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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。
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2021/09/10

炳霊寺石窟その他の窟の仏画 西秦か北魏か


『中国石窟 永靖炳霊寺』(1989年発行、以下『永靖炳霊寺』)では時代付けが西秦-北魏とされていたものが、『絲綢之路石窟芸術双書 炳霊寺石窟第169窟 西秦』(2021年発行、以下『第169窟』)では西秦となっていることが多い。また、『中国石窟芸術 炳霊寺』(2015年発行、以下『炳霊寺』)も異なる時代としていたりする。
こんな場合は、研究が進んだとみて、新しく発行された本の情報を選ぶことにしているのだが、今回の仏画に関しては、そうとも言い切れないものがあった。
  

195窟(仏爺台)
『永靖炳霊寺』は、炳霊寺石窟群から北の山に沿って約1km、崖の西側に仏爺台と呼ばれる自然の洞窟がある。壁画は洞窟の入口の上に残っており、石窟内には残っていない。
洞窟は高さ1.60m、幅2.50mという。
炳霊寺石窟仏爺台 『中国石窟 永靖炳霊寺』より

入口上部にある壁画
炳霊寺石窟仏爺台 『中国石窟 永靖炳霊寺』より

外観 自然の洞窟を利用した石窟入口の上側に、わりあい大きな仏画が残っている。
向かって左から白く塗られた矩形の仏画が2つ、その右に如来坐像と如来立像、その続きにも描かれた痕跡がある。
炳霊寺石窟195窟(野鶏溝)窟口上 『絲綢之路石窟芸術双書 炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

その中で何が描かれたか分かるものは下図の3点、左から一仏二菩薩の説法図、中央に如来坐像、右側に如来立像である。
炳霊寺石窟195龕(仏爺台)壁画 西秦-北魏 『中国石窟 永靖炳霊寺』より

一仏二菩薩説法図 『永靖炳霊寺』は西秦-北魏、『炳霊寺』は北魏、『第169窟』は西秦と、それぞれ時代付けが異なっている。
『第169窟』は、頭頂には樹木型の天蓋。如来は中央に高く丸い肉髻があり、顔が丸い。内着の僧祇支には梅花文、偏袒右肩に大衣を着て結跏趺坐する。左手は袈裟の端を握るという。
如来は右肩を出して右手を挙げ、右足を下ろし、左足を右膝に乗せて坐っている(半跏)ように見える。如来半跏像というのはないはずだが・・・

同書は、脇侍菩薩は両側に立ち、宝冠を被り、顔には照り隈がみられる。右脇侍菩薩の裙は、裾に梅花文があるという。
この中尊の頭部は169窟16龕の如来たちに似ている。逆三角形の上半身とがっしりとした体付きなど共通の表現なので、西秦時代に描かれたものとみて良いだろう。
炳霊寺石窟195龕(仏爺台)壁画 西秦 『中国石窟 永靖炳霊寺』より

樹木型の天蓋といい、如来の僧祇支といい、如来の裙といい、文様が丁寧に描かれている。
天蓋は3つ一組の白い文様があって、花か実を表している。3つに拘らなければ、釈迦がその下で悟りを開いたという菩提樹を描いたとしたら、これは菩薩であった釈迦が悟りを開いた瞬間を描いた図なので、釈迦はまだ結跏趺坐していないという風にも解釈できる、かな🤔
如来の僧祇支は小菊のような小さな花弁の花の文様で、脇侍菩薩の裙と同じ。
炳霊寺石窟195窟説法図部分 北魏 『中国石窟芸術 炳霊寺』より

樹木型の天蓋の傍には開花蓮華と化生童子らしきものが描かれている。
炳霊寺石窟195窟説法図部分 北魏 『中国石窟芸術 炳霊寺』より


如来坐像と如来立像 
『永靖炳霊寺』は、右側には結跏趺坐した如来と立像の如来が描かれ、左の絵よりも造形力がはるかに劣っていて、彩色も単調で、西秦時代の壁画と北魏時代の画風の違いである。169窟の壁画とは大きく異なるとして、如来立像と坐像を北魏に時代を下げている。

