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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2024/05/24

トプカプ宮殿 龍と鳳凰の壁画


トプカプ宮殿を見学したのは2023年の秋のことだった。
その時初めて最奥部にある第4の中庭に足を踏み入れて、バーダット(バクダード)キョシュキュやイフタリエ、そしてレワン(エレバン)キョシュキュなどを見学して、イズニークタイルの最盛期よりは時代が下がるが、とても涼しげな建物や眺めの良いイフタリエなどの雰囲気がとても良く、私のお気に入りの場所となった。

ところが、年が明けた1月20日にNHKのBSで「工芸の森 トプカプ宮殿 植物文様に秘められた物語」が放送されて驚いた。
同番組は、2023年がトルコ共和国建国百年に当たるのに合わせて宮殿の改修工事が行われ、その時に新たな壁画が発見されたという。

幸いイスタンブールを春に再び訪れることができたので、もう一度トプカプ宮殿に行った。第3の中庭から狭い通路を通ると、先が階段になっていて、第4の中庭は一段低い


第4庭園平面図 『イスタンブール歴史散歩』より
レワン・キョシュキュ(レワンは現アルメニアの首都エレヴァン) ➋通廊 ➌レワン・キョシュキュ前の水槽(池) ➍聖遺物室 ➎バーダット・キョシュキュ(バグダ-ド) ❻イフタリエ(小さな東屋) ➐皇子たちの割礼の間
イスタンブール トプカプ宮殿第4庭園平面図 イスタンブール歴史散歩より


第4の中庭は一段低いので、どの建物に入るのにも階段を上ることになる。
右がレワン・キョシュキュ 聖遺物室との間には➋二列の通廊がある。

レワン・キョシュキュ

➋通廊には小さな開口部へ出入りする階段から
左側の柱廊は小さなドームが並び、右側の柱廊は尖頭ヴォールトになっている。緑の庇はこの二つに架かっているのだが。

番組では通廊からアーチの起拱点から始まる曲線の三角形の漆喰を剥がした箇所で壁画が発見されたという。

はて、この二つのアーケードのどちらにあったかな。こちら側からは見えないので、


反対側から見ようとしたが、レワンキョシュキュから大勢の観光客が出てきたので、なかなか近寄れない。


人が退くのを待ってレワン・キョシュキュへ。
入口が一段高くなっているので、その段の上からから見てみると、あった! 小さなドームを支える内側のアーケードの方だった。
ところが、残念なことに保護のカバーがあって、鮮明には見えへんやん・・・


それでも写したが、いくら頑張っても、色も不鮮明ですっきりとは写せなかった。
番組では真ん中の大きな苺のようなものは説明がなく、龍は15世紀のサマルカンド将来の絵画に描かれていて、鳳凰はペルシア神話のシームルグということだった。

絡み合う龍は外に向かって大きな口を開けている。赤い花の茎は下から左右に分かれて、更に龍の後頭部から赤い苺のようなものと鳳凰の間にまで達している。


左の龍は後肢が見える。尻尾はどうなっているのだろうか。2本の尾が植物となって、下に伸びているようにも見える。


左の鳳凰
番組では鳳凰の頸部や翼の初列風・中雨覆などが金色だったが、この写真では赤茶色になってしまった。

右の鳳凰と龍

こちらの鳳凰の絵は金色っぽく写せたかも。
どうも赤い花の茎は鳳凰の下で分かれて、一本は端の方に伸びている。

番組では、鳳凰がペルシアのシームルグから来たものだと言っていた。
シームルグは本来拝火教を信仰していた頃のペルシアで王だけが使うことのできる衣服の文様だった。それについてはこちら

しかし、ペルシアでは拝火教からイスラームへと信仰を変えた後もシームルグが登場している。

フィルダウシのシャーナーメ サファヴィー朝 1549年 シーラーズで制作 37.5X24㎝
解説がないので内容は不明だが、1549年と言えばオスマン帝国ではスレイマン大帝の治世である。左に描かれた華麗なシームルグほどでないにしても、当時イランで描かれていたシームルグが、シャクルによってオスマン帝国の絵画に登場しても不思議ではない。
フィルダウシのシャーナーメ サファヴィー朝 1549年 THE MUSEUM OF TURKISH AND ISLAMIC ARTS より

病に伏している女性の周囲で世話をする人たち、その前のレンガか切石敷の床の上で薬を調合する人たち。左には羽根飾りを付けた白い髭の老人とシームルグが見守っている。
そして伏した女性の背後には掛け軸のようなものがあって、白い花の咲く木と二人の婦人が描かれている。
シームルグの背中の上に出入口があって、白い布で髪を覆った女性たちが何かを運んでいる。薬草だろうか。その出入口の左右には柵があって、その外側は花の咲く木と見守る女性たちが描かれている。
フィルダウシのシャーナーメ サファヴィー朝 1549年 THE MUSEUM OF TURKISH AND ISLAMIC ARTS より

