来館者もそれぞれにお気に入りの作品を撮影したりして楽しみながら見ておられて、とても雰囲気の良い中を、久しぶりに見るもの、書物でしか見たことがないものなど思い入れのある品々の鑑賞に浸ることができた。
まずは染め物から。
蠟纈 (解説文は『世界遺産 大シルクロード展図録』より)、
臈纈はインドで発生したといわれており、木綿布の産地もインド方面です。
女神像棉布 1-3世紀 棉、臈纈染め 縦48.0㎝、横85.0㎝ 1959年新疆ウイグル自治区民豊県ニヤ遺跡1号墓出土 新疆ウイグル自治区博物館蔵
同展図録は、棉織物に臈纈染めによって文様を表しています。臈纈染めとは蠟を塗って防染することで文様を染め出す技法ですという。
同展図録は、左下の正方形の枠の中には、豊穣の角(コルヌコピア)を持つ女神の上半身が表されています。クシャ-ン朝のフヴィシュカ王(2世紀後半)のコイン裏面の女神アルドクショ-との類似が指摘されていますという。
このふくよかな女神はクシャーン朝由来のもの?
ヘラクレスのライオン退治の図柄だったのかも。
身をよじって尾に噛みつく動物はともかく、小鳥の中に一羽だけ後ろを向いているのがいて、この作品を仕上げた人が楽しみながら作業しているようだ。
獅子狩文絹布 唐・7世紀末-8世紀初 平絹、臈纈染め 縦42.0㎝、横29.0㎝ 1973年新疆ウイグル自治区トルファン・アスタ-ナ古墓191号墓出土 新疆ウイグル自治区博物館蔵
同展図録は、疾駆する馬にまたがる男性が、後ろを振り向いて、獅子に矢を放つ瞬間を表しています。獅子は前脚を高く挙げ、馬上の人物に襲いかかっています。周囲には兎を追う犬や小鳥を追う鷹、 草花が表されています。馬の首もとに見えるのは「飛」という漢字(展示されている部分では左右反転)であるとされ、法隆寺四騎獅子狩文錦の馬の臀部に見える「山」「吉」という漢字との類似が指摘されています。
獅子狩文といえば、ササン朝ペルシアの銀皿に表された帝王獅子狩文がよく知られていますが、ペルシア銀器や法隆寺錦とは異なり、騎士が王冠をつけないのが本作品の特徴といえます。
文様は染織技法の一つである臈纈染めによって表されています。淡い黄色の平絹を用い、文様部分を蠟で防染した後で赤茶色の染料に浸し、文様を染め出しています。本作品では判型を使用して文様部分に蠟をつけたと考えられていますという。
残念なことに、射手が後ろを向いて矢を構える「パルティアン・ショット」についての解説がない。
パルティアン・ショットについてはこちら
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新疆ウイグル自治区博物館蔵獅子狩文絹布 唐・7世紀末-8世紀初 世界遺産 大シルクロード展図録より |
続いて織物を年代順に(解説文は『世界遺産 大シルクロード展図録』より)、
経錦(たてにしき)
中国の絹織物の歴史は非常に古く、漢代には東の長安から西へ通じる西域南道と西域北道がベルシア、さらにロ-マ帝国へと続き、いわゆる「シルクロ-ド」を通って東西の文物の交流が頻繁に行なわれるようになり、双方の染織技法や文様が伝播しました。今回の展示品をみると、トルファン・アスタ-ナより北朝 (5-6世紀)から唐(7-9世紀)にいたる錦が出陳されています。錦は漢代からの伝統を引き継いだ経錦が主流でした。
綴織(つづれおり)
西方から中央アジアに伝わった綴織(中国では「緙絲(こくし)」と表記)は平織に比べて少し間隔を空けた経糸に、文様におうじた色の緯糸を手作業で折り返して詰めていくので、緯糸が密になり、一見すると絵画のようにもみえます。色の境目には「ハツリ」と呼ばれる縦の隙間がみられる場合が多いです。錦のように大掛かりな織機を必要としません。
半人半馬および武人像壁掛 前2-後2世紀 毛、綴織 縦116.0㎝、横48.0㎝ 1984年新疆ウイグル自治区ホ-タン・ロプ県サンプラ古墓1号墓出土 新疆ウイグル自治区博物館蔵
は、この毛織物の断片は被葬者のズボンの一部でしたが、もとは大きな壁掛であったと考えられています。左端に織耳が残っていることから、壁掛の左端にあたることが分かります。帯状の繧繝模様によって上下二段に分かれています。西方の高い綴織技法で制作された壁掛が、ホ-タンにもたらされ、被葬者のズポンに仕立てられたと考えられますという。
それでこんな細長い裂だったのか。
