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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2022/11/18

名物裂 金襴・銀欄


藤田美術館で展示されていた唐物肩衝茶入蘆庵と仕覆4点
その内の2点が金襴と銀襴である。

金襴・銀襴とは
『茶の心 茶掛と裂』(以下 『茶掛と裂』)は、平金・銀糸または燃金・銀糸のみを用いて紋様を織り出した織物で、地合は襴という字が示すように、綾織の地に平織で紋様を表わしている。なかには繻子地のものも早くから織られていたようである。
宋代に発達し、明代に全盛期を迎え、永楽以後わが国に大量の金・銀襴が舶載された。堺や西陣で織り出されるようになったのは17世紀初頭であるという。


大鶏頭金襴

大鶏頭金襴 飛花紋・作土紋・鶏頭・互の目 東京国立博物館藏
『茶掛と裂』は、地色はもとは紅であったものが褪色して、現在では鳶色がかってみえる、落ち着いた物静かな古様を示す名物裂である。作土金襴のもっとも古い作例であるが、完全に作土化せず、ペルシア・ムガール方面でしばしば見受ける飛花紋を偲ばせる紋様である。草花紋の大小により大鶏頭・中鶏頭などの区別があるが、初期のものに小鶏頭は見当たらず、小鶏頭の藤言金襴などはむしろ龍詰紋系統の作例に近いといえる。
中興名物「在中庵肩衝茶入」(藤田美術館蔵)、 同「橋立茶入(本歌)」などに用いられ、表具裂としては横物中廻しに適した裂といえるという。
東京国立博物館蔵 大鶏頭金襴  『茶掛と裂』より

藤田美術館所蔵の瀬戸肩衝茶入在中庵の仕覆は、
左が大鶏頭金襴、中央のものが間道、いや、上半が金襴で下半は不明。右が大燈金襴(後述)かも。
この中央も金襴だが鶏頭のようでもあり、角龍にも見える。花兎の紹智金襴だったらうれしいけれど(後述)。


藤言金襴は、

藤言金襴 作土紋・小鶏頭 根津美術館藏 茶入天筒山肩衝仕覆
『茶掛と裂』は、萌黄地に菱紋を綾で地織とし、鶏頭を漆箔で表し、作土ふうにまとめ、互の目に並べている。藤玄・道元・藤権などの字をあてることもあるが所伝は不明で、類裂が多い。漆箔のかわりに平銀糸を用いたものや、金糸で角龍紋を織り出した船越角龍金襴などもあるという。
藤言金襴 『茶掛と裂』より


興福寺銀欄

興福寺銀襴 唐物肩衝茶入銘蘆庵仕覆 小石畳地緯紋・宝珠形・鳳凰・雲紋・互の目 
『茶掛と裂』は、興福寺銀欄は金襴・銀襴のなかでも綾地のもので、地緯紋を織り出したもっとも古い織り例で「根抜け」と呼ばれる名物裂中の白眉である。
南都興福寺の戸帳に使用されていたという伝承をもつこの裂は、金襴・銀襴の両種が遺存し、前田家の残欠は金襴、東京国立博物館および「盧庵肩衝茶入」(藤田美術館蔵)の仕覆は銀襴である。
紫の地色に小石畳の地緯紋があり、竪横約5㎝の宝珠形のなかに鳳凰と火焰のように見える雲紋が織り出されている。表具の一文字裂に適した裂で、重厚さと格調の高さを示しているという。
興福寺銀襴 唐物肩衝茶入銘蘆庵仕覆 『茶掛と裂』より


中廻し 一重蔓牡丹唐草文金襴

一文字 二人静金襴


二人静金襴 丸紋・鳳凰・互の目 東京国立博物館蔵
『茶掛と裂』は足利義政が「二人静」を舞ったときの能衣装であったといわれる。紫地の地緯による織紋のない経4枚の綾地金欄で、向かい合った鳳凰の丸紋が呉の目に配され、有職ふうな典雅な名物裂である。一般に極古渡りと伝えられるが明代中期以後のもので、丹地または茶地のものは後世の模織と思われ、京都に住む遠州門人橘屋宗玄が所持したので橘屋金欄と呼んでいる。大名物「北野肩衝茶入」、同「浅茅肩衝茶入」の仕覆にこの裂が用いられ、『雪間草道惑解』にも「有楽殿所持茶入袋切、二人静名物手」と記されている。表具の中廻し裂として、懐紙詠草など歌切類に適した典雅な裂といえるという。
二人静金襴 『茶掛と裂』より