トプカプ宮殿博物館にはオスマン朝(1550年頃)で描かれた龍鳳闘争図が残されていた。

龍鳳闘争図 イスタンブールで制作 オスマン朝、1550年頃 ロンドン、ハリーリーコレクション
闘争する鳳凰と龍の体にはハタイ(中国の太湖石の図から変貌したという葦の葉)が複雑に絡み付いている。中央辺りの丸まった葉を龍に騎乗する人物と見間違うほどだ。龍と鳳凰の口の間には文字の書かれたプレートがあって、それを奪い合っているようだ。
ロンドン、ハリーリーコレクション 龍鳳闘争図 イスタンブール制作オスマン朝、1550年頃 世界美術大全集東洋編17 イスラームより


右側のアーチの起拱点にも壁画はあったが、

どのように見ても何が表されているのか分からない。



そしてもう一つのアーチの起拱点


最初のとは違う図柄のよう。金色の花に赤い雄蕊が描かれているように見えるが、これは熟したザクロだろう。



このアーケードは、➍聖遺物室の二重の柱廊の内側だったようで、番組では、造られたのはスレイマン大帝の時代で、描いたのはシャクルという人物で、イランから連行し宮廷絵師長にまでなった人物であるという。

イランから連行した話について『世界美術大全集東洋編17 イスラーム』でヤマンラール水野美奈子氏は、スレイマン一世の時代にトカプ宮殿工房は活気にあふれており、歴史画のほかに多くの文学書の挿絵が細密画法で描かれ、オスマン帝国独自の絵画様式が完成した。このような具象絵画に対し、一方で、文様絵画も独特の様式を確立した。文様絵画も初期にはイル・ハーン朝やティームール朝以来の伝統的な古典様式に忠実であったが、スレイマン一世の時代に、シャー・クル、カラ・メミなどの秀でた文様絵師が輩出し、オスマン帝国独自の文様絵画を完成させた。
シャー・クルは、スレイマン一世の父帝セリム一世がイラン西部を征服した際に、タブリーズの工房から徴集した画家の一人で、ペリ(妖精)図や、しなやかな葉を装飾的にアレンジしたサズ葉文様を得意とした。サズ葉文様はとくに人気を博し、1520年代前半に20年あまり工房長の地位にあった。
またシャー・クルの弟子で、工房長職を受け継いだカラ・メミは、オスマン帝国の人々が好んだチューリップ、ヒヤシンス、カーネーション、薔薇などの花を写実的にアレンジしたオスマン帝国独特の文様絵画を完成させた。
宮廷の文様絵師は、写本の絵画だけでなく、建築の装飾文様, 陶器、タイル、織物などすべての工芸品の文様を考案し、下絵を制作したので、工房において勢力を有していたという。


それはさておき、シャクルが新たに採り入れた画材は龍と鳳凰だけにとどまらなかった。また、サズ様式についても次回


つづいて➍聖遺物室の柱廊側外壁とオプス・セクティレの床

金色の扉のようなものは開かず、ドアは左手にあったが閉まっていた。

壁画が見つかった柱廊がスレイマン大帝時代のものならば、この建物も同じ時代のものだろう。でも中央パネルの地色が白ではないのが気になる。

やっぱり真っ白ではない。赤い色も濁っているので後補だろう。


同じ壁のところでみんなが立ち止まって見ているのは、


この装置だが、これはバロックかロココ様式のかなり時代の下がるもののよう。噴水だろうか。


床に続くオプス・セクティレ(大理石を使った切石モザイク)はそれよりも古そうなので、創建時にはここに最初の噴水があって、この溝を伝って水槽に水が流れていたのだろう。
だいぶ傷んでいる。

さまざまな幾何学文様を組み合わせてできているイスラーム特有のもの。

中央の三角形と菱形でつくった八点星を中心に、三角形・正方形・五角形でパネルを構成している。


左下のパネルは一部しか見えていないが、五角形を連結して変形八角形とし、それを縦横に配置している。黒っぽい組紐文で八角形を囲んで面白い。私好みの文様なのに、一部しか写していなかったとは。


こんなにもスレイマンの時代につくられたものがトプカプ宮殿の端の方に残っているとは。

聖遺物室の外壁をもう少し

西壁側


バーダット・キョシュキュ側から見た聖遺物室の柱廊とドーム。



トプカプ宮殿 割礼の間 Sünnet Odası の外壁に麒麟のタイル


関連記事
ターキ・ブスタン大洞に見られるシームルグ文

参考にしたもの
2024年1月20日にNHKのBSで放送された「工芸の森 トプカプ宮殿 植物文様に秘められた物語」

参考サイト
FNNプライムオンライントルコのトプカプ宮殿で壁画発見~約500年の時を経て色鮮やかに蘇る(2020年12月25日)
ヤマンラール水野美奈子氏の太湖石からサズ葉文様への系譜

参考文献
「世界美術大全集東洋編17 イスラーム」 責任編集杉村棟 1999年 小学館