藤種緞子
『茶掛と裂』は、緞子は一般に5枚の繻子地に、3枚の綾で紋様を織り出した絹織物である。名物裂のなかには6枚変り繻子、5枚綾組織のものも含まれているから、経緯異色の先染練糸を用いて表裏の組織の変化で紋様を織り出したものを広く緞子と呼んでいるという。
藤種緞子 16世紀後半の渡来 卍字二重入子菱・剣梅鉢・互の目
『茶掛と裂』は、大名物「利休丸壺茶入」にこの藤種緞子が仕覆裂として用いられている。藤種緞子は藤谷家の所伝とされるが、別に藤谷緞子と称する裂があるから疑わしい。また明代正統5年(1440)の年紀のある仏典表紙にこの類裂が用いられているが、後補の表紙であるかもしれず、実際には16世紀後半の渡来と思われる。
地色は縹地に薄茶または浅葱の色糸で、卍字の二重枠入子菱地紋に、芯の出た剣梅鉢を交互に置いた緞子である。薄手のものは表具にも用いられるが、一般には厚手の織りが多く、むしろ帛紗か仕覆に適しているという。
藤種緞子 『茶掛と裂』より |
また、『名物裂ハンドブック』は、さまざまな種類の裂が日本に運び込まれましたが、江戸時代以降に最も人気があったのは緞子でした。中国から染織品が来し始めた当初、茶道具に用いられ裂のほとんどが金襴でした。しかし殺子の柔らかく上品な風合いが評価され、徐々に緞子の数は増えていきますという。
藤種緞子にある剣梅鉢は梅鉢文の一つである。梅花文は他にも使われている。
利休緞子 利休梅鉢 北村徳齋帛紗店製
『名物裂ハンドブック』は、利休所持の棗の仕覆、もしくは利休好みの裂に因んだ名称といわれるが定かではない。
梅の花弁を表わす五つの丸が線を通して繋がっているのが印象的。この文様は特別に「利休梅鉢文」と呼ばれるという。
北村徳齋帛紗店製 利休緞子 『名物裂ハンドブック』より |
織部緞子 梅花・流水 北村徳齊帛紗製
『名物裂ハンドブック』は、利休七哲・古田織部 (1543-1615) 愛用の裂として伝わる。細かな流水の地文に梅花文を織り出したもの。
織部の好んだ裂に水と梅花文が多用されるのは、織部の定紋が梅花であったからだとされるという。
北村徳齋帛紗店製 織部緞子 『名物裂ハンドブック』 |
藤田美術館所蔵の瀬戸肩衝茶入在中庵の仕覆のうち右が梅鉢文というよりも梅花文、しかも色とりどりの梅花が互の目に配される。
左も緞子だが、鳳凰の尾羽が見えて、後述する亡羊緞子に似ている。
織部緞子 梅鉢・青海波 松屋肩衝茶入仕覆 根津美術館蔵
『茶掛と裂』は、大名物「松屋肩衝茶入」の仕覆のうち、古田織部が添えたものが本歌とされているが、その他の茶入にも織部好みの仕覆は多く、他にも織部緞子と称する裂が伝わっている。しかし共通するのは、織部の定紋である梅鉢紋と波の組み合わせという点である。
この裂は上品な丁子茶の地色に、金茶の緯糸で二重の青海波と梅鉢紋を織り出している。
「松屋肩衝茶入」に、このような侘びたなかに気品のある緞子を選んだことはまことに見識のある好みであり、この茶入に沈静さを与えているといえる。将軍大名たちと異なり、奈良の町家の茶人が侘の茶を行うにふさわしい裂として金欄より緞子を選んだのであろうという。
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遠州緞子 捻梅・蔓草 松屋肩衝茶入仕覆 根津美術館藏
『茶掛と裂』は、濃い縹色の地に明快な黄色の緯糸で捻梅紋を蔓唐草紋のあいだに散らしている。一般に唐草紋では唐草の蔓にその葉形と、便化した花紋を連結するが、この緞子では蔓と花紋とは関係なく、葉形も省略されて、夢のような曲線で間隔を埋めている。
正法寺緞子や定家緞子に似た紋様構成であるが、そのいずれよりも明るく、視覚的な動きがあり、織技も精緻である。この裂は大名物「松屋肩衝茶入」に付属しているが、『甫公記』によると寛永2年(1625)奈良の野田郷の久保権太輔と杢にこの仕覆を仕立てさせ、遠州は「松屋肩衝茶入」に遣わしたことが知られる。したがって遠州好みの数多い緞子裂中の代表的な一つといえるという。