『シルクロード 絹と黄金の道展図録』(2002年)では後1-3世紀とされていた。20年も経てば研究が進んで、見解も違ってきたりするので、このような特別展やその図録というものは有り難い。
平たいケースに展示されていたので、どうしても遠くの方は小さく写ってしまう。
『世界遺産 大シルクロード展図録』は、上部は藍地で、四弁の花からなる菱形の枠の中に上半身が人間の半人半馬を表しています。両手で長い笛を持ち、それを吹きながら疾駆していますという。
なるほどケンタウロスは西方の顔立ち。敵の急襲を知らせるのではなく、花々に囲まれて慶事の様子を表しているようだ。細い蔓が申し訳程度に織り込まれている。
同展図録は、下部は赤地で、長槍を持つ武人の頭部と右肩が認められます。髪の毛を後方に撫でつけ、白っぽい鉢巻きをしめています。顔貌表現は写実的で、色糸の濃淡により立体感を見事に表現していますという。
ズボン 1-3世紀 毛、綴織、経錦 長111.0㎝、腰幅61.0㎝ 新疆ウイグル自治区博物館蔵
同展図録は、本作品のように毛織物の一部に綴織を織り込み、それに沿って繧繝模様や波頭文を表す織物がシリアのパルミラやドゥラ・ユ-ロポスなどの遺跡から出土していることが指摘されていますという。
草花文綴織靴 1-5世紀 毛、綴織・綾織り、皮革、絹 長29.0㎝、高16.5㎝ 1995年新疆ウイグル自治区民豊県ニヤ遺跡1号墓地5号墓出土 新疆ウイグル自治区博物館
同展図録は、ニヤ遺跡5号墓の女性被葬者が履いていた踝丈のブ-ツです。
底部には皮、内側はフェルトが用いられ、履き口には別裂の縁がつけられています。本作品が出土したニヤは、西域南道に栄えた鄯善国の西端に位置するオアシスで、漢文史料では精絶の名で呼ばれていました。早くに砂漠化して被葬者はミイラ化し、身につけていた服飾も本作品のように驚くほど良好な状態で保存されていますという。
2000年近く昔のものが、現在つくられたと言われてもそうかと思うほど色が鮮やか。日常履いていた汚れさえなさそう。
同展図録は、アッパ-部分の毛織物は、一枚の裂に二種類の異なる技法が見られます。正面は一色ずつ色糸を折り返す綴織技法で、帯状に草花文を織り出しています。その両側は、綾織りで濃淡の色調を段階的に配する繧繝配色を表しています。このような技法・意匠の毛織物は西域南道とよばれるタリム盆地南縁の諸オアシスに類例がみられますが、その中でも本作品の繧繝は精巧なことで知られていますという。
綴織の箇所では、地面から生えた草は茎が二つに分かれて伸び、それぞれ花を付ける。そんな周辺の自然が意匠としてできあがっている。スミレの花かも。
両側の綾織り部分は暈繝のグラデーションが美しい。踵に近い方は真紅で濃淡はない。
太陽神等文様錦 5-6世紀 絹、錦 縦42.0㎝、横27.0㎝ 1985年青海省海西州都蘭県熱水墓地出土 青海省博物館蔵
同展図録は、都蘭県熱水墓地群の熱水第一号墓から出土した錦断片で、二種類の錦が縫い合わされており、左端に縁取りが縫い付けられています。各錦には絵柄の異なる円文が織り込まれていますが、特に右側の錦はトルファン・アスターナ101号墓出土の連珠狩猟紋錦(北朝)とデザインがほぼ同じです。
左側の錦は、中央に相対する動物を表し、その上下には、建物の中に立つ二人の人物、さらに。両端の文様は不明ですという。
連珠円文ではなく、渦巻円文とは凝った織り方をしたものだ。その中のデザインもまた細かい。
上左:渦巻文に囲まれた獣面を、上下対称となるように表していますという。
獣面が逆さになっているので下の方の図を参照して下さい。
上右:象、馬上から鹿を射る人物、獅子、駱駝が相対しています。また獅子の間には蓮華座に立つ塔のようなものが見えます。円文はそれぞれ渦巻文で縁取りされ、各円は花柄で繋がれます。また各円の余白には動物が表されていますという。
上半にはパルティアン・ショットで鹿を狙う人物というモティーフが左右対称に表されている。下半は分かりにくいので下方の図を参照して下さい。
中左:(上下逆)中央に相対する動物を表し、その上下には、建物の中に立つ二人の人物、さらに渦巻文に囲まれた獣面を、上下対称となるように表していますという。
本図では上下の尖った曲線の枠の中に対獣文が表されている。頭が大きいので獅子だろう。その下に二人の門番(仁王ではない)と、中央の通路のようなところに七つの薄い色の円文がある。