しかしながら『第169窟』は、画面右側には如来坐像と立像が描かれる。
如来坐像は高い肉髻で顔は白く、眉間に白毫があり、両目は下を向き、僧祇支の内着を着、偏袒右肩に大衣を着て、禅定印を結び、蓮台に結跏趺坐する。
如来立像は、高い肉髻、眉、鼻、目に照り隈、内着は僧祇支で、偏袒右肩に着た大衣は、表が紅色、裏が緑で、右手は与願印、左手に鉢を持つ。光背に火焔文があるとして、時代は西秦としている。

中央の如来は偏袒右肩で結跏趺坐する。大衣は表布が褪色、裏布が緑色。向かって左側の如来は立像で表される。坐像の如来と同じ色の大衣をはおっているが、右肩から腕にかけて裏布を出していて、このような着方は今まで見た事がない。
炳霊寺石窟195龕(仏爺台)壁画 西秦 『中国石窟 永靖炳霊寺』より


192窟(野鶏溝)窟口 
『第169窟』は、169窟の北0.75㎞に位置する天然洞窟という。
炳霊寺石窟192(野鶏溝)窟口 『絲綢之路石窟芸術双書 炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

192窟 亀裂の左は4龕、右は2龕 『炳霊寺』は全て北魏、『第169窟』は西秦
『第169窟』は、北壁中間に残る。一幅は一仏二菩薩説法図で、左側は菩薩思惟像であるという。
この崖面には説法図も複数描かれているようだ。
炳霊寺石窟192窟(野鶏溝)北壁 『絲綢之路石窟芸術双書 炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

向かって左 菩薩思惟像
同書は、上半身は裸で、長い裙を履くという。
半跏ではなさそう。

向かって右 
右側に上半身は裸の脇侍菩薩像と上半身裸で赤い裙を履く菩薩が描かれているという。
藍色で幅広の披巾あるいは天衣が風に翻っているような描写で、白い上半身で白い裙を履いている菩薩像。
そして青い縁取りの赤い大衣を偏袒右肩に着て、白い僧祇支を内に着けた如来が高い台座に結跏趺坐し、左脇侍菩薩が剥落してしまった一仏二菩薩説法図のように見える。
炳霊寺石窟192窟(野鶏溝)4龕北壁 『絲綢之路石窟芸術双書 炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

一仏二菩薩説法図 像高1.30m 幅0.80m
『第169窟』は、中央の如来は低い肉髻で顔は細い。僧祇支を内に着、涼州式偏袒右肩に大衣を着て説法印を結び、反花の蓮台に結跏趺坐するという。
紺色の頭光には蓮華文、舟形(蓮弁形)の挙身光はパルメット蔓草文様が描かれる。
おそらくラピスラズリで彩色したであろう如来の光背と着衣は、今でもくっきりと細部がわかる程である。
着衣が台座よりも長くなり、右足が出るのは北魏前期だと思っていたが、西秦時代にすでに出現していた。

両脇侍菩薩は侍して立ち、髻を高く結って花鬘冠を被る。両肩を覆った披巾は胸前で下に垂れる。長い裙の衣褶が煩雑で、蓮華のうえに立つという。
左脇侍菩薩は細身で西魏時代の秀骨清像のよう。長い髪は蕨手となって両肩から腕にかかる。
裙の裾にも紺色の衣端が見え隠れするのは、折畳文をだろうか。

説法図の下には供養比丘が一体、顔は俊秀で、その両側には題記が書かれているという。
比丘らしく大衣を偏袒右肩に着ている。この比丘の着衣にさえ高価なラピスラズリを使えるほどに裕福な人物が、この一仏二菩薩像を献納したのだろう。そして、供養者自身がこの比丘かも。
炳霊寺石窟192窟(野鶏溝)4龕北壁一仏二菩薩像 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

『第169窟』は西秦にしているが、『炳霊寺』では北魏とする。
左脇侍菩薩の細長い顔、蕨手が肩から腕にかけてくっきりと描かれていることなどから、北魏のように思える。
如来は涼州式偏袒右肩で大きな蓮台に結跏趺坐していて、裳裾が品字状に折りたたまれているところなどが北魏に入ってからの制作を思わせる。
炳霊寺石窟192窟(野鶏溝)北壁4龕一仏二菩薩像 北魏 『中国石窟芸術 炳霊寺』より