根津美術館蔵 遠州緞子 『茶掛と裂』より |
宗薫緞子 二重の七宝繋・梅花・宝尽
『茶掛と裂』は、縹地に白茶の糸で細い二重の七宝繋ぎ模様を織り出して、そのなかに梅花紋と宝尽紋を配している。大名物「油屋肩衝茶入」に仕覆としてこの裂が使用せられているが、表具の中廻し裂としても、多少の煩雑さはあるが気品がありふさわしい裂である。
由来は今井宗久の嫡子で秀吉の御伽衆に参じ、その茶の湯をつかさどった人物今井宗薫 (1552-1627)の愛用裂と伝えるという。
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その他の植物
定家緞子 桔梗・菊・二重蔓唐草
本能寺緞子 二重の青海波・捻唐花・宝尽 東京国立博物館蔵
『茶掛と裂』は、濃紺の地合に、二重の青海波に捻唐花と宝尽紋を散らし、薄紺の2本引きそろえの緯糸で織り出した緞子である。同色の濃淡で表された沈静な寂寥の境を示した、名物裂中もっとも古い緞子の一つである。白極緞子と同様傷みがひどく使用不能の状態のものが多く、明代成化から嘉靖ごろの織製と思われる。類裂には萌黄地の三雲屋緞子、その他に木下、鳴戸緞子などがあるが後模の裂である。
堺の油屋から秀吉、福島正則、家康・・・・不昧と伝来した大名物「油屋肩衝茶入」に珠光好みの仕覆としてこの裂が使用せられ、同「種村肩衝茶入」、同「茜屋茄子茶入」などにも仕覆が添えられているという。
本能寺緞子 『茶掛と裂』より |
三雲屋緞子 二重の青海波・捻唐花・宝尽 茶入柴戸小肩衝仕覆
『茶掛と裂』は、上掲の本能寺緞子の類裂ではあるが、時代は明代末期まで下ると思われる。三雲屋については不明であるが、利休・織部時代の唐物茶入にそれぞれ添えられているのをみることができるから、まずそのころの渡来裂であろう。
地合は萌黄色で、白の緯糸で二重の青海波紋に捻唐花と宝尽紋を散らした優雅な緞子である。この裂は唐物「柴戸小肩衝茶入」(燕庵伝来)に添えられた仕覆であるという。
三雲屋緞子 『茶掛と裂』より |
三雲屋緞子 捻唐花・宝尽・青海波 土田友湖製
『名物裂ハンドブック』は、「本能寺緞子」を模して色変わりにしたものと見られるという。
三雲屋緞子 『名物裂ハンドブック』より |
笹蔓緞子 笹蔓・六弁花・松笠 東京国立博物館蔵『茶掛と裂』は、この裂は萌黄の経糸に黄または朱茶色の緯糸を用いて、経3枚綾に地を織り、笹蔓に六弁花と松笠をつけて、斜めに展開する紋様を6枚繻子で織り出した変則的な織物である。したがって5枚の繻子地に3枚綾で上紋を織り出す一般の緞子とは異なるわけであるが、古来茶人の間ではこのような例外もまた名物裂緞子の分類に包含しているのである。紋様は歳寒三友(松竹梅)を図案化したもので、類裂が多くそれらを笹蔓手と称している。宗勝笹蔓手と呼ばれるものは雲に花菱の紋様のあるもので、笹蔓手石畳というのは2、3分ぐらいの石畳が紋様に加えられているという。
『茶掛と裂』は、縹色の5枚繻子地に桔梗、菊などの二重蔓唐草紋を、白または薄青の緯糸で織り出した緞子であるが、同手の正法寺緞子の古様な趣に比較して、紋様に崩れがみえる。京都島原の定家太夫の衣装裂であったと伝えるから、寛永17年(1640)、島原遊廓が設けられてのちのものであろう。繻子地の毛足が長いものは光沢があり、表具裂には用いにくいという。
定家緞子 『茶掛と裂』より |
山椒緞子 折枝(花樹・果樹)・宝尽 北村徳齋帛紗店製
『名物裂ハンドブック』は、花や実のついた折枝文と宝尽文を配する裂。名称の由来は文様の花や実が山椒に見えることからと伝わる。この裂は卍が含まれていないが、卍が加えれたものもある。
類裂も多く、地色や折枝文の意匠も多種多様であるという。
相阿弥緞子 宝尽・小花・扇面 徳齋帛紗店製
