ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2009/11/24
西域にも連珠円文
西域の定義にもいろいろあるが、今回は新疆ウイグル自治区内として、出土あるいは発見された連珠文を集めた。
如来坐像 ホータン地方出土 6世紀頃 ストゥッコ 高15.8㎝幅16.5㎝ 東京国立博物館蔵
『世界美術大全集東洋編15中央アジア』は、腹前で両手を組み合わせた坐像は、連珠文のある蓮台の中心に置かれ、茶褐色などの彩色がわずかに残っている。組み合わされた両手の下方には、ハッダのストゥッコ製如来坐像によく見られるような、楕円形の円弧を重ねた衣文が表現されている。大谷探検隊によって将来されたという。
ホータンは西域南道にある。ホータン(和田)の位置はグーグルマップでこちら
バーミヤンには小さな連珠円文に囲まれた仏坐像があったが、それよりも前のものだ。
蓮台に乗るのではなく、外側には蓮弁がめぐっているのも珍しい。小さな連珠と蓮弁は光背を表しているのだろうか。 人物パルメット文三耳壺 カシュガル市ヤウルク寺院遺跡出土 6-7世紀 高57㎝口径28.5㎝
『絹と黄金の道展図録』は、胴部に冠をかぶった人物の顔と、瓶と杯を持って跪いた人物の2種類のメダイオンを5つずつ交互に配し、肩部に植物文様を表している。下にはパルメット文が巡る。メダイオンはスタンプによって型押ししたものを貼り付けたもので、細かい連珠文によって縁取られるという。
カシュガルは西域南道と西域北道が合流する、西域の最も西の端にある町だ。カシュガル(喀什)はグーグルマップでこちら
メダイヨンの縁を一周する細かな連珠円文は、ソグド錦やファレーラよりも、硬貨やメダイヨンの縁飾りに近い。
パルメットの様々な文様が3段めぐり、メダイヨンの装飾帯の隙間にも入り込んでいる。西方の雰囲気のある作品である。 瑞鳥文様柱断片 トムシュク、トックズ=サライ大寺院B出土 粘土 高23.0幅22.5厚3.5 6-7世紀初
『シルクロード大美術展図録』は、建築装飾の一部。連珠文が巡る円形の中に、羽を広げ、何かをくわえた鳥が大きく表され、その下部に、アカンサス風の植物文が左右に対置されている。こうした文様構成は明らかにササン朝美術の影響を受けているが、鳥の形態はむしろ中国伝統の鳳凰に近く、東西文化の混淆がうかがわれるという。
トムシュクはカシュガルの東方にある。トムシュクはグーグルマップでこちら
軒丸瓦かと思ったら、柱の一部だった。
トサカのある猛禽のように力強い鳥が何かをくわえて、葉っぱのようなものの上に立っているように見える。
連珠は一つ一つ彫りだしたのか土を丸めて嵌め込んだのかわからないが、不揃いなので型による成形ではなさそうだ。 舎利容器 6世紀末-7世紀初 クチャ地方出土 木造布貼 高32.3㎝胴径38.3㎝ 東京国立博物館蔵
『世界美術大全集東洋編15中央アジア』は、本品は大谷探検隊が将来したものであるが、正確な出土地は判明していない。スバシ出土の可能性が高い。
蓋には、連珠文で囲まれた4つの円形の区画に有翼の天使が描かれ、そのうちの2体は琵琶を奏し、ほかの2体は笛と箜篌を奏している。そのあいだに形式化された山と、向かい合ってくちばしで花綱をくわえる2羽の鳥が配置されている。蓋や身の縁に連珠の文様が配されており、西方の意匠を多くとどめるという。
有翼天使を囲む連珠円文には上下左右に四角形が配されていて、バーミヤン第167窟の連珠円文と共通する特徴だ。製作時期も似ているので、この時期に広く流行した連珠円文かも。スバシはスバシ仏寺遺址のことだろう。
帯文様に楕円形の小連珠円文が描かれている。主文を囲むわけでもなく、ただの文様帯になってしまったものと、主文を囲む連珠円文の2種類がこの容器に表されている。