2龕 
頭光が緑色の大きな如来の前に青い長衣の小さな菩薩が立つ。説法図かな。
もっと端寄りには黒い着衣の比丘?下方には小さな比丘たちが同じ方向を向いて立つ。どんな場面を表現しているのだろう。
炳霊寺石窟192窟(野鶏溝)2龕北壁仏画 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

2龕左上 
一仏二菩薩の説法図断片いや中尊は菩薩やないの。左脇侍の大きさからすると、この中尊は坐像かな。
炳霊寺石窟192窟2龕仏画 『中国石窟芸術 炳霊寺』より

西秦時代の如来なら、下図と同じように小さな丸い肉髻があり丸顔なのだが、この主尊には肉髻がないのではなく、菩薩なので髻を高く結い宝冠を被って飄帯で留めているのでは?逆三角形の顔なのも不思議。
中尊は両肩から腕にかけて蕨手が描かれている上に、首に幅広の項圏を巻き、両手首に碗釧を巻いている。菩薩の特徴ばかりが目に付く。
この蕨手、驚いたことに法隆寺金堂釈迦三尊像の脇侍菩薩の肩から腕に連なるものとよく似ていた。そして、中国では麦積山石窟127窟西壁の脇侍菩薩のものとも共通する。でも西魏時代(535-556)だけど・・・
『炳霊寺』は北魏としているが、その後の西魏😲
炳霊寺石窟192窟(野鶏溝)北壁2龕一仏二菩薩像 北魏 『中国石窟芸術 炳霊寺』より

野鶏溝北壁東側千仏図 残高1.10m、幅1.60m
炳霊寺石窟192窟(野鶏溝)北壁千仏図 『絲綢之路石窟芸術双書 炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

千仏及び菩薩図 西秦
『第169窟』は、基本的には千仏を描いている。残っているのは4段。千仏の平均の高さは0.20m。
高い肉髻、通肩の大衣、禅定印を結び、反花の蓮台に結跏趺坐する。頭光身光、頭上には天蓋がある。千仏図の形式は、169窟北壁12龕上部の千仏と同じであるという。
12龕上部の千仏はこちら
着衣は緑色が多いが、中には白色や褐色の大衣を着るものもあり、全て通肩である。
一仏二菩薩の説法図は、画面左下の細長く残っている箇所に、如来坐像と立像の菩薩が描かれているように見えるので、このことかな。
炳霊寺石窟192窟(野鶏溝)一龕北壁千仏図 『中国石窟芸術 炳霊寺』より


184窟(老君洞)北魏 平面横長方形、正壁(西壁)から突き出した中心柱窟
中心柱窟についてはこちら
『永靖炳霊寺』は、大寺溝入口の姉妹峰の下、高さ約70m、大寺溝石窟群から1㎞離れたところに、炳霊寺石窟ではあまり見られない鏨で掘った大型石窟がある。
その前には如来立像があるが、後世に道教君坐像に改変された。
早期に窟内全面に壁画が描かれた。壁画は秀骨清像であるという。
秀骨清像についてはこちら

北壁上部 高さ1.06m、幅1.38m
『永靖炳霊寺』、北壁には二仏並坐と過去七仏が描かれるという。
『炳霊寺』は、1980年に甘粛省博物館によって184窟の壁画は詳しく調査された。1982年に20㎡の壁画の修復が終了した。本図はその一部で法華経変を描いているという。
色とりどりの天蓋の下に涼州式偏袒右肩の着衣で結跏趺坐する釈迦如来と多宝如来。それぞれの外側に脇侍菩薩が立ち、長い天衣(披巾)がひらひらと垂れている。
結跏趺坐する如来は丸い肉髻で丸顔、二仏の脇侍菩薩は細長い顔で描かれる。
この天蓋は、法隆寺金堂の天蓋や、橘夫人厨子の天蓋にも繋がるものだろう。

法隆寺金堂の天蓋について『法隆寺 日本仏教美術の黎明展図録』は、その下に小札形の中に円花文を配する2段の垂幕を配し、再下段には重圏文を数箇描いた逆二等辺三角形の垂幕を置きその間に細かい襞を折りなす幕が下縁に重圏文を描いた縁飾りを伴って作り出されるという。
炳霊寺石窟184窟北壁上部壁画 北魏 『中国石窟 永靖炳霊寺』より