『名物裂ハンドブック』は、相阿弥が愛用した裂と伝わる。相阿弥とは能阿弥の孫で、足利義政のそば近く仕えた同朋衆。
小花・扇面・宝尽などの文様がそれぞれ同じ大きさで、細かく織り出されているという。
徳齋帛紗店製 相阿弥緞子 『名物裂ハンドブック』より |
龍文
珠光緞子 三ツ爪龍・唐草 松屋肩衝茶入仕覆 根津美術館藏
『茶掛と裂』は、大名物「松屋肩衝茶入」に添うている仕覆が珠光緞子の本歌として認められている。また同じ松屋名物の「鷺の絵」(徐熙筆)の表具中廻しに珠光が使用した裂は義政拝領の胴服であったと伝える。松屋久好が慶長14年(1609)12月12日大坂天満の織田有楽の茶会に招かれたとき「前二草部ヤ肩衝、珠光緞子袋ニ入」(『松屋会記』)と用いた記録が珠光緞子という呼称の初見である。
地色は縹色であるが、表面がすれて緯糸が見え、青みを帯びた萌黄にみえる。地合は繻子地であるが紋緯があらわになっている所もある。上紋は不鮮明であるが三ツ爪龍に唐草紋といわれ、この仕覆は13片の小裂を縫い合わせているとのことであり、茶祖珠光伝来の好み裂としてたいせつに扱ってきたのである。類裂に紹鷗緞子があるが、紋様・織技ともに差があり、時代的にもかなり下ると思われるという。
紹鷗緞子 三ツ爪龍・唐草
『茶掛と裂』は、紺地に三ツ爪龍唐草紋を黄茶の色糸で織り出した緞子であって、武野紹鷗(1502-55)所伝の裂とされる。紹鷗に関する仕覆(緞子について)および表具の記録は未見であるが、『古今名物類聚』や『和漢錦繡一覧』に紹鷗緞子の名が記載されているのは、おそらく大名物「珠光文琳茶入」などに添えられた裂地が伝来するところから、かなり古くから知名度の高い裂であったと思われる。
珠光緞子に比べ、紋様の煩雑化と線の肥痩や地合のよろけもみえて、紋様も判然としなくなっている。表具の中廻しとしても用いてよい裂で、紋様が細かく鮮明でないためにかえって本紙の表現効果を高めることができるという。
紹鷗緞子 『茶掛と裂』より |
細川緞子 雨龍・雷 北村徳齋帛紗店製
『名物裂ハンドブック』は、細川三斎(1563-1645)にちなんだ名称だと伝わるが不詳。雷を地文として麦の中に雨龍(角がなく尾の細い龍を織り出している。
細川緞子には類裂が数種あり、木瓜枠の中に雨龍を織り出した浅葱地のもは、重要文化財・伝馬麟筆「梅花小禽図」の表装や、大名物唐物「安国寺肩衝」 茶入にも用いられているという。
北村徳齋帛紗店製 細川緞子 『名物裂ハンドブック』より |
升龍緞子 升形・龍 加藤小肩衝茶入仕覆
『茶掛と裂』は、萌黄の地色に黄または白糸で二重にした枠の升形のなかに、尾を跳ね上げた龍紋を織り出した緞子である。升は各列交互に散らされ4列目ごとに横2連のものが表され、変化がつけられている。
升のなかに龍が入れられているので龍詰のかたつき名もあり、中興名物「加藤小肩衝茶入」の仕覆裂として、また珠光筆「山水図」(重美『雲州蔵帳』)の表具の中廻し裂などにも使用されているという。
鳥類
白極緞子 鳥襷(分銅繋ぎ)・オナガ丸文(抱き鳳凰)・互の目・宝尽
『茶掛と裂』は、縹地または濃い萌黄地に鳥襷紋を全面に地紋として織り、上紋に尾長鳥の丸紋を互の目に並べ、細い宝尽紋を散らした緞子である。
現存する名物裂緞子中もっとも古いものの一つで、大名物「国司茄子茶入」、中興名物「富士山肩衝茶入」などに仕覆裂として遺存しているが、いずれも本図と同様使用不能な状態で傷みが激しい裂である。
足利義政(1436-90)から寵愛を受けた鼓の名手白極太夫遺愛の名物裂で、緞子裂の筆頭にあげられ、伝説では宋代のものとされるが、実際には義政時代に織製、舶載されたものであろう。
「国司茄子茶入」に添う裂は縹地でそれぞれ多少の違いがあり、『古今名物類聚』には「白極地合うすき方地紋分銅つなぎたき凡鳥宝尽し」とあり、襷紋を分銅繋ぎ紋、丸紋を抱き鳳凰紋とみている。同手の裂に下妻緞子、鳥襷緞子などがあるという。
尾長鳥は尾長鶏ではなく野鳥のオナガだろう。