大坂蜀金 菱繋ぎ・丸紋・魚・水禽
『茶掛と裂』は、『古今名物類』に「大坂蜀錦 安楽庵」「安楽庵」と記されるものに相当する。花色地に金地で全面を織り、上図と同様菱紋繋ぎとしている。
丸紋のなかに、水禽と魚紋を上紋とした安楽庵手の裂である。
大坂蜀金の本歌とする裂は日蓮上人の筆になる御題目の表装で、妙顕寺に伝来している。
これは赤茶地に小形の窠紋を交互に織り出した仏表具にふさわしい裂で、一般表具の裂としては金色に騒がしさを感じる。これら安楽庵系の裂地は仕覆に用いるより、むしろ表具に向いた裂で、大柄な紋様の故に縫い合わせ部分で紋様が合いにくく、厚手でもあるが、茶碗や花入など大形の器の仕覆には使われるという。
大坂蜀金 『茶掛と裂』より


雲雀金襴 鶴丸紋・雲珠繋ぎの輪・霊芝雲・雲鶴紋 東京国立博物館蔵
『茶掛と裂』は、地合は緯綾で唐草紋を織り出した縹地に、金糸で、向かい合った鳥の紋様を雲珠繋ぎの輪で囲んで、四隅に霊芝雲を配している。雲に鶴丸紋様のいわゆる雲鶴紋で、どことなく有職ふうな趣がある格調高い典雅な金襴である。
『古切写』には白地の安楽庵手の裂があると伝えているが地紋はみられないようである。とくに紋様が大柄であるので、古筆切のような細字の掛物の中廻し裂に適しているといえようという。
雲雀金襴 『茶掛と裂』より


畠山裂 鴛鴦紋・互の目 畠山記念館蔵 茶入畠山肩衝仕覆
『茶掛と裂』は、縹地に鴛鴦紋を一列ごとに向きを替えて織り出した金襴で、本圀寺金襴である。京都本圀寺に伝来する日蓮上人筆の曼荼羅の表具裂を本歌としている。
中興名物「畠山肩衝茶入」には4種の金襴の仕覆が添うているが、そのうち三つまで小さい柄のもの静かな裂地が遠州によって好まれているという。
畠山裂 『茶掛と裂』より


兎紋

角倉金襴 花兎・作土紋 文様の大きさ縦4.55㎝・横3.79㎝
 東京国立博物館蔵
『茶掛と裂』は、角倉了以の愛用裂であったところからこの呼び名がつけられている紺地の花兎作土紋金欄である。各列ごとに兎の向きがかわり変化が与えられ、紋様は大柄で竪1寸2分、横1寸もある。
花紋と土坡は明瞭で、土坡から草花が根着きの姿で生え上っている。柄が大きく表具の一文字・中廻しなどにも用いられ、濃紺であるために、本紙をいちだんと引き締めながら、可憐な花兎紋が優雅なふんい気をつくっているという。
角倉金襴  『名物裂ハンドブック』より


花兎金襴 花兎・作土・互の目
『茶掛と裂』は、花兎紋は優雅で可憐な表現のため、古来茶人たちに愛好され、数多くの類裂を生んだ。
この裂は白茶地に兎のような動物が土坡の上に花をくわえてうずくまって、うしろを振り向いている紋様が互の目に配され、紋様は作土ふうにまとめられ、中鶏頭に似ているという。

花兎金襴 『茶掛と裂』より

花兎金襴 花兎・作土文・互の目 北村徳齋帛紗店製
 『名物裂ハンドブック』は、文様は兎の周囲を花樹が囲んだ作土文で、横一列に並べている。後ろを振り返る兎の姿が可愛らしい。
地色や文様にはさまざまな種類があるという。


