お知らせ

忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2024/05/17

イスラームのステンドグラス1


イスタンブールのモスクを巡ってステンドグラスに驚いた。

最初に見たのが、メフメト二世(イスタンブールでの在位1451-81)がギリシア正教の聖堂からモスクに変えたアヤソフィアの後陣、かつモスクの礼拝室としてのミフラーブ上部にあったステンドグラスだった。

右側のステンドグラス

下部の文字のところには他のモスクでにもあった小さな粒々のガラスが入っている。
17世紀初頭に建造されたスルタンアフメットジャーミィ(ブルーモスク)よりも粒が細かい。

中央のステンドグラス


こちらも文字の枠内に小さな粒々のガラスが入っている。このような細工がいつ頃始まったのだろう。


後日アヤソフィアの裏に回って、このステンドグラスの外側を見ることができた。

木枠の窓ガラスの奥にステンドグラスの文様の輪郭が見える。


これが何でできているのかははっきりと分からない。一番下の銘文には、中からは小さな丸い点々が見えたが、外からは点々は


もっと拡大・・・右端に少しだけ点々のようなものが見える気がする。


このステンドグラスがメフメト二世の時代に出来たとは思えない。
『望遠鏡』は、16世紀のステンドグラスは細かい彩色ガラスでつくられ、陶器と絨毯の伝統的なモチーフが描かれているという。
これは後日訪れたスレイマニエジャーミイのステンドグラスについての文であるが、「細かい彩色ガラス」はアヤソフィアのステンドグラスについても言える。メフメト二世(1481年没)の頃にはなかっただろう。
そう思っていたところ、昔の記憶が蘇ってきた。それはイスファハーンのチェヘル・ソトゥーン Chehel Sotun宮殿で見たイマームの扉 Imanzadegane-Darbe-Emam という色鮮やかな扉である。

館内の説明は、トルキスタンを統治していたカラコユンル(黒羊)朝ジャハンシャーの時。イスラム暦857年(西暦1453)に完成したイマームの息子たちの墓廟のもので、チェヘル・ソトゥーンに移送された日付は不明。
このストゥッコの傑作は、優美な花と美しい鳥のデザインで、11の枠で仕切られている。無傷の裏側は、大小の色ガラスが嵌め込まれているが、それは上に置かれた型造りの漆喰と遜色ない繊細さであるという。  

最も大きなガラス片で径3㎝。ガラス片の色はストゥッコの形になっているので、窓を通して入る光の通路が、色彩の饗宴をなし、それが生き生きとして見える
という。
この細かい粒々はオスマン朝にそのまま伝わっているが、それが何時の頃のことだったのか。どの本か失念したが、「スレイマンはタブリーズからタイル職人を初めさまざまな職人を連行した」という。


さて、イスタンブールのモスクの話に戻ると、次に見たのは、カドゥルガのソコルルメフメトパシャジャーミイ(1571年建造
現地ガイドのアイシャさんは、スルタンアフメットジャーミィを見学していた時、窓は二重になっています。外側は丸くて、内側はステンドグラスですと言っていたが、この写真でそれがよく分かった。

どうも気になって下のステンドグラスを拡大して写すと、モスクのステンドグラスの枠は、繊細な技法の漆喰作られてるように思ったが、別のガイドギュンドアン氏は漆喰ではないと言った。では石膏?
ステンドグラスが鉛の線で色ガラスの小片を繋いだものだとすると、これはステンドグラスではないが、英語の stained は汚れたという意味なので、鉛とは限定されていないし、フランス語のヴィトライユ vitrail は窓ガラス vitre から派生した言葉なので、このような漆喰で極小の枠まで作ったものもステンドグラスで良いだろう。

もう少し拡大


そしてその次に見たのは、同じソコルルメフメトパシャがエユップにミマールスィナンに依頼して建造させたメドレセの講堂(1569年)だった。

ステンドグラスは白っぽい地が多い。

もう少し拡大
白い部分には小さな点々が、まるで泡のように充填したかのように無数にある。この細かさは同時代のどのステンドグラスよりも小さいのでは。


そしてユシキュダルのミフリマースルタンジャーミイ(1547-48)

ミフラーブの上にあるステンドグラス

ステンドグラスの細部



こんな風に見ていると、区画線に使われているトルコブルーのガラスは鱗のよう。


白?と緑が交互に並んだアーチの下には円と尖頭と半円のステンドグラス

細い植物の茎の曲線が美しい

それを斜めから見ると

続きはおいおい




関連記事

参考文献
「イスタンブール 旅する21世紀ブック望遠郷」 編集ガリマール社・同胞舎出版 1994年 同胞舎出版