ブルサのウルジャーミイのミンバルには下部にアクリル板のカバーがあり、説明パネルには説教壇は 1571 年に遡り、クンデカリ技法(Kündekari technique)という珍しい技法で作られているという。
世界のモスクのモスクの特徴。建築や装飾からモスクを読み解くでは、トルコでは、接着剤や釘などを一切使用せず、木片ピースを組み合わせるクンデカリ Kündekari と呼ばれる技法で作られたミンバルがある。その技法は、日本の伝統技術でもある組子と通じるところがあるという。
さまざまな幾何学的な形の木片に植物文様の浮彫を施して、それを組紐でつないでいるのをクンデカリ技法というのか。それはこれまでモスクの扉などで見てきたものだったが、その名称が分からなかった。クンデカリ、覚えておこう。
五点星には一筆書きのような細く白い線があるしかも、一つの線を跨ぐと次の線はくぐるという凝り方。色の違う木材を象嵌しているようだ。
イスタンブールのモスクや墓廟で見つけたクンデカリ技法を年代順に並べてみて、ブルサのウルジャーミイのミンバル(説教壇、1571)よりも前に、すでに使われていた技術であることがわかった。
ベヤズィット二世廟 窓の扉 1512年 ミマールスィナン以前
征服王メフメット二世の子。
小さく撮影したものなので、これ以上大きくできない。あまりにも艶があり過ぎて補修の扉のよう。
植物文様の浮彫はないが、十点星のまわりのような直線的な幾何学文様だけではなく、その上下には曲線が伸びて、他にはない形の木片がある。
ヤウズスルタンセリムジャーミイ Yavuz Sultan Selim Camii 1522年 ミマールスィナン以前
ベヤズィット二世の子セリム一世の廟入口の扉
木片だけのクンデカリだが、年輪がくっきりと見える材でつくられているので、植物文様を浮彫していなくても華やか。
モスク内の説教をする壇
中央の十点星は形が整っているが、五点星や、この七点星は形が崩れているので、そのまわりの木片も変則的。
現地ガイドのギュンドアン氏はミンバル(日本語では説教壇)について、礼拝の時イマームは階段で立っているだけです。説教するのはこちらです、と別のモスクで解説されていたように、イマームが説教する壇はこれである。
丸い出っ張りを10個の花弁状のものが取り巻き、そこから組紐が様々な幾何学文様をつくりながら伸びていく。
ミフリマースルタンジャーミイ Mihrimah Sultan Camii 入口の扉 1542-48年 ユシキュダル スレイマン大帝の娘 ミマールスィナン造
スレイマン大帝の宰相の一人
ここで、スルタンのモスクや墓廟の扉には用いられてこなかった、浅浮彫された木片が直線的な組紐文がつくりだす幾何学文様の中に嵌め込まれている。 ブルサのウルジャーミイのさきがけとなるクンデカリ技法かも。
組紐文がずれている箇所がところどころにあるが、それが補修のためかどうかは判断できない。
ハドゥムイブラヒムパシャジャーミイの扉 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より |
スレイマニエジャーミイ 入口の扉 1550-57年 セリム一世の息子 ミマールスィナン造
スレイマン廟 入口の扉 スレイマニエジャーミイキュッリエ内
クンデカリ技法に木片と共に真珠母貝や象牙、貴石を組み合わせた豪華なものになった。植物文様の浮彫は、細くて丸みのある繊細な線で構成されている。
クンデカリの細密な技術は、枠の文様帯だけになってしまったかのよう。植物文様の浮彫は、五弁花のロゼットの周囲に5本の蔓草がうねっている。
ヒュッレム廟 入口の扉 1558年 同キュッリエ内(複合施設)
ヒュッレムの方が先になくなったせいか、スレイマン廟の扉と比べようもない簡素なクンデカリ。木片には浮彫もない。
しかし直線的な組紐文を見ていると、これもクンデカリの技法から生まれたものではないかと思うようになった。リュステムパシャはタイル張りに固執しただけではなく、目立たないところにも装飾を惜しまなかったのだ。
シアヴュシュパシャ廟 Siyavuş Paşa 扉 1582-84年 エユップ
トプカプ宮殿第4の庭
レワン・キョシュキュ 細長い棚の扉 1636年
参考にしたもの
リュステムパシャジャーミイ 入口の扉 1561-63年 スレイマン大帝の大宰相の一人、娘ミフリマーの夫 ミマールスィナン造
やはり木片だけではなく象牙か貴石のようなものが使われている。
巨大なドアノブのような出っ張りは、王族に限られるものでもないらしい。
スルタン用マッフィル(専用席)の裏側皮革に凹凸の幾何学文様を施し、各所に植物文様を描いたものだと思って見ていた。
しかし直線的な組紐文を見ていると、これもクンデカリの技法から生まれたものではないかと思うようになった。リュステムパシャはタイル張りに固執しただけではなく、目立たないところにも装飾を惜しまなかったのだ。
ミフリマースルタンジャーミイ Mihrimah Sultan Camii 入口の扉 1562-65年(『Architect Sinan His Life, Works and Patrons』による)、1565-70年(『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』による) スレイマン大帝の娘 ミマールスィナン造 エディルネカプ
木の扉に真珠母貝あるいは貴石の細工を象嵌している。
複数の組紐文が織り成す、ロセッタ(変形六角形)・五角形・菱形・三角形などの幾何学形に切りそろえられているのは、真珠母貝、象牙などだろう。
幾つかの五角形は、五角形の中に白い線を組み合わせて、中心の五点星、小さな五角形などをつくりだしている。その素材は分からない。夫が献納したリュステムパシャジャーミイの入口の扉の五角形の方がしゃれている。
ザルマフムドパシャジャーミイ Zal Mahmut Paşa Camii モスクの入口扉 1577年 エユップ ミマールスィナン造
現地で撮影した扉
『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』に図版があって、その扉はかなり傷んでいるので、修復前のものだろう。2000年以前のものと思われる。
ザルマフムドパシャジャーミイの扉 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より |
下のパネル
ザルマフムドパシャジャーミイの扉下部 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より |
シアヴュシュパシャ廟 Siyavuş Paşa 扉 1582-84年 エユップ
浮彫はないが、それぞれの形にそろえた木片を嵌め込んでいる。中心の十点星に木片の板目を向けている。
こんな風に見ていくと、トプカプ宮殿にあった窓の扉や造り付けの戸棚の扉などの、鼈甲と真珠母貝の細工の豪華な細工が、ついにはほとんどが豪華な素材で造られるようになっていったクンデカリ技法の最たるものではないかと思うようになった。
レワン・キョシュキュ 細長い棚の扉 1636年
バーダット・キョシュキュ 戸棚の両開きの扉 1639年
造り付けの浅い棚
いつものように私のただの憶測です。
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現地の説明パネル
参考文献