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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2024/06/14

トプカプ宮殿 バーダット・キョシュキュ Bağdat Köşkü


そして第4の中庭最奥部にあるのが

第4庭園平面図 『イスタンブール歴史散歩』より
レワン・キョシュキュ(レワンは現アルメニアの首都エレヴァン) ➋通廊 ➌レワン・キョシュキュ前の水槽(池) ➍聖遺物室 ➎バーダット・キョシュキュ(バグダ-ド) ❻イフタリエ(小さな東屋) ➐皇子たちの割礼の間
イスタンブール トプカプ宮殿第4庭園平面図 イスタンブール歴史散歩より


バーダット・キョシュキュ Bağdat Köşkü
建設年:1639年 建設者: ムラト四世 建築家:ミマール・カスム・アー
『トルコ・イスラム建築紀行』は、1638年の戦役でバグダットを獲得した記念として建てた瀟洒な小亭。レワン・キョシュキュ(1635)に酷似しているが、少し大きい。外壁や内壁を飾った大理石や装飾タイルが美しい。壁は組積造だが、天井ドームは木造という。
ドームやタイル、ソファなどはこちら


平面図
①入口 ②ソファ ③テラス
トプカプ宮殿 レワン・キョシュキュ平面図 トルコ・イスラム建築紀行より


レワン・キョシュキュに似ているが、一階の窓の間が大理石の細長い柱に黒いラインを付けたり、別の色大理石の中に入れたりしているくらいだろうか。

暖炉と②ソファのあるアルコーヴ

ソファの上に玉座が置かれている。

窓は塞がれているが、螺鈿が外からの光を通しているようで明るい。
説明パネルは、マフムード二世(在位1808-39)の玉座は、パリの王室御用達の家具職人シャルル・ジョゼフ・ルマルシャンにオスマン朝の好みに合わせてつくらせたという。


その上のステンドグラスと天井

文様は大雑把だが、このキョシュキュ(日本ではどういうわけかキオスクというJRの売店になってしまった)に似合っている。ガラスには鱗状の凹凸があるものも。

アルコーヴの天井には雲文?龍?


窓の間にはサズ様式のタイルパネル

他にも同じデザインのタイルパネルがあって、割礼の間外壁にあったシャクルが確立したサズ様式のタイルパネルにあった麒麟は描かれなくなり、それに変わってモスクランプが描かれている。
シャクルの描いたサズ様式の植物には躍動感があるが、時代が下がると鳥も葉文様も左右反転させたものを積み重ねたようなパターンになってしまった。

繁茂するサズの中にはやはり鳥がいる。


下部にモスクランプが置かれていること、ランプから数種の草花が出たり垂れたりする様子などは割礼の間外壁左の壁面の図に似ている。


鼈甲と螺鈿細工三昧

両開きの扉は窓用

鼈甲と螺鈿細工については後日


柱廊に出て遠くを眺めると、

左手に İstanbul Erkek Lisesi という高校の立派な建物が見えた。

スレイマニエジャーミイとその複合施設、メドレセ、それにスレイマンとヒュッレムの墓廟まで見えた。右向こうの立派なモスクはファーティフジャーミィだろう。

金角湾に目を移すとガラタ橋とフェリーターミナル

下には二段の庭、その下の森はギュルハネ公園 Gülhane Parkı

聖遺物室と割礼の間、そして金色の屋根のイフタリエ



イフタリエ(小さな東屋)
『イスタンブール歴史散歩』は、テラスの端に、金色屋根を持った、イフタリエと呼ばれる愛らしい東屋がある。スルタン・イブラヒム(在位1640-48)が建てたものだという。

イフタリエそのものには入れないので傍から眺める。

前回よりも修復の養生が本格的になったガラタ塔と新しく開発されたおしゃれなガラタポート

真下にはイチジク庭園

この日も時間に制約があり、二つのキョシュキュから各方面の景色をゆっくり堪能できなかった。



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参考文献
「トルコ・イスラム建築紀行」 飯島英夫 2013年 彩流社
 トンボの本『イスタンブール歴史散歩』 澁澤幸子・池澤夏樹 1994年 新潮社