ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2009/11/27
アスターナ出土の人物駱駝文錦は経錦
新疆ウイグル自治区には大量の連珠円文の錦が出土した場所がある。それはトルファン東郊のアスターナ古墓群である。
アスターナは代々高昌のネクロポリスだったようだ。アスターナ古墓群はグーグルマップでこちら
人物駱駝文錦 織銘「胡王」 絹 長16.5㎝幅14.2㎝ トルファン市アスターナ(阿斯塔那)18号墓出土 麹氏高昌国時代(6世紀)
『絹と黄金の道展図録』は、小さな連珠を納めた円文内に、鞍を載せたフタコブラクダの手綱を引いている人物を上下対称に表し、駱駝と人物の間には、「胡王」の漢字を織りだす。
各円文は花文風の文様でつなぎ、円外の反菱(そりびし状)の間地には、パルメット風の十字形花文を配する。
砂漠の交通手段は駱駝で、隊商の人々にとっては必要不可欠な動物である。そうした動物を文様に取り入れているところは、いかにもシルクロードの地を表しているようで興味深いという。
連珠円文は円形というよりも亀甲形に近く、上下左右に花文がある。
上下対称は、波のない水面に映る逆さの像のようだ。
ほころびた箇所の糸を見ると縦に複数の色糸が通っている。このように縦に裂けるのが経錦だろうか。
『中国美術大全集6染織刺繍』は隋の製作とみている。淡黄色の地に墨緑・絳紅・橘紅とが交互に配列する彩色経糸で文様を作っている。延昌29年(589)唐紹伯墓出土という。
延昌29年は隋の開皇4年にあたる。彩色経糸で文様を作るというのは経錦だろう。 経錦(たてにしき)
『シルクロードの染織と技法』は、「錦」とは、多数の色糸を用いて華麗な文様を多重組織によって織り表す技法である。組織上、経糸で文様を表す「経錦」と、「緯錦」に分類される。経錦を織るには、地色と文様に使う色数の糸を一組とし、全幅にわたって整経するため、経糸数が極めて密に込み、地色と文様に応じて一組の経糸のうち一本を表面に浮かせて緯糸を通す開口操作は、たいへんに煩雑なものとなるという。
下図は開口した経糸に緯糸を通し、刀杼(とうひ)で打ち込む場面。
『中国美術大全集6 染織刺繍Ⅰ』は、西周時代(前11-8世紀)、養蚕・繰糸・捺染・紡績技術の進歩によって、豪華絢爛たる錦織が誕生した。錦とはに種以上の彩色糸を用いて文様を織り出す織物で、経緯組織の変化を利用するだけではなく、経緯色の変化も利用して文様を表現する。遼寧省朝陽の西周初期墓からは副葬品の絹織物20余枚を発見し、そのうちの数枚は二重経(2色の経糸)の経錦であったという。
経錦は中国の伝統的な技法だった。トルファン出土のソグド製連珠紋錦(時代不明)は緯錦(よこにしき)だったという(『文明の道3 海と陸のシルクロード』より)ので、その違いでソグド錦か中国製かがわかる。
しかし、人物駱駝文錦は高昌国で製作されたのか、隋で織られたのか。
忍冬連珠亀背文刺繍花辺 敦煌莫高窟125-126窟間出土 北魏、太和11年(487) 敦煌文物研究所蔵
『中国美術全集6染織刺繍』は、北魏の広陽王元嘉の刺繍供養像の縁飾りである。これは円形と六角形が交差する骨組みを基礎にし、その上に忍冬文をうめてある。色は深藍と浅藍、浅紫と白、白と浅棕とが互いに配され繧繝となり、色彩が調和し、かつ華やかであるという。
円形は線状だが、縦長の六角形は連珠だ。しかも六角形は、それぞれの辺を隣接する互いの六角形が共有する亀甲繋文となっている。
人物駱駝文錦は主文を囲むものが円文と見なされているが、亀甲文に近い円文だ。それがこの連珠亀甲繋文と全く無関係とは思えない。 5世紀後半に刺繍とはいえこのような連珠文が中国にあった。連珠円文が西方から届く前に、中国では連珠文があったのだろうか。それとも連珠円文はすでに将来されていたのだろうか。