中右:真ん中の円文は四頭立ての馬車に乗る太陽神ヘリオスの文様で、太陽神は光背を備え、頭上には傘蓋が確認できます。両脇には鳥のような獣に乗る小人がいるとされますという。
頭光のある仏像だと思って見ていたが、交脚像でも倚像でもないのはヘリオスだからか。鳥のような獣に乗る小人は何かを掲げている。
下左:渦巻文に囲まれた獣面
羊樹文錦 6-7世紀 絹、経錦 長24.0㎝、幅21.0㎝ 1972年新疆ウイグル自治区トルファン・アスタ-ナ古墓186号墓出土 新疆ウイグル自治区博物館蔵
同展図録は、緑地に紅、黄、白色の経糸で文様を織り出した経錦です(たてにしき、経糸の方向は文様の左右方向に当たります)。文様は大樹を中心に、樹下に一対の山羊、梢の左右に二対の鳥を配して一単位を構成しています。西方由来のモチ-フを中国で発達した経錦の技法で表現していることが特徴です。
大樹の形状は人工物のようにも見えることから、中国北朝から唐代の風習で上元節(正月十五日)に飾った「灯樹」を表したものとする説があります。アスタ-ナからは本作例と同じ文様で藍地のものや(151号墓)、「吉」字が織り込まれたもの(31号墓)が出土しています。いずれも620年の埋葬で、この種の錦が流行した時期を知ることができます。なお、313号墓出土文書に「陽樹錦」の記載があり、「陽」は「羊」と音が通じることから、本作例のような文様の錦を指す可能性が指摘されていますという。
『シルクロード絹と黄金の道展図録』(2002年)では、五胡十六国-麴氏高昌国時代(5-6世紀)。雄々しい角を持った雄羊ではあるが、頸にはササン朝の動物にしばしば登場するリボンをなびかせるとなっている。
山羊か羊か? 山羊でこんなに長い角のある種は見たことがないし、大角羊は曲がった角を左右外側に描かれている。
リボンを首に巻くのはゾロアスター教美術。それについてはこちら
そしてちょっとびっくりのこの布は、図録のものとはかなり違う写り方になってしまった。
同展図録は、鮮やかな藍地に赤・白・緑の経糸で文様を織り出した経錦です。ソグド系豪族・康氏の墓地から出土しました。
蓮華化生とは仏教図像の一種で、蓮華から生まれ出る天人や極楽往生者を表したものです。畏獣とは中国古来の鬼神像の一種で、獣面・二足で羽を生やしています。中国では伝統的な瑞祥(為政者の徳に呼応してめでたいしるしが現れること)の観念が仏教と結びついたことを背景に、6世紀前半には中国的鬼神・神獣と仏教図像が入り混じった図像が流行しました。なお、錦を含めアスターナの副葬品に仏教図像が認められることは珍しく、その点においても興味深い作品ですという。
ソグド人はゾロアスター教を信仰していたのに、仏教由来の文様を身につける、あるいは副葬するということもあったのか。
さらに畏獣が蓮台を支え、その上に水晶形宝珠がのる様を一単位としていますという。
しかもそれぞれ左右対称の同じ文様をを横に並べ、縦には五つのモティーフの上に連珠蓮華文を配し、その上は五つのモティーフが逆に織られているようだ。
靴下 7-8世紀 絹、経錦、刺繡 縦27.0㎝、幅23.0㎝ 1983年青海省海西州都蘭県熱水墓地出土 青海省文物考古研究院蔵
同展図録は、都蘭県熱水墓地群から出土しました。3種類の異なる絹織物を縫い合わせたおそらく室内用の履き物です。当該墓地群からはチベットや西域の影響を受けた文物が多く出土していますが、この履き物からは明らかに唐文化の影響がみてとれますという。贅を尽くしたさまざまな履物は古墓からいろいろと出土しているが、実際に履いていたものなのか、葬られる時に履かせたものなのか。傷んだ箇所があるのは、個人が使用していたからだろうか。
足首部分は青地に黄色で花文2種類が規則的に織り込まれた経錦であり、足の甲部分は赤地の絹織物に黄、青、緑などの糸で花文を刺繍しています。花文の真ん中には六弁の花が置かれ、花の周辺を6枚の葉が囲み、葉の間には三弁の花が挟まれています。六弁の花の中心は緑と黄の2種類があり、また三弁の花も緑のみ、黄のみ、黄に緑で縁取り、緑に黄で縁取りの4種類があるなど変化が付けられ、形状も異なります。足底は黄色の絹の上に黄色の糸で四角様に刺繍され、滑り止めとなっていますという。
緯錦(ぬきにしき、解説文は『世界遺産 大シルクロード展図録』より)