菩薩立像(上図左下隅) 北魏
披巾と一体化した天衣は輪っかの中で交差し、X字形を作って両腕へと上がり、両側にひらひらと垂下する。 
以前にX字状天衣や瓔珞についてまとめたことがあるが、時代が古いほど短い天衣や瓔珞となる。
炳霊寺石窟169窟にも西秦時代の壁画にX字状の天衣を着けた菩薩立像があった。
X字状天衣については関連項目に記事をあげています。
炳霊寺石窟184窟北壁上部壁画 西秦 『中国石窟 永靖炳霊寺』より

東壁上部 北魏 高さ1.30m、幅1.65m
こちらにも二仏並坐像が描かれているし、一仏二菩薩像もある。
同書は、1981-82年の調査で、東壁には1m余りの壁画があらわれた。墨千仏のほか、墨書銘に釈迦多宝如来、薬王菩薩、普賢菩薩、文殊菩薩などがあった。壁画の菩薩は秀骨清像、褒衣博帯、瀟洒な容姿は、北魏末期から西魏にかけての特徴を示すという。
結跏趺坐した如来の大衣は、両膝と中央の3つの丸みをもって表現されるが、右の如来だけは右足を出している。
光背は挙身光となり、先端が尖っている。日本では舟形光背と呼ばれるが、元は蓮弁を表したもの。
その尖った頂部にさまざまな天蓋が描かれている。二仏並坐図との違いは天蓋くらいのものなので、同時代に描かれたに違いない。
炳霊寺石窟184窟東壁上部壁画 北魏 『中国石窟 永靖炳霊寺』より


関連項目

参考文献
「中国石窟 永靖炳霊寺」 甘粛省文物工作所・炳霊寺文物保管所 1989年 文物出版社
「中国石窟芸術 炳霊寺」 甘粛省炳霊寺文物保護研究所編 2015年 江蘇鳳凰美術出版社
「仏のきた道 中国の仏教文化を探る」 鎌田茂雄 1997年 PHP新書
「建築を表現する展図録」 2008年 奈良国立博物館
「絲綢之路石窟芸術双書 炳霊寺石窟 第169窟 西秦」 主編鄭炳林 2021年 

2021/08/27

炳霊寺石窟169窟西壁から東壁 西秦の仏像


炳霊寺石窟169窟
169窟 西秦、北魏補塑 高さ15.00m、幅26.75m、奥行19.00m
『中国石窟 永靖炳霊寺』(以下『永靖炳霊寺』)は、窟内に24龕あるという。
24龕は北壁、西壁、南壁に分けられていて、今回は西壁及び南壁。
炳霊寺石窟169窟平面図 『中国石窟 永靖炳霊寺』より

西壁立面図
炳霊寺石窟169窟西壁立面図 『中国石窟 永靖炳霊寺』より

15龕は千仏図なので仏画としてまとめます。

西壁下部 16・17龕 
炳霊寺石窟169窟西壁下部 西秦 『絲綢之路石窟芸術双書 炳霊寺石窟第169窟 西秦』

16窟 
『絲綢之路石窟芸術双書 炳霊寺石窟第169窟 西秦』(以下『第169窟』)は、接しているが、菩薩思惟像と二如来立像とは同じ組み合わせではないという。
背屏の向きもことなるので、寄進者も異なるのでは。
炳霊寺石窟169窟16龕 西秦 『絲綢之路石窟芸術双書 炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

菩薩思惟龕 高さ0.70m、幅0.65m

菩薩思惟像 総高0.60m
『第169窟』は、龕内に唯一残る菩薩思惟像。高く髻を結い、長い眉細い目、顔は丸く笑みを浮かべる。胸飾りを首に付け、長髪は肩にかかり、上半身は裸で、長裙を履く。束腰座に坐り、三角の靠背は鱗文が描かれるという。 
靠背は椅子の背もたれで、上部が広がって三角形状となり、カバーの布がその後方に垂れている。これは敦煌莫高窟275窟の菩薩半跏像(北涼、397-439)にも描かれている。
菩薩の左膝の下には折畳文として発展していくであろう衣端の襞が見える。
炳霊寺石窟169窟16龕菩薩思惟像 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

二如来立像 塑造
同書は、両如来と頭光、光背に彩色が残り、光背の間には蓮華が描かれているという。
炳霊寺石窟169窟16龕二如来立像 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

