しかも、久々に織部焼の図版を見ていて気付いたのは、萼のない吊し柿と、萼のある吊し柿があることだった。
まずは萼のない吊し柿から
織部つるし柿香合 桃山時代 17世紀 高さ 3.0幅4.8奥行4.7㎝
『大織部展図録』は、丸文様を線で繋いだ文様が複数吊り下げられた文様を吊し柿という。軒下に吊り下げた風景は今でも美濃飛驒で出会う冬の風物詩のひとつである。日常の光景から粋な文様を作り出す絵付師のおおらかな才に驚かされるという。
1本の紐にたくさんの柿を結わえて干し、干柿が完成して取り込んだ喜びの時を表しているよう。
織部つるし柿香合 |
青織部格子に吊柿文筒向付
吊し柿から別の文様へと変化しているのでは😉
志野織部格子に吊柿文筒向付
格子寺の竹垣の幾何学文様のとなりには、結構ええかげんな干し方の吊し柿が並ぶ。その上の斜格子は何を表しているのか。
志野織部吊柿文千鳥形筒向付 高さ8.7 口径7.6㎝ 個人蔵
志野織部格子に吊柿文筒向付 |
志野織部吊柿文四方向付
大きさも干す高さも一様ではないが、それがへうげていて織部らしい。
志野織部吊柿文四方向付 |
志野織部吊柿文四方向付
横線から一つずつ吊し柿が下がっているが、その下に梅の花のような五弁花文が描かれているので、季節感に戸惑う。というよりも、いろんな季節のものを一つの器に描くことで、どの季節にでも使えるということだろう。
黒織部小筒茶碗 桃山時代 17世紀 高さ10.0口径9.0㎝ 銘佐保山
『大織部展図録』は、鉄釉を掛け分けて正面を三角に白地とし、丸に線の抽象文様が描かれているという。
しかし私には、紅葉した葉は全て落ちてしまったのに、木になったままになっている柿の実に見える。
萼のある吊し柿
織部州浜形手鉢 桃山時代 17世紀 高さ28.1幅25.0㎝ サントリー美術館蔵
『大織部展図録』は、銅緑釉を片身替わりに掛け、半身を赤土で成形したところに、白土と鉄絵で大きな花文、菊文、格子の間に吊し柿文が描かれている。単純な幾何学文がおおらかで、州浜形によく合うという。
ジグザグ状の力強い直線は格子文だった。
柿ってこんなに萼が大きかったかな?
『大織部展図録』は、緑、赤、白の釉薬と土の色の違いによって様々に意匠を懲らすことができる鳴海織部。
鳴海織部の浅めの四方鉢では、一辺の角だけを白土だけで成形し銅緑釉を掛け、他は赤土を地に白土を塗り鉄絵で縁取りした吊し柿と斜線が描かれている。簡素な斜線と緩やかに描かれた吊し柿は、内面を広々と見せるという。
織部筒向付
3本の紐は川の字のように真ん中が短い。向付は五客で一揃いなので、同じデザインのものをたくさん描くことになる。
この向付の吊し柿の萼は実を離れ、実は中を白く残さずに鉄釉で塗っている。本来の吊し柿がただの文様と化してしまったらしい。
志野織部吊柿文筒向付 高さ10.6口径8.7㎝ 個人蔵
『古田織部展図録』は、轆轤で成形し、入隅の菱形に形を整える。入隅は縦角の2箇所だけなので、二階菱の形である。入隅を挟んだ2面を1組にして、それぞれ異なる絵付けを施す。一方は吊柿を長短交互に描いているが、入隅の中にも描いているという。
紐はよろけ縞に近い描き方になっている。紐は吊し柿の重みで真っ直ぐになっているはずなのに、絵付け師の遊び心だろうか。干柿の描き方も面白い。
志野織部吊柿文筒向付 |
志野織部吊柿文千鳥形筒向付 高さ8.7 口径7.6㎝ 個人蔵
『古田織部展図録』は、濃い鉄釉で細線を描き、薄い釉で着彩するように文様を描く。千鳥形を上に見る側には太い鋸歯文と吊柿を、反対の面には縦の縞模様を描く。高台も含めて全面に長石釉を掛けるという。
鋸歯文の上には短い紐の吊し柿、下には長い紐の吊し柿というパターンになっている。
志野織部吊柿文千鳥形筒向付 |
青織部弾香合 桃山時代 高さ6.0径4.1㎝ 大光明寺蔵
『古田織部展図録』は、長軸の両端には緑釉が掛けられ、蓋上面と摘み、蓋・身の面取りして平面になったところには銹絵が施される。小品だが吊柿・縞・檜垣など多くの要素を盛り込んでいるという。
軒か物干し竿にかけられた吊し柿の紐は、短・長・短になっている。
青織部吊柿文手付向付
干柿はしゅっしゅっと二筆で描いたか、それとも、先が尖っていないので一筆で上まで戻したか。紐の長短交互のパターンも崩れている。
青織部吊柿文手付向付 |
青織部吊柿に唐草若松文向付
緑釉が還元焼成されたため、茶色に焼き上がってしまった。
格子の中に点文が一つずつ配されているのを「格子丸」と呼ぶらしい。
青織部蔓草に吊柿文向付
ところが、吊柿文と同じように見えるが、「蕾文」とされている文様もあった。
青織部梅花散し蕾文向付
花と一緒に描かれているので、吊し柿が花の蕾のように見えるのか、
青織部梅花散し蕾文向付
しかしながら、marronrecipieの干し柿の作り方のおかげで、重ならないように高さを変えて吊した柿の方が先で、萼の長い吊し柿の文様から蕾文へと変化していったか、あるいは開花した花文が一緒に描かれているので、吊し柿が蕾文に見えたかだろうと思われる。
そして、花文のない吊し柿文単独の場合も、蕾文として描かれたり、解釈されたりするようになっていったのだろう。
青織部干柿文向付
参考サイト