今回の展覧会には連珠円文がたくさん展示されていて、書物でしか知らないものなどを実際に目にすることができた。
連珠三日月文錦面覆 5-6世紀 絹、経錦、緯錦 縦31.0㎝、横30.0㎝ 中国絲綢博物館蔵
『世界遺産 大シルクロード展図録』は、四角形の錦の周囲に無地の絹織物でひだ飾りをつけています。被葬者の顔にかぶせた面覆いであると考えられます。表面と裏面で異なる錦が使われていました。裏面は赤地の緯錦で、保存状態が良く、白い輪の中に三日月を表し、その外側を連珠文で囲んでいます。三日月は緑色で、黄土色で縁取りがされていますという。
この作品は織り糸が細いのか、それぞれの文様の輪郭が丁寧に織り出されている。
それにしても三日月が文様として表されるのは稀なように思う。仏教美術に「日月」として表されていても、三日月は滅多にないのだが、雲崗石窟第10窟前室北壁須弥山(北魏時代中期 470-494)に阿修羅が右手に掲げているのは三日月。双方同じような時代につくられているが、この錦の三日月とは関係ないだろう。
イラン北西部に位置するタ-ク・イ・ブスタ-ン大洞には、ササン朝ペルシアの帝王による猪狩りを表す浮彫があります(7世紀前半)。船上で弓を引く帝王の後方に控える人物は、連珠三日月文錦を一部に使用した袍を着ていますという。
ターキブスタンで見学した時は、すでに漏水により表面が汚れていてこの部分がはっきりと見えなかった。
絵葉書には、もう一隻の船の上で左手に弓を持ち、右手で家臣から矢を受け取っている帝王が表されていて、その家臣の衣服に三日月状のものが認められる。
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ターキブスタン大洞左壁浮彫帝王猪狩り図 サーサーン朝、7世紀前半 絵葉書より |
また、ターキブスタン大洞で撮影した写真から、三日月は帝王の被る王冠にも、大洞上にもリボンと共に表されているので、以前からサーサーン朝の帝王の象徴だったのかも知れない。
サーサーン朝とリボンの関係についてはこちら
連珠動物文剣覆 6-7世紀 絹、刺繡 21.0㎝X 58.0 ㎝ 甘粛省博物館蔵
同展図録は、長方形に近い形をしていますが、左端は下部が張り出し、右端は中央が尖っており、両端よりも中央が少し細くなっています。このような形状から剣の覆いであると考えられています。文様はすべて刺繍で表されています。
外縁に沿って、一つ一つが2色から成る円文が巡り、その中に4つの連珠文を配しています。連珠文の中には、猪の頭と孔雀を交互に2回表しています。孔雀の一方は飾り羽を扇状に広げ、もう一方は閉じています。猪は口を大きく開けて、舌を伸ばしています。連珠円文の外側には十字形の植物文の一部や八弁の花が表されていますという。
刺繍だけで文様がつくられているのは珍しい。
飾り羽を閉じたクジャクは横向き。イノシシのモティーフはソグド人のものだが、こんなに大きな口を開けて舌を出しているのは見たことがない。
飾り羽を開いたクジャクは正面向きで顔だけ左向き。不思議なことに2本の足以外に足でもなく羽でもないものが一対ある。
一方の猪の口の中には6つの円から成る飾りが見えますという。梅鉢文のよう。
連珠猪頭文錦 7世紀初め 絹、緯錦 縦25.0㎝、横15.0㎝ 2004年新疆ウイグル自治区トルファン・バダム古墓245号墓(632年)出土 トルファン博物館蔵
同展図録は、高昌故城の北4㎞、アスタ-ナ古墓の東3.5㎞に位置するバダム古墓からはソグド人の墓が多数見つかっています。唐代に崇化郷と呼ばれたソグド人聚落がバダム古墓の近くにあった可能性が指摘されています。この錦はバダム古墓245号墓から見つかった面覆いで、連珠文の中に図案化された猪の頭部を表しています。上下で頭の向きが逆になるようにデザインされていますという。
面覆いとして織られたものではなく、長い顔を覆うために生地を使ったのだろう。
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トルファン博物館蔵連珠猪頭文錦 7世紀初め 世界遺産 大シルクロード展図録より |
イギリスの探検家A.スタインがアスタ-ナ古墓で見つけた連珠猪頭文錦は、文様が精緻なことからペルシア製であると考えられています。一方、本作品は連珠文や猪頭文に歪みがあり、文様を織り出す技術が低いことがうかがえます。バダム古墓やアスタ-ナ古墓からは、完成度が低いペルシア風動物文錦が数多く発見されています。それらは、ペルシア錦の模造品であり、とくに鹿の文様が好まれたことからソグド製であると推測されますという。
連珠円文がササン朝ペルシアであることだけでなく、ソグドの連珠円文はペルシアの模造品で完成度が低く、ペルシアの連珠円文は文様が精緻ということになっている。そう言われると、連珠三日月文錦面覆(5-6世紀)の円文とは比べものにならない六角形とも思えるような形。