右如来立像 高さ0.82m
高く丸い肉髻に長い耳の如来は穏やかな表情と、ややふっくらした体型をしている。
169窟では立像が涼州式偏袒右肩に大衣を着る姿が見られるが、今までは涼州式偏袒右肩といえば坐像だったので、やや戸惑いを感じる。しかし、立像が涼州式偏袒右肩に大衣を着けることはおかしなことではない。
炳霊寺石窟169窟16龕右如来立像 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

左如来立像 高さ0.92m
もっと丸顔で、肉髻は失われている。半眼に伏せているのかも知れないが、丸みのある目が特徴的。
炳霊寺石窟169窟16龕左如来立像 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

塑像の名残 残龕高さ1.30m、幅0.70m
『第169窟』は、15龕の千仏図壁の向かって左側にある。残っているのは仏像の下半身。残像高1.10m。1本の木を主体の骨格とする。枝などが補助していたという。
左腕とその下に波打つように表された大衣の端も残っている。北壁7龕の如来立像に似た細身の如来だったかも。
炳霊寺石窟169窟16龕如来立像残塑 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

光背には火焔文及び伎楽天5体で、伎楽天は上半身は裸で、裙を履き、U字形に曲げて右手に蓮華を持つという。
伎楽天はそれぞれが自由に空に浮かんでいるように見るが、その身体はU字形というほど曲げてはいないような・・・
炳霊寺石窟169窟16龕如来立像残塑 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

五仏龕 高さ0.50m、幅2.50m
石胎塑造の如来坐像が5体、高さ0.50m-0.60m
頭部が残る2如来はいずれも顔が大きい。
上には17龕の一仏二菩薩像の足があった。
炳霊寺石窟169窟16龕五如来坐像 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

『第169窟』は、右の二体は禅定に入った如来で、身体は石胎で、彩色が残っているという。
図版が上から見下ろしているからか、結跏趺坐した脚部が前に突き出している。
炳霊寺石窟169窟16龕五如来坐像内 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より


17龕 一仏二菩薩像うち右脇侍菩薩像
残高3.76m、幅2.80m、奥行1.00m 
『第169窟』は、五如来坐像の上方。もとは長方形平面の大きな龕だった。一仏二菩薩像だったが、現在は右脇侍菩薩のみで、如来と左脇侍菩薩は足だけ残っているという。
西秦時代には、如来だけの立像や坐像が多く、一仏二菩薩像は珍しい。
如来立像は残っている足から類推すると、右脇侍菩薩の2倍くらいの身長がありそう。
炳霊寺石窟169窟17龕右脇侍菩薩が残る 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

右脇侍菩薩像 像高2.35m
同書は、高く髻を結い、宝繒で飾る。裙を履き、飄帯は下に垂れている。右手は下げ、左手はあげている。反花の蓮台に立つという。
脚も長く、裙の衣文は膝下からU字形に線刻されている。おそらくその傍には、北壁7龕の如来立像に近い如来像が立っていたことだろう🤗
炳霊寺石窟169窟17龕右脇侍菩薩 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

同書は、菩薩の頭部は比較的よく残っている。胸部と腕の破損がひどい。表面の塑土がなくなり、木芯の骨格などが露出しているという。
痛々しい姿だが、当時の仏師たちがどのように木芯塑像を制作したかが垣間見える貴重な資料でもある。
髪は耳下で束ねて幾筋かに分かれ。両肩に広がっている。これが蕨手となるのはいつ頃だったかな🤔
炳霊寺石窟169窟17龕右脇侍菩薩 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

両脇侍菩薩の足と比べると、如来の足ははかなり大きい。右脇侍菩薩の高さが2.35mなので、5m近い大像だったのでは。如来は低い反花の蓮台に立っていた。
そして、如来の蓮台前にある盛り上がったものと穴。16龕と17龕の間に何かの像があったことをうかがわせる。
炳霊寺石窟169窟17龕如来と左脇侍菩薩の足 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

17龕の上方に18龕がある。
炳霊寺石窟169窟17龕西壁 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

18龕 17龕の上方
『永靖炳霊寺』は、西秦時代最早期の造像は、169窟浅龕の単身の石胎塑像で、正壁(西壁)上部に12体(18号)、北壁上部に4体(4龕)などが残っているという。

