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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2008/02/25

蘇我入鹿の首塚

本堂で大仏さんを拝観した後は小さな西門から出る。こちらも整備が進んでいた。 
そして、1つの案内板があって、かつての西門はこの位置にあったことを知る。更に西へ。余りにもきれいになりすぎて違和感があるが、敷石の間に蘇我入鹿の首塚がある。板葺宮で中大兄皇子と中臣鎌足に殺された入鹿の首がここまで飛んできたという有名な話があるが、鎌倉時代になって五輪塔がおかれたとお寺の説明にあった。 明日香村のどこかでもらった『飛鳥京絵図』には593~694年当時の飛鳥寺が創建当時の伽藍配置で表され、西金堂と中金堂(現安居院本堂)の間に首塚の位置が示されている。飛鳥寺の南には伝板葺宮が描かれている。飛鳥寺と板葺宮が意外と近い。飛んだという話ができるくらいの距離だ。西側には飛鳥川が流れ、低いとはいえ甘樫丘が南北に横たわっているため視線も遮られるが、南の仏頭山、東の御破裂山と共に飛鳥の地を三方から囲んでいる。
その後また飛鳥寺の境内を通り、車にもどって、教えてもらった通り、狭い道を北に向かったら、すぐに信号があり、3分半も待つこととなった。飛鳥巡りはレンタサイクルが便利やね。

絵図でいうとも水落遺跡の西にある小さな橋を渡って車を置き、甘樫丘へ上った。展望台から飛鳥寺を見下ろすとこんな感じです。付近の民家と見分けがつきにくい大きさ。「飛鳥京絵図」は後で入手したので、蘇我入鹿や父蝦夷の邸宅跡がどこにあるのかわからなかった。 

※参考
「やさしい考古学 飛鳥京絵図」 明日香村発行