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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2024/05/31

トプカプ宮殿 割礼の間 Sünnet Odası の外壁に麒麟のタイル


聖遺物室の二重の柱廊の先に一面がタイルで覆われた➐皇子たちの割礼の間がある。


第4庭園平面図 『イスタンブール歴史散歩』より
レワン・キョシュキュ(レワンは現アルメニアの首都エレヴァン) ➋二重の柱廊 ➌レワン・キョシュキュ前の水槽(池) ➍聖遺物室 ➎バーダット・キョシュキュ(バグダ-ド) ❻イフタリエ(小さな東屋) ➐皇子たちの割礼の間
イスタンブール トプカプ宮殿第4庭園平面図 イスタンブール歴史散歩より


入口の右端にあるのは、スレイマン大帝の時代とされる三幅対のようなタイルパネル。    

中央のパネルには鮮やかな青い地に木が花を咲かせている。


上部のスパンドレル(三角小間)に雲文、緑の帯にはハタイ(蓮の花、蕾、葉のついた花蔓草文様 『トルコの陶芸 チニリキョスクより』)、

そして中央パネルにはアーモンドのような2本の木が満開に花を咲かせ、
その根元にはチューリップやカーネーションが小さな花瓶から出ている。
当時のチューリップはぽっかりとは開かなかった。現在のものはオランダで改良されたもの。


その両側には左右対称に植物が描かれていて、これこそがシャクルが始めたというサズ様式だと2024年1月20日にNHKのBSで放送された「工芸の森 トプカプ宮殿 植物文様に秘められた物語」(以下「工芸の森」)は解説していた。
そしてその番組の中で学者が、オスマン帝国では幾何学文様が描かれていたが、新たに植物文様というものをもたらしたのはイランから来て宮廷絵師長にまでなったシャクルである。これをサズ様式という。植物文様の中に動物を描くようになったのもシャクルからだという。


「工芸の森」では、太湖石(中国の水中で浸食されて穴があいた特異な形状となった石灰岩)から変化して葦の葉になったという。

また、ヤマンラール水野美奈子氏は太湖石からサズ葉文様への系譜で、シャー・クルは、1514年にオスマン帝国とサファヴィー朝の間に生じたチャルドゥラン戦役の結果、オスマン帝国に連行された捕虜の一人で、すでに画業をイランで修得していた。従ってシャー・クルのサズ葉文様創作に関しては、オスマン帝国に特有な文様創作の傾向だけではなく、イランのティームール朝、白羊朝、サファヴィー朝の文様にも留意する必要があるという。

植物文様に混じって尾の長い鳥が二羽。愉快なのは、サズ(葦の葉)が花の穴をくぐっていること。

そしてその下部にはサズを食べている想像上の動物麒麟が二頭ずつ描かれ、鳥もサズの葉を啄んでいる。右の麒麟の腹部描かれているのは花の蕾?

この図では地面からサズが生えているようには見えない。
二頭の麒麟の間の茎が二つに分かれ、左右に柱を捻らせ、茎を伸ばして天辺まで蕾を付けたり、花を咲かせたり、枝分かれしながらどんどんと上に伸びて、最終的には頂部に達する。蔓草文様なのだが、その蔓が弧を描くこともないところが中央アジアのものとの違いだろう。

麒麟の描かれた作品があった。
『画冊』第170葉麒麟図 15世紀 制作地サマルカンド(現ウズベキスタン)またはタブリーズ(現イラン) 着彩紙 26X37.7㎝ イスタンブル、トプカプ宮殿博物館蔵
『世界美術大全集東洋編17 イスラーム』は、画面のほぼ中央に表されているのは、中国の想像上の動物である二頭の麒麟である。瑞獣である麒麟の雄には、通常、鹿のような角が生え、また、胴体からは火炎が立ち上るように表さ れるものだが、本図の麒麟には、そのほかに同じ灰色でリボン状のものが表現されている。画面の右前景には節くれだった古木があり、そのかたわらを小鳥が飛び交っている。後景に生えている灌木の周辺には霊芝雲が漂い、また、あちこちに中国では長寿の象徴である「猿の腰掛け(霊芝)」が黄色、褐色、水色で彩られ、荒涼とした風景のなかの幻想的な雰囲気をいっそう助長している。麒麟は、ともに中国の瑞獣である龍、鳳凰に比較してイスラーム世界に紹介されたのが比較的遅く、ティームール朝時代初頭のことである。
中国絵画では龍が単独の画題として描かれることはあるが、麒麟や鳳凰が絵画作品に単独に描かれることはほとんどない。それらはもっぱら陶磁器や染織など、工芸品の装飾や着衣の縫い取り(補)などに表されている。したがって、本作品は、西方に伝えられた工芸品を飾る麒麟文をモデルにして、絵画作品に仕立て上げたものであろう。
この作品の構図は、麒麟の間隙を単に樹木で充填したために、平板な印象を与え全体としては成功しているとはいいがたいという。
トプカプ宮殿博物館蔵 『画冊』第170葉麒麟図 15世紀 世界美術大全集東洋編17 イスラームより


この三幅対の上のタイルパネル

中央パネルは雲文。ペルシアにイルハーン朝の頃中国から伝わったものがオスマン帝国ではこのようになったのだとか。

入口上側のタイル装飾は六角形と三角形の組み合わせ

でもあまり古い感じはない。


黒地に金の植物文様



入口の左壁

下部には右壁とは違った中央パネルだが、その両側には同じサズ様式のタイルパネルがあり、その中にはやはり麒麟や鳥たちが描かれている。



その左側の壁

上部の中央パネル
同じ三角形と六角形の組み合わせでも、こんな文様にもできるのだ。

下部にはサズ様式のパネル

下部にはモスクランプが置かれ、そこから植物があふれるほどに出ている。ここには鳥はいるが、麒麟は描かれない。果たして同じ時代のものだろうか。


その下の雲のパネルにはタイルの切れ目が見えないので一枚ものかも。右端のパネルと比べると90度傾いているし。この壁は入口付近よりも後につくられたものかも。



中に入って天井を見上げる。頂部のパネルは建立時にはタイルだったのだろうが、現在はタイルではない。四方は同じ文様のタイル

天井から窓へ目を移していくと、窓のステンドグラスと青いタイル。

下段に方形の窓、上段に尖頭アーチ形の窓がそれぞれ三つずつ開かれている。その下にはソファが長々としつらえてある。

尖頭アーチの窓にはステンドグラス


点々に穴があいたようになっているが、スレイマン大帝時代の細かさがない。


ソファの左壁

トマトの赤はどうかな。


入口側に窓が二つ。



この建物をつくらせたのはスレイマン大帝(在位1520-66)だが、割礼の間として使われるようになったのは後の時代という。




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参考にしたもの
2024年1月20日にNHKのBSで放送された「工芸の森 トプカプ宮殿 植物文様に秘められた物語」

参考サイト
ヤマンラール水野美奈子氏の太湖石からサズ葉文様への系譜

参考文献
「トルコの陶芸 チニリキョスクより」 イスタンブル考古学博物館 1991年 A TURIZM YAYINLARI 
「世界美術大全集東洋編17 イスラーム」 責任編集杉村棟 1999年 小学館