表具の各部名称( 『表装裂愉しむ 植物文様編』以下 『表装裂愉しむ』より)
『表装裂愉しむ』は、表具は、和紙と裂地を素材に、糊と木などを使用して作られます。表具を作成する上で最も重要な作業は、裂地と紙、または紙と紙を古い糊で貼り合わせる「裏打ち」という作業で、熟練した技術を要します。同一材料で同一人が同じように施したものでも、その時の天候や糊加減で、できあがりがまるで違うものになってしまうため、細心の注意が必要です。その裏打ちした裂地、または紙を裁断して継ぎ合わせます。貼り合わせるたびに張って干す、という作業を繰り返し、様々な湿気の空気を与えて乾燥させ、軸、八双、風帯、紐をとりつけて、表具を風帯、紐をとりつけて、表具を完成させます。
書画を快く鑑賞するために、表具は本紙との品格のある調和を最も重視し、表具そのものの品位を損なわないよう工夫することが求められます。調和のとれた表具とは、書画を活かすように裂地を吟味し、形態を考え、優れた色彩感覚をもって仕上げられたものですという。
藤原藤房自筆書狀 鎌倉時代 14世紀
天と地の白っぽい裂、書状を囲む中廻し、書状の上下の細い一文字と軸木から下がる2本の風帯に、3種類の裂が使われている。
天地(上下)は白っぽい裂、柱のない中廻しと風帯は深緑、一文字も白っぽい裂
上下は白地の金襴か銀襴か、それとも緞子か
中廻しは蓮が水中から出ているようなの文様の緞子
寸松庵色紙 伝紀貫之 平安時代 11世紀
小さな色紙をこんなに大きな表装に仕立てるとは。
中廻しと風帯が同じ裂で、上下は菊の花の唐草みたい。
こんな斬新な一重蔓牡丹唐草であるが、『表装裂楽しむ』に載っている「鼠地同入一重蔓牡丹紋竹屋町縫紗」にデザインが似ている。白茶地一重蔓牡丹紋竹屋町縫紗とでも呼べるものかも。
一文字は反対に金襴に小さな文様があるが唐草文様ではない。
鼠地銅入一重蔓牡丹紋竹屋町縫紗
同書は、「金紗」は、広義には金襴の一種で、紗の裂地に金糸で刺繍を施したものです。主として白い紗に金一色で刺繍しますが、紗を染めたり、金糸だけでなく刺繍用の色糸を混ぜて刺繍を施したものもあります。桃山の頃から、京都の竹屋町というところで盛んに作られたと伝えられ、「竹屋町縫」、「竹屋町」の名で呼ばれていますという。
紗地に色糸の刺繍を施したものを竹屋町縫紗と呼ぶようで、本品に金糸は用いられていない。「銅入」が何か不明。
升色紙 伝藤原行成 平安時代 11世紀
こちらも小さな升色紙を大きな表具仕立て。
中廻し
紺地一重蔓牡丹唐草紋
『決定版お茶の心 茶掛と裂』(以下 『茶掛と裂』)は、足利義政が「二人静」を舞ったときの能衣装であったといわれる。紫地の地緯による織紋のない経4枚の綾地金襴で、向かい合った鳳凰の丸紋が互の目に配され、有職ふうな典雅な名物裂である。
一般に極古渡りと伝えられるが明代中期以後のもので、丹地または茶地のものは後世の模織と思われ、京都に住む遠州門人橘屋宗玄が所持したので橘屋金襴と呼んでいる。
表具の中廻し裂として、懐紙詠草など歌切類に適した典雅な裂といえるという。
東博品を上下逆さまにすると同じ文様
升色紙の一文字は橘屋金襴かな。
この程度の写し方では裂がどんなものかわからない。
多色の梅鉢紋の裂 利休梅鉢文ではないようだ
永観堂金襴に似る
蔓草の緞子
小さな文様が互の目(文様が上下左右一つおきに規則正しく配置された構成、 『名物裂ハンドブック』より)
利休緞子 利休梅鉢文
『名物裂ハンドブック』は、利休所持の棗の仕覆、もしくは利休好みの裂に因んだ名称といわれるが定かではない。
梅の花弁を表わす五つの丸が線を通して繋がっているのが印象的。この文様は特別に「利休梅鉢文」と呼ばれるという。
小さな利休梅鉢文を呉の目に密に並べると、こんな斜格子になる。
永観堂金襴 前田育徳会蔵
『茶掛と裂』は、洛東禅林寺永観堂に伝えられる白地角龍紋金襴の九条袈裟が本歌といわれている。白地に入子菱紋を綾で地織りとし、体をくねらせた横向きの龍が織り出されている。龍詰の形はやや馬蹄形で中川角龍金襴が菱形であるのに比べると、大柄で安定感がある。
紋様は船越角龍や春藤角龍に近いが、紋と紋との間隔が詰まって重厚みを加えている。
白地のもつ気品の高さは格別である。明代初期の織製と思われるという。