『第169窟』は、如来立像を中心に、大小13の浅龕があり、中に浅浮彫で石胎塑造の如来が結跏趺坐するという。
現地で上の方の強烈な色彩の岩肌を眺めていると、なんとなく仏像らしいものが掘り出されているように思えたが、こんなにたくさんあったとは👀
炳霊寺石窟169窟18龕 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

如来立像龕 西壁で最大、尖頭アーチ龕 高さ4.70m、幅2.50m、奥行0.70m
如来像 石胎塑造 高さ約4m
『第169窟』は、丸く高い肉髻、肉髻の表面に塑土を盛った痕跡がある。耳は大きく顔は風化してはっきりしない。首は太く、広い肩細い腰で手足は頑健である。
内着は僧祇支、偏袒右肩に大衣を着る。左手は胸前にあげて大衣の端を握り、右手は下げる。
反花の蓮台に足を開いて立つという。
壮健な如来立像で、造立当時の像も7龕の如来立像とは趣が異なっていたことだろう。
炳霊寺石窟169窟18龕中心の如来立像 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

その脚部に塑土と彩色が残っていた。
脚部に密着した大衣の衣文線はU字形で、折畳文は見られない。尖頭アーチ肩の龕全体が光背を兼ねていたのだろう。千仏などが描かれている。
炳霊寺石窟169窟18龕如来立像の彩色 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

如来立像の右側に結跏趺坐する小さな如来が4体。上の2体は通肩に大衣を着るという。
炳霊寺石窟169窟18龕小龕の如来坐像群 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

三身如来坐像 如来立像の向かって左側
上の如来は偏袒右肩に大衣を着ていることが、石胎でわかるが、下の2如来は不明。これで三世仏ということにはならないだろう。
炳霊寺石窟169窟18龕 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

さらに左側 
4龕に各禅定印の如来坐像が1体ずつ掘り出されるという。
坐した膝が彫り出しきれなかったのだろう。膝頭塑土を盛り上げるための穴がある。
左端に小さな立像が見えていし、他にも小さな如来坐像などがあるがひとまとまりで何かを表しているというのではなく、それぞれの像の寄進者の思いが形に表されたのだろう。

炳霊寺石窟169窟18龕小龕の如来坐像群 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

18龕は外側からでも見えるらしい。遠目の利くひとならば。
炳霊寺石窟第169窟外観 『中国石窟芸術 炳霊寺』より

19龕は千仏図なので後日まとめます。

一六九窟西壁から見た北壁と南壁
炳霊寺石窟第169窟内部からみた北壁と南壁 『中国石窟芸術 炳霊寺』より


南壁立面図
炳霊寺石窟第169窟南壁立面図 『中国石窟 永靖炳霊寺』より

南壁の仏像群
炳霊寺石窟169窟南壁 西秦 『絲綢之路石窟芸術双書 炳霊寺石窟第169窟 西秦』より


20龕 南壁下層、窟口近く 浅龕5つ 高さ1m、幅2.30m、奥行0.19m 
『第169窟』は、龕ごとに塑造で、結跏趺坐し禅定印を結ぶ如来坐像が1体つくられている。着衣は通肩または涼州式偏袒右肩であるという。
東側(窟口)から3番目に苦行の釈迦像がある。その右隣の如来像の小さいこと。
炳霊寺石窟169窟20龕 西秦 『絲綢之路石窟芸術双書 炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

同書は、塑土に草、麻、紅砂白土が混ぜられているので、風化しているが、原形を留めて、石のような硬い質感に見える。当時の工人の職人魂が現れているという。
炳霊寺石窟169窟20龕 西秦 『絲綢之路石窟芸術双書 炳霊寺石窟第169窟 西秦』より
西側から

如来坐像1 像高0.65m
口元に笑みを浮かべている。右肩から腕にかけて布状のものがあるので、大衣を涼州式偏袒右肩に着ていることがわかる。左首から右脇に浅い2本の線があるのは僧祇支だろうか。大衣を表現する塑土が剥落しているために、仏像を塑造するときは、胴の線状の括れまでつくって、その上から大衣を着せるように塑土を盛っていくという制作過程がうかがえる。
炳霊寺石窟169窟20龕如来五尊うち 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