紹智金襴 花兎・互の目 万暦(16世紀後半-17世紀前半)ごろの渡来
『茶掛と裂』は、藪内剣仲紹智(藪内流流祖)が愛用の金襴といわれ、本歌は白または白茶地に麦藁筋といわれる木目地紋を織り出し、上紋に花兎を並べている。藪内家では祖堂の打敷や帛紗に使用している。大名物「円乗坊肩衝茶入」、中興名物「振鼓茶入」などの仕覆裂として用いられている。
同手の裂に動物が麒麟、龍などの図柄のものもあり、龍光院伝来の江月宗玩所用九条袈裟の外縁に火焔龍紋の裂が使用されているが、この裂は江月が大燈三百年忌に際して、「大燈国師頂相」「大燈国師印可状(贈徹翁)」の表具を修復したおり、一文字などに用いた裂で、江月愛用といえる。万暦ごろの渡来であろうという。
紹智金襴 『茶掛と裂』より


唐草紋系統 牡丹唐草紋

金地二重蔓牡丹唐草紋金襴 互の目 明代永楽・宣徳期(15世紀前半) 東京国立博物館藏
 『茶掛と裂』は、この豪華な金襴は地合全面を入子菱模様に金糸で織り出して、大牡丹の花紋と蔓唐草の輪郭を地色で表し、花や葉や蔓を平織とし、視覚的な変化をもたせ、紋様が浮き出るように工夫している。花弁や葉の輪郭線の肥瘦はいっそう視覚的効果を助長している。
この手の金地金襴は御物表具のなかでも、とくに義満表具にしばしば使用例を見ることができ、「天山」「道有」印のある宋元絵画の表具裂中の白眉といえる。明代永楽・宣徳ごろの織製になる名物裂である。元代およびその影響をとどめる洪武ごろの唐草紋とは異なる牡丹花紋の様式であり、完全に明朝様式に移行してからの遺品といえるという。
整然としていて、牡丹唐草文の原型のような裂である。大ぶりな牡丹を上下にずらした互の目に配置し、蔓はその間を縫っている。この蔓が一重か二重かを名称の一部とする。
金地二重蔓牡丹唐草紋金襴 『茶掛と裂』より


本願寺金襴 白地 中牡丹二重唐草            
『茶掛と裂』は、この裂はもと本願寺伝来の戸帳に用いられたもので、厳如上人の極状が添っている。白地に中牡丹の二重蔓唐草が織り出され、蔓はおおらかで流動性があり、葉の表現にも古様がみられる。各段ごとに牡丹は表・裏と替えて表され、高台寺金襴などに比べて柔軟な趣がある。
白地金欄は宸翰表具に欠かすことのできない裂とされてきたが、気品のある格調高い名物裂であるという。
牡丹は互の目に配されているようだが、金地二重蔓牡丹唐草紋金襴と比べると、蔓は奔放にくねっている。
本願寺金襴 『茶掛と裂』より


高台寺金襴 二重蔓中牡丹唐草 万暦頃(16世紀後半-17世紀前半)の模倣か
『茶掛と裂』は、紺地に金糸で二重蔓中牡丹唐草紋を織り出している。金糸が紺地に映え、華やかな趣を醸し出しているが、紋様に多少の硬直がみられる。
洛東高台寺の戸帳裂であったと伝えるが、白地、萌黄地のごく大柄な牡丹花紋のものがあるという。東山裂の織製年代まではさかのぼりえない裂で、万暦ごろの模織とも考えられるという。
高台寺金襴 『茶掛と裂』より


東山金襴 一重蔓唐草・牡丹・菊・梅 北村徳齋帛紗店製
 『名物裂ハンドブック』は、名称の由来は東山殿と呼ばれた室町幕府八代将軍・足利義政(1436-90)の所持、もしくは義政が明国に注文し織らせたという伝承にちなむ。
一重蔓唐草と牡丹、菊や梅などの花文をあしらった可憐な裂。
なお、意匠にかかわらず東山時代(室町時代中期)につくられた金欄を総称して「東山金襴」と呼ぶことがあるという。
北村徳齋帛紗店製 東山金襴  『名物裂ハンドブック』より