連珠円文の中央に色の異なる帯状の段があることから緯錦であるが、連珠といい、円文の枠といい、獅子の肢といい、出来の良い作品とは言えない。
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トルファン博物館蔵連珠猪頭文錦 7世紀初め 世界遺産 大シルクロード展図録より |
連珠豬頭文錦馬面 7世紀頃 錦 縦75.0㎝、横78.0㎝ 甘肃省博物館蔵
同展図録は、馬の頭部から鼻先にかぶせる覆いで、目の位置に穴があいています。穴の形は真円ではなく、目尻にあたる部分が少し尖っています。
出土状況は不明ですが、墓の中から保存状態の良い染織品が見つかることから、本作品も墓の副葬品であると推測されます。墓に陪葬された馬の頭部を覆っていたのでしょうという。
陪葬する馬にもこのような高価な錦を使っている。
本体は無地の組織物で作られ、全体と目の周りは連珠猪頭文錦の細い裂で縁取りがされています。さらにその周縁には褐色、黄土色、藍、緑、白の五色の布で丁寧に作られたひだ飾りを左右対称に縫い付けています。鼻先には楕円形の飾りが垂れていますという。
頭上にあたる部分は張り出していて、そこにキノコ形の飾りが放射状に並んでいます(5つ残存)という。
円文はやっぱり六角形にも見えるが、唐代(618-)でつくられたものだろうか、ソグド錦だろうか。布地が切り刻んであるので判別しにくいが、イノシシの顔を織り出しているようなので、ソグド錦か、それを唐の工人が模倣したものか。
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甘肃省博物館蔵連珠豬頭文錦馬面 7世紀頃 世界遺産 大シルクロード展図録より |
連珠鹿文錦 7世紀 絹、緯錦 縦23.0㎝、横17.0㎝ 1975年新疆ウイグル自治区トルファン・カラホ-ジャ古墓71号墓出土 新疆ウイグル自治区文物考古研究所蔵
同展図録は、高昌故城の北東に位置するカラホ-ジャ古墓で見つかった面覆いです。連珠文の中に動物一頭を表すササン朝ペルシア由来の文様ですが、連珠文が真円ではなく縦長になっていることから、ペルシア錦の模造品であると考えられます。カラホ-ジャ古墓、アスタ-ナ古墓から発見されるペルシア錦の模造品には、円文内に猪の頭部や一羽の鳥を表すものもありますが、最も多いのは鹿を表すものです。鹿はソグド製銀器の文様として多用されることから、鹿の文様を好むソグド人が連珠鹿文錦を制作した可能性が高いと考えられます。
7世紀初めにインドへ向かった玄奘三蔵によれば、西突厥可汗の避暑地であった千泉(現在のキルギス、メルケ)には鈴をつけた鹿が群れをなしていて、可汗の命令によって保護されていました。ソグド人は当時の中央アジアの支配者であった西突厥可汗の好みに合わせて、鹿文の錦や銀器を制作したのではないでしょうかという。
ペルシア錦の模造品のソグド錦だった。
ペルシア錦の模造品のソグド錦だった。
胡王および琵琶奏者文錦 7世紀 絹、経錦 縦18.0㎝、横24.0㎝ 1975年新疆ウイグル自治区トルファン・カラホ-ジャ古墓71号墓出土 新疆ウイグル自治区文物考古研究所蔵
同展図録は、円文内の文様は左右対称で、中央の人物は台座に胡座し、正面を向いています。冠飾は鳥の翼を模した鳥翼冠で、正面に三日月と蕾み状の飾りが付いています。頭の左右には、冠を頭に結んでいるリボン(ディアデム)の端が風にはためいています。両側に立つ人物は曲頸琵琶を演奏しています。円文は二重で、小粒の連珠文の周りを渦巻文(あるいは波頭文)がめぐっています。円文の外側の植物文の下に「王」という漢字が白い糸で織り込まれています。このことから、鳥翼冠を戴く人物は胡王を表していると考えられていますという。
漢字が織り込まれていることと、経錦ということで、まだ緯錦の技術のない唐の工人がつくったもの。
断片上部には上段の円文の内側がわずかに見えます。向かい合う2人の人物が片脚を深く曲げ、もう一方の脚を伸ばし、ダンスを踊っているように見えますという。
こんな一部の文様でコサックダンスのような踊りをしていると見抜けるとは。
対鳥文錦靴下 7-9世紀 絹、緯錦 足裏32.0㎝、縦59.0㎝、横28.0㎝ 中国絲綢博物館蔵
同展図録は、足先から膝下までを覆う靴下の片方で、足裏部分は失われています。靴下の上辺は斜めになっていて、中央アジアで発見される革のブ-ツのように前方が高くなっています。室内用の履き物だったのでしょう。
全体的にかなり退色が進んでいますが、円文内に二羽の鳥を表す錦が使用されていることが確認できます。向かい合う二羽の鳥は、三つの真珠がついた首飾りの両端をくわえています。頭の後ろには白いリボンが結ばれています。円文の周りを花弁状の文様で縁取り、花弁の中には小花が配されています。円文の外側にも、円文内の図案とよく似た二羽の鳥が表されています。向かい合う二羽の鳥が一つの首飾りをくわえる文様の錦は多数知られています。当時、流行した文様であったことがうかがえますという。
