『スキタイと匈奴』は、木槨と木棺というような構造は世界的にも広く見られるという。木槨墓が広く見られるものなら、トルコの首都アンカラの文明博物館にあったミダス王の墓室もかも。
ミダス王の墓室 木槨墓 内室は6.2X5.15m 前8世紀後半 ゴルディオン
『アナトリア文明博物館図録』は、ドアはないが三角形の破風がついている。内室の隅から見つかった遺骨は身長1.59mで60才以上と見られるがこの歴史学上貴重な墓はミダス王のものと思われているという。
同博物館で見学した時は積石塚も木槨墳についての知識も全くない頃だったので、墓室の天井が高いのは、生活していた部屋を再現したためだろうくらいにしか思わなかった。
奧にある木製の舟のようなものが棺だという説明があったと思う。

構造としては、木槨木棺墓を石槨が取り囲むという形らしい。しかもその間に砕石を詰めるというのは、今までの木槨墓にはなかったのではないか。

フリュギアの美術においてそのモティーフの基本となっているのは、複雑にしかし整然と組み合わされた幾何学文様であるという。
この壁面の幾何学文様はいつの日にか間近で見てみたいものだ。迷路のように縦横に曲がったり交わったりしながら壁面いっぱいに広がる帯の間に、十字形と四角形がそれぞれの列が規則性を持って並んでいる。
私はこの壁面を写真で見て、この向こうにあの墓室があるのだと、ずーっと思っていた。しかし、王墓とは全然違う場所にあったのだ。

このように土を盛った墳墓、すなわち古墳を築くという伝統は、それまでのアナトリアには見ることができず、フリュギアによって新たに導入されたものであるという。
『古代王権Ⅲ』は、アンカラから南西へ80㎞ほどのところにその首都であったゴルディオンの遺跡があり、その近傍に古墳群が形成されている。最大のMM号墳は高さ53m、直径300m弱の威容を誇り、数々の逸話で有名なミダス王(在位前738-696年頃)の墓といわれている。この墓はまず地表に大きな角材と丸太を組み合わせて墓室となし、その上を石で覆い、さらにその上に盛り土をして造られているという。
これまで見てきた大古墳の中でも、群を抜く規模である。慶州で町中にある積石木槨墳の近くを歩いて回っても小さな山がポコポコあるように感じたくらいなので、ミダス王の墓は、現地で見ると山としか思えないだろうなあ。
尚、下の断面図に描かれているトンネルは発掘時に設けられたという。

『世界美術大全集』は、歴史記述を総合すると、フリュギア人はその故地であったマケドニアやトラキアからアナトリアに移住してきたという。
このアナトリアの地に突然出現した巨大な墳墓は、いったいどこからきたのだろうか。
『世界歴史の旅トルコ』は、最近の研究ではミダスのものではないとする説もあるという。
誰の墓にしろ、王墓級で、しかも当時その国が繁栄していたのは確かだろう。
※参考文献
「興亡の世界史02 スキタイと匈奴」(林俊雄 2007年 講談社)
「アナトリア文明博物館図録」(トルコ、アンカラの同博物館)
「世界歴史の旅 トルコ」(大村幸弘 2000年 山川出版社)
「古代王権の誕生Ⅲ 中央ユーラシア・西アジア・北アフリカ編」(角田文衛・上田正昭監修 2003年 角田書店)
「ゴルディオン 木製家具」(1992年 アナトリア文明博物館)
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」(2000年 小学館)