東山裂 一重蔓牡丹唐草・宝尽文 足利義政期(15世紀後半)か
 『茶掛と裂』は、東山殿足利義政が明に依頼して織らせたと伝えられる裂であり、萌黄・白・縹・紺・茶などの地色のものがある。また紋様も一重蔓・二重蔓の牡丹唐草紋を織り出した金襴である。
東山御物の表具に用いられているので、東山裂の名が生れたのかもしれない。義政が能阿弥に命じて玉潤の「瀟湘八景図巻」を八幅の掛け軸に改装させた表具の中廻しに同手の裂が用いられている。
宝尽紋には巻物・丁子・霊芝・珠玉・分銅・蓑輪違・珊瑚・犀角などが含まれている。輪違紋は貨銭と考えられ、十貫銭の字のくずしから滑銭というようになり、この紋様の織り込まれた東山裂を特に滑銭金欄と呼ぶようになったという。
東山裂 『茶掛と裂』より


大黒屋金襴 濃紺地 一重蔓小牡丹唐草・宝尽文 東山裂を模した和製
『茶掛と裂』は、濃紺地に一重蔓の小牡丹唐草紋を織り出して、その間に宝尽紋を散らし、東山裂を模した和製の金襴と伝えられている。経糸がゆるく、よろけがみられ、金糸も青みを帯びたギラつきが目だち、紋様のはしばしに織技の緻密さを欠いている。
大黒屋とは堺の商家の屋号で、その所伝による呼称であろう。同手の裂に坂田屋金襴があるが、それらは和製金襴を扱った店の屋号を冠したものかもしれない。『古今名物類聚』には、地合を「繡子」地とただし書きしている。糯子地の金襴は仕覆裂としては用いられるが、表具裂としては映りの悪い裂とされるという。
大黒屋金襴 『茶掛と裂』より


笹蔓金襴 笹蔓・宝尽紋 室町中期以降                  
『茶掛と裂』は、濃紺地に笹の細蔓を繋ぎ合わせて、六弁花松笠紋を整然と展開している。松竹梅を図案化した紋様と思われ、蔓と蔓との間に宝尽紋を配した鮮明な意匠性はとくにすぐれている。室町中期以後「歳寒三友図」が盛んに描かれ、織物にも宝尽紋が好まれた風潮を察することができるであろう。
一文字や中廻し裂として適しているが、和物茶入の仕覆裂にもふさわしい。笹蔓緞子には宝尽紋のあるものは見当たらないが、類裂は多く、笹蔓手と呼んでいるという。
飽きの来ない図柄で、淡い色なら壁紙にしても良さそう。
笹蔓金襴 『茶掛と裂』より


大内桐銀欄 踊り桐・唐草
 『茶掛と裂』は、室町時代、桐紋は一般階層の人々の使用を禁止されていたが、皇室、将軍家、貴族間では好んで用いられていた。
『古今名物類聚』によると、この名の裂は茶または薄茶地に大柄な踊り桐紋を唐草で繋いだ紋柄となっている。
ここに掲載の裂は緯糸に綿糸を用いた黄緞の銀欄である。金襴に比べて渋い侘びた趣があり、いちだんとすぐれた名物裂で、中興名物「金華山広沢手秋の夜茶入」にこの裂の仕覆が添えられている。
一説には嵯峨桐金襴の雷紋菱地紋のないもので、五七桐のものを大内桐金襴と呼んでいるが、この裂とは別種のものであるという。
大内桐銀欄 『茶掛と裂』より


嵯峨桐金襴 桐・入子菱  土田友湖製
 『名物裂ハンドブック』は、京都・嵯峨にある清涼寺釈迦堂の戸帳裂として伝えられ、名称の由来にもなっている。足利義政が大内義隆(1507-51)に命じて明国につくらせ、清涼寺に寄進したといわれる。五重の入子菱を地文に、切り込みの深い桐文を互の目(文様が上下左右一つおきに規則正しく配置された構成)に織り出しているという。
土田友湖製 嵯峨桐金襴 『茶掛と裂』より


大内桐金襴 桐 北村徳齋帛紗店製
 『名物裂ハンドブック』は、「嵯峨桐金襴」と同様、山口の戦国大名・大内義隆が明国に注文してつくらせたといわれ、名称の由来と考えられる。もしくは義隆が所持していたからという説もある。
桐は古くから人々に愛され、桃山時代には桐文が大流行する。また、この大内桐のように花序につく花の数が5・7・5のものを「五七桐」、二つずつ少ないものを「五三桐」という。
北村徳齋帛紗店製 大内桐金襴 『茶掛と裂』より


