下げて台座上に立つ姿に、上方から九龍が灌水する場面が刻まれている。という。
このように直後に線刻されたものも、右手をあげて師子吼する場面と、両手を下げて水をかけられる場面に分けられている。 以上中国の浮彫3点には私が韓国旅行で見てきた施無畏印風の誕生仏に水をかける場面はなかっが、両手をさげた誕生仏・右手をあげた誕生仏・施無畏印風の誕生仏と3種類が画像にあるので、中国で仏教が盛んに信仰され、個人的に小さな像を造って拝んだり、釈迦の誕生日に水をかけたりするのが流行した頃に、3種類とも誕生仏として水をかける対象とされたのかも知れない。そして、それが朝鮮半島や日本にも伝播し、やがて最も一般的な誕生仏は右手をあげたものとなっていったのだろう。

※参考文献
「日本の美術159 誕生仏」(田中義恭編 至文堂)
「古代の誕生仏」(1978年 飛鳥資料館)

2008/08/30

統一新羅にも右手をあげた誕生仏があった

慶州南山の七仏庵などでいろとりどりの提灯に右手をあげた誕生仏を見つけたが、博物館で見た2体の金銅仏は右手をあげず施無畏印(せむいいん)だったことが頭に残っていた(新羅の誕生仏は右手をあげていない)。
しかしその後、『日本の美術159誕生仏』をよく見ると、日本のお寺に統一新羅時代の右手をあげた誕生仏があった。 

広島康徳寺像 像高17.8㎝ 銅造鍍金 統一新羅時代(668-935)
愛知正眼寺の誕生仏(飛鳥時代)よりも制作時代は下がる。同書は、胴長で短い裳をつけるところなど四国や九州に伝わる古代の誕生仏に相通じるところがあるが、それらに比べると表現に稚拙なところが目立つ。足下に足枘や蓮肉を鋳出していないのは朝鮮半島製の誕生仏にしばしば見られる特色である。鍍金の色はさすがに鮮やかでよく残っているという。 
そういわれると顔がキムさんに似ている気がする。日本のものは体が貧弱でも挙げている腕は長目なのに対し、統一新羅の像は腕の表現が貧弱なように思う。
同書では他に高麗時代(918-1392)のものが紹介されているので、現代の韓国まで右手をあげた誕生仏は一般的だったのだろう。たまたま私が見た誕生仏が右手を挙げていなかったようだ。 福岡聖福寺像 像高12.7㎝ 
同書によると、聖福寺は栄西を開山とする西国屈指の臨済宗の名刹で、この誕生仏も栄西が中国から請来したものであるとの伝えもある。
正眼寺像に比べると様式的に進んでいるといえ、7世紀半ば頃に制作時期を求めるべきであろう
ということなので、中国ではなく日本で造られたものと考えられているようだ。中国の誕生仏と言えば、ここ何年か奈良博の常設展示で見て強く印象に残っているものがある。その解説には、日本や朝鮮半島の誕生仏は右手をあげているが、この誕生仏はあげていないとあり、韓国旅行の後ではこの解説に違和感をもったのだった。 

東京・個人蔵誕生仏 銅造鍍金 像高6.8㎝ 北魏時代(6世紀)
それはこのように両手を下げたずんぐりした小さな像だった。『古代の誕生仏』は、頭上に肉髻状に単髻を結い、毛筋をあらわす。全身裸形、三道をあらわさず、両腕を体側に沿って垂下、掌を前に向けて開き、両足をわずかに開いて方形の台上に直立するという。
写真よりも目鼻立ちがくっきりと見えたこともあって、北魏でも早い時期のものではないかと思いこんでいたが、6世紀(ただし534年に滅亡)のものとは意外だった。
日本や朝鮮半島では一般的な右手をあげた誕生仏だが、中国にはないのだろうか?

※参考文献
「日本の美術159 誕生仏」(田中義恭編 至文堂)
「古代の誕生仏」(1978年 飛鳥資料館)

2008/08/02

新羅の誕生仏は右手をあげていない

七仏庵の提灯には誕生仏が描かれているので、韓国では旧暦でお釈迦さんの誕生日を祝うのだとわかった。何故誕生仏かというと、天上天下唯我独尊の右腕を挙げているからだ。 日本でも誕生仏と言えば、右手を挙げているのが一般的だ。

誕生釈迦仏立像 愛知正眼寺蔵 飛鳥時代(6世紀末~645年)
『日本の美術159誕生仏』は、わが国に伝わる最古の誕生仏である。面長な頭部や短い裳の襞を左右対称に折り重ね裾を図式的に表現するところなど止利様式の作品と共通する。全身にわたり鍍金が鮮やかに残っているという。
日本の誕生仏は、右腕をあげるだけでなく、この像のように頭部にかかるものが多いように思う。  誕生釈迦仏立像 奈良悟真寺蔵 白鳳時代(645~710年) 
同書は、幼児を思わすような可愛らしい姿につくられている白鳳時代の典型的誕生仏であるという。
この像は右腕をまっすぐにあげて宣誓しているかのようである。また、腰あたりの裳の襞は立体的に鋳造されているが、紐や裾の折り重ねは線刻で軽やかに表現されて、飛鳥時代よりも洗練された表現が見られる。  ところが、今回の韓国旅行で見た2体の誕生仏は、手を挙げていないことに気がついた。

金銅誕生仏 三国時代(7世紀) 高さ10.7㎝ 国立慶州博物館蔵
しかし、国立慶州博物館で見た誕生仏は右手を上に上げていなかった。施無畏印(せむいいん)である。 誕生仏 統一新羅(668-935) 国立大邱博物館蔵
大邱の博物館でも右手をあげない誕生仏をみた。これも施無畏印なのだろう。
どうも日本の誕生仏と新羅の誕生仏は別の流れにあるようだ。

※参考文献
「日本の美術159 誕生仏」(田中義恭編 至文堂)
「国立慶州博物館図録」(1996年 世光印刷公社)
「国立大邱博物館図録」(2002年 通川文化社)