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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2026/10/13

ピラミッドその後


クフ王のピラミッド 第四王朝2代目(前26世紀前半)

クフ王のピラミッドの内部構造図 『図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇』より
❶現在の入口 ❷正規下降通路と盗掘者の掘った通路の交点 ❸上昇通路 ❹水平通路との交点 ❺大回廊 ❻控えの間とされる低く長い通路 ❼玄室
クフ王のピラミッドの内部構造図 図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇より


スネフェル王の三つのピラミッドには持送り構造の部屋があったが、その子クフ王のピラミッドには持送り構造は部屋ではなく傾斜のある大回廊に用いられた。
クフ王の父スネフェル王が造った赤いピラミッドでこのような持送り天井の所は部屋だったし、その前に建造された屈折ピラミッドでは持送り天井というものが不完全だった。それがクフ王のピラミッドでは大回廊と呼ばれている長い斜路に用いられ、天井の幅広くも広くなった。

玄室は花崗岩の石でできていて平天井。玄室は幅5.2mなので、それ以上の長さの石板なら平天井になるだろう。


ピラミッドの内部構造はその後どうなっていったのだろう。

ギザ カフラー王のピラミッド 第四王朝4代目(前26世紀中葉) 頂部に化粧石が残る。

カフラー王のピラミッド内部 『図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇』より
カフラー王のピラミッド内部には、知る限りでは屈折ピラミッドに始まった玄室やクフ王のピラミッドにあった通路の持送り構造はない。
『神秘のミステリー! 文明の謎に迫る 古代エジプトの教科書』(以下『エジプトの教科書』)は、カフラーのピラミッドの内部構造は、2本の通路が途中で合流して玄室へ向かう、いたってシンプルなものである。クフの王の間が地上43mにあったのに対し、カフラーの玄室は地下と地上の境界につくられている。これは、カフラーの治世が太陽信仰(天上世界)と冥界神オシリスへの信仰(地下世界)が融合した時代であったことに関わっていると考えられるという。
カフラー王のピラミッド内部 図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇より

玄室は日本の家屋にも見られるような切妻構造となっているが、これは持送り構造が進展した技術だろう。
ギザ カフラー王のピラミッド玄室 神秘のミステリー! 文明の謎に迫る 古代エジプトの教科書より

石棺
『エジプトの教科書』は、赤色花崗岩でつくられたカフラーの石棺は、本来、分厚い敷石が敷かれた床にはめ込まれる形で安置されていた。石棺の中に王のミイラはなく、雄牛の骨が入っていた。これは後の時代、王のミイラの代用、またはオシリス神の象徴として捧げられたものであると考えられているという。
後の時代に王のミイラを取り出して牡牛の骨を入れた?
第18王朝のアメンホテプ三世の時代に個別の部屋で始まったサッカラのセラペウムで始まったという、メンフィスでミイラ化され、サッカラの地下墓に花崗岩または玄武岩製の巨大な石棺に納められて埋葬された聖なる牡牛の話(セラペウムの説明パネルより)に繋がるのかな?


ギザ メンカウラー王のピラミッド 第四王朝6代目(前26世紀末)
『エジプトの教科書』は、メンカウラーは父カフラーや祖父クフに続き、ギザにピラミッドを造営した。
ピラミッドの縮小は王権の弱体化が最大の理由とされるが、堅牢な石灰岩の台地がすでに南西の端にしか残っていなかったことも関係しているとされる。
ピラミッド北面にある縦方向の窪みは、イスラム支配だった12世紀にピラミッドを解体して資材を再利用しようとした支配者や、19世紀のダイナマイト爆破によってできたもので、野蛮な破壊行為ではあるものの、皮肉なことに内部構造を知るための大きな手がかりともなっているという。
外装とは化粧石のことだけれど、化粧石が剥がれてしまっても赤く見える。
ギザ メンカウラー王のピラミッド 図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇より

また玄室が地下に戻っている。
同書は、入口は地上4mにあり、通路の先は水平な装飾部屋につながっている。さらに通路を進むと三つの落とし戸の先に前室、その奥に玄室がある。花崗岩でつくられた玄室の天井は緩やかに湾曲しており、花崗岩を削って装飾を施したものとされているという。
ギザ メンカウラー王のピラミッド内部 図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇より

『エジプトの教科書』は、花崗岩でつくられたメンカウラーの玄室は、これまでの東西方向と違い、南北に向いている。もともと石棺が置かれていたが、発見時に英国へ輸送する途中に海に沈んだという。
驚いたことに玄室の天井が平たいが穹窿(ヴォールト)構造になっている。石を曲面に彫って切妻構造のように頂部であわせることによって、やや尖頭ぽい浅いアーチが並んでいて、ヴォールト天井というよりも、変形切妻構造なのだろう。
メンカウラー王のピラミッド玄室 神秘のミステリー! 文明の謎に迫る 古代エジプトの教科書より


ウナス王のピラミッド 第五王朝最後の王(前24世紀中葉)
ウナス王のピラミッドは、サッカラの階段ピラミッド複合体の南西にある。
『世界美術大全集2エジプト美術』は、下降通路の突き当たりに入り口の間、そして3つの落とし格子戸を含む水平通路を通ると前室、そしてその左手に3つの小室、右手奥には棺の置かれた玄室を設けるというものであるという。

玄室は切妻構造で、カフラー王のピラミッド玄室の切妻構造よりも鋭角で、切妻の天井とそれを支える側壁にギャップがある。
サッカラ ウナス王のピラミッド玄室 図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇より

同書は、ウニス王のピラミッドにおいて初めて、玄室など内部の墓室壁面一面に「ピラミッド・テキスト」と呼ばれる宗教上の呪文が記されたヒエログリフや、当時の宮殿のファサードを模した偽扉、そして天井には星を象った模様などが刻まれるようになったという。
ウナス王のピラミッド玄室 世界美術大全集2 エジプト美術


センウセレト二世のピラミッド 第12王朝3代目(前19世紀初)
『エジプトの教科書』は、第12王朝の王センウセレト二世は、日干し煉瓦を用いて初の巨大ピラミッドを造営した。造営地に選ばれたのは、ハワラ運河がナイル河谷からファイユーム盆地へ流入するアル・ラフーンの黄色石灰岩の丘で、この時代にファイユーム地方の干拓、灌漑事業が本格化していたことやヌビアとの交易が盛んだったことが関係しているという。
ラフーン センウセレト二世のピラミッド 神秘のミステリー! 古代エジプトの教科書より

内部構造と玄室 『エジプトの教科書』より
日干しレンガで造られたが、玄室の周囲は石材で造られ、2枚の石材でつくった幅広のアーチを並べてヴォールト天井になっている。
ヴォールト天井はポンペイのスタビア浴場控え室(古代ローマ、前2世紀)あたりが最古のものだと思っていた。
ギザ センウセレト二世のピラミッド 内部構造と玄室 神秘のミステリー! 文明の謎に迫る 古代エジプトの教科書より

その後古代エジプトのファラオの墓でこのような石板を曲面に切り出したヴォールト天井の玄室は受け継がれていったのだろうか。



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古代ローマ 窓ガラスの作り方にスタビア浴場控え室のヴォールト天井があります。

参考文献
「世界美術大全集2 エジプト美術」 1994年 小学館
「神秘のミステリー! 文明の謎に迫る 古代エジプトの教科書」 河江肖剰監修 2023年 ナツメ社
「図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇」 仁田三夫 1998年 河出書房新社