この作品も西方風かなと思ったが、有翼天使の頭部に中国の唐子風の剃り残しがある。クチャ近辺で製作されたというよりも、クチャより東方のどこかで製作されて将来されたものかも。 寄進者像壁画 7世紀 キジル 高150 ベルリン国立インド美術館蔵
キジル石窟の第8窟(十六帯剣者窟)から採取されたもの。中心柱窟とよばれる構造の窟で、奥に中心柱とそれをめぐる廻廊を設けている。この壁画は廻廊の右側廊内側に描かれていた。人物は、いずれも右襟を大きく折り返した筒袖の長衣を着て、腰には長剣と短剣とを帯びた騎士の姿である。長衣は青や緑の地に連珠円文や十字花弁文などで飾られている。これらの人物像は石窟を寄進したクチャ国の貴族たちの姿を表したものだろうという。
左の人物は長衣の縁取りに連珠円文が並んでいる。主文には青の中に白が残っているので、何か文様があったようだ。右の人物の長衣は、逆に連珠円文で埋め尽くされた服地に無地の布で縁取りしてある。主文はないらしい。どちらの連珠円文も、上下左右に四角形や小連珠円文はない。
キジル石窟はこちら 鴨連珠円文壁画 7世紀 キジル 縦52横110 ベルリン国立インド美術館蔵
『三蔵法師の道展図録』 は、キジル石窟の第60窟(最大窟)からドイツ隊によって採取されたもの。正壁に大仏を取り付けていた大きな石窟で、その側壁にベンチ状の台を設け、そこに仏像が並べられていた(現在欠)。この壁画はその台の前面を飾っていた。連珠を円環形に配し、内部に首飾りをくわえる鴨を描いたもので、互いに向き合うように2つずつメダイヨンがセットになっている。頸にリボンを翻した鴨はデザイン化した表現で、バーミヤーンをやアフラシアブの壁画に近い。連珠円文と呼ばれるこの意匠は、ササン朝ペルシアに起源があるが、7世紀前後に中央アジアで流行したという。
別々の連珠円文にいるカモが向かい合っている。カモの模様は左右で微妙に異なっているが、胸・羽・尾羽に連珠帯があるのは共通している。首飾り、首には風にたなびくリボン、足の下には連珠という特徴がある。
また、上下左右には小連珠円があって、内部の文様は宝珠状である。 仏立像 トユク石窟第41窟 伏斗式天井南側 高昌郡ないし高昌国期(327-640年) トルファン東郊
「中國新疆壁畫全集6」は、體態略呈「S」形という。やや三曲法となっているので、敦煌莫高窟第57窟南壁の有名な菩薩立像(初唐、618-712年)と同時期だろうか。7世紀前半あたりだろう。
この窟を見学した時は、蓮華文が並んでいるのだと思ったので、この文様帯は特に注意してみることもなかったが、今は連珠円文が並んでいるように見える。
外周線はないが、内側の円と連珠が真円にはほど遠い描き方となっている。中に文様があるのかわからない。また右の文様帯には連珠円文ではないが、内部に文様が描かれている。そのような織物もササン朝ペルシアから将来されていたのか、あるいは、連珠円文の主文が連珠円文と分離してしまったのだろう。
トユク石窟はトルファン郊外の火焔山の小さな谷にあります。火焔山はこちら 新疆ウイグル自治区には当時オアシス国家のようなものが点在していた。それぞれの地には、枠に囲まれた連珠円文だけでなく、様々な連珠文が伝わっていたようだ。
関連項目
ササン朝の首のリボンはゾロアスター教
連珠円文は7世紀に流行した
※参考文献
「西遊記のシルクロード 三蔵法師の道展図録」 1999年 朝日新聞社
「世界美術大全集東洋編15 中央アジア」 1999年 小学館
「シルクロード大美術展図録」 1996年 読売新聞社
「シルクロード 絹と黄金の道展図録」 2002年 NHK
「中國新疆壁畫全集6 栢孜克里克・吐峪溝」 1995年 新疆美術攝影出版社