実写と図版
こ、これが靴下!ブーツにしか見えないけれど。中に分厚いズボンを入れて履いたのだろう。
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中国絲綢博物館蔵対鳥文錦靴下 7-9世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より |
細かいことを言うと、連珠というよりも、大きな円文の外を花弁が巡っている。その中に織り出されているのは技術的に円文が織り出せなかったというよりも、花を織り出しているようで、唐の工人の仕事に思える。
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中国絲綢博物館蔵対鳥文錦靴下 7-9世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より |
連珠対鹿文錦帽子 7-9世紀 絹、緯錦、羅、綾 頭囲50.0㎝、帽高32.5㎝ 中国絲綢博物館蔵
同展図録は、つばのある帽子の周りから35本の細い絹布が垂れ下がっています。帽子の頭を覆う部分は、縦長の三角形に裁断した6枚の錦から作られています。
帽子のつばの部分にも同じ錦が使われています。35本の細い絹布は、帽子のつばと頭を覆う部分の境目に縫い付けられています。その配置には規則性があり、淡い褐色の布 4枚と濃い褐色の布1枚が交互に並ぶように配列されています。淡い褐色の布は菱形文の羅と綾で、濃い褐色の布は菱形文の羅です。出土状況が不明なこともあり、この帽子の用途は不明ですという。
これは連珠円文だろうか。文様を囲む連珠が分からない。
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中国絲綢博物館蔵連珠対鹿文錦帽子 7-9世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より |
裁断されているため錦の文様は分かりにくいですが、一本の木の両側に前脚を高く挙げた鹿(あるいは羊)を表し、木の上には向かい合って走る小さな動物を表しています。鹿の関節にあたる部分には大小の円文がつけられていますという。
幾何学的に図案化された樹木の両側に草食動物が立って寄りかかっている。これは西アジアで古くからあるモティーフ、生命の樹に寄りかかる草食動物だ。
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中国絲綢博物館蔵連珠対鹿文錦帽子 7-9世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より |
連珠対獅子文錦 7-9世紀 絹、錦 30.0×38.7 ㎝ 中国絲綢博物館蔵
同展図録は、暗い赤を地色として、ベ-ジュ色や深緑色で図柄を表しています。連珠の円文の中に2頭の有翼の獅子が向かい合う図柄を1単位とし、現状では二つ残っていますが、左右上下に同じ模様が続いていたようです。連珠円文の隙間には、ハ-ト形の四弁花と、胴体に縞模様がある双獣を向かい合わせで配しています。文様部分のかたちはぎこちなさが目立ち、双獣もどんな動物なのかはっきりしませんという。
緯錦(ぬきにしき)について同展図録は、唐代(618-907)になると、緯糸(よこいと)の浮き沈みで文様を表わした西方由来の緯錦技法が出てきました。この技法は、経錦とは異なり、文様に応じて自由に配色を変えられるとともに、大形の文様も織ることができ、やがて緯錦が錦の主流になっていきます。
錦の文様をみると、西方由来の連珠文や内部に動物文などを納めたササン朝ペルシア風の文様が、緯錦で織られていることもあり、文様のみならず織の技法においても、両者が影響しあっていたことがうかがわれますという。
これまで勉強してきて連珠円文の錦はソグドと思っていたが、ササン朝ペルシアの方が先ということになっていた。やはり新しい見解を知るためにも展覧会には行くものだ。
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参考文献
「世界遺産 大シルクロード展図録」 学術監修・責任編集石松日奈子 2023年 東京富士美術館
図録は重く立派な物で、手持ちの書物や図録がかなり以前のものなので、その頃と現在では出土物の解釈も変わっているだろうと思って買った。私にとって美術史の最新情報が得られるのは展覧会の図録なのだから。
「シルクロード 黄金の道展図録」 2002年 NHK