外壁の窓には上の尖頭アーチにも細かな浮彫が施され、トルコ・ブルーの細いタイルが囲んでいる。
古代エジプトのカルトゥーシュのようなものに囲まれて、カリグラフィーが刻まれている。
イシェルジャーミイ ファサード入口上部
蔓草は下から一重、二重と巻いていき、一番上では三重になっている。三重のものは見なかったが、大きな花のようなもの以外は、中央アジアのモスクや墓廟にもある。
イシェルジャーミイ平面図
①ミフラーブ ②ミフラーブ前のドーム ③トルコ襞 ④中央ホールのドーム ⑤採光塔 ⑥スルタン用マフフィル ⑦ミナーレ ⑧入口 ⑨未建設のソン・ジェマアト・イェリ ⑩ブルサ・アーチ ⑪ザーヴィエ ⑫ムアッジン用マフフィル ⑬二階への階段
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イェシルジャーミイ平面図 『トルコ・イスラム建築紀行』より |
ミフラーブのタイル
イェシルジャーミイでは、ブルサ・アーチ、トルコ襞、緑色六角形タイルが見たかったのだが、絵付けタイルの文様にも驚愕した。イスタンブールで見てきたスレイマニエジャーミイやヒュッレム廟以降の盛期イズニク製のタイルとは色彩も文様も全く違うし、アナドル・セルジューク朝期の絵付けタイルとも違っているのだ。どこで焼造されたのだろうか。
『トルコ・イスラム建築』は、室内のタイルの装飾などは1424年に完成したというので、イズニクではまだこのようなタイルはつくられてはいなかっただろう。
黒羊朝のジャハンシャー時代、1465年の紀年銘のあるタブリーズのマスジェデ・キャブード(通称ブルー・モスク)のタイル装飾も白・黄・トルコブルー・濃紺という釉薬を使っているが、彼の地ではモザイクタイルだった。ところが、このミフラーブではタイルの継ぎ目がはっきりと見えるので、絵付けタイルであるのは確か。このタイルがオリジナルならばどこでつくられたのだろう。
ムカルナスの周囲の蔓草文様は一重蔓だが、中央アジアの蔓草文様は、カリグラフィーの背景になっていたが、ここでは蔓草文様だけ。
また、外側のタイルには凹凸があみられる。浅浮彫の絵付けタイルだろうか。
ミフラーブの凹みは赤い照明が当てられているので、本来の色はわからないが、外側とはまた違った文様のタイルが使われている。
そして礼拝室の壁面下部には六角形タイルが貼り付けられている。
⑥スルタン専用のマッフィル
⑫ムアッズィン用マッフィルのタイル装飾
スルタンのマッフィルよりも天井が高くて立派
側室の壁面には深緑の六角形のタイルに金箔が貼られていた。
『TURKISH TILES』は、単色のターコイズ、緑、紫、青で作られた六角形、三角形、または正方形のタイルには、釉薬の上に金箔が貼られていることがある。この金箔は、焼成されていないか、非常に低い温度で焼成されているため、時間の経過とともに消えてしまう可能性がある。金箔は、ほとんどの場合、金箔またはスタンプの形で貼り付けられる。金箔のデザインは通常、イスラームの植物文様で、タイル全体または中央を埋め尽くしている。このようにして作られたタイルは、建物の内側の平らな壁を覆うために使用される。アナトリアのセルジューク時代にはこの技法は普及していなかったが、君侯国時代と初期オスマン帝国時代には頻繁に使用されたという。
イシェルトゥルベ ファサードのムカルナスも絵付けタイル。
タイルには黒い色が使われている。
傘の骨のように出ているものが独特だが、これはタイルではないのかも。
トゥルベのミフラーブも絵付けタイル
ムカルナスの外側のスパンドレルは、後にイスタンブールのシェフザーデジャーミィ廟(1548)のステンドグラスにも使われたデザインに似ている。
ミフラーブ下部
ここでは浮彫タイルが使われていた。浮彫タイルで木材のキュンデカリ技法のようになっている。キュンデカリ技法についてはこちら
棺形のものはカリグラフィーが黄色で表されているので、基壇よりは派手に見える。
ムカルナスは金箔ではなく金泥だろう。
浮彫タイルは、かつてサマルカンドのシャーヒズィンダ廟群の14世紀後半に造られた墓廟にあった。それについてはこちら
この装飾文様は、イェシルジャーミイ外壁の石彫とも異なり、ミフラーブの絵付けタイルのもとも異なる。
そして絵付けタイルで覆われた棺
基壇を覆う絵付けタイルは、トルコ青、紫、黄色、紺色などが使われいてるが、赤い色がないので地味に見える。
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参考文献
「TURKISH TILES」 Özlem İnay ERTEN, Oğuz ERTEN SILK ROAD PUBLICATIONS