人物故事図漆絵木棺 寧夏回族自治区固原県北魏出土 北魏(5世紀) 固原県博物館蔵
『世界美術大全集東洋編3』は、孝子故事の下部は、連珠文と亀甲文が結合した図案となっており、連珠文の内側には供養天人や有翼神獣を配するなど、きわめて装飾性に富む。
本漆絵の制作年代を太和10年(486)ごろとする見解があるという。
忍冬連珠亀背文刺繍と同時期に、連珠円文が描かれていた。連珠円文もすでに中国に伝播していたのだ。
亀甲文というよりも、上から垂直に下がった連珠が人字形に分割された円形の接合部(ガラス玉を表しているのだろうか)から横長の菱形を構成しているように見える。
この図版では連珠円文の中には向かい合う鳥が描かれている。そして直線が斜め十字に交差するもう一つの円形接合部から、人物駱駝文錦にもあるパルメット風の十字文が出ている。 亀甲塡四弁花文毛織品 ニヤ遺跡出土 後漢(後25-220年) 新疆ウイグル自治区博物館蔵
紺色の地に、白色で八角形と長方形とが組織する幾何学文様を織り、さらに八角形と長方形の内側に紅色の四弁花をうめ、白色で縁取りをしている。経緯糸とともに2本撚りであるという。
表記通り解釈すると、後漢時代に中国で製作されたもののようだが、『シリア国立博物館』には、中国を代表とする東アジアの織機は水平機であったが、西アジアでは古来より縦機で、これも縦機で織られたと考えられると、シリア産毛織物が紹介されている。
毛織物である点から、西アジアで作られたものがシルクロードを経由して、トルファンよりも西方に位置するニヤに将来されたと考えた方が自然だ。これが亀甲繋文の現中国内最古の出土例である。
亀甲繋文についてはこちら ニヤはグーグルマップでこちら 動物幾何文錦 アスターナ北涼敦煌太守沮渠封戴墓(455年)出土 新疆ウイグル自治区博物館蔵
破綻曲線と直線からなる龕状の幾何学的な骨組みに、大小異なった鹿と他の動物をうめている。深青の地色に、文様は絳・浅藍・浅緑の一組の彩色の縞模様を形成する経糸と、一組の黄色の経糸で表した二重経の経錦である。文様は横に並べられ、正と逆を循環して織り出すため、左右対称であるという。
北涼(匈奴)は439年北魏(鮮卑)に滅ぼされたと思っていたら、西進して高昌北涼を建てたらしい。450年に滅亡するまで、沮渠氏高昌国というのがあったようだ。
文様は横に並んでいるが、左右対称ではなく、人物駱駝文錦のように上下対称になっている。
左右対称となると、動物が横向きになってしまう。唯一上向きになるのは、画像の右下隅に見える鳥だけだ(左右対称となるもう1つの鳥も織り出されている)。やっぱりこの錦は上下対称で良いのでは。
また、全体に赤っぽいが、ところどころに黄色っぽい帯が縦に通っている。これが二重経というのだろうか。縦にほつれた箇所もあり、どちらも経錦の特徴とみてよいのだろうか。 亀甲繋文と連珠円文、四方の四弁花文とパルメット風の十字文はすでに中国にも到来していた。経錦で織られているなど人物駱駝文錦は中国色が強い。
しかし、高昌国はシルクロードの中でも古くから漢族が暮らしてきた土地である。上下対称など西域色が強いので、隋ではなく高昌国で製作された可能性の方が高いのでは。
高昌故城はグーグルマップでこちら、北方にアスターナ古墓群があります。 高昌故城の今の姿はこちら
※参考文献
「別冊太陽日本のこころ85 シルクロードの染織と技法」 1994年 平凡社
「中国美術大全集6 染織刺繍Ⅰ」 1996年 京都書院
「世界の博物館18 シリア国立博物館」 1979年 講談社
「文明の道3 海と陸のシルクロード」 2003年 日本放送協会