早雲寺文台裂 銀欄 草花文   龍村美術織物製
『名物裂ハンドブック』は、箱根早雲寺の什宝「織物張文台・硯箱」にちなんだ名称。連歌師・宗祇(1421-1502)に愛用された後、北条氏政(1538-1590)の手に渡ったとされる。
この裂は銀欄で織られている。銀欄が一般的に文様を銀糸で織り出すのに対し、この裂は地の部分をすべて銀欄で埋め尽くしているという。
龍村美術織物製 早雲寺文台裂 『茶掛と裂』より


龍文

逢坂金襴 七曜星紋・丸紋龍
『茶掛と裂』は、中興名物古瀬戸「逢坂丸壺茶入」の仕覆にこの裂が使用されていることから逢坂金襴、または相坂金襴の名がある。
縹色の深みのある地色に七曜星紋を散らし、丸紋龍(螂龍)と霊芝紋を交えて織り出してい
類裂に雲山金襴があるが、織技が緻密で絞 様も洗練された逢坂金襴のほうがはるかにすぐれている。暖代初期の古様をとどめた名物裂金襴の代表的遺品であるという。
逢坂金襴 『茶掛と裂』より


丹地角龍紋金襴 角龍文・互の目 香雪美術館蔵
『茶掛と裂』は、元来赤地のものが褪色し、黄みがかった薄赤茶に変っている。角龍紋金襴のなかでももっとも古様を示す裂で、『宗湛日記』(天正15年2月25日)大坂山里の御会に「晩鐘」(玉潤筆)の軸を拝見して「一文字風躰(帯)風带色濃ク新ミユル」と紅力丹力ある。また翌年「夜雨」についても「風帯紅カ」と記している。
この裂は「雑華室印」(足利義教の鑑蔵印)のある「梁楷筆 踊布袋図」の総縁に用いられているが、上下の部分と柱の部分とでは、裂が竪横異なった方向を向いているので、異なった裂地のように目に映ったのであろう。東明東山「御物表具」にしばしば使用されている明代初期織製の名物裂であるという。
丹地角龍紋金襴 『茶掛と裂』より


永観堂金襴 角龍・互の目 前田育徳会蔵
『茶掛と裂』は、洛東禅林寺永観堂に伝えられる白地角龍紋金襴の九条袈裟が本歌といわれている。白地に入子菱紋を綾で地織りとし、体をくねらせた横向きの龍が織り出されている。龍詰の形はやや馬蹄形で中川角龍金襴が菱形であるのに比べると、大柄で安定感がある。
紋様は船越角龍や春藤角龍に近いが、紋と紋との間隔が詰まって重厚みを加えている。
白地のもつ気品の高さは格別である。明代初期の織製と思われるという。
永観堂金襴 『茶掛と裂』より


角龍金襴 角龍・互の目 土田友湖製
『名物裂ハンドブック』は、龍文を四角形で表わす文様からの名称。また升に龍が詰まっていることから「升龍」、「龍詰」とも呼ばれる。地色・地組織はさまざまだが、文様を互の目に配するところは共通している。龍金欄には多数の類裂が存在するという。
土田友湖製 角龍金襴  『名物裂ハンドブック』より


瓦燈口金襴 東京国立博物館蔵
『茶掛と裂』は、この裂は火燈口金欄とも、火燈龍金欄など菱火とも呼ばれ、縹地に二重枠の菱紋を地紋として金地に織り出し、火燈口形のなかに花兎または龍紋をあしらった豪華な金欄である。
龍紋は立ち昇る姿に表され、珠と火焰とが配されて火燈形に形成され、上下、左右ともに5分ほどの間隔で散らされている。地紋の配列がかなり乱れ、金色も発色が悪く、意外に沈んだ感じのする裂である。明代末期に近い織製であろうという。
瓦燈口は、花頭窓または火燈窓と呼ばれる窓のような形をいうのだろう。銀閣寺観音殿の二階の窓がこの形です。
瓦燈口金襴 『茶掛と裂』より


