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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2026/08/04

元時代にも登場する善財童子


奈良博で開催された「超 国宝展-祈りのかがやきー展図録」で善財童子を主人公にした絵巻物「新・善財童子 求道の旅-華厳経入法品・華厳五十五所絵巻-」という絵巻物があることを知ったが、善財童子は文殊菩薩と共に表される安倍文殊院の群像だけではなく、観音像と共に仏画に描かれていることが長年生きてきて段々と分かってきた。

奈良・安倍文殊院蔵渡海文殊群像 鎌倉時代、13世紀
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同寺発行の国宝文殊菩薩付属の写真より

この善財童子像は一時期可愛いと人気だった。
奈良・安倍文殊院蔵渡海文殊群像うち善財童子 同寺発行の国宝文殊菩薩付属の写真より


華厳海会善知識曼荼羅 鎌倉時代、13世紀 東大寺蔵
「明恵の夢と高山寺展」では、善財童子が53人の善知識のもとを訪れて教えを請うという物語を小さな区画に描かれた仏画を見て驚いた。華厳経で善財童子がこんなにも重要な役を担っていたとは。詳しくはこちら
新・善財童子 求道の旅-華厳経入法品・華厳五十五所絵巻』の絵巻を一区画にまとめたものだと、後に知ることになった。
東大寺蔵華厳海会善知識曼荼羅 鎌倉時代、13世紀 明恵の夢と高山寺展図録より


また日本では、白衣観音と共に描かれている。

白衣観音図 鎌倉時代末期、1319年以前 約翁徳倹賛 絹本墨画 100.8X41.7㎝
『水墨美術大系第5巻 可翁・黙庵・明兆』で衞藤駿氏は、補陀落山中にあって竹林を背景にした幽境の岩上に瞑想する白衣観音に、善財童子を配している。図様は中国元代水墨白衣観音図を踏襲しているが、暈渲豊かな水墨技法はかなりの習熟を示している。
賛者の約翁徳倹(1244-1319)は鎌倉の出身で、蘭溪道隆に師事し入元帰国の後諸寺を歴任、文保元年(1317) 一山一寧をついで南禅寺に住した。南禅寺塔頭法皇寺に自賛の頂相がある。元応元年(1319)、76歳で示寂しているから、本図はお よそ1300年前後の制作と推定され、制作時期を明確にする初期水墨画としての資料価値は高いという。 
約翁徳倹賛白衣観音図  水墨美術大系第5巻 可翁・黙庵・明兆より

善財童子は唐子のような髪型で幼児のよう。善財童子が乗っている岩に打ち付ける波涛が龍の頭のよう。
約翁徳倹賛白衣観音図  水墨美術大系第5巻 可翁・黙庵・明兆より


白衣観音図 吉山明兆筆 東福寺蔵 室町時代、15世紀
紙本着色 縦336.2横281.2㎝ 
同展図録は、ダイナミックな筆致による岩窟描写のなか、荒れ狂う波濤上の岩座に正面向きの白衣観音を描き、画面下部には龍と善財童子とを配して、安定した三角形構図を形作っている。筆勢あふれる水墨描写と計算された画面構成とが絶妙に均衡を保っている作といえようという。
東福寺蔵吉山明兆筆白衣観音図 東福寺展図録より

善財童子
着物の後ろ側がもこもこしているので、遠くから眺めると迦陵頻伽のように見えた。
東福寺蔵吉山明兆筆白衣観音図部分 東福寺展図録より


高麗時代の白衣観音図にも善財童子は描かれている。

水月観音像 13-14世紀 絹本着色 縦144.0横62.6㎝ 慧虗筆 東京・浅草寺蔵
同展図録は、水面からのびる踏割蓮華の上で、右方へ一歩足を踏み出す白衣の観音。左手には浄瓶、右手には柳枝を指先で軽くとり、全身は大きな緑色の滴形の光背に包まれる。全体に白を基調とした精緻な描写が際立つ。文様が衣褶線に合わせて変形するなど、高麗仏画には珍しい合理的な造形感覚もまた宋代画に通じるといえようという。
光背の緑色が異彩を放っていた。光背の緑に包まれた白衣の観音は朧気である。
東京 浅草寺蔵 水月観音像 高麗仏画 香りたつ装飾美術展図録より 