唐物肩衝茶入 銘蘆庵と仕覆4点
右より2点
大鶏頭金襴 東京国立博物館藏
『茶掛と裂』は、地色はもとは紅であったものが褪色して、現在では鳶色がかってみえる、落ち着いた物静かな古様を示す名物裂である。作土金襴のもっとも古い作例であるが、完全に作土化せず、ペルシア・ムガール方面でしばしば見受ける飛花紋を偲ばせる紋様である。草花紋の大小により大鶏頭・中鶏頭などの区別があるが、初期のものに小鶏頭は見当たらず、小鶏頭の藤言金襴などはむしろ龍詰紋系統の作例に近いといえる。
大名物「円乗坊肩衝茶入」(畠山記念館蔵)、 中興名物「在中庵肩衝茶入」(藤田美術館蔵)、 同「橋立茶入(本歌)」などに用いられ、表具裂としては横物中廻しに適した裂といえるという。
東京国立博物館蔵 大鶏頭金襴 『茶掛と裂』より |
藤種緞子 剣梅鉢文
『茶掛と裂』は、大名物「利休丸壺茶入」にこの藤種緞子が仕覆裂として用いられている。藤種緞子は藤谷家の所伝とされるが、別に藤谷緞子と称する裂があるから疑わしい。また明代正統5年(1440)の年紀のある仏典表紙にこの類裂が用いられているが、後補の表紙であるかもしれず、実際には16世紀後半の渡来と思われる。
地色は縹地に薄茶または浅葱の色糸で、卍字の二重枠入子菱地紋に、芯の出た剣梅鉢を 交互に置いた緞子である。薄手のものは表具にも用いられるが、一般には厚手の織りが多く、むしろ帛紗か仕覆に適しているという。
文様を上下交互に置くことを互の目(ぐのめ)というのを、今回やっと覚えられた。
興福寺銀襴 唐物肩衝茶入銘蘆庵仕覆
『茶掛と裂』は、興福寺銀欄は金襴・銀襴のなかでも綾地のもので、地緯紋を織り出したもっとも古い織り例で「根抜け」と呼ばれる名物裂中の白眉である。南都興福寺の戸帳に使用されていたという伝承をもつこの裂は、金襴・銀襴の両種が遺存し、前田家の残欠は金襴、東京国立博物館および「盧庵肩衝茶入」(藤田美術館蔵)の仕覆は銀襴である。
紫の地色に小石畳の地緯紋があり、竪横約5㎝の宝珠形のなかに鳳凰と火焰のように見える雲紋が織り出されている。表具の一文字裂に適した裂で、重厚さと格調の高さを示しているという。
分からないものもあるが、こんな風に一品一品裂の名称や由来をみていくのは楽しい。
『表装裂愉しむ』は、文様という語は、「模様」とほぼ同義に使用されていますが、漢字でいう文様の「文」は、飾りとしてのあるまとまった単位の図形を指します。従って「文様」とは一つの飾り、あるいはその飾りの繰り返しによって構成される装飾図形を意味します。
表装に使われている裂地は、もともと法衣や装束を解いたものでした。その後表装用の裂地として製作されるようになっても、こうした由来を受け継ぎ、あるいは参考としていましたので、文様もおのずと本来の衣装がもつ性格が色濃く顕れました。
文様の種類は、植物、動物、自然現象、道具の他、幾何学図形や文字など多岐にわたります。また「名物裂」のように、茶の湯と結びついて文様が特殊化したものもあります。
特徴としては、唐草文様のように継続的な柄が連綿として途切れることなく続いていくものと、梅鉢のように、一個の独立した文様が等間隔に並べられているものの二通りがあります。また文様はおおむね左右相対称で、モチーフが著しくデザイン化されています。比較的簡単な図形ですが、極めて洗練され、高度に意匠化されているところに、その特色があるといえるでしょう。
現在一般に用いられている表装用の裂地は、一部の例外を除き、明治15、6年頃より製作されたものです。それ以前の裂地は、法衣や装束を解いて、表装に適するものを選んで使っており、表装用の裂地として織られたものはありませんでしたという。
中国では茶入を仕覆に収納して大切に扱うということがなく、日本独特のものだったのだろう。そういえば、昔茶入のような小さなものに薬を入れて輸入された。その空き容器が茶の世界では抹茶を入れる容器として珍重されるようになったのだと、聞いたことがあるのだが、真義のほどはわからない。
関連項目
参考文献
「表装裂愉しむ 植物文樣編」 編京都表具協同組合 2021年 光村推古書院株式会社
「名物裂ハンドブック」 編淡光社編集局 2013年 株式会社淡光社
「お茶の心 茶掛と裂」 1979年 世界文化社