最初に見たのが、メフメト二世(イスタンブールでの在位1451-81)がギリシア正教の聖堂からモスクに変えたアヤソフィアの後陣、かつモスクの礼拝室としてのミフラーブ上部にあったステンドグラスだった。
右側のステンドグラス
中央のステンドグラス
こちらも文字の枠内に小さな粒々のガラスが入っている。このような細工がいつ頃始まったのだろう。
こちらも文字の枠内に小さな粒々のガラスが入っている。このような細工がいつ頃始まったのだろう。
後日アヤソフィアの裏に回って、このステンドグラスの外側を見ることができた。
もっと拡大・・・右端に少しだけ点々のようなものが見える気がする。
このステンドグラスがメフメト二世の時代に出来たとは思えない。
『望遠鏡』は、16世紀のステンドグラスは細かい彩色ガラスでつくられ、陶器と絨毯の伝統的なモチーフが描かれているという。
これは後日訪れたスレイマニエジャーミイのステンドグラスについての文であるが、「細かい彩色ガラス」はアヤソフィアのステンドグラスについても言える。メフメト二世(1481年没)の頃にはなかっただろう。
そう思っていたところ、昔の記憶が蘇ってきた。それはイスファハーンのチェヘル・ソトゥーン Chehel Sotun宮殿で見たイマームの扉 Imanzadegane-Darbe-Emam という色鮮やかな扉である。
館内の説明は、トルキスタンを統治していたカラコユンル(黒羊)朝ジャハンシャーの時。イスラム暦857年(西暦1453)に完成したイマームの息子たちの墓廟のもので、チェヘル・ソトゥーンに移送された日付は不明。
このストゥッコの傑作は、優美な花と美しい鳥のデザインで、11の枠で仕切られている。無傷の裏側は、大小の色ガラスが嵌め込まれているが、それは上に置かれた型造りの漆喰と遜色ない繊細さであるという。
最も大きなガラス片で径3㎝。ガラス片の色はストゥッコの形になっているので、窓を通して入る光の通路が、色彩の饗宴をなし、それが生き生きとして見えるという。
このストゥッコの傑作は、優美な花と美しい鳥のデザインで、11の枠で仕切られている。無傷の裏側は、大小の色ガラスが嵌め込まれているが、それは上に置かれた型造りの漆喰と遜色ない繊細さであるという。
さて、イスタンブールのモスクの話に戻ると、次に見たのは、カドゥルガのソコルルメフメトパシャジャーミイ(1571年建造)
現地ガイドのアイシャさんは、スルタンアフメットジャーミィを見学していた時、窓は二重になっています。外側は丸くて、内側はステンドグラスですと言っていたが、この写真でそれがよく分かった。
ステンドグラスが鉛の線で色ガラスの小片を繋いだものだとすると、これはステンドグラスではないが、英語の stained は汚れたという意味なので、鉛とは限定されていないし、フランス語のヴィトライユ vitrail は窓ガラス vitre から派生した言葉なので、このような漆喰で極小の枠まで作ったものもステンドグラスで良いだろう。
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そしてその次に見たのは、同じソコルルメフメトパシャがエユップにミマールスィナンに依頼して建造させたメドレセの講堂(1569年)だった。
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白い部分には小さな点々が、まるで泡のように充填したかのように無数にある。この細かさは同時代のどのステンドグラスよりも小さいのでは。
そしてユシキュダルのミフリマースルタンジャーミイ(1547-48)
ミフラーブの上にあるステンドグラス
続きはおいおい
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参考文献