善財童子は中年のような横顔。
東京 浅草寺蔵 水月観音像 高麗仏画 香りたつ装飾美術展図録より


水月観音像 13-14世紀 絹本着色 縦100.4横49.6㎝ 大和文華館蔵
『高麗仏画展図録』は、画面中央、波立つ海上に湧出した岩に、半跏にした観音の姿を描く。ひきしまった上半身をやや右に傾けて、右手を膝にかけ、くつろいだ姿勢をとる。切れ長のややつり上がった目元、ひきしまった唇などによる表情も若々しく、清新な印象を与える。天衣や瓔珞、足元の蓮華が左に向かい風にたなびく描写には、優れた風動表現がみられる。この風のなかで、善財童子は蓮弁の舟で巧みに波に乗り、膝を軽く曲げ合掌しつつ観音を仰ぎ見るという。
赤い色が鮮明で他の水月観音像とは全く異質の図像である。 
大和文華館蔵水月観音像 高麗仏画 香りたつ装飾美術展図録より

岩座ではなく、蓮弁を舟にして観音に近づこうとしている善財童子には頭光があり、着衣の細かな文様も截金と見紛うばかりだが、高麗仏画では截金ではなく金泥で表されていることを泉屋博古館の「高麗仏画展 香りたつ装飾美展」(2016年)で知っていた。
大和文華館蔵水月観音像 高麗仏画 香りたつ装飾美術展図録より


そして中国では。

彬県大仏寺羅漢洞 渡海文殊群像  唐時代
『仏像図典』は、文殊は釈迦入滅の後インドに生まれ、菩薩道を修し、釈迦十大弟子たちと往復問答をしたのをはじめ、仏典結集に深い関係をもったと考えられる。従って十大弟子と共に文殊・普賢を上首とする釈迦如来の代表的眷属として釈迦三尊には不可欠の尊である。
又文殊はごく現世的な歴史上の人物として説かれたもので、維摩居士の如く確に現実の人物であったかと考えられるという。
獅子の肢はそれぞれ丸い台に乗っているが、蓮台なのだろうか。善財童子は片足を小さな台に、もう一方を獅子の台の上に乗せている。


唐時代には石窟で渡海文殊群像が浮彫されているが、中国では白衣観音図に善財童子は登場しないのだろうと思っていたところ、「宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展」で、元時代の楊柳観音図に善財童子が登場していた。

楊柳観音像 絹本著色 縦110.6横54.9㎝ 元時代、13-14世紀 奈良・円生院蔵
『宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録』は、海中の補陀落浄土に現れるという観音菩薩の姿を描く。白波が打ちつける岩座に、足を寛がせて組み安坐する観音が、穏やかな表情で来訪者を迎えている。本図の観音の姿は、中国の唐時代に活躍した周昉が、補陀落に住まう観音として創始した「水月之体(水月観音)」に通じ、その姿はいずれも足を寛がせて坐る「破坐」であったとみられるという。
奈良・円生院蔵 楊柳観音像 宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録より

同展図録は、観音の元へ訪れるのは、海中から現れ宝珠を捧げている龍や、荒波の中に浮かぶ蓮弁上で合掌して拝する善財童子らという。
蓮華の花弁の舟に乗っている善財童子は驚きの中年の姿。
奈良・円生院蔵 楊柳観音像 宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録より


刺繡楊柳観音像 元時代、元貞元年(1295)頃 愚極智慧賛 淡黄平絹地、刺繡 縦59.8横37.7㎝ 京都国立博物館蔵
同展図録は、補陀落山をあらわす海中の巌上に、くつろいだ姿で坐す楊柳観音。観音菩薩が住むという補陀落山の様相が、金色まばゆく刺繍されているという。
その刺繍による文様について詳しく記されているので、次回忘れへんうちににて
京都国立博物館蔵 刺繡楊柳観音像 宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録より

この善財童子は童子形と言っても良いだろう。
青海波文様のような互い違いに配される波文が文様として様式化されておらずいい感じ。
京都国立博物館蔵 刺繡楊柳観音像 宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録より

 
       絵巻物の異時同図


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参考文献
「超 国宝-祈りのかがやきー展図録」 奈良国立博物館編集 2025年 奈良国立博物館・朝日新聞社・NHK奈良放送局・NHKエンタープライズ近畿図録
「新・善財童子 求道の旅-華厳経入法品・華厳五十五所絵巻より-」 森本公誠 2023年 朝日新聞社
「国宝文殊菩薩」 日本三文殊第一霊場 安倍文殊院
「明恵の夢と高山寺展図録」 2019年 中之島香雪美術館
「水墨美術大系第5巻 可翁・黙庵・明兆」 田中一松 1978年 講談社
「宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録」 2025年 京都国立博物館