如来坐像2 像高0.70m
保存状態のよい如来は通肩に大衣を着る。その線刻の衣文線は首の下でU字形にならず、左肩から右腹部へと放射状になっている。
両腕から垂れた大衣は丸い膝頭を覆うが、結跏趺坐した足がどこにあるのか分からない、特異な造形である。定印を結んだ手の下からおりた大衣の折畳文はごく小さい。
頭光と光背がかすかに残っていて、身光の外縁には連珠文が連なる。
炳霊寺石窟169窟20龕如来五尊うち 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

苦行の釈迦像 像高0.53m
『第169窟』は、高い肉髻、額に2本の皺、頬骨は出ているが頬は凹んでいる。両肩は痩せ細り、肋骨が誇張されて、腹部はへこんている。
披巾は両首から腕にそい、肘の内側に回るという。
苦行の釈迦にも披巾が両肩を覆うのは、涼州式偏袒右肩と同じく、漢族の肌の露出を嫌う習性によるのだろうか。
裙の上半身を外に折って、フリルのような折畳文が施されているが、これはギリシアに起源をもつジグザグ状の衣端の表現ではなく、当時のズボンの履き方を表しているのだろう。
結跏趺坐した足の表現は自然で、右足の裏が出ている。
炳霊寺石窟169窟20龕如来五尊うち 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

如来坐像3 像高0.30m
同書は、高く丸い肉髻、広い額、顔はやや剥落がみられるが微笑む。
涼州式偏袒右肩に大衣を着け、左手で大衣の角を握るという。
めずらしく髪に線刻がある。頭光や身光の痕跡がある。
炳霊寺石窟169窟20龕如来五尊うち 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

如来坐像4 像高0.66m
窟の外を向く。清雅な顔でまゆをあげ、口角も上げて微笑みを浮かべる
通肩に大衣を来て結跏趺坐し、おそらく禅定印を結んでいた。
首に塑土を盛ったり重修した痕跡があるという。
胸部の残りから類推すると、如来坐像2ほどには丸い膝頭が出っ張ってはいなかっただろう。
炳霊寺石窟169窟20龕如来五尊うち 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より


21龕 20龕の上部 高さ1.10m、幅3.90m
東浅龕:高さ1.10m、幅1.30m 西浅龕:高さ1.07m、幅0.90m
『第169窟』は、本来は少なくとも3体の如来坐像があっただろうという。
炳霊寺石窟169窟21龕 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

西如来坐像 高さ0.65m
20龕如来坐像2に似て膝頭が丸い。嵩が低く見えるが、下から見上げた写真なので、実際の形は分からない。
禅定印を結んで、両親指は爪も表現されている。
光背には火焔文が描かれている。
炳霊寺石窟169窟21龕如来坐像 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

東如来坐像 高さ0.65m
『第169窟』は、高い肉髻、丸顔、長い眉細い目、高い鼻、微笑を浮かべた顔。
頭光、光背は彩色されているという。
衣文線は深く刻まれる。
炳霊寺石窟169窟21龕如来坐像 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より


『第169窟』は、南壁には22龕、その上に23龕そしてその東壁に24龕があるという。

22龕 高さ2.30m、幅1.80m、奥行0.50m
同書は、南壁中部、21龕の西側にあり、木材を用いて、樹枝を敷いて蓮弁形の背屏を塑土で造っている。背屏は三枚の蓮弁で、現在は一仏一菩薩がその前に立つ。もとは一仏二菩薩の三尊像であったという。
炳霊寺石窟169窟22-24龕 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

一仏二菩薩像のうち
如来立像 高さ1.65m
同書は、高い肉髻、中に僧祇支を着て外は偏袒右肩に大衣を着る。左手は胸前で大衣の端を握り、右手は下げて衣端をつかみ、反花の蓮台にたつ。 頭光と光背は内側から火焔文、如来坐像、連珠文が描かれるという。 
7龕の如来立像よりも頭部が大きく、肩ががっしりとしていて、脚は短め。着衣の裾も短め。
光背の一番外側はパルメット文。

菩薩立像 高さ1.28m
脚部に密着した裙はこの時代の特徴だが、膝上から左右に開くのは珍しいのでは。
肩から両腕にかかり、肘の内側から垂下している披巾は、脚部の外側で風に揺れているような優美な表現である。
炳霊寺石窟169窟22龕 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