白極緞子 『茶掛と裂』より |
有楽緞子 網目・雲形枠・飛鶴
『茶掛と裂』は、濃紺の地合に白で網目に雲形枠を取り、そのなかに飛鶴紋を納めた沈静な趣の名物裂である。大名物「珠光文琳茶入」に仕覆裂として用いられているが、紋様は裂によって多少の大小がある。
名称は信長の弟織田有楽(長益 1547-1621)所持によると伝える。有楽は元和3年(1617)洛東建仁寺の正伝庵を再興し、そこに茶室如庵をつくって隠居したが、茶を信長の次男信雄(常真 1558-1630)に教えたから、彼もまたこの裂を所持したらしく、常信緞子とも呼ばれるという。
鶴が旋回して下降する一瞬を捉えた図なのか、雲形枠に脚も首も長い鶴を無理矢理閉じ込めたのか。
有楽緞子 『茶掛と裂』より |
亡羊緞子 鳳凰・蔓唐草 北村徳齋帛紗店製
『名物裂ハンドブック』は、江戸時代の儒学者であり、千宗旦(1578-1658)から茶を学んだ三宅亡羊(1580-1649)の所用と伝承される。
霊芝状の花をつけた珍しい蔓唐草文と鳳凰文が、隙間なく織り出された裂。大きく翼を広げた鳳凰の表情が愛らしいという。
鳳凰は狭い空間ながら、羽根を広げて飛翔している。
その他の動物
荒磯緞子 波・魚 東京国立博物館藏
『茶掛と裂』は、萌黄地に金茶色の糸で波に魚紋を織り出した裂である。組織のうえからみると、地合が3枚綾で紋様を太めの糸で6枚繡子崩しにしているから、厳密には緞子とはいえない。同織の笹蔓緞子なども古来茶人間では緞子の部に入れられ親しまれてきた名物裂中の優品である。裂の凹凸は立体感を生じ、類裂に波に千鳥や龍紋のものがあり、金糸・銀糸を用いたものや、黄緞などにもこの紋様のものがある。中興名物「大津茶入」、同「春慶交琳茶入」、こしみの同「丹波生野茶入」、同「高取腰蓑茶入」にこの裂を遠州が添えているから、おおよそその時代の織製になるものであろうというという。
遠州が活躍したのは17世紀前半なので、その頃に日本で織られたのだろうか。
魚のヒゲまで織り出されている。
細川裂鼠文様金入緞子 龍村美術織物製
『名物裂ハンドブック』は、茶人・細川紹高(?-1595)が愛用した裂の一つといわれるが定かではない。
裂全面に動きの異なる鼠が織り出されている。これだけ多くの鼠文を配する裂は珍しい。また鼠文の隙間には金筋が散りばめられているという。
龍村美術織物製 細川裂鼠文様金入緞子 『名物裂ハンドブック』より |
その他の文様
伊予簾緞子 石畳・宝尽 雨宿茶入仕覆 静嘉堂蔵
『茶掛と裂』は、小堀遠州が中興名物「伊予簾茶入」の仕覆に、この裂を用いたところからつけられた名称であるが、同じく「春慶口瓢箪茶入」、同「是色茶入」などにもそれぞれ見かけることができる。竪縞に紺・白・萌黄・紅などを組み合わせ、地合は小石畳紋と宝尽紋を散らした緞子である。織留の部分は梅鉢紋や雷紋が表されている。
この手の金入りの裂に金剛金襴・金春金襴・四座金襴・江戸和久田金欄などがあり、いずれも万暦ごろの織製になるものであろう。大名物「本能寺交琳茶入」では二分角はどの石畳が部分的に散らされた織留裂が使用されているが、これは金剛金欄の織留部分であるという。
住吉緞子 鱗 東京国立博物館
『茶掛と裂』は、蘇芳地に裏組織で鱗紋を重ねて、全面に織り出した特異な緞子で、名物「住吉文琳茶入」に用いられているのでこの名がつけられたのかもしれない。また中興名物「橋姫茶入」の仕覆にもこの裂が用いられている。
類裂には鎌倉緞子(格子の対角線による三角形を連ねた鱗紋)があり、「古今名物類聚」には黒地に赤茶の鱗紋の裂が取り上げられているが、白地、萌黄地、茶地、紫地など種類が多く、紋の構成も一定ではないという。
関連項目
参考文献
「表装裂愉しむ 植物文樣編」 編京都表具協同組合 2021年 光村推古書院株式会社
「名物裂ハンドブック」 編淡光社編集局 2013年 株式会社淡光社
「お茶の心 茶掛と裂」 1979年 世界文化社