光の当たり形によってはかなり派手な色目で、植物文様の他には、幾何学的な組紐文に赤と緑のカリグラフィーが表された文様帯などがあった。大理石の板に木製の透彫を貼り付けたようだが、
その下側
これだけズームすると分かってきた。大理石を浮彫にして彩色したものだ。
中心には十二弁の花をその配し、その周りに組紐が複雑に絡みながら巡っているが、右下の箇所は壊れている。その外側に6本の緑色の蔓が出て円形を導き、その間の6カ所から赤い葉の渦巻きが接している。
階段下の部分
緑色の幾何学文様と赤の組紐文様の組み合わせ。
中心は赤い十二弁花。色褪せた箇所や大理石の地が出ているところも。
中心の六点星は組紐文になっていて捻れている。
その後見学したエディルネのバヤズィットジャーミイ(1481-1512)では、ミンバルには彩色はなかったが、スルタンのマッフィルには同じ装飾が施されていた。
赤い色が褪せたのか、黒ずんでいる。浮彫も平板で、木材のような質感が。
時代は下がるがイスタンブールのシェフザーデジャーミィ(1543-48、スレイマンが早世した息子メフメトを偲んで建てた、ミマールスィナン造)のミンバルにも大理石に透彫だけでなく彩色された部分があった。
これを見た時は、金泥あるいは金箔を貼った蔓草は彩色された木の板に施されていると思っていたが、
『Architect Sinan His Life, Works and Patrons』にもっと色彩の鮮やかな図版があった。蔓草文様や枠などは金箔あるいは金泥、地には赤・緑・黒で着色されていて、黒い地に白く見えているのは着色が剥がれているのではないだろうか。
![]() |
イスタンブール シェフザーデジャーミィのミンバル Architect Sinan His Life, Works and Patrons より |
ユシキュダル ミフリマースルタンジャーミイのミンバル(1542-48)は透彫は見事だが、大理石の板には装飾がない。
![]() |
ユシキュダル ミフリマースルタンジャーミイのミンバル THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より |
なんとスレイマニエジャーミイのミンバル(1550-57)は、大理石板が最小限に継ぎ足されて文様もほぼ繋がっていてみごとだが、浮彫はなかった。
やや風変わりな蔓草文様の浮彫だけで彩色はない。
エユップ、ザルマフムドパシャジャーミイ(1577)のミンバルも大理石に浮彫しただけ、
と思っていたら、1998年発行の『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』には彩色された図版があった。トルコではどんどんモスクの修復が勧められているので、現在までの修復で色を取り去ってしまったのかも。
![]() |
エユップ ザルマフムドパシャジャーミイのミンバル THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より |
蔓草文様はそれぞれの好みがあるのか、少しずつ異なっている。
![]() |
エユップ ザルマフムドパシャジャーミイのミンバル THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より |
エディルネ、セリミエジャーミイ(1568-74)のミンバル
蔓草文様の浮彫に金箔を貼り付けたのか、金泥の彩色なのかは判断できない。
好みもあるだろうが、一時は確かにあったモスクのミンバルやスルタンのマッフィルのような特別なものを荘厳するのに派手な色彩を使うのは長くは続かなかったようだ。
ところで、大理石に彩色するのは簡単なことなのか、ちょっと調べてみると、
という興味深いページがありました。
関連記事
「Architect Sinan His Life, Works and Patrons」 Prof. Dr. Selçuk Mülayim 2022年 AKŞIT KÜLTÜR TURIZM SANAT AJANS TIC. LTD. ŞTI