如来頭部
同書は、高い肉髻、ふっくらした顔、細長い眉、杏仁形の目は少しだけ開き、鼻筋は通り、口角は少し上げ、成道後の容姿を表しているという。
炳霊寺石窟169窟22龕如来立像 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

23龕 高さ1.88m、幅4.90m、奥行0.05-0.12m
『第169窟』は、長方形の背屏式の龕を塑土で造っているという。
光背から、東西が二尊で、中央は背屏に独自の龕を造った独尊像とも思える。
丸い膝頭は東二尊で、独尊像はやや低くなり、西二尊はもっと低くなっているように見える。
炳霊寺石窟169窟22・23龕 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

東二尊像
『第169窟』は、五如来の内、東の3体は西側の2体より早期に制作されているという。
東より
如来坐像1 高さ0.96m 如来坐像2 高さ0.97m 
同書は、高く丸い肉髻、豊満な丸顔、細長い眉に大きな目、鼻筋は真っ直ぐ通り、薄い唇は軽く閉じ、微笑みを浮かべる。首は短く、通肩に大衣を着て背後の壁に密着している。蓮台に結跏趺坐し、禅定印を結ぶ。光背は半円形になっている。
中国の初期仏教美術の典型的な仏像であるという。
腹部が少し出ているように思う。
炳霊寺石窟169窟23龕東二尊像 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

中央の如来坐像 高さ0.60m
『第169窟』は、頭頂に高く丸い肉髻、豊満な丸顔、細長い眉大きな目、鼻筋が通り、唇は軽く閉じる。首は短く、大衣を通肩に着る。蓮台に結跏趺坐し、禅定印を結ぶという。
やっぱりお腹が出ている。
炳霊寺石窟169窟23龕中央如来坐像 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

西側二如来坐像
東より4番目の如来坐像 高さ1.07m 5番目の高さ不明
『第169窟』の解説は、柳の葉状の目という表現の他は1-3の如来坐像と同じなので省略。
肩幅も広くなり、胸部も厚いため、腹部が出ている風には見えない。
禅定印を結んだ手は、5指が表されている。手の下からは衣端が丸く出ているが、蓮台に坐っているようには見えない。
炳霊寺石窟169窟23龕西二尊像 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より


4番目の如来坐像
通肩に着た大衣は、首の周りの表現が1-3の如来坐像よりも簡略化されていて、右にも大衣の端が表されて、不自然。また着衣の衣文も浅く形骸化している。
火焔文に連珠文、そして組紐文などが頭光や身光に描かれている。組紐文は西秦時代にすでにあったのだ。
炳霊寺石窟169窟23龕西端如来坐像 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

23龕斜め上の壁画については後日まとめます。
炳霊寺石窟169窟23龕東二尊像と上部の壁画 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

南窟口 如来坐像 石彫 高さ約1.50m
『第169窟』は、高い肉髻。結跏趺坐して禅定印を結ぶ。通肩に大衣を着る。頭光や身光に火焔文や小仏が描かれている。169窟唯一の石彫龕であるという。
髪に筋が線刻される。顔は方円形で、両目は丸く剥がれているので見開いていたのかも。口元が上がり微笑みを表現している。
通肩に着た大衣の衣端は左右肩どちらにも表されていない。
肘や腹部の3箇所に四角い穴が穿たれているのは、木材をさし込んでも岩では足りない長さのものを塑造した名残だろう。
炳霊寺石窟169窟23龕東窟口如来坐像 西秦 『炳霊寺石窟第169窟 西秦』より

24龕は千仏図なので後日まとめます。



関連項目

参考文献
「中国石窟 永靖炳霊寺」 甘粛省文物工作所・炳霊寺文物保管所 1989年 文物出版社
「中国石窟芸術 炳霊寺」 甘粛省炳霊寺文物保護研究所編 2015年 江蘇鳳凰美術出版社
「仏のきた道 中国の仏教文化を探る」 鎌田茂雄 1997年 PHP新書
「建築を表現する展図録」 2008年 奈良国立博物館
「絲綢之路石窟芸術双書 炳霊寺石窟 第169窟 西秦」 主編鄭炳林 2021年