唐代になると、緯糸(よこいと)の浮き沈みで文様を表わした西方由来の緯錦技法が出てきました。この技法は、経錦とは異なり、文様に応じて自由に配色を変えられるとともに、大形の文様も織ることができ、やがて緯錦が錦の主流になっていきます。しかし、奈良時代の日本においては、引き続き経錦も織られていました。
錦の文様をみると、西方由来の連珠文や内部に動物文などを納めたササン朝ペルシア風の文様が、緯錦で織られていることもあり、文様のみならず織の技法においても、両者が影響しあっていたことがうかがわれます。
唐花文錦鞋 唐・8世紀 絹、綿、緯錦 長29.7㎝、幅8.8㎝、高6.0㎝ 1968年新疆ウイグル自治区トルファン・アスタ-ナ古墓381号墓出土 新疆ウイグル自治区博物館蔵
同展図録は、つま先が反り返って雲形を呈する、華やかな女性用の浅靴です。靴の両側に紐がついています。ひきずるほど長い裾から靴先がのぞいて装いのポイントになっていますという。
正倉院宝物の鳥毛立女屏風にもこのような先が長い裾から出ていたが、これほど嵩のある鞋先だったとは。それについてはこちら
それに細い紐で甲に結んでも、浅過ぎて歩きにくかったのでは。
外側は白地に唐花文を織り出した緯錦で覆い、立ち上がった靴裏中央を紅地の布に切り替えています。靴の内側は色とりどりの縦縞に小花文を配した長斑錦、中敷きは黄色の入子菱文綾を用いています。靴底は綿布を縫いあげ、下敷きに綿をつめていますという。
外側だけでなく、内側にも縦縞の長斑錦を貼るなど贅を尽くした鞋。鞋底は踵から足先に向かって厚くなっているが、こんな鞋って歩き易いのだろうか。
鞍敷 8世紀 絹、刺繡 51.0×37.0㎝ 1983年青海省海西州都蘭県熱水墓地出土 青海省文物考古研究院蔵
同展図録は、都蘭県熱水墓地群から出土した鞍敷の一部です。絹布全体に刺繍がほどこされ、地の部分は黄色の糸で、複数のパルメット文から成る文様部分は青、白、茶、緑などの糸で刺繍されています。いわゆる唐草文の一つで、北朝や唐代の文物によく見られます。
花文の底部から緑で縁取りされた葉が左右に広がり蔓となって花を囲んでいます。この文様を基本単位とし、鞍敷の左右にはこの単位を四つ集めた文様が配置され、また上部にはこの単位を三つ集めた文様がある一方で、下部にはこの単位文様が一つだけ表されます。各文様は蔓で連結され、間にも花弁や蔓が配されますという。
織物は非常に繊細な工芸品だが、刺繍で生地を覆い尽くす作業もまた手間の掛かる作業の賜物である。
これが花の下側から左右に出た葉が蔓となって花を囲んだ単位を四つまとめたもの。その中心には小さな蕾が一つずつ伸びている。外側には二段に膨らんだ蕾が蔓の分かれ目から出ている。蕾の大きさや花弁の数も様々でいろいろ探すのが楽しい。
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青海省文物考古研究院蔵靴下 8世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より |
これが花の下側から左右に出た葉が蔓となって花を囲んだ単位を四つまとめたもの。その中心には小さな蕾が一つずつ伸びている。外側には二段に膨らんだ蕾が蔓の分かれ目から出ている。蕾の大きさや花弁の数も様々でいろいろ探すのが楽しい。
小さな花から、蔦となった葉が囲む大きな花まで、花の縦断あるいは断面を表していて、後のオスマン朝期のイズニクタイルに見られるハタイという文様のようだ。
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青海省文物考古研究院蔵靴下 8世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より |
暈繝配色の宝相華(唐花)文を全面にわたって鎖繍で埋めつぶす手法がとられており、技術の進展が認められます。漢代以来の鎖繍が唐代まで受け継がれていたことがわかりますという。
鎖縫は中国発祥だった。
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参考文献
「世界遺産 大シルクロード展図録」 学術監修・責任編集石松日奈子 2023年 東京富士美術館
図録は重く立派な物で、手持ちの書物や図録がかなり以前のものなので、その頃と現在では出土物の解釈も変わっているだろうと思って買った。私にとって美術史の最新情報が得られるのは展覧会の図録なのだから。
「シルクロード 黄金の道展図録」 2002年 NHK