エディルネのバヤズィットキュッリエは、イスタンブールのベヤズィットジャーミイ(1500-06)より以前に建てられている。共通するのはタブハネがあることだ。
『トルコ・イスラム建築』は、正方形の礼拝室を中心に、その両側にタブハーネを付設し、前方に回廊で囲まれた中庭を配置し、ミナレットは回廊より外側で、タブハーネの外側の隅に置いたプランである。
内部は9個のベイに区分され、これが小ドームで覆われている。中央の空間に向かって四方向からイーワーンが開かれているが、この形式はイランからの影響で、1472年に建てられたイスタンブル・チニリキョシュクにも適用されたプランである。隅の小部屋にはイーワーンから通じている。
ウチュシェレヘリジャーミとファーティヒジャーミシでは、逆T型モスクにあったザーヴィエがなくなっていたが、バヤズィットジャーミシではタブハーネとして宿泊施設を復活している。バヤズィット二世がスルタン位を獲得したとき以来、デルヴィシュの影響が強かったためかもしれないという。
小部屋とはいえ一つ一つの部屋はある程度の広さがあって、個室ということもなかっただろうが、それよりも十字型の通路の方が面積が広いとは。
平面図 『トルコ・イスラム建築紀行』より
①正面入口 ②中庭 ③シャドゥルヴァン ④回廊 ⑤礼拝室入口 ⑥ソンジェマアトイェリ ⑦礼拝室(大ドーム) ⑧ミフラーブ ⑨ミンバル(説教壇) ⑩スルタンのマッフィル ⑪女性用マッフィル ⑫タブハネ(修行者の宿泊施設が、無料宿泊施設になった) ⑬ミナレット
反対側から見ると、モスクの外側左右対称にタブハネが並んでいる。平面図で見るよりもタブハネが大きく、礼拝室の幅が狭く感じる。 写真パネルより
『トルコ・イスラム建築』は、タブハーネは、礼拝室とも回廊とも壁を共有しているが、いずれとも出入口を持たず、出入口は外の側面にある。内部は9個のベイに区分され、これが小ドームで覆われているという。
しかしながら庭に面した⑫ソンジェマアトイェリには両端に窓のような鉄格子のない、低いアーチの開口部(矢印)があって、
また、タブハネの出入口も閉まっていたので、そのイーワーンを見学することはできなかった。
タブハネは、九つの小ドームの中央から、十字状の四つの小ドームに向かってイーワーンが開かれているというが、どんな風だったか見てみたい。
せっかくなので、チャハール・イーワーンをこれまで訪れたところで見てみよう。
イラン、イスファハーンのマズジェデ・ジャーメ セルジューク朝後期 12-13世紀
中庭に面して四つのイーワーン(チャハール・イーワーン)が開かれた。イーワーンはヴォールト天井のものと、半ドーム式のものとがある。
セルジューク朝はテュルク系なので、チャハール・イーワーンという様式はテュルク系の好みかも知れないが、広大な中庭を囲む建物の中央に開かれたイーワーンと、小さな空間を四つの小部屋と通路に区切られた中心部に開かれたイーワーンではかなり違いがあるように感じる。
エルズルム チフテミナーレ・メドレセ 1276年頃(1253年説も)
『イスラーム建築のみかた』は、ペルシア風の建築とは、4つのイーワーン、つまりチャハル・イーワーン形式と呼ばれる。中庭各辺の中央に4つあるいは2つのイーワーンを対称的に配し、中庭の文節に躍動感を与えたのである。
アナトリア(小アジア)へは、13世紀半ばにイーワーンの技法が伝播した。モスク等の入口に使われるほか、マドラサ建築の中庭に好んで使われたという。
メドレセ(イスラームの神学校)なので、教室や寄宿舎などの部屋が中庭を囲んで建っている。4つのイーワーンは下図着色部。
メドレセ(イスラームの神学校)なので、教室や寄宿舎などの部屋が中庭を囲んで建っている。4つのイーワーンは下図着色部。
一つの建物の中に中庭があり、その四方の部屋に行くためのイーワーン
南のイーワーン側から北のイーワーン。左右にもイーワーンが開かれているチャハール・イーワーン形式だ。
チニリキョスク(1472 メフメト二世建立)
『トルコ・イスラム建築』は、チニリ・キョシュクは第一庭園の中にあり、スルタンの気晴らしのための遊興施設として造営された。内壁も外壁も色彩豊かなタイルで装飾されているので、チニリ(タイル装飾の)・キョシュク(亭)と呼ばれている。平面が約28m×30mの長方形に5.5m×8mの突出部をつけた形の、切石と煉瓦造りの二階建ての建物である。
正面の細く高い大理石の円柱が並んだ柱廊は、18世紀に火災後の修理で再建され、木の柱が石の柱に変えられたという。
①入口から上がった所の④イーワーンは外に開かれている。
同書は、入口のイーワーンは隅々まで、トルコ石色と紺と白のモザイクタイルによる装飾で覆われ、各部屋の壁も六角形や三角形のタイルで覆われている。このタイルによる装飾は、13世紀のアナドル・セルジューク朝期の建築や15世紀のオスマン朝初期のブルサの建築からの流れを引き継いでいるという。
イーワーンの外枠や横帯のカリグラフィーの区画もモザイクタイルなのかどうか、この写真からは判断できないが、他のところは、小さな正方形や長方形のタイルを組み合わせて文様ができている。
平面図 『トルコの陶芸 チニリキョスクより』より
①前庭 ②化粧室 ③地階への階段 ④イーワーン ⑤皇族の間 ⑥庭園
平面図で見ると④イーワーンは三つで、全て中庭にではなく、外に向かって開かれている。
同書は、入口のイーワーンを抜けると、中央の大きな広間に入る。広間はドームで覆われ、四方からイーワーンが開いている。四隅には前後のイーワーンから出入りできるドーム天井の部屋を置き、左右のイーワーンの後ろには外に向かって開いたイーワーンを、奥の深いイーワーンの先にドーム天井の多角形に突き出た部屋を配置しているという。
中央のドームのある部屋から見ると、四方にイーワーンがあるので、バヤズィットキュッリエのタブハネと同じということか。
また同書は、この四つのイーワーンのある集中プランは、古代イランから伝わる建築様式の適応である。後に、エディルネ・パヤズィット・ジャーミシやイスタンプル・ヤウズ・スルタン・セリム・ジャーミシのタブハーネでも見られる。また、19世紀に西洋の影響を受けて建てられた宮殿建築の中にも、民家や別荘にも様々な形態を取って用いられているという。
タブハネのチャハール・イーワーンは見てみたいものだ。
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参考文献
「トルコ・イスラム建築」 飯島英夫 2010年 富士房インターナショナル
「イスラーム建築のみかた 聖なる意匠の歴史」深見奈緒子 2003年 東京堂出版