安楽庵金襴 火焔珠・双龍・宝珠・ミツ爪龍
『茶掛と裂』は、別名誓願寺裂とも呼ばれるこの裂名の由来は、洛中誓願寺55世安楽庵策伝(1554-1642)が所持したことによるのであろう。類裂が多く、金地のものや宝尽紋のものが多い。
紋様はいずれも大柄で、気品に欠けるものもあり、金色の輝きもすぐれているとはいえない。現存の安楽庵裂は金糸の性質や紋様から判断して織製年代は万暦以後のものであるから、古くから寺に伝承した裂ではないようである。
地合は金地で、萌黄の菱紋繋ぎを地織としている。上紋は双龍を内包した火焰珠で、2寸ほどの円形に近い形をしている。宝珠内部の龍は三ツ爪で、珠を鼻先に持ち上げているという。
安楽庵金襴 『茶掛と裂』より


剣先金襴 龍文・剣先菱文(毘沙門亀甲文) 龍村美術織物製
 『名物裂ハンドブック』は、裂全体に剣先菱文を織り出した、名物裂の中でも珍しい意匠。龍文は「角龍金欄」などと比べて、姿がはっきりしているのが特徴である。
毘沙門天の甲冑にこの剣先菱があるから、「毘沙門亀甲文」ともいうという。
東寺の毘沙門天立像(唐時代後半)の甲冑にこの文様がある。
龍村美術織物製 剣先金襴  『名物裂ハンドブック』より


雲文

大燈金襴 丹地・石畳地紋・霊芝雲文 東京国立博物館蔵
『茶掛と裂』は、大徳寺開山宗峰妙超(大燈国師 1282-1337)所伝の袈裟裂である。鎌倉時代に蘭溪道隆(大覚禅師 1213-1278)が中国宋より招来し、のち南浦紹明を経て大燈国師に伝えられたというのが定説となっている。しかし裂自身は宋代までさかのぼることは無理で、まず元代と考えられる。
地色はもと紅で褪色しているが丹地と呼ばれ、地紋に細かい石畳織があり、上紋は霊芝雲紋の上下に爪を置いた小さい紋様を互の日に配した気品のある名物裂である。裏で糸の遊んでいるものは裏糸大燈といい、紋様の不規則に散らされたものを乱大燈と呼び、白地のものは大徳寺第一世徹翁の名をとって徹翁金襴と呼んでいるという。
大燈金襴 『茶掛と裂』より


畠山金襴 輪違紋 畠山肩衝茶入仕覆 畠山記念館蔵 
『茶掛と裂』は、縹地に輪違紋を二連に織り出した珍しい金欄である。宝尽紋のなかの一つの意匠では見ない。中興名物「畠山肩衝茶入」に仕覆裂として添えられているのでこの名があるが、『道具目録』(小堀宗中)には「畠山輪違」とある。柄の小さい気品のある金襴には、古瀬戸肩衝茶入に対する遠州の考え方が現れている。
単一のモチーフとして現れるものは他にこの輪違紋は一般に行われている七宝繋ぎと異なり、滑銭とも呼ばれる貨銭2枚繋ぎの紋様であり、単純な紋様構成にもかかわらず、斜状の繋ぎ方のために視覚的な動きを感じさせる。また各列ごとに反対の傾きを示して、意匠に変化を与えているという。
畠山記念館蔵 畠山金襴 『茶掛と裂』より


針屋金襴 鱗紋 東京国立博物館蔵
『茶掛と裂』は、白地または白茶の地合に、大小の鱗紋を組み合わせて並べた繻子地の金襴である。針屋宗春愛用の裂であったとも、「針屋肩衝茶入」の仕覆に用いられていたのでこの名がつけられたともいう。
中興名物「豊後口広茶入」の仕覆にもこの裂が使用されている。明代中期以後の製と思われるが、紋様が大きく仕覆には紋様構成のおもしろさを生かすことができない。表具裂としては、一文字に小さい鱗紋があり、中廻しにもっとも適した裂であるが、その使用に際して取り合わせはまことにむずかしい。
同系の鱗紋の裂には萌黄地の井筒屋金襴、花色地の権太夫銀欄などがあるという。
針屋金襴 『茶掛と裂』より


