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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2025/02/04

エディルネ エスキジャーミイの装飾


エスキジャーミイ(1403-14)は驚くような文様で溢れていた。

内部の九つの小ドーム 『トルコ・イスラム建築』より
①礼拝室入口 ③ミフラーブ ④ミンバル(説教壇) ⑤ムアッズィン用マッフィル ⑦スルタンのマッフィル
ⓐ-ⓘ各ドーム
エディルネ エスキジャーミイ礼拝室平面図 『トルコ・イスラム建築』より


正方形からスキンチを用いて八角形にしてもどこから円形になっているのか分からない。

と思ってドーム全体を見ると、八角形の稜線がそのまま明かり取りの窓の八角形へと続いていた。外から見上げたドームも八角形。あれま、半球形だと思っていた。

スキンチの装飾はドームのものと同系統の模様だが、その下はバラの花などを描いていて時代が下がるのでは。

植物文様ばかりに見えても、じっくり見ると組紐文が鏤められている。

別のスキンチは文様が異なっていた。黒ずんでいるところが古いものだろう。


ⓑ中央のドーム
四隅が数段のムカルナスで八角形を導き、その内側の区切りのないところで円形となり、ドームが架構されている。

ドームの壁画は黒っぽい部分がオリジナルのよう。縁の文様帯にはコーランの章句が表されている。黒ずんだ箇所は浮き出て見えるところもあるが、明るいところはそれが見えない。

植物文様くらいにしか思っていなかったが、中心は曲線を使った幾何学文様で、そこから植物文様が展開している。

その中心部分。どこまでが幾何学文様で、どこからが植物文様なのか分からない。それにしてもあのハートは何のため? ひょっとすると中心部分を赤く照らすためだろうか。

ムカルナスは四段

そこには左右対称の蔓草文様が描かれていて、中には人の目やひげのようなものがあったりする。画工の遊び心と思いたい。


ⓒミフラーブのあるドームはトルコ三角形で架構されていた。 
『トルコ・イスラム建築』は、壁の一定の高さの所から天井に向けて三角形の面を斜めに繰り出して、天井に正多角形を作り、ドームを載せる方法という。
今までありそうでなかった。珍しいものを見ることができた。このトルコ三角形によるドーム架構法については後日

ドームの文様は古くなさそう。

頂部
赤い八点星から曲線の組紐文の描かれた菱形、続いて直線的な組紐文があり、外側の赤い地のカリグラフィーへと繋がっている。


ⓓのドーム
ペンデンティブで円を導くタイプのドーム黒っぽい部分がオリジナル。針葉樹(糸杉?)と広葉樹が交互に描かれ、四隅のペンデンティブには赤い実をつけた枝垂れ木が描かれている。

文様はモノトーンで描かれているみたい。

やっぱり中心は幾何学文様


ⓔのドーム
輪郭が真円ではなさそう。文様も一番小さく、創建当初はこんな素朴なものだったのかと思わせる。

拡大すると黒ずんだ箇所とそうでない箇所がはっきりしてきた。

拡大すると色が鮮やか。

中心はかすんでしまった。


八弁花の蔓草文様その外側にイスラームの幾何学文様、連珠文が一列、一番外側にはタイル装飾ではフィニアルと呼ばれているもののようなもの。歴史的にいうとこちらの方が早いかも。


ⓕのドーム
ⓔのドームと同じくらい円形の文様は小さいが、修復されてあまり時間がたっていなさそう。

左上が古い部分。

中心の花の中は幾何学文様、外には植物の茎が幾何学文様のように出ている。



ⓖのドーム
ⓔ・ⓕの文様よりは大きい。

色の薄い部分は少ない。

赤い六点星の周囲には幾何学的な組紐文が巡っているが、イスラーム的な周囲に展開するものではなく、同じような形で途切れたものの組み合わせ。その外側には三十二の花弁が巡り、その輪郭線は交差しながら交わったところで大きな花を咲かせている。幾何学文様と植物文様が融合している。



ⓗのドーム
ⓔ・ⓕのドームと同じくらい円形の文様が小さい。

八重咲きの花の輪郭のような細い線が目立つ。

幾何学文様から植物文様になっている。


色の濃い箇所がオリジナル、もしくは古い壁画。


ⓘのドーム

下から見上げた写真がなかったので。

ドーム部は植物文様の繰り返し


外縁のフィニアルは樹木と化し、外側にはもっと大きな樹木と、植物文様が詰まった円文とが交互に描かれている。そして目立たないが、一番外側にはカリグラフィーが巡っている。



アーチは赤石と白石を交互に配したものに思っていたが、どうも描いたものだということが分かってきた

赤い石の間にあるのは様々な岩石の模様を描いたものだった。赤い石さえ彩色したもののよう。
そういえばイスタンブールのモスクにもここまで鮮やかではなかったが、彩色したものがあった。最初は色の異なる石材でアーチを架構していたのが修復を簡略に済ませるために彩色で済ませたのだろうか? 或いは、最初からという可能性も。

このアーチの下側では、文様帯が石を真似たものではなく菱文繋ぎの中に石の模様が描かれている。これはいったい?

他のモスクでも描かれた石の模様はあった。それについては後日


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参考文献
トルコ・イスラム建築」 飯島英夫 2010年 富士房インターナショナル