萌黄地石畳金欄 増鏡茶入仕覆 石畳・宝尽
『茶掛と裂』は、萌黄地に三分ほどの小石畳紋を金糸で織り出し、そのひとこまひとこまに宝尽紋を配し、萌黄地の部分に珠点を入れた緻密な織物で、大徳寺の戸張にこの手の石畳金襴が用いられていたので一名大徳寺金襴ともいわれるが、これは尊氏金襴と呼ばれるほうの裂で、白地に石畳紋と米字型花紋を置いた釣石畳である。打敷の裏には天文7年(1538)大内義隆が寄進した旨を記した書き入れがあり、明代嘉靖年間のものであろう。
萌黄地の裂は大徳寺では江月宗玩所用の裂として江月裂の名で呼ばれ、万暦ごろの織製になるものと思われる。
中興名物「思茶入」、同「小川茶入」、同「噌鏡茶入」など真中古以後の茶入に仕覆裂として遠州が盛んに用いているから、寛永ごろ渡来の裂であることが裏づけられるという。
萌黄地石畳金欄 『茶掛と裂』より


石畳金襴 石畳・宝尽 北村徳齋帛紗店製
 『名物裂ハンドブック』は、文様からの名称。全体に石畳文を織り出し、一つ一つの石畳の中に宝文を配する印象的な裂。地色の部分に星文が、金地部分に十二種類の宝文珊瑚、宝巻、丁字、卍、方磬、三ッ宝珠、分銅、金嚢、陰陽板、雲版、白蓋、羯磨が見られる。類裂に鳥・星文が織出されたものがあるという。
北村徳齋帛紗店製 石畳金襴  『名物裂ハンドブック』より


米市金襴 七宝繋・花菱 龍村美術織物製
『名物裂ハンドブック』は、中興名物「米市」茶入の仕覆にちなんだ名称といわれる。
内側に花菱文が据えられた七宝が数珠繋ぎになった細かい文様。金地金襴のような姿であるという。
龍村美術織物製 米市金襴 『名物裂ハンドブック』より


嵯峨金襴 霊芝雲・宝尽 北村徳齋帛紗店製
『名物裂ハンドブック』は、「富田金襴」とも称される。雲が繋がった状態のものを連雲と呼び、嵯峨金襴は霊芝雲の連雲となっている。雲の隙間に宝尽文が散りばめられた豪華な裂である。連雲には嵯峨金欄のように左に上っていくものと、右に上っていくものの二通りがあるという。
北村徳齋帛紗店製 嵯峨金襴 『名物裂ハンドブック』より


大徳寺金襴 石畳・米字型 北村徳齋帛紗店製
『名物裂ハンドブック』は、大徳寺が所蔵する「金襴縫合打敷」に由来する。足利尊氏 (1305-58) が鎧直垂に用いたという説から、「尊氏金欄」とも呼ばれる。
石畳の間に米字型の花文を繋げているのが特徴という。
北村徳齋帛紗店製 大徳寺金襴 『名物裂ハンドブック』より


江戸和久田金襴 縞・木瓜・互の目   北村徳齋帛紗店製
『名物裂ハンドブック』は、和久田家所蔵の裂とも、和久田という江戸の織人が愛用したともいわれる。また、京都製の「和久田金欄」に対する江戸製のものという意味の名称ともいわれ、詳細は定かでない。「和久田金襴」とは異なる裂である。紺・茶などの縞文に、花・鳥・獣が木瓜形に表される。他にも色替りの縞に丸文を配するものなど、同名で意匠の異なる裂がいくつか存在するという。

北村徳齋帛紗店製 江戸和久田金襴 『名物裂ハンドブック』より



                           名物裂 緞子←    →よみがえる川崎美術館展 伝顔輝筆寒山拾得図

関連項目 
藤田美術館

参考文献
「表装裂愉しむ 植物文樣編」 編京都表具協同組合 2021年 光村推古書院株式会社
「名物裂ハンドブック」 編淡光社編集局 2013年 株式会社淡光社
「お茶の心 茶掛と裂